25 青春の終わり

 シャルロットがシャルルとコンスタンスの過去についてアルマンから聞かされている頃、シャルルは国王の寝室にいた。フランドルの戦地に赴くことになり、別れのあいさつをするためにルイ十三世に拝謁していたのだ。


 これが最後の別れ……。二度と王の顔を拝むことはできないだろうとシャルルは内心覚悟していた。


 同じように、ルイ十三世も、自分が最も可愛がった銃士と別離の時が迫っていることを感じていた。

 私情を言えば、最後までシャルルを我が手元に置いておきたかったが、今度の戦いにシャルルを貸して欲しいとガッシオン元帥げんすいがトレヴィル宛てに手紙を送って来ているという。

 フランスの正念場となる決戦に、銃士隊の中でもマスケット銃の扱いが巧みなシャルルがいたら、大きな戦力となるのは間違いない。そう考え、ルイ十三世はシャルルの戦地派遣を許可した。国王たる者、死の最後まで私情よりも国益を優先させなければならない――それがルイ十三世の信念だった。


 ルイ十三世は、看病をしていた侍女たちに部屋から出て行くように命じ、シャルルと二人きりになると、ベッドの近くまで来いと手招きをした。


「……シャルル。起こしてくれ……」


「陛下、あまりご無理は……」


「お前と向かい合って、話がしたい……」


「はっ……。承知いたしました」


 ルイ十三世は、シャルルに体を支えられながら、この世で最も信頼する銃士を正面から愛おしげに見つめた。


 果てしなく続く醜い政争に疲れ果て、無垢な心だけを愛したこの王は、一途に自分を慕ってくれる銃士たちを我が子のように思っていた。シャルルたち銃士もまたルイ十三世を父と思い、王と共に戦う青春の日々を駆けぬけて来た。その青春が、今、終わろうとしている。正直に言うと、シャルルは、青春の終わりの先にあるルイ十三世のいない未来に足を踏み入れることが恐ろしかった。


「うぐ……おごっ……! こほっ! ……ひゅー、ひゅー……」


 急にルイ十三世が奇妙な声を出して苦しみ始め、シャルルは「陛下!」と叫んで慌てた。


「陛下、失礼いたします……」


 シャルルは主君の口の中に指を入れ、ルイ十三世を窒息ちっそくさせようとしていたその異常に長い舌を引っ張って伸ばした。


 ルイ十三世の人並み外れて長い舌は喋るのにも難儀するほどで、黙っている時は口の中をもごもごさせ、短い言葉を発するだけでも舌が邪魔してどもってしまい、ルイ十三世は生まれてからの四十二年間、このストレスにずっと苦しめられていた。

 そして、死の病によって弱りきったルイ十三世は、舌がだらりと口の中で絡まってのどを塞ぎ、窒息しそうになっても、自力で長い舌をどける気力すらなくなっていたのである。


「はぁ……はぁ……」


「陛下、もう大丈夫です。安心して息を吸ってください」


 ルイ十三世は弱々しくうなずいたが、座っているのも辛く、がくりと前に倒れこんだ。それをシャルルが受け止め、抱き合うかたちになった。


 体の重みがまったく感じられない。軽すぎる。神が、王の肉体から命を吸い取っているのだ。シャルルは、故郷の父が死んだ時のことをふと思い出し、涙した。


 シャルルの耳元に、ルイ十三世はささやく。


「……ちんには、リシュリューのような先を見通す目がない……。だから、我が死後、誰が王家の味方になり、敵となるか……見極められぬ……。朕が愛した銃士隊もだ……」


「何を仰せになりますか。銃士隊は国王陛下直属の部隊です。我らは常に王家のしもべです」


「トレヴィルは……あの男は、昔は政治を知らない……剣ひとつで身を立てる武骨者だった……。だからこそ、信頼できたのだ。……残念だが、彼は変わってしまった。近頃は……要人派の貴族たちと朕の死後について……密議を交わしているようだ。安心して後事を託すことはできぬ……」


 ルイ十三世は、ゆっくり、ゆっくりと、何とか息が続くように、舌がもつれないよう慎重になってそう言い、シャルルの手に自分のせ細った手を置いた。


「巡りゆく季節のように、人の心は変わる。だが……シャルル。お前だけは……変わらないでくれ。我が死後も、幼き王に忠義を尽くして欲しい。朕の子……新しいフランスの太陽を守る剣となってくれ……」


「お言葉、承りました。この身に代えて、新王をお守りいたします」


「フランスを守るためならば、誰と手を組んでもいい。ブルボン王家の味方となる者が、お前の味方なのだ……。そして、王家に仇なす者は誰であっても許すな」


 誰であってもというのは、王族であってもということだろう。

 ……そして、恩人である銃士隊長トレヴィルも王家を裏切ったら斬れと言っているのだ。シャルルは、俺にあの人を殺せるだろうかと自問自答し、顔をゆがめた。


「……朕は王としてフランスを守るために、非情であることに徹し続けた……。国家のためならば、慈悲などかなぐり捨てた。……その無慈悲な命令を実行し、人を殺めてきたのはお前たち銃士だ……。最後の最後まで非情な任務を与えてしまったこと……どうか許してくれ」


「陛下……。そんなふうに謝らないでください。俺は、あなた様に仕えなければ、ガスコーニュの貧乏貴族の末息子で終わっていたのです。陛下の銃士となっておのれに誇りを持つことができ、俺は幸せでした。この御恩は、ブルボン王家に忠義を尽くすことにより、一生をかけてお返しいたします」


「……その言葉を聞けて、朕は安堵した。シャルルよ、さらばだ……」


 シャルルの誓いに満足したルイ十三世は、静かに目を閉じた。一筋の涙が、頬を伝う。


 これが、シャルルが主君と交わした、最後の会話だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る