24 銃士隊の歴史

 マドモワゼルと別れた後、シャルロットはアンヌ王妃にボーフォール公のことを報告しようと、宮廷内の廊下を歩いていた。


 しかし、シャルロットはサン=ジェルマン=アン=レー城に二度しか来たことがなく、不案内である。アンヌ王妃がいる部屋までたどりつく前に、またもや迷子になってしまっていた。


 そして、どうやら彼女は迷子になるたびに銃士と遭遇してしまう運命にあるらしい。廊下でうらうろしていたシャルロットは、二人の男が言い争う声を耳にした。ふたつとも、シャルロットには聞き覚えがある声だ。


「トレヴィル隊長! 国王陛下が重篤じゅうとくだという大変なこの時期に、シャルルをフランドル方面の戦地に派遣するとは、どういうことですか!」


「落ち着け、アルマン。パリも緊急事態だが、スペイン領との国境線でも大きな危機が迫っているのだ。

 スペインのフランドル総督フランシスコ・デ・メロの大軍が、国境近くのロクロワの目前まで進軍して来ている。国境を守るアンギャン公の軍に合流したガッシオン元帥げんすいから、『シャルルを貸してくれ。マスケット銃の扱いに秀でた者が必要なのだ』という手紙が先日届いたのだ。シャルルは、ガッシオン元帥の親類だからな。だから、シャルルに戦地へとおもむくように命じたのだ」


「いや、それは嘘でしょう。トレヴィル隊長が、シャルルのことが邪魔で、陛下からシャルルを遠ざけるために戦地へ派遣するのではないのですか?」


 アルマンとトレヴィルの声だった。

 宮殿内の銃士たちの詰め所となっている部屋で、二人が何やら揉めているようだ。興奮ぎみに話している二人の声が大きかったため、部屋のすぐそばの廊下を歩いていたシャルロットの耳に会話の内容が入ってきたのでる。アルマンとトレヴィル以外の声は聞こえてこないので、部屋の中には二人しかいないようだ。


 どうやら、シャルルのことで揉めているらしい。盗み聞きはよくないと思いつつも、気になったシャルロットは足を止めて、息を殺しながら耳を澄ませた。


「シャルルを邪魔だと思ったことなど……ない。なぜ、そんなことを言う。俺がシャルルを陛下から遠ざけようとしているだと? そんな根拠、どこにある」


「トレヴィル隊長の近頃のシャルルに対する冷たい態度を見ていたら、分かります。アンリや他の勘のいい銃士たちも薄々気づいています。トレヴィル隊長は、シャルルにわだかまりを抱いている。そして、そのわだかまりは、コンスタンスの死だけが理由ではない。あなたは、死が迫った陛下が、シャルルに『お前が新しい銃士隊長になれ』と命じることを恐れているのではないのですか?」


 アルマンがそう迫ると、トレヴィルはしばらく黙りこんでいたが、「…………そんなこと、恐れてなどいない。なぜなら、シャルルが銃士隊を率いることなど、不可能に近いからだ」とやや乱暴な語調で言った。


「百人いる銃士のうち、その多くが俺の血縁者や同郷のベアルン出身の者だ。俺と血縁がなく、同じガスコーニュ人ではあるものの生まれ故郷がベアルンから遠く離れているシャルルが銃士隊長になっても、銃士たちはあいつの指示には従わないだろう。

 誇り高く頑固なガスコーニュ人は、よそ者と友人付き合いはできても、上司として敬い従うことはせぬ。銃士隊は我が部隊だ。シャルルが銃士隊を統率することは不可能に近い」


 トレヴィルはそう言いきったが、アルマンはフンと鼻で笑い、「いいえ、そんなことはありません。でたらめを言わないでください」と隊長の言葉を否定した。


「その不可能を可能にしたことがある人物を俺は知っています。その人物とは――トレヴィル隊長、あなたです。二十一年前に創設された近衛銃士隊は、最初からトレヴィル隊長のものではなかったことを忘れたのですか?」


「それは……もちろん忘れてなどおらぬ」


「俺は面識がありませんが、初代銃士隊長は、ガスコーニュの有力貴族モンタラン卿ジャン・ド・ベラールという方だった。その人はラ・ロシェルの戦が始まる前に亡くなり、その甥のエルキュール=ルイ・ド・ベラール殿が銃士隊を継いだ。あの豪勇の隊長が銃士たちを率いていた時期に俺とシャルルがパリに上京し、銃士見習いになった。そして、大貴族モンモランシー公の反乱でエルキュール=ルイ隊長が壮絶な戦いの末に致命傷を負い、命果てる瞬間を俺たちは見届けた……。

