23 大王アンリ四世の血を継ぐ者

 四月に入ると、ルイ十三世の病状はさらに悪化した。


 サン=ジェルマン=アン=レー城には、王族や重臣たちが続々と詰めかけ、国王を見舞った。


(陛下は、いつ死ぬのか)


 みんな、それが気がかりだった。幼い王太子が即位した時、新政権のかじを取ろうと誰もが狙っている。ルイ十三世が死ねばただちに動き、新王を我が手の中に確保しなければいけなかった。


 アンヌ王妃も、ルーヴル宮殿から移り、夫のルイ十三世をつきっきりで看病していた。

 夫婦の愛ゆえにではない。死ぬ前に国王直々に、幼い新王に代わって政治をとしりきる摂政せっしょうに任命してもらい、


 ――スペイン女がフランス国の実権を握るなど許せない。


 という文句を誰にも言わせないことが目的だった。


 パリ市民は、外国のよそ者が自分たちの頭上に君臨くんりんすることを昔からひどく嫌う。

 ルイ十三世の若年期、イタリア人のコンチーノ・コンチーニは、王母マリー・ド・メディシスの寵愛を受け、彼女によって元帥げんすいに任じられたが、パリ市民たちに蛇蝎だかつのごとく嫌われていた。

 また、摂政として権力を振るっていたマリー・ド・メディシス自身もイタリア女だったため、非常に評判が悪かった。

 成人しても母に統治権を奪われたままだったルイ十三世がクーデターを起こして母の愛人コンチーノ・コンチーニを殺すと、パリ市民たちは歓喜し、そのイタリア人の死体を墓から掘り起こして棍棒で殴り、つばを吐きかけ、鼻を削ぎ、ポン・ヌフ橋に縛りつけ、最後には街中を引きずり回した。


 フランス王妃といっても、アンヌはしょせんスペイン人である。よそ者の外国人だ。生前、ルイ十三世からはっきりと「我が死後、摂政となれ」という言葉をもらっておかなければ、パリ市民の反感を買うおそれが十分にあったのである。








 アンヌ王妃の腹心の侍女となったシャルロットは、オートーフォールら他の侍女たちと共に国王の看病を手伝っていた。そして、ここで要人派と呼ばれる政府の重要人物たちの何人かを見かけたのである。


「さっき廊下を歩いて行ったのが、ヴァンドーム公とその息子のボーフォール公。ヴァンドーム公は、先王アンリ四世が愛妾のガブリエル・デストレに産ませた、国王陛下の庶兄にあたる人よ。だから、ヴァンドーム公の子であるボーフォール公は、王太子様や私のいとこということになるわね」


 侍女たちと交替でルイ十三世の看護をしていて、ちょうど休憩の時間になったシャルロットが宮殿の庭を散歩しながら休んでいると、暇そうに庭をぶらぶらしていたマドモワゼルと出くわした。マドモワゼルも、父親のオルレアン公に連れられて、国王の見舞いに来ていたのである。


 ルーヴル宮殿の大階段で出会って以来、シャルロットはマドモワゼルのお気に入りになっていて、お喋り好きのマドモワゼルはシャルロットが国王の看病で疲れているのもかまわずに先日ブルゴーニュ座の劇場で観た悲劇的な歴史劇の感想を涙ながらに語っていたが、それにも飽きると、宮殿を行き来するたくさんの王族や貴族たちを遠目に見ながら彼らの人物評を始めたのである。だいたいは悪口だった。


「ヴァンドーム公の産みの母ガブリエル・デストレは、先王アンリ四世に寵愛された女性で、先王はイタリアの金持ちのマリー・ド・メディシスよりも、ガブリエル・デストレを王妃にしたがっていたという話よ。でも、ガブリエルは病気で死んじゃったの。

 だから、ヴァンドーム公は『我が母こそは、先王に最も愛された女だった。私は庶子しょしなどではない。マリー・ド・メディシスが産んだルイ十三世のほうが庶子なのだ』という言い分を持ちだして、国王陛下のことを見下しているのよ。それで、シュヴルーズ公爵夫人とかいう女にそそのかされてクーデターを起こそうとしたんだけれど、リシュリュー枢機卿すうききょうに阻止されて、最近まで国外に逃亡していたの。リシュリューが死んだと聞いて、のこのこと戻って来たみたい。そんなお馬鹿が要人派のリーダー格だなんて、笑っちゃうわ」


「息子のボーフォール公は、ずいぶんと男らしい方のようですが」


「あいつ? たしかに、数々の軍功をあげていて宮廷内の評判はいいけれど……。私、あいつは大っ嫌い! 最近、私の可愛い王太子様が国王陛下の実の子ではないという噂が流れているでしょ? その噂で、王太子様の真の父親だと言われている数人の候補のうちの一人があいつなのよ。

