第16話 巾着袋
仕事が終わって、離れに戻ると、もう一つの仕事が待っている。
「これは自分のための仕事なの」
と、らんは言う。
らんは、おかあさんと同じく、旅館裏の離れで寝起きすることになったのだが、最初の夜、タンスを開けたらあるものを発見した。
さくらの刺しゅうが入ったハンカチだ。
何度も洗って使っていたのだろう、さくらの色があせていた。
このハンカチをオレ様はよく覚えている。
らんが病院に面会に行ったとき、おかあさんはいつもこのハンカチを握っていた。
悲しいとき、おかあさんはきっとこのハンカチで涙をふいていたんだ。
退院してこの旅館に戻ってきたとき、おかあさんの荷物は、桜の刺しゅうの入ったこの
ハンカチ一枚だけだった、とおかみさんが言っていた。
十年近くも病院で生活していたら、私物のひとつやふたつはあるだろうに。
人間の人生には、ハンカチ一枚あれば十分ということなのか。
そのハンカチで、どれだけの涙をぬぐってきたことか。
慣れない手つきで、縫い物をしながららんが話しかけてくる。
「ねえ、中村玄、らんには、他の子のようにふるさとと呼べる場所がないの」
ふーん、ふるさとねぇ。
「このハンカチを見つけたとき、自分だけのふるさとを作ろうと思った」
らんのもう一つの仕事とは、巾着袋を作ることだった。
「この巾着袋がらんのふるさとなのよ」
らんはぎこちなく針を運ぶ。
自分の指先を見つめている。
針先を見つめている。
針先が縫い進む糸の道を見つめている。
その糸の道をらんとおかあさんが歩いている。
夕焼けの土手。
二人は手をつないで歌っている。
時々微笑み合いながら。
それが、らんのふるさと。
「出来上がったら、最初に入れるのはこのハンカチなの」
縫いながら、らんは一人微笑む。
ふるさとを見つけたしあわせ。
針運びのテンポに合わせて、つぶやく。
「……たいせつなもの、おかあさんのハンカチ……これからはね、命と同じくらいにたいせつなものを、この巾着袋に入れて一生持ち歩こうと思うの」
うん。うん。
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