 エルキュール=ルイ隊長は死ぬ直前、『我が死後、君が銃士たちを率いるのだ』とトレヴィル殿に遺言したが、三代目の隊長に任命されたのは、ジャン・ド・ヴィルシャルテル殿――彼もまた初代銃士隊長モンタラン卿にゆかりある貴族だった。

 なぜエルキュール=ルイ隊長の遺言が無視されたかといえば、初代隊長モンタラン卿の血族や同郷の者が多い銃士隊を同じガスコーニュ人ではあっても血縁者ではないトレヴィル殿が率いるのは困難だと国王陛下が判断したから……。そうではありませんでしたか?」


「む……むうう……」


 トレヴィル隊長のうなり声が扉の向こうから聞こえてくる。


 シャルロットは、銃士隊の歴史と意外な真実を知り、シャルルがその銃士隊の歩みの中でどのように戦い、生きぬいてきたのだろうと思いをはせた。


 アルマンの銃士隊にまつわる昔語りはさらに続く――。


「銃士隊長の地位を強く望んだあなたは、戦場で無数の傷を負いながらも多くの軍功をあげ、ブルボン王家に忠義を尽くすことで国王陛下の信頼を勝ち得ようと努力した。

 三代目の隊長ジャン・ド・ヴィルシャルテル殿は、トレヴィル殿が次第に国王陛下に愛されるようになっていくのを見て焦り、戦のどさくさに紛れて数人の腹心の銃士を使ってあなたを暗殺しようとした。……その暗殺を未然に防いだのは、シャルルと俺だった。

 その後まもなく、隊内でのトレヴィル殿とヴィルシャルテル殿の力関係が逆転し、陛下の信頼を失ったヴィルシャルテル殿は銃士隊長を辞任させられた。そして、トレヴィル殿が銃士隊長となった……。

 それから九年かけて、あなたはアンリやイザックなど親類、同郷の者たちを銃士隊に入隊させ、今のトレヴィル派一色の銃士隊を築き上げた。

 九年前にあなたは、さっき不可能だと言ったことを自身の力で成し遂げているのです。だからこそ、あなたとシャルルの間で、銃士隊でかつて起きた隊長交代劇の歴史が再現されるのではと恐れているのではないのですか⁉」


 アルマンの激しい追及に対して、トレヴィルはとうとう居直ったようである。しばしの沈黙の後、トレヴィルは激昂しながら「ああ、そうだ! その通りだ、アルマン! 俺は、シャルルに銃士隊を奪われることを恐れている! シャルルの存在は、確実に銃士隊内で大きくなってきているからな!」と吠えるように告白した。


 聞き耳を立てているシャルロットは、トレヴィルの獣の咆哮のごとき声にビクッと肩を震わせる。


「……ついに本音をぶちまけましたね、トレヴィル殿」


「そうだ。身内であるお前にそこまで責められたら、本音を言わざるを得まいよ。

 ……だがな、アルマンよ。ガスコーニュの名門貴族モンテスキュー・ダルタニャンの名を借りて銃士たちの信望を得つつあるあの男に銃士隊を取られたくないという俺の気持ちをお前は分かってはくれないのか? あいつの本名は、シャルル・ダルタニャンではなく、シャルル・ド・バツ・カステルモール……ガスコーニュの貧しい新興貴族の小倅こせがれではないか。母方である名門貴族のダルタニャン姓を勝手に名乗っているだけなんだぞ」


「トレヴィル隊長の口から人の出自を卑しむような言葉を聞きたくはなかった……。そんなことを言ったら、あなたの父親こそ……いや、その話は、今はいいです。俺の親友を悪く言わないでください。俺とあいつは一心同体、シャルルを傷つけることは俺を傷つけることと同じなのです」


「身内である俺の心配よりも赤の他人の心配をするのか、お前は……」


「違います。俺は、シャルルも心配だが、もっと心配しているのはトレヴィル隊長が保身のために卑怯な策をろうして、その武名に自ら泥を塗ってしまうことです。我ら銃士たちの父トレヴィル殿には、いつまでも正々堂々とした英雄でいて欲しいのです。お願いですから、姑息こそくな手段でシャルルを陥れようとするのはやめてください」


