15 トレヴィル邸への道中

 国王の病気や王妃の思惑。それらをまだ何も知らないシャルロットは、アンヌ王妃の手紙をたずさえ、トレヴィルの屋敷があるヴィユー・コロンビエ街に向かっていた。


 シャルロットは、まだパリの地理に詳しくない。

 しかし、シャルルにルーヴル宮殿まで送り届けてもらう道中、


「ここがトレヴィル隊長の屋敷だ。我ら銃士隊の拠点でもある」


 と、いちおう教えてもらってはいた。だから、一度通った道を逆にたどればいいだけの話なので、きっと大丈夫だろうとシャルロットはたかをくくっていた。


 だが、ルーヴル宮殿を出て、ポン・ヌフ橋を渡り、セーヌ川の南に来たあたりで、結局は迷子になってしまった。

 これは困ったなと思いながら闇雲に歩き、いつの間にかリュクサンブール宮殿の近くにまで来てしまっていた。ぜんぜん方向が違う。


「もう少ししたら日が暮れてしまうのに、どうしよう? ここからどう行ったら、ヴィユー・コロンビエ街にたどり着けるの?」


 そうぶつぶつ言いながら、シャルロットはさらに闇雲に歩いて行く。迷子になりやすい典型的なタイプの人間だった。


「シャルロット、こんな所で何をやっているんですか?」


 頭上から声が降ってきて、シャルロットは「え⁉」と声を上げて驚いた。

 見上げると、下宿屋らしき建物の二階の窓から三銃士の一人アンリが上半身を出している。なぜか裸だ。


「私、迷子なんです! トレヴィル隊長の家に行きたいの!」


 まさに天の助け!

 そう思ったシャルロットは、嬉しさのあまり、大声でそう答えた。


「そういうことなら、僕に任せてください。そろそろ日没ですからね。かよわい女性の夜の一人歩きは危ない。ちょっと待っていてくださいね」


 アンリは軽くウィンクをしながらそう言うと、窓から顔を引っ込めた。その数秒後、アンリが同じ部屋にいた女性と言い争う声が聞こえてきた。


「悪いけれど、用事ができたから帰ってくれます?」


「誰よ、あの女! また浮気したのね!」


「違いますよ。お仕事です、お仕事。さあ、早く帰ってください」


「だったら、家まで送ってちょうだい!」


「ごめん、一人で帰って」


「女が夜に一人歩きするのは危ないんじゃなかったの⁉ 馬鹿ぁー!」


「うわ、ぶつことないじゃないか⁉」


 ……どうやら、あまりよろしくないタイミングに助けを求めてしまったらしい。








 カンカンに怒った若い女性が下宿屋から出て行った二、三分後、カザック外套がいとうを身にまとったアンリが「お待たせしました」と言いながら現れた。左頬が赤く腫れている。さっきの女性に引っぱたかれたのだろう。


「何だか……ごめんなさい」


「いえいえ、シャルロットは何も気にしなくていいんですよ。こんなこと、よくあることですから。さあ、行きましょう!」


 アンリは、シャルロットがなぜトレヴィル邸を訪れようとしているのか理由を聞かずに、道案内をしてくれた。どんなことでもお見通しだと言わんばかりの余裕の笑みをいつもしているアンリには、シャルロットがコンスタンスの代わりに王妃と銃士隊の連絡役になったことを見抜かれているのかも知れない。シャルロットは、何となくそんな気がした。


(……コンスタンスさんは、どうやって死んだのだろう。アンリさんは、二年前に銃士になったという話だから、去年の出来事だったコンスタンスさんの死について何か知っているはずだけれど……)


 シャルルは、コンスタンスの死に何かしらのかたちで関わっていて大きな苦悩を抱え、それが彼の時折見せる影の原因になっているのではないだろうか? シャルロットは何となく直感でそう思っていた。


