第7話 わたしは捨てられたんだ……
────夏だった。
線路のそばに小さな女の子がうずくまるようにしゃがんでいる。
小さな手が握ったり開いたりしながら、たくさんの石の上をさまよい、やがてちょうど良い大きさ、握りこぶしくらいの大きさの石をひとつ拾い上げた。
それをレールの上に置く。
「あれは……」
ハナがちょっと考えて、すぐさま結論を出した。
「らんさんね」
「そう。八歳のらんだ」
レールの上には、らんが置いた石が五個並んでいる。
それはまるで厳粛な儀式のようだ。
らんがぴくりとなにかに反応した。
レールの遥か先から叫び声が聞こえる。
オレ様とハナは声の方向を見た。
かげろうに揺れているレールの上を、数人の大人が走って来る。
制服の人が二人、白いワイシャツを汗で濡らした人が三人。
ハナが手のひらを目の上にかざして言った。
「制服の人は、駅員さんとおまわりさんだわ」
らんは大人たちとは反対方向に走り出した。すると、ハナが叫んだ。
「らんさん、危ない!」
その方向から列車が走り迫ってきた。
らんは立ちすくんでしまった。
前方からは列車、後方からはおまわりさん、そして、レールの上にはたった今自分が置いた石。
八歳のらんは何が何だか、どうしてよいものかわからなくなったようだ。
たぶん、電車よりは人間がよいだろうと、あまり根拠のない決断を下して、おまわりさんの方向に泣きながら走って行った。
「ハナ、急げ」
オレ様はハナに声をかけて、レールの上の石をすべてはじきとばし、らんを追った。
両脇を大人につかまれて両手をバンザイした格好のらんの姿が遠くなる。
ハナはさすがに心配そうだ。
「あれって、補導?」
「そう。らんがこの町で補導されるのはこれで三回目なんだ」
「三回……も」
ハナは不満そうに鼻をヒクヒクさせている。
「らんさんは悪いことなんかしてないのに」
「線路に石を置くのが良いことなのか?」
絶句するハナに構わず、オレ様はシッポを振る。
「最初は、病院の窓ガラスを次々と割ったとき」
瞬き一つしたら、たちまちオレ様とハナはその現場にいて、らんが、ひとーつ、ふたーつ、みっつ……と数えながら、窓ガラスを角材で順番に叩き割っているのを見ていた。
ななつまでいったとき病院の守衛さんたちが走ってきて押さえつけられた。
「六歳のときだ」
「そんなちっちゃな子が、どうしてガラスを……」
オレ様は、それには答えず、次の記憶界に飛んだ。
「二度目は七歳になったばかりのとき」
やはり同じ病院の売店でキャラメルやらチョコレートやら、ポケットに押し込められる
だけ押し込んで外へ出ようとした所を、らんは背後から肩を引き戻された。
「病院……」
「ガラスのときも万引きのときも、らんの言い分は同じだった」
『らんはびょうきだから、このびょういんに、にゅういんしなくちゃいけないんだ』
「……この病院に何かあるの?」
次の瞬間、オレ様とハナは病院の中庭にいた。
「らんは別の町から、年に一回この町へやってきていた。この町の病院に、おかあさんが入院していたんだ」
オレ様たちの視線の先に、母親と並んで歩くらんの姿があった。
「……そっか、らんさんはおかあさんと一緒の病院で暮らしたかったのね」
「おかあさんは心を病んでいる。らんが面会にきても、それが自分の娘とはわからない」
母親は、芝生の中庭をらんと散歩している間、ずっと小さな声で歌っている。
「童謡……?」
「そう。おかあさんの歌を、らんは何度も聴いていたのですべて覚えてしまった。おかあさんに合わせて一緒に歌うんだけど、おかあさんはついにらんに微笑むことはなかった」
ぴったりとくっつくようにしてらんが並んで歩いているのに、母親はまるでそこにらんが存在しないかのようだ。
「それでもらんは幸せだった」
父親の名前も顔も知らず、身よりのない子どもを収容する施設で暮らすらんにとって、年に一度のおかあさんとの面会は何より大切なキラキラとした時間だった。
二度も問題を起こしてしまったので、施設から引率してくれる先生も、さすがにもう同情はしてくれなくなった。
ある日、おかあさんとの面会もこれが最後だと言われたので、レールに置き石をした。
「列車が止まれば帰らなくてもいいと思ったのね」
「うん。この町に居続けられると思ったんだ」
それ以降、おかあさんと会うことを禁じられたらんは、荒れに荒れた。
その結果、今まで暮らしていた養護施設から、問題を起こした子どもが入る矯正施設へと移された。
面会にきた養護施設の先生に、おかあさんに一目でいいから会いたいとお願いすると、意外な答えが返ってきた。
おかあさんは退院したというのだ。
ハナは顔を輝かせた。
「おかあさんの病気が治ったの!」
「それはらんにとって待ちに待ったうれしい知らせだったんだ」
「ああ、これでおかあさんと一緒に暮らせるのね! 迎えにきてくれるのね!」
らんは、一日に一回の郵便物の配給を心待ちにするようになった。
その時間が来るとワクワクして自分の名前が呼ばれるのを待った。
ハナもワクワクして言葉が弾む。
「だって、おかあさんから手紙が届くはずだから」
また、面会時間が近づくとそわそわ落ち着かなくなった。
「そりゃそうよ。おかあさんがらんさんに会いに来るの。絶対よ!」
「でも、らんあての郵便物は一通も届かなかった。面接も、養護施設の先生が何度か来た程度だ」
「どうして……」
ハナの声は涙と鼻水で途切れた。
冬の朝、施設を退所する日、らんははっきりと悟った。
わたしは捨てられた、と。
オレ様とハナは、冬の朝霧の中に遠ざかっていくらんの後ろ姿を、施設の門の影から見送った────
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