第22話 らんの場所の女の子


みんなでご飯を食べた。

おにぎりを頬張りながら、徳さんがつぶやいた。


「……僕、大人になれないかも…」


らんの口の中はおにぎりでいっぱいだ。


「どうして? みんな大人になるよ」

「あんな大人になんかなりたくない」

「あんなって、どんな?」

「おとうさんとおかあさん」

「………」

「ぼくのおとうさん、東京で相場師というのをやっていて、大もうけしてるらしい」

「ソウバシ?」

「大金を動かして、何倍にも増やすバクチ打ちみたいなものだって」


らんにはそういう仕事は想像できない。

そんな顔をしている。


「おとうさんはこっちには全然帰ってこない。ぼくもそのうち東京の私立中学に出される」

「でも、徳さんがいなくなるとおかみさん寂しがると思うよ」

「ううん。うちは、あととりが必要だから。東京でしっかりケーザイを勉強して、旅館をもっともっと大きくして、おかあさんに親孝行してちょうだいって、いつも言われてるんだ」

「ケーザイ…って?」

「お金のもうけ方とか増やし方の勉強」


らんには、なんとなく、徳さんがその勉強をいやがっているように見えたのだろう。


「それは、正しいお勉強?」

「お金のことしか考えないから、人を幸せにしないと思う」

「じゃ、そんなお勉強、やめましょう」


らんがそう言うと、徳さんは笑った。

元気が出たようだ。


「それでね、この場所には、そんな寂しいときやつらいときによく来るんだ。この場所に座って、花たちに聞いてみた」

「おはなたちに聞いたの? なにを?」

「ぼくはちゃんとおとなになれますか。ちゃんとしたタマシイのあるおとなに、って」

「そしたら?」


徳さんが花ばたけの隅っこ、今、オレ様が座っている場所を指差した。


「あそこに立ってたんだ」

「誰が?」

「女の子。ちょうど、ぼくらくらいの」

「それで?」


すると徳さんは、胸の前で指を一本立てた。


「え?」

「その女の子は、こうして指を一本立てたんだ。胸の前で」

「ふーん」

「なんにも言わずに、ゆったり笑って、胸の前で指を一本立てたんだ」


ちゃんとしたタマシイのあるおとなになれますかという徳さんの問いに、その女の子は指一本で答えたという。


オレ様は、やわらかい気持ちになった。

なんとなく、指一本の気持ちがわかる。

指一本……とても安心した気持ちになる。


実はさっきからオレ様の横に、徳さんの話に出てきた女の子が立っている。

女の子は、しゃがんでオレ様を見つめる。


「変わった犬ね」


と話しかけ、


「オレ様は犬じゃないよ。パンダだよ」


と答えると、


「ぱんだ? ヘンな名前」


と、コロコロ笑う。

そして、視線を移し、とても柔らかな表情でらんを見つめるのだ。


でもその姿は誰にも見えていない。

そうだったのか。

オレ様は、この女の子のタマシイと出会ったんだ。



帰り着いたのは夜の九時近くだった。

おかみさんは母屋の前でおろおろと待っていた。

ふたりが走って戻ると、とたんに真っ赤な顔でらんの頬を平手で張った。

徳さんは、らんは悪くないと泣いて抗議するのだが、強引に腕を引かれて母屋に連れ戻されてしまった。

母屋の裏口がピシャッと音を立てて閉まる直前に、徳さんは涙でグシャグシャになった顔でらんを見た。


すると、らんは、徳さんに向かって、胸の前で指を一本立てていたのだ。


あの女の子のような微笑で。


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