17 トレヴィルの後悔

 フランソワが去った後、トレヴィルはあまりにも激昂げっこうしすぎたせいで激しい頭痛を起こした。シャルルと三銃士は、隊長を寝室まで連れて行って安静にさせた。


 シャルロットは、薬を用意しているトレヴィル夫人を手伝うようにシャルルに指示され、夫人に台所の場所を教えてもらって白湯さゆを用意した。


「みんな、すまない。もう落ち着いた……」


 薬を飲んだ後、ベッドに腰掛けたトレヴィルは弱々しくそう言った。

 だが、まだ頭痛は続いているらしく、息が荒い。部下たちや家族に心配をかけさせまいと強がっているようだ。


 シャルルや三銃士、トレヴィルの四歳になる長男アルマンは心配そうな顔をしてトレヴィルを見つめていたが、トレヴィル夫人はあまり心配していない様子だ。近頃頭痛で騒ぐことが多い夫のことを迷惑がっている素振りさえ見せていた。


 夫人はずいぶんと若く、トレヴィルとは年がかなり離れている。どうやら、彼女はコンスタンスの生母ではないようだ。コンスタンスは、シャルロットが七歳の時に十九歳だったから、生きていたらシャルルより一歳年下の二十七歳になる。はっきりとした年齢は分からないが、トレヴィル夫人が二十七歳になる娘を産んでいるようには見えなかった。


「そういえば、シャルロットはなんでここにいるんだい?」


 イザックが、シャルロットがトレヴィル邸にいることを今さら疑問に思ってそうたずねると、トレヴィルにアンヌ王妃の手紙をまだ渡していなかったことに気づいたシャルロットは慌てた。あんな修羅場を見たら、誰だって用事を忘れてしまうだろう。


「王妃様より手紙を預かってまいりました」


 シャルロットは少し焦った口調でそう言い、トレヴィルに手紙を手渡した。そんなシャルロットのことをシャルルは、


(王妃様は、シャルロットをコンスタンスの代わりのこまにするつもりなのか……?)


 と思いながら暗い表情で見つめていた。


「ふむ……」


 トレヴィルは何も言わずに手紙を眺めていたが、読み終えると、手紙の内容を何も知らないシャルロットのことを少し気の毒そうに見つめ、


「王妃様には、この間陛下がお贈りした果物はどこも腐ってはおらず食べても安全ですので、どうぞ安心してお召し上がりくださいと伝えてくれ」


 と、言った。


 シャルロットは、「はぁ……」と曖昧に返事をしながら小首を傾げた。そんなどうでもいい内容をわざわざ手紙でやり取りするのだろうかと思ったのだ。まさか、アンヌ王妃が「シャルロットは陛下の密偵ではないか確かめてくれ」と手紙にしたためていたとは夢にも思いつかない。


(サン=マールの一件以来、童女のように浅はかで軽率なところがあった王妃様も用心深くなってきたようだな。俺は王妃様を敬愛し、彼女に一生を捧げると心に誓った。

 ……だが、我が娘コンスタンスは、王妃様のために死んでいった。この子も、コンスタンスと同じ末路をたどることになるのだろうか? それはさすがに不憫だ。コンスタンスが死んだ時に声が枯れ果てるまで号泣したシャルルも、シャルロットとコンスタンスを重ね合わせて見ているのであろうな……)


 トレヴィルはそう考えつつ、シャルルをチラリと見た。


 その視線に気づいたシャルルも、トレヴィルに顔を向ける。しかし、シャルルが口にしたのは、シャルロットとは別件だった。


「トレヴィル隊長。このまま放って置いたら、フランソワは今夜死にます」


 シャルロットのことを気にかけつつも、いま一番危険なのはフランソワだとシャルルは考えていた。だから、真剣な眼差しでトレヴィルにそう諫言したのである。

 同じようにフランソワの命を心配していたアルマンとアンリもコクリとうなずいた。察しの悪いイザックだけが、「へ? どういうことだ?」と目を丸くしている。


 貴様には、必ず天罰が下る――トレヴィルはそう言った。あれは、広間にいた銃士たちにフランソワを殺せと指示したのだ。自分を裏切ったフランソワに対する怒りがおさまらず、トレヴィルはあんなことを口走ってしまったが……。


「トレヴィル隊長。銃士たちに、仲間殺しをさせるのはやめてください」


「……シャルル。フランソワはもう仲間ではない。銃士隊を辞めたのだ」


「いいえ、仲間です。数多の戦場を共に戦い、助け合った仲間です。あいつはたしかに他人に心をなかなか開かない男ですが、俺たちのことをちゃんと仲間だと思っていました。本人も去り際に言っていたではありませんか。俺は戦友を罠にはめない、と。仲間というのは、たとえ歩む道が別々になったとしても、決してほどけない絆で結ばれているものだと俺は信じています。あいつは銃士を辞めましたが、俺たちの友であることに変わりはありません」


「…………」


「隊長。あいつの背中には、七年前のコルビーの戦いでトレヴィル隊長をかばって負傷した傷の跡がまだ残っています。その傷に免じて、フランソワを生かしてやってください」


「……む……むう……」


 トレヴィルはそううなった後、また痛みだした頭にそっと手を置き、しばし沈黙した。そして、「俺が間違っていた……」と呟いた。


「シャルル、アルマン、アンリ、イザック。フランソワをつけていった銃士たちを今すぐ連れ戻しに行ってくれ」


「はっ、承知いたしました!」


 久しぶりにトレヴィルが自分の言葉に耳を傾けてくれたことを喜んだシャルルが、力強くそう返事をすると、アルマンが「そうと決まったら、急ごう。もたもたしていると、フランソワが危ない」と言い、鍔広帽つばひろぼうをかぶった。


「おそらく、フランソワは、銃士隊を辞めたことを報告するべく、新しい主人となるマザランの屋敷に向かっているでしょう。フランソワを狙う銃士たちは、その道中で襲撃するはず」


 頭の回転が速いアンリがそう言うと、シャルルが「マザランの屋敷は、たしかルーヴル宮殿の近くのクレーヴ館だったな」と呟く。


「だったら、フランソワを助けに行くついでにシャルロットをルーヴル宮殿まで送って行ってやろうぜ。夜になると追いはぎが出て危ないからな」


 馬鹿だがどんな非常事態の時でも他人への優しさを忘れないイザックがそう提案した。


 それに対し、シャルロットは、大変なことになっている時に迷惑をかけるのは申し訳ないと思い、遠慮しようとしたのだが……。


「そいつは名案だ。賢いぞ、イザック」


 シャルルはイザックを褒めると、シャルロットの手を握って「さあ、急ごう」と言った。シャルルにいきなり触れられたシャルロットは、赤面して何も言えなくなり、コクリとうなずくのであった。


 なぜだろうか。胸の鼓動が高まっていく。

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