第24話 おかみさんの警告


今年の夏は、野菜の育ちもよく、たくさん収穫できた。


収穫した野菜を厨房の横にある貯蔵庫に運ぶとき、旅館で働く人たちが、


「ほお、今年の夏野菜は質がいいな」

「色つやがいつもと違う」


などと話しているのが耳に入ると、畑担当のらんとしては、ついつい鼻が高くなってしまう。

おかみさんが帳場から顔を出して、


「らん、今日はこれくらいでいいですから、お風呂に入りなさいな」


とやさしく言ってくれた。

まだ夕方だというのに、こんな時間にお仕事が終わるなんてうれしくなってしまう。

そういえば、みなさんの表情もなんとなく清々しい。

ああそうか、今日はお給料日。

それでみんな機嫌がいいのだ。

最近、旅館は大繁盛で、おかみさんも上機嫌だ。

おかみさんは、思い出したようにもう一度顔を出して言った。


「らんや、頑張ったご褒美に、今度の夏祭りの日はお休みしていいわよ」


そこにいた人々から拍手が起きた。

とてもあたたかな空気になった。


らんは、オレ様とハナを風呂桶の中で泳がせている間、仕事の汚れを洗い落とした。

石鹸の泡をたくさん立てたので、オレ様とハナの桶も泡のお風呂になった。

お風呂を上がると、離れに戻った。


離れの庭には、ひまわりが数本立っている。

幹が太くて、大輪の立派なひまわりだ。

らんが育てた。


庭に小鳥が舞い降りてきた。

土に落ちたひまわりの種をついばんで、やがて、ひまわりの種を口にくわえて飛び去っ

て行った。


「いいなあ」


と縁側で涼んでいたらんがつぶやく。


「なにがうらやましいと思う? 自由に大空を飛ぶ小鳥?」


どうやら、オレ様に話しかけているらしい。


「ううん、そうじゃないのよ。ああして、鳥に運ばれて、またどこか別の土地で大きく育って、こどもを増やして、そうするとまた誰かに運ばれて、どんどん旅をして、増えて増えて増えて……いいなあ」


らんは、小鳥に運ばれていったひまわりの種をうらやんでいるようだ。


なにかひらめいたのだろう、らんは庭に降りてきてひまわりの花を覗き込み、種を数粒

採取した。


それを握りしめて部屋に戻ると、タンスの中にしまってあった巾着袋の口を開け、その中にパラパラとひまわりの種を納めた。


「わたしが運んで、どんどん増やしてあげるの」


たいせつなもの。

ひまわりの種。



おかみさんが離れにやってきた。

どうしてまたこんなところへ、とらんがあわてて正座をして迎えると、おかみさんは畳の上にスッとご祝儀袋を置いた。


 (え!?)


今まで、お給料といっても、ほんの小銭程度しかもらってなかったから、らんはちょっと戸惑っている。


「お仕事よくやってくれているわね。源さんも、とても褒めていらしたわよ。最近は、徳さんにも逢わないでくれているようだし。おかげであの子の成績も順調で、何よりだわ」


おかみさんは、眉の端を少し上げて、さらにやさしい声で言う。


「身寄りがないというから、情けをかけて置いてやってるんです。仕事も与えて給金も払い、三度の食事も、白黒たちのエサまで与えているのです。小学校も行っていない、読み書きもできない、料理はからきしダメ、役立たずの子供だけれども、女で、器量が少しは良さそうだから、うちは旅館ということもあるし、そのうちお座敷にでも出そうかとも考えたけれど、芸事というと下手なわらべ歌しか知らないし、肥えがかかっても平気なほどがさつだし、聞くところによると、そんなかわいい顔をして小さい頃から警察の厄介になり通しだったというじゃありませんか。まさか売上を持ち逃げするなんてことはないでしょうけれど、せっかくのわたしの善意を仇で返すのだけはやめてくださいね。改めて言いますが、徳さんには将来があるのです。くれぐれも心してください。もう逢わないという約束、忘れないでくださいね。一度でもあの子に逢ったら、徳さんを東京に出します」


らんは、反射的にこう言ってしまった。


「でも徳さんは、ケーザイはお嫌いだと言ってました」


その途端、おかみさんの右手がらんの頬に飛んだ。


ピシッ!


らんは、畳におでこを押し付けて何度も何度も謝った。


ごめんなさい。ごめんなさい。


おでこがすりむけた。


「生意気なことを。クビにされないだけありがたいと思いなさい」


おかみさんは、そう言って、さっさと出て行った。



オレ様が旅館を走り回って得た情報では、この旅館を経営する一族には、代々たいせつにしてきた〈志〉があるそうだ。

それは、〈情け〉だという。

おかみさんが、らんをけっしてクビにせず、雇い続けているのは、身寄りのない子の面倒を見るという〈情け〉からきているのだそうだ。

らんのおかあさんを雇っていたのも同じ理由だった。

旅館の玄関を入った正面の壁に、大きな額に納まったたいそう立派な〈書〉がかけられてある。

この一族の家訓なのだそうだが、それはこんな〈書〉である。


 『花は野に在り 魚は水に 人は情けの庭に住む』


大の落語好きだった何代か前のご主人が、落語の中の一節を書いただけという噂もあるのだが。



どこからか口笛が呼んでいる。

オレ様は、ゆっくりと母屋の方へ歩いていった。

ある窓の下へ来ると、徳さんが顔を出した。

そして、素早く、なにかを放り投げた。

紙を小さくたたんだものだ。

オレ様は、それを口にくわえて離れに戻り、らんに渡した。

手紙にはこう書かれてあった。


 『ナツマツリ、アノバショデ。 トク』


らんは、両手の指をお祈りのように組み合わせて、胸に押し付けた。

胸が張り裂けそうに鼓動が早くなっているのだろう。

わかりやすい子だ。

おかみさんとの約束など、どこかへ飛んでいってしまったようだ。

オレ様は、らんに背を向けて伏せてしまった。


胸騒ぎがする……

とてつもなく不吉な胸騒ぎが。


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