 シャルルとコンスタンスが、どういう仲だったのか。コンスタンスの死に、シャルルがどんなふうに関わっているのか……。それらが気になって仕方がない。


 恩人であるシャルルの苦しみをどうにかして取り払ってあげたいと、シャルロットは考えていた。ただ、それと同時に、彼の問題に踏みこむ資格が自分にはないのではとも悩んでいた。


(だって、私はシャルルさんの恋人でも何でもないんだもの。あの人の苦しみの原因を知ったところで、私には何もできないわ……)


 そういう躊躇ちゅうちょがあったため、シャルロットは結局、アンリにコンスタンスのことを聞くことができず、道すがらの話題はアンリが語り出した銃士隊の話になったのである。






「実はね、僕とアルマン、イザックは全員がガスコーニュ地方の出身で、トレヴィル隊長と同郷なんですよ。まあ、銃士隊のほとんどが隊長と同じガスコーニュ生まれなんですが。特に僕はトレヴィル隊長のいとこ、アルマンは母親が隊長のいとこでね。イザックは、たしかアルマンのいとこにあたるのだったかな?」


 コンスタンスのことで悩んでいたシャルロットだったが、その話を聞いて、かなり驚いた。まさか、トレヴィルと三銃士が同郷のうえに親戚関係にあったとは。


 軍隊というのは、部下が戦争中に命令を聞いてくれなかったら負けてしまう。だから、軍の隊長たちは自分の親族や同郷の人間を隊に迎え入れ、強固な絆で結ばれた部隊を作ろうとするのである。


 そして、アルマン、イザック、アンリは、トレヴィルゆかりの血縁・地縁の銃士たちの中でも凄腕すごうでの剣士で、トレヴィルは「我が三銃士」と自慢して呼んでいるのだ。


「シャルルと同い年で僕たち三銃士の兄貴分であるアルマンは、正式にはアルマン・ド・シレーグ・ダトス・ドートヴィエイユと、いささか舌を噛みそうな長い名前なんです。

 彼は、一時期、国王陛下の勘気に触れて銃士隊から除籍されたことがあったのですが、その間、偽名を使って銃士隊の隠密をしていたんです。でもね、その偽名がアトスっていうんですよ。それは、アルマンの父親の領地であるアトス村からとっているんです。正体を隠すための偽名なのに、自分の故郷の地名を使ってしまったらバレバレじゃないですか。そういうところが、頭が固くて小細工を使うということを嫌うアルマンらしくて面白いなぁと僕は思うんです」


 クックックッと笑いながらアンリは語る。馬鹿にしているようだが、その語り口調には兄貴分のアルマンに対する親愛の情がこめられていることがシャルロットにも分かった。


「あの怪力馬鹿のイザック・ド・ポルトーは、僕の一族と同じくプロテスタントを信仰する貴族の子で、パリに上京していきなり乱闘騒ぎを起こした馬鹿です。

 相手はリシュリュー枢機卿すうききょうの配下である護衛隊の隊士たちでね、そこに居合わせたシャルルとアルマン、それに僕はあいつに加勢してやったのですが、夜だったのがいけなかった。初めての実戦で頭に血がのぼっていたあの馬鹿は、夜の闇のせいで敵味方の区別ができず、五、六回ぐらい僕たちに斬りかかって来たんですよ。

 あんまりにも短気で馬鹿だということで、すぐには銃士隊に入れてもらえず、トレヴィル隊長の奥さんの弟エサール侯爵が部下をしごくのが大好きな厳しい人だったから、その人が隊長をつとめていた近衛歩兵隊に入隊させてもらって修行していたんです。それで、ようやく今年の一月に銃士になれたのですが……あんまり馬鹿は治っていませんでしたね」


 イザックの説明をしている間に馬鹿と五回も言ったが、アンリはそんな馬鹿なイザックのことが気に入っているらしく、実に楽しそうに語った。


「僕、アンリ・ダラミツは、さっきも言いましたが、トレヴィル隊長のいとこです。僕の伯母さんがトレヴィル隊長の父上と結婚して、生まれたのが隊長なんです。

 僕は、子供の頃から、パリで活躍している武勇の誉れ高い年上のいとこの噂を聞いていましたから、銃士になってトレヴィル隊長の下で働きたいと志し、領地のアラミッツ村から飛び出したんですよ。