「シャルルを陥れるなだと? お前は、俺が、俺を殺そうとしたヴィルシャルテル殿のように、シャルルを暗殺するとでも思っているのか⁉ み……見損なうな! 俺は、そこまで非情な男ではない!」


 トレヴィルの怒声。

 部屋の扉に近づく足音。

 扉の前で聞き耳を立てていたシャルロットは、慌てて隠れようとしたが、ここは何もない廊下だ。身を隠せる場所などない。あたふたとしている間に、扉が荒々しい音とともに開き、トレヴィルが肩を怒らせて部屋から出て行った。シャルロットは小柄なのが幸いして、開け放たれた扉に体が隠れてトレヴィルには気づかれなかった。


「はぁ……。よ、よかったぁ~……」


「そこで何をやっているんだ、シャルロット」


 廊下から女のため息が聞こえたような気がして扉から顔をのぞかせたアルマンに声をかけられ、シャルロットは心臓が止まりそうなほど驚き、「きゃぁ⁉」と大声を上げた。


「ご、ごめんなさい。私、立ち聞きはよくないと思ったのだけれど……」


「俺とトレヴィル隊長がシャルルのことを話していたから気になったのだろう。……まあいい。似た者同士のよしみで今回だけは許してやる。」


「似た者同士? アルマンさんと私が、ですか?」


「ああ。シャルルに一途なところがそっくりじゃないか」


 アルマンは、トレヴィルと怒鳴り合っていたさっきまでとは別人のような優しげな声でそう言い、シャルロットに笑みを向けた。すっかり、いつもの温和なアルマンに戻っている。


「……俺とシャルルはさ、出会った頃は喧嘩ばかりしていたんだよ。お互いの考え方がずいぶんと違ったから、任務があるたびに衝突していた。

 シャルルは思いもよらない奇抜な作戦で敵を倒すことが得意だったが、真っ向から挑んで正々堂々と戦うことにこだわる俺は奇襲や待ち伏せだとかあいつのすることが気に食わなくてな。『お前はそれでも誇り高き貴族なのか!』と罵ってシャルルに殴りかかったこともあった」


 シャルロットは、あんなに仲がいいシャルルとアルマンが殴り合いの喧嘩をしている光景を想像しようとしたが、ぜんぜんできなかった。二人は常に行動を共にしていて、息が合い、親友と呼べる関係の理想のかたちのように思える。シャルルとアルマンに仲の悪かった時期があるなんて、アルマン本人の口から聞かされても実感が湧かなかった。


「……しかし、ある城を攻めた時に、俺は城の東口、シャルルは西口から侵入して敵を攪乱する任務を与えられたのだが……。

 猪突猛進に突き進んで多くの仲間を死なせてしまった俺に対し、先に自分一人が城内に忍び込んで城門を爆破したうえで仲間の銃士たちを突入させたシャルルの部隊は負傷者がわずかに出ただけだったのだ。

 その時、俺はシャルルのことをようやく理解することができた。あいつは卑怯なのではなく、仲間思いの優しい奴なのだとな……。大切な仲間をできるだけ死なせないために、最小限の被害で任務が遂行できるように頭を働かせていたのだ。

 俺の正面から戦いを挑む性分は『常に正々堂々としていたい』という自分の信念から来ているものだから変えられないが、シャルルの戦い方を卑怯だと否定することはそれ以来やめた。お互いの信念を尊重し合い、足りない所を補い合えるような親友になりたいと願うようになったのだ」


「だから、いつも一緒に行動しているんですね。そういう友情って、本当に大切だと思います。生きているうちに一度見つけられるかどうか分からない、大切な絆です。私、ずっと友だちがいなかったからうらやましい……。

 でも、アルマンさんはシャルルさんのことを時おり暗い表情で見つめていることがありますよね? 何か心配ごとがあるんですか?」


 シャルロットがそう問うと、アルマンはシャルロットの心の中を見透かし、こう言った。


「……コンスタンスのことが聞きたいのだろう? シャルルとコンスタンスの間に、何があったのかを」


 図星をつかれ、シャルロットはうつむく。アルマンは、しばらくの間、言うべきか否か悩んでいたが、


「男の俺には難しいが、女である君ならシャルルの傷ついた心を癒してやれるかも知れない。だから、話してやろう。コンスタンスのことを……」


 そう言い、シャルロットを部屋の中に招き入れるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る