第10話 月に歌うおかあさん
────雨の夜。
離れの縁側で、らんのおかあさんが夜空を見上げている。
厚い雨雲の向こうに月が見えるとでもいうように。
そして、そこがふるさとだとでもいうように懐かしく愛おしく見上げている。
おかあさんは、隠れた月に何の面影を重ねているのか……
離れを見下ろす高い杉の大樹の頂きに、ぽつんと老師が立っていた。
雨に打たれたままじっとおかあさんを見降ろしている。
オレ様とハナは老師の肩に乗っていて、その低くてしわくちゃなつぶやきを聞いている。
「あの娘が十歳でこの旅館に奉公に来てから二十年近く。途中、病院に入っていた十年間の不在期間はあるものの、いつでも、娘の半径百メートル以内にわしはいた」
おかあさんは、厚い雨雲の陰にあるだろう見えない月に向かって……
『お嫁に行くときゃ誰とゆく』と、はかない声で歌い始めた。
そして……『ひとりでから傘さしてゆく』と、自ら歌い答える。
……『から傘ないときゃ誰とゆく』と、重ねて歌うと……
『シャラシャラ シャンシャン鈴つけたお馬にゆられて濡れてゆく』
と、結ぶのだ。 (※「雨降りお月さん」野口雨情)
老師はそこで泣いてしまう。
ハナも泣いた。
オレ様も、そして老師の記憶界に一緒についてきていて太い枝の上に座って見下ろしているらんも……。
さらには、森の中で息をひそめている様々な生き物たち、小動物や、植物や、土や、虫たちや、他の様々な精霊たちも、おかあさんの透きとおった歌にじっと聴き入って泣いているのだ。
花嫁ひとり、誰にも見送られず、誰にも迎えられず、なんの祝福もなく、雨にぬれて馬の背に乗って行く姿は哀しすぎる。
馬が鳴らす鈴の音が哀しすぎる。
雨は、そんな夜にしか旅立つことを許されない花嫁のために、月が流した涙なのかも知れない。
その夜の月が、らんのおかあさんにとって今生で見る最後の月だった。
朝になって、おかあさんは月へ帰って行った────
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