 でもね、最近のトレヴィル隊長は少し様子がおかしいというか……銃士隊の中でも古参で人望があるシャルルを警戒しているみたいで、近頃のあの人は好きになれませんね」


「シャルルさんのことを警戒……?」


 シャルロットは、自分もアンヌ王妃に警戒されていて悲しい思いをしていたところなので、シャルルも上司のトレヴィル隊長に警戒されていると聞き、顔を上げてその話を詳しく聞きたげな表情でアンリを見つめた。


 アンリは、シャルロットのその強い眼差しにちょっと驚いたようだったが、「なるほどね。少しでも彼のことを知りたいというわけか」とシャルロットには聞き取れないような小さな声で呟くと、いつもの澄ました顔に戻り、


「シャルル・ダルタニャンという人は、一言で言えば忠烈無比。国王を守る銃士の仕事にどこまでも忠実な男ですね。王妃様に浮気することが多々あるトレヴィル隊長と違って、あくまで国王陛下のために働くブルボン王家だけの剣です。

 トレヴィル隊長は、自分が王妃様と気脈を通じていることを陛下に気づかれていないと思っているみたいですが、陛下はそんなに甘いお方ではない。絶対に勘付いている。

 おそらく、陛下が銃士隊の中で一番信頼しているのは、トレヴィル隊長ではなくシャルルでしょう。トレヴィル隊長は、陛下がシャルルに名剣スウェプト・ヒルト・レイピアを授けた頃から陛下の寵愛が自分からシャルルに移りつつあることに気づき、焦っているんです。銃士隊長の地位をシャルルに奪われる日がいつか来るのでは、とね……」


「そんな……。シャルルさんも同じガスコーニュの出身なのに、トレヴィル隊長に信用してもらえないのですか? ダルタニャンって、ガスコーニュ地方の名門貴族の名でしょう?」


 なかなか美形なシャルル・ダルタニャンはルーヴル宮殿の侍女たちの間でも噂になることが多く、シャルルはガスコーニュ地方でも由緒ある貴族モンテスキュー・ダルタニャンの出身だとシャルロットは小耳にはさんでいたのである。


 しかし、アンリは「う~ん……。たしかにシャルルはダルタニャン家の血を引いてはいるのですが……」とぶつぶつ言い、何やらはっきりしない様子でシャルロットを不安にさせた。


「あっ。シャルロット、着きましたよ。ここがトレヴィル隊長の屋敷です。やはり、美少女とお話しながら歩いていると、時間があっという間に過ぎますねぇ」


 アンリはごまかすように笑いながらそう言うと、屋敷の門の前に立っていたイザックに「おーい、馬鹿イザック。そんな所に突っ立って、何しているんですか?」と呼びかけた。


「馬鹿って言うな! ……そんなことより、大変なんだ! 今からお前を呼びに行こうとしていたところなんだよ!」


「何か変事でもあったのですか? もしかして、国王……」


 そう言いかけて、アンリは口をつぐむ。

 ルイ十三世が病に倒れているのは極秘なのだ。こんな往来で大声を上げて立ち話する話題ではない。そう考えたアンリは、イザックに歩み寄り、「もしかして、陛下が?」と小声でたずねた。


「違う。屋敷内で殺し合いが始まりそうなんだ。『裏切り者のフランソワを殺す』と息巻いている銃士たちがたくさんいて、トレヴィル隊長までもが顔を真っ赤にして激怒している始末で……」


「フランソワ・ド・モンルザンが殺される? なぜ?」


「あいつ、銃士隊を辞めて、マザラン枢機卿すうききょうの家来になるとか言い出したんだ!」


「馬鹿! 声がでかい!」


 アンリは慌ててイザックの大きな口を塞ぐ。そんな光景をシャルロットは、


(フランソワ・ド・モンルザンって誰かしら?)


 と思いながら見つめていた。

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