16 離脱者フランソワ

「なぜだ、フランソワ! なぜ俺を裏切り、ジュール・マザランの元へとはしる! お前は、シャルルと同期で入隊した古参の銃士ではないか!」


 シャルロットがアンリ、イザックと共に屋敷の広間に駆けつけたちょうどその時。室内の空気がビリビリと震えるほどの怒声が聞こえてきて、シャルロットは思わずすくみ上った。


 トレヴィルが、広間の中央に立つ一人の銃士を射るような目つきでにらみ、激しく罵倒していた。広間には二十人ほどの銃士たちがいて、トレヴィルと対峙中のその銃士を包囲している。全員、今にも剣を抜きそうなほど剣呑けんのんな雰囲気が漂っていた。


 広間にはシャルルとアルマンの姿もあり、この二人だけは事態がどう転ぶか冷静に見守っている様子だった。斬り合いになったら、止めに入ろうと身構えているようだ。


「トレヴィル隊長。辞職願じしょくねがいを出しただけなのに、裏切り者呼ばわりはあまりにもひどいではありませんか」


「貴様は、銃士を辞めてマザランの家士かしになるのであろう。それは明らかな裏切り行為ではないか。

 奴は、王妃様をいじめぬいていた極悪人リシュリューが死に際して自分の後継者に指名した男だぞ。俺が王妃様を尊崇そんすうしていることはお前も知っているだろう。王妃様の敵は俺の敵だ。だから、リシュリューの後継者であるあのイタリア人の枢機卿も、俺の憎むべき敵なのだ。そして、その男の元へと奔るということは、俺に対する背信行為だ!」


「……たしかに、あなたの目には俺の行動は裏切りに映るかも知れない。俺だって、恩あるあなたに背を向けるような真似はしたくなかった。だが、俺にそうさせたのはあなたなのです。あなたが、銃士隊長としてふさわしくない振る舞いをしたから、俺は隊長を見限り、マザラン枢機卿の元に行くのです」


 トレヴィルに睨まれている銃士――この男がフランソワだろう――が、悲しみと怒りが半々に混ざったような複雑な表情でそう言った。


 フランワ・ド・モンルザン。

 シャルルと同期で、銃士隊では古参の銃士である。


 しかし、同期でありながら、二人の隊内における評判はずいぶんと差があった。仲間思いで情け深いシャルルは仲間内での人気が高かったが、無口で人付き合いが悪く、たまに口を開くと毒舌なフランソワはどちらかというと嫌われ者だったのだ。「あいつはいつも不機嫌そうな顔をしていて感じが悪い」と陰口を叩かれてばかりいた。


 ただ、実を言うと、これはごく少数の人間のみが知っている事実なのだが――フランソワは、自分に面白みがなくて冗談のひとつも言えない性格なのを密かに気にしていて、飲みに誘われても場の空気を悪くするといけないと遠慮して今まで断っていたのである。

 しょっちゅう不機嫌そうな顔をしているのは、心配性なあまり先々の小さなことまで気にしてしまう癖があるからだ。毒舌なのも、他人の欠点や過ちに気づいた時に、本人は親切心で忠告しているつもりだった。


 そんなフランソワのことをよく理解しているのは、付き合いが長くて任務を共にすることが度々あったシャルルやアルマンぐらいだった。




「トレヴィル隊長が、いつ銃士隊長としてふさわしくない振る舞いをしたというのだ!」


 一人の銃士がそうわめき、フランソワに詰め寄った。


 すると、フランソワはその銃士をキッと睨み返し、衝撃的事実を暴露して銃士たちを驚かせた。


「トレヴィル隊長は、サン=マール侯爵のクーデター未遂事件に関わっていたんだ!」


「なっ……! そんな馬鹿な!」


 広間にいた銃士たちは、一斉にどよめく。


 サン=マール一派は、リシュリューを打倒しようとしていた。それに関しては、銃士隊もリシュリューの護衛隊と対立していつも乱闘騒ぎを起こしていたので、リシュリューが殺されても拍手喝采すればいいだけの話だったのだが、問題はサン=マールが敵国スペインと様々な密約を交わしていたことだ。これは国王ルイ十三世に対する反逆行為である。国王に忠誠を誓う銃士にとって、このクーデター計画は憎むべきものだった。その陰謀に、自分たちの隊長が加わっていたなど、絶対にありえない。


「そ、そんなはずがない! でたらめを言うな!」


 銃士たちは、口々にそう言い、フランソワを責めた。

 無言のトレヴィルは、充血して真っ赤になった目でフランソワを睨み続けている。その目には明らかに殺意がこめられていた。


(い、いったい、何がどうなっているの……?)


 シャルロットは、少しのきっかけで爆発していまいそうな銃士たちの緊迫したやり取りをハラハラしながらずっと見守っていた。


 サン=マール一派のクーデターとはいったいどんな事件だったのか、パリに来てまだ日が浅いシャルロットは知らない。

 だが、そのサン=マールの陰謀にトレヴィルが密かに加わっていたことをシャルルやアルマンはすでに知っていたようである。フランソワの爆弾発言に少しも動揺していない彼らの冷静な態度を見て、勘のいい少女であるシャルロットはそう察した。


  シャルロットの横にいるアンリも、深刻そうな顔をしながらも平静を失っていない様子なので、事情を知っていたか、あるいはおおよその察しはついていたのだろう。


 今年入隊したばかりのイザックは何も知らなかったらしく、大きな目を忙しなく動かして激しく動揺していた。


「でたらめではない! トレヴィル隊長の娘コンスタンス殿が死んだのも、サン=マール一派の陰謀に巻きこまれ、殺されたのだ!」


「こ……コンスタンス殿は病死だったはずでは……⁉ と、トレヴィル隊長、本当ですか!」


 このフランソワの発言には、銃士たちだけでなく、シャルロットも動揺させられた。やはり、コンスタンスは宮廷に渦巻く陰謀の犠牲者になっていたのだ。しかも、自分の父親が関わっていたクーデター計画で……。


「貴様が言っていることは、全て偽りだ」


 トレヴィルが、一切の反論を許さない冷徹な声で、ピシャリとそう言った。


「おおかた、貴様はマザランに命じられてそんな虚言を口走っているのだろう。マザランは、リシュリューと同じように権力を掌握して国王陛下の頭をおさえつけ、アンヌ王妃様を迫害することを企んでいるに違いない。そして、自分が独裁者になるにあたって銃士隊が邪魔になると奴は考え、俺の悪い噂を隊内に流そうとしているのだ。マザランめの目的は、裏切り者の貴様を使って我ら銃士隊の結束を乱すこと……。そうに違いない!」


「……俺は嫌われ者だが、誰かに命じられて、戦友たちを罠にはめるような真似をする恥知らずな男ではない。もういい。あなたには失望した。俺は、これからはマザラン枢機卿の元で国家のために働く。彼はよそ者のイタリア人だが、亡きリシュリュー枢機卿だけでなく、国王陛下にも認められて国王顧問会議に出席することを許された人物だ。きっと、フランスを正しい道に導いてくれるだろう」


 長年の上司だったトレヴィルに裏切り者呼ばわりされて傷ついているのか、フランソワは目に涙をためながらそう言うと、カザック外套がいとうを脱ぎ捨てて、憤然ふんぜんと広間から出て行った。


「裏切り者め! 貴様には、必ず天罰が下る!」


 トレヴィルは、遠ざかるフランソワの背にそう怒鳴った。そして、その言葉の裏にあるトレヴィルの意思を察した六人の銃士たちがうなずき合い、フランソワの後を追うように広間からいなくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る