第28話 最悪
オレ様はつぶやいた。
「一発即死……か」
ハナが震えている。
「人間って怖い」
オレ様の眉の間に、ぎゅっと力が入った。
黒と黒の間に深いコブができた。
これを苦悩のコブと呼ぶ。
つまり、記憶パンダは今、そうとう深刻に悩んでいるということだ。
オレ様は言葉を絞り出した。
「ようやくわかった」
「なにがわかったの」
「おばあさんが消えた意味だ」
「湖に落ちちゃったんでしょ」
「ハナ、らんおばあさんの、向こうでの様子を覚えているか?」
「……おばあさん? そうねぇ、物忘れがひどかったわね」
「ほたる湖で、追いかけても追いかけても追いつけなかった、そして、自分から湖に飛び込んでしまった。それは、おばあさんの記憶が閉じつつあるからなんだ」
「記憶が閉じる……?」
「自分が誰なのかわからなくなってしまうということだ」
「確かに、そういうきざしはあったけど……」
「オレ様たちは、最悪の状況へ向かいつつある」
「いきなり最悪!?」
「いいか、ここは記憶界だ。記憶界における創造主、つまり神は誰だ? そう、記憶の主だ。ここではおばあさんだ。でも、記憶の主が自分が誰なのかわからなくなってしまったらどうなる? 記憶の主が、肝心の記憶を失ってしまったらどうなる?」
その意味を考えているハナにおかまいなく、オレ様はどんどん続ける。
「記憶の消滅イコール記憶界の消滅。つまり、死だ。ふいっ、とな。一発即死さ。まさにそれが、オレ様たちの身に迫っている。もちろん、ここの住人である彼らにもだ」
「ふいっなんて、そんな終わりかた、いや!」
「それが記憶界のルールなんだ。その記憶の主が完全に記憶を失ってしまえば、その記憶界は消滅する。これほどシンプルな真理はない」
オレ様はそのとき、あちらの世界でのあることを思い出してしまった。
しかもそれは、オレ様からごくわずかな希望やら可能性やらを根こそぎ奪ってしまうことだった。
「どうしたの中村玄、震えてるよ」
「大変なことを思い出してしまった」
「な、な、なんなのよ。ヘンなこと思い出さないでよ」
「らんおばあさんは、死のうとしている」
「……!」
「おばあさんは、永年連れ添った徳さんの死によって深い悲しみに囚われてしまった。明らかに自ら死ぬことを考えていた。それを行動に移す機会が二度あった。一度目は、徳さんの死の直後。飲まず食わずで自然衰弱死を選んだこと。二度目は、駅のホームからの飛び込み。……おばあさんは死に向かって一直線に突き進んでいる。そんなおばあさんの記憶界に入り込んでしまったオレ様たちは、こちらの世界でどうあがいたところで、消滅する運命なんだ。そんなこと、認めたくないけど」
「うううう」
ハナがうなっているが、オレ様は続ける。
「今、おばあさんの病状はもっと進行しているはずだ。死の衝動に駆られても、ひょっとしたら〈ハッとわれにかえる〉というようにブレーキがかかることもあるのだけど、おばあさんの場合、かえるべき〈われ〉を失いつつあるわけだから、ブレーキそのものがこわれてしまっている」
「うううううううううう」
ハナはもはや、うなるネズミと化した。
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