第14話 徳さん


オレ様は、たらいに張られたお湯の中につかっていた。

じいさまのような人が、オレ様の胸のあたりをゆっくり揉んでいる。

少年の心配そうな声が聞こえる。


「源じい、白黒はどう?」

「ぼっちゃま、ぴくりとも動きませんな」


らんは半泣きで訴えている。


「お願い、助けてください」


その時、何かがお湯の中に飛び込んだ。

「あっ」と、少年。

「な、なんじゃこのネズミ!」と、源じい。

うっすら目を開けてみると、ハナが懸命に両手両足を回転させて水中を進み、オレ様にたどり着くと、顔まで這い昇り、おもいきり鼻に噛みついた。


びぃいーーッ!


オレ様が悲鳴とともにお湯の中で暴れた。

な、なんてことをするんだ! 

オレ様はとっくに息を吹き返していて、あったかい湯の中で、どうしておばあさんが消えたのか考えていたっていうのに。



そこは旅館の勝手口の土間だった。

オレ様を見下ろしている少年は、髪の毛をタオルで拭きながらホッとため息をついた。

らんの全身から湯気が立ち上っている。

旅館のお風呂で体を暖めたのだろう。

ハナもらんも少年も、みんな泣き笑いだ。



一族の住まいである母屋は、旅館と渡り廊下でつながる木造三階建ての豪勢なお屋敷だ。

お屋敷の裏手にある小さな離れの縁側に、らんと少年が並んで腰掛けていた。

少年は、旅館の一人息子だった。


「とく、っていうんだ。道徳の徳」


ぼっちゃまと呼ばれた少年は、そう名乗った。


「わたしは、らん」

「花のらん?」

「そう」


徳さんの母親であるおかみさんが離れにやってきた。

らんの足元から頭のてっぺんまで、じっとりと観察している。


「あなたどこからきたの?」

「東京です」

「どうしてここへ?」

「おかあさんに会いにきたんです」

「おかあさん?」

「ここで働いてましたでしょ。三日前に死んだって聞きました」

「三日前に死んだ…って…じゃ、あなたは…」


おかみさんと徳さんは顔を合わせて目を丸くしている。


「あなた……おいくつ?」

「十二です」


と、らんが言うと、すかさず徳さんが、


「僕と一緒だ」


と言って、らんと微笑みあった。

おかみさんは、遠くを見るような目でらんを見つめ、小さくつぶやいた。


「…十二……あれから十二年たつのね……」

「帰るところがないんです」


徳さんが驚いてらんを見た。


「ここへ来たらおかあさんと一緒に暮らせると思って」

「あらまあ、残念だったわね」


おかみさんは、らんがどうなろうとあまり関心がなさそうだ。


「うちにおいてあげたら?」

「徳さん、あなた、なに言ってるの!?」

「わたし、働きます。何でもやりますから。おねがいします、おいてください」


おかみさんは、ほとほと困ったという風に首を振り振り母屋へ戻って行った。


それはそうと、オレ様にはちょっと気がかりなことがある。

おばあさんが消えたこともそうなんだが、森の仲間たち……老師やカラスの小太郎、リスのドン、ウサギのラッタ、タヌキのポンポコ親子……彼らが遠巻きに杉の樹のあたりに集まってこちらを見ている。

問題なのはその表情だ。

妙にトゲトゲしく、何か怒っているように見える。

最初に出会った時の楽しい和気あいあいとした笑顔は微塵もない。


どうして、怒ってるのかな。

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