第40話 徳さんとおとうさん
「どうだい具合は?」
おとうさんは、徳さんの顔の側へまわり、椅子を引き寄せて座った。
「下でトミさんに聞いたが、ほとんど食べていないんだって?」
あまりにもおとうさんがじっと見つめているので、徳さんは居心地が悪くなって目をあけてしまった。
それを待っていたように、おとうさんは笑顔をみせた。
「徳には経済をやらせるんだっておかあさん張り切っていたぞ」
徳さんは、いやだという風に首を振った。
でもそれはかすかだったので、おとうさんに伝わったかどうか。
「十五のこどもに経済もないだろうという人もいるが、おとうさんは違うよ。こどもだろうが特別扱いはしない。経済を実践している先輩として、きちんと教えてあげる」
と言って、真顔になった。
顔を動かしてオレ様を見た。
手を伸ばしてきた。
ドキッ。
見つかった?!
でも、その手は、隣の水差しを持ち上げ、コップに水を注ぎ、おとうさんは水を飲んだ。
ぬいぐるみのオレ様は、水差しの横で冷や汗をかいていた。
「ただしひとつ忠告しよう。経済は人に冷たい。それだけは知っておいた方がいい」
徳さんは、ぼんやりと場違いな思いにひたっている様子だ。
「これからの日本は経済だ。今、戦争に向かっているけれど、戦争も経済だ。戦争がどういう展開で終わるのかわからないが、そのあとにくるのも経済。人はもう経済からは逃れられない。他の生き方はできない。どうしてかわかるかい?」
徳さんは、そんなことどうでもよかったのだが、わからないという風にちょっとだけ首を振った。
「これからは、すべての人間が欲望にひれ伏す時代になるからだ。快楽こそが幸福だと信じる時代は確実にくる」
この部屋に入ってくるときからずっと、おとうさんはしっかりと徳さんを見据えて話している。
「人々はたったひとつの方程式を信じ、人生のすべてを賭けるようになる。つまり、金のある者が勝つという方程式だ。その方程式の解き方が、経済なんだ」
おとうさんがあまりにもじっと見つめて話すので、徳さんは目をそらせられない。
つらそうだ。
「徳はなにが好きなんだい? なにになりたい?」
徳さんは、自分がなにが好きか、なにになりたいか、おとうさんには話したくないようだ。
「コンドルって知ってるかい?」
徳さんは小さくうなずいた。
おとうさんもうなずき返す。
「アンデスの少年が自分の夢を語った。コンドルになりたいと。死肉を食うコンドルではなくて、大空を自由に飛び回るコンドルに」
そう言って、じっと徳さんの反応を見ている。
徳さんは、息苦しそうだ。
徳さんのおとうさんは、人をこんなに息苦しくさせる人なんだと、オレ様はぼんやり思った。
「しかし、そんな考えではこれからの社会を生きてはいけない。両方にならなければダメなんだ」
徳さんは、一瞬、なにが〈ダメ〉で、〈両方〉ってなんなのかわからない顔をした。
「死肉も食い、大空も飛ぶ、そういうコンドルにならなければダメなんだよ。死肉を食らわなければ、より高い大空へと羽ばたくことはできないのだ」
おとうさんが突然立ち上がった。
「今日の講義はここまで。また来週来る」
徳さんはホッとした。
「徳、自分の儲けだけを考えろ。それが社会に貢献することになる。金儲けをいやしめる必要などない。金儲けは善だ」
おとうさんは、そう言うと悠然と部屋を出て行こうとした。
そのとき、徳さんが呼び止めた。
「おとうさん」
おとうさんは、ドアノブに手をかけたまま振り返った。
「なんだい」
「そんなにお金をもうけて、何が欲しいのですか?」
「金だね」
即答だった。
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