18 銃士の絆

 シャルルと三銃士は、フランソワと彼を狙う銃士たちを馬で追いかけることにした。


 シャルロットは馬に乗ると聞いて、


「わ、私……馬に乗るのはちょっと……」


 と、嫌がるそぶりを見せた。シャルロットは五、六歳の頃、暴れ馬に危うく蹴り殺されそうになったことがあり、その時の恐怖症で馬が苦手なのだ。馬車には何とか乗れるが、馬にまたがるなんて恐くてできない。


 愛馬に飛び乗ったシャルルは、シャルロットが顔を真っ青にしているのを見て、馬上でくすりと笑った。


「何だ、まだ馬が恐いのか。前みたいに俺と二人乗りするのだから、安心しろ。絶対に落っことしたりはしないから」


「え? 前みたいにって……うわっ!」


 シャルルはシャルロットの腕をぐいっと引っ張り、自分の前に座らせた。「ちょっと待って!」とシャルロットは叫ぶ。


「す、スカートをおっぴろげて馬にまたがるのは、さすがに……!」


「思いきり飛ばすから横乗りは危険だ。それこそ、馬から落ちて頭を打つぞ。運が悪かったら、馬の後ろ足に蹴られる。まあ、夜だから誰も見ていないし、気にするな」


 シャルルはそう言い、シャルロットの頭をポンポンと撫でた。


「前から思っていたのですが、シャルルさんは私のことを子供扱いしていませんか⁉ 私はもうれっきとした大人でそういう子供扱いは……きゃあ!」


 シャルルが操る白馬がトレヴィル邸の庭を飛び出し、その後に三銃士も続く。シャルロットはギュッと目を閉じ、馬の鞍にしがみついた。馬に乗るなんて絶対に無理だと思っていたが、シャルルが片手で抱くようにシャルロットを支えてくれていて、そのたくましい腕が頼もしく感じられたおかげで、意外と冷静さを保つことができた。


(そういえば、幼い時にリシュリュー枢機卿すうききょうの追手から逃げてパリを脱出する時、こんなふうに誰かに馬に乗せてもらってパリの夜の街を走った覚えがある。あの時は「恐い、恐い」って私は泣き叫んでいたけれど……。一緒に馬に乗っていたのは、お母さんではなかったはずだわ。だって、お母さんは一人で馬に乗って、私が乗る馬の後ろを走っていたもの。あの時、私を馬に乗せてくれたのは、たしか青い外套がいとうを着た――)


 ああ、そうか。あの青色の外套は、銃士隊の制服だったのだ。きっと、アンヌ王妃に命令された銃士隊長トレヴィルが、リゼットとシャルロットをパリから脱出させるために、銃士をシャルロットたちの護衛につけてくれたのだ。銃士に守られてパリを脱け出したリゼットとシャルロットは、ヴァンサン神父があらかじめ協力を依頼してくれていたパリ近郊の愛徳姉妹会の仲間である女性の家にかくまってもらって一夜を明かし、アンヌ王妃の弟・フェルナンド枢機卿王子(当時のフランドル総督)がフランスに潜伏させていた迎えの使者たちに連れられ、スペイン領ネーデルラントに向かったのである。


(あの時の銃士は、シャルルさんだったのか。シャルルさんはあの日のことをずっと覚えていてくれて、八年ぶりに再会した私をあの時の子供だと分かったうえで今まで助けてくれていたんだ……)


 シャルルのそんな優しさは、幼い頃から人の愛情にずっと飢えていたシャルロットにとって、アンヌ王妃からもらった貴族の領地などよりも何十倍どころか百倍以上は価値のある宝のように思えた。


「シャルロット、恐くないか?」


 頭の上でシャルルの声がする。二月の冷たい夜風を切って走っているというのに、その声を聞いただけでシャルロットは体がぽかぽかとしてきて、幸せな気持ちになれた。


 コクリと、シャルロットは微笑みながらうなずいた。








 フランソワは、セーヌ川を渡る前に発見することができた。


 どうやら、ぎりぎり間に合ったようだ。夜の往来でフランソワは剣を抜き、自分を包囲する銃士たちと睨み合っていたのである。月影の下、銃士たちの象徴である胸の銀十字がギラギラと輝いている。