 ……私のお父さんもその『王太子の実の父親』候補の一人に数えられているけれどね。でも、お父さんははっきりと否定しているわ。お父さんは何度も兄である陛下に逆らったせいで、王位相続の権利を放棄させられているから、そりゃあ必死に否定するわよね。もしも王妃様を寝取ったと陛下に疑われたら、今度こそ殺されるもん。もちろん、他の候補者のマザランも顔を真っ赤にして否定しているわ。

 ……それなのに、ボーフォール公は、人に『あの噂は本当ですか』と聞かれて、肯定ともとれる意味ありげな微笑みを浮かべていたっていう話なのよ! それって不謹慎だとは思わない⁉ 私の未来の夫が、あのろくでもない噂のせいで小さな胸を痛めているっていうのに!」


 マドモワゼルが興奮していきりたっている横で、シャルロットは、


(そういえば、シュヴルーズ公爵夫人が言っていた、王太子の父親候補の中にもボーフォール公の名前があったわ)


 と、思い出していた。


 ヴァンドーム公とボーフォール公の父子は、要人派の中心人物だ。反リシュリューという同じ目的で、今までアンヌ王妃の味方だった人々である。

 しかし、マドモワゼルの話では、庶子として生まれたヴァンドーム公は国王ルイ十三世に対抗意識があり、ブルボン王家に対して忠実とは言えない態度を取っているらしい。


(もしかしたら、シュヴルーズ公爵夫人とヴァンドーム公父子は、密かに繋がっているのではないかしら?

 シュヴルーズ公爵夫人が王太子様の悪評を流し、王家の威厳に泥を塗る。そして、その噂をボーフォール公が利用して、陛下の死後、次期国王の実父のごとく振る舞おうとしている……。

 以前にもシュヴルーズ公爵夫人とヴァンドーム公はクーデターを共謀したことがあるという話だから、あり得ないことではないわ)


 噂にある他の父親候補たちは、


 王位継承権を失った王弟オルレアン公

 よそ者の外国人マザラン

 そして、すでにこの世にいないフランソワ・ド・カヴォワという貴族


 この三人が王太子の実父だという噂は、真偽はどうであれ、宮廷の人々やパリ市民にとって受け入れることなど到底できないものだった。


 オルレアン公はかつてクーデターを何度も計画して失敗し、クーデターの協力者たちを裏切って自分だけが助かってきたという過去があり、宮廷人だけでなくパリ市民の信望も地に堕ちている。

 マザランは、かつてパリ市民が大いに嫌った王母マリー・ド・メディシスやその寵臣コンチーノ・コンチーニと同じくイタリア人である。王族でもなく、フランス人でもない男が王太子の実父だなんて、絶対にあってはいけないことだ。もしもこの噂が本当だという確たる証拠が出てきたら、パリ市民は激怒して暴動を起こすだろう。

 フランソワ・ド・カヴォワは、貴族と市民を弾圧や重税で苦しめた独裁者リシュリューの手下だった人物である。これもまた次期国王の実父としては受け入れられがたい。


 だが、ボーフォール公ならばどうだろうか?

 リシュリューに逆らって一時期イングランドに亡命していたが、名君の誉れ高い先王アンリ四世の孫であり、軍人としての評判も高い。外見も凛々しい男前で、よく見ると、目鼻立ちが整っている王太子シャルルと顔が似ている。消去法でいけば、ボーフォール公が一番、王太子の実父としてまだ受け入れやすい。


 わざと難のある実父候補者の噂を流し、その中に一番まともなボーフォール公を混ぜることで、


 ――次期国王がどうせ不義の子なら、王家の血を受け継ぐボーフォール公が父親であってほしい。あの人は、大王アンリ四世の孫の一人なのだから。


 と、民衆に思わせるよう誘導しているのかも知れない。


 そうすれば、ボーフォール公は、「新王の実父」という噂が流れる宮廷内で優位な立ち位置を築くことができるだろう。そして、リシュリューの遺志を継いで反スペイン派の筆頭となっているマザランを排斥することができる。


(シュヴルーズ公爵夫人はそこまで計算して、王太子の噂を流し、ヴァンドーム公・ボーフォール公父子はその陰謀に操られている……?)


 シャルロットは考えるうちに、自分の推測が間違えないようにだんだん思えてきた。


 要人派の重鎮であるあの父子は、今のところアンヌ王妃の味方だが、権力を握った後に、新王となる王太子シャルルを大切に扱うという保証はない。

 いや、ルイ十三世を庶子呼ばわりして憎むヴァンドーム公が、ルイ十三世の後継者などを敬うとは考え難いのではないか。王太子の実父がボーフォール公であるという噂が真実なら話は別だろうが……。


(深読みの可能性もあるけれど、王妃様にいちおうお伝えしておくべきだわ)


 マドモワゼルがぺちゃくちゃと他の貴族たちの噂話を初めても、シャルロットはボーフォール公のことが頭から離れないのであった。

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