「待て! お前たち、剣をしまえ! フランソワを行かせてやるんだ!」


 シャルルが、そう叫んだ。銃士たちはシャルルたちが現れたことに驚いたが、剣をしまう気はないようで、


「なぜ止める! こいつはトレヴィル隊長を裏切ったんだぞ!」


 と、六人の銃士のうちの一人が噛みつくように言った。


「そのトレヴィル隊長の命令だ! 今すぐ剣をおさめないと、俺がお前たちと戦うぞ!」


 そうわめいたイザックが巨体を揺らしてドスンと馬から飛び降り、剣の柄に手をかけた。


 巨人イザックににらまれた銃士たちは、「うっ……」とうなってひるむ。この怪力男が暴れ出したら十人がかりでも手におえないことを銃士たちは知っているのだ。


「さあ、早く隊長の屋敷に戻るんだ。トレヴィル隊長がお前たちの帰りを待っている」


「その胸に輝く銀十字を戦友だった者の血で汚す気ですか。馬鹿な真似はやめなさい」


 続いて馬を降りたアルマンとアンリが、イザックが本当に斬りかからないように警戒しながらその巨体の前後に立ち、銃士たちにそう諭した。


「……わ、分かった。トレヴィル隊長の命令ならば、やむを得ん」


 六人の銃士たちはようやく納得し、剣を鞘におさめた。そして、まだ用心深く剣を構えているフランソワを各々がギロリと一瞥いちべつすると、走り去って行った。


「……お前たち、なぜ俺を助けた? 俺は、あいつらの言う通り、裏切り者で……」


 襲撃者たちが去ったのを見届けた後、フランソワは剣を鞘におさめながらシャルルたちにそう問うた。


「友に死んで欲しくなかった。仲間に仲間を殺させたくなかった。ただ、それだけだ」


 馬上のシャルルは、フランソワを見つめながらそう答える。


 フランソワは顔を上げ、「友だと……? まだ、俺のことを仲間と呼んでくれるのか?」と言った。若干、声が震えている。


「忘れるな、フランソワ。俺たちが共に戦った記憶は、一生消えない。俺たちは、何十年経とうが、永遠に友だ。たとえ、お互いの立場がどれだけ変わってもな」


 その言葉を聞いたフランソワは、じっとシャルルを見つめた後、くるりと背を向け、「ありがとう……」と小さな声で言った。


「フランソワよ。最後に、これだけは知っておいて欲しい。サン=マールのクーデターのことだが……。トレヴィル隊長は、スペインとの密約のことはサン=マールから聞かされていなかったんだ。陰謀の主犯格のサン=マールとそのごく親しい貴族たちや王弟オルレアン公、それに……アンヌ王妃しか知らなかったのだ」


(ええ⁉ アンヌ王妃が⁉)


 シャルロットは、シャルルの言葉に驚いたが、今は口をはさめるような雰囲気ではない。シャルルは、シャルロットの困惑をよそに話し続ける。


「トレヴィル隊長は、アンヌ王妃がサン=マール一派の密謀に関わろうとしたから、彼女を守るためにサン=マール一派に接近し、サン=マールが持ちかけたリシュリュー暗殺計画に賛同した。

 ただ、そのクーデター計画の裏に、スペインとの密約があることをサン=マールは黙っていて、トレヴィル隊長を利用しようとしたのだ。

 ……王妃のそばにいて密約の内容を知ったコンスタンスが命がけで俺にそのことを知らせてくれなかったら、今ごろフランスは滅亡の危機にさらされていたことだろう」


「そうか……。俺は、てっきり、トレヴィル隊長が国を売ろうとした輩と同類になってしまったのかと思っていた。

 ……しかし、そうだとしても俺は銃士隊から離れるよ。俺は前々からあの人にはもうついて行けないと考えていたんだ。

 トレヴィル隊長は、剣の腕だけで出世したガスコーニュの英雄だ。それが最近では、政治に興味を持ち始めて、宮廷内の要人派たちと交流しているではないか。彼は武人としては優れているが、政治能力はない。それなのに、陰謀になど関わろうとするからサン=マールに利用され、娘まで死なせてしまったのだ。俺は、あの人がいずれ大きな過ちを犯すのではと危惧きぐしている」


「それは……」


「話はここまでだ。シャルル・ダルタニャンと三銃士よ、また会おう」


 フランソワは、振り返ることなく走り去って行った。


 複雑そうな顔のシャルルは、フランソワの後ろ姿が夜の闇に消えていくまで、じっと見つめ続けていた。

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