13 オートーフォール
他に何もすることがないシャルロットは、マドモワゼルに誘われるまま、どこかに隠れているらしい王太子(ルイ十四世)を一緒に捜すことになった。
「私、王太子様をまだ見たことがないのですが……」
「王太子様は今年で五歳よ。だから、それぐらいの年齢の男の子を捜して」
そう話し合いながら、シャルロットとマドモワゼルは、ルネサンス風に造られた「カリアティードの間」という部屋に入って行った。
祝賀の間として使われるこの広間の入口には、四柱の美しいカリアティード(女神像)が並んで立ち、入口上部の楽士席(音楽家が演奏をする席)を支えている。
シャルロットは、ここで開かれる祝賀会はさぞかし華やかなのだろうなと考えながら女神たちをうっとりとした表情で見上げ、いつもの癖で自分の世界に入りかけていた。しかし、「くしゅん!」という可愛らしいくしゃみの声が聞こえて、「え?」と我に返った。
広間の入口の右端に立つ女神像の足元に、小さな男の子がうずくまっている。(もしかして)と思ったシャルロットは、小さなくしゃみの音に気づかなかったらしいマドモワゼルに耳打ちして教えた。すると、マドモワゼルは、ぱぁっと輝くばかりの明るい表情になり、
「まあ! こんな場所に隠れていらっしゃったのですね! 私の王様!」
飛び跳ねるように女神像の後ろに隠れている王太子の元に走って行った。
「しまった! 見つかった!」
男の子はビクッと肩を震わせてそう叫んだ。何やら声がとても切実である。隠れんぼをしていて見つかったというよりは、身を隠していた小動物が捕食者の肉食獣に発見されてしまったような悲鳴に近い声だった。
王太子は、抱きつこうとしてきたマドモワゼルの両腕から逃れると、脱兎のごとく駆けだした。しかし、五歳が十六歳にかけっこで勝てるはずがなく、王太子はマドモワゼルにあっと言う間に捕食……ではなく、抱きつかれてしまった。
「うふふ。王太子様、将来あなたの王妃となる予定の私のほっぺたに
「い、嫌だい! 僕はオートフォールと結婚するんだ!」
「オートフォールは侍女じゃないですか。それに、あの人は国王陛下の恋人だったんですよ? お父様のお古の女なんてぇ~……。それに引きかえ、私は立派な王族の娘。あなたのいとこです。ねえ王太子様ぁ、私と結婚すると言ってくださいな」
「うわーん! 嫌だぁ! そこのお前、助けておくれよぉー!」
マドモワゼルの腕の中でジタバタと暴れている王太子が、シャルロットに涙目で助けを求めた。どうやら、隠れんぼなどではなく、王太子は真剣にマドモワゼルから逃げていたみたいだ。
(どうしたものかしら……)
五歳児に結婚を迫るマドモワゼルを呆れた表情で見つめながら、シャルロットはちょっと悩んだ。二人とも王族なので、侍女の分際に過ぎない自分が強引に引きはがすわけにもいかない。いったい、どちらに味方したものやら――。
「王太子様、グランド・マドモワゼル。こんな所で何をなさっているのですか?」
広間に
彼女は、とても美しい容姿をしているが、ちょっとたれ目である。しかし、それがこの女性に愛嬌ある雰囲気を与えていた。人見知りがちな人間でも彼女になら心を開いて話せそうだと思わせる親しみやすさが備わっているのだ。特に、小さな子どもには好かれそうである。さっき王太子が「結婚したい」と言っていたのが、この美しい侍女のことなのだろう。
(……そういえば、私、このオートフォールという人に見覚えがあるわ)
たしか、幼少期のシャルロットが王妃のそば近くで仕えていた時にも、「オートフォール嬢」と呼ばれていた侍女が宮廷にいたはずである。その侍女もたれ目だった。どうやら、いま目の前にいる美女はシャルロットが知っているオートーフォール嬢と同一人物のようだ。
「オートフォール、助けて! グランド・マドモワゼルが僕をいじめるんだ!」
王太子はマドモワゼルの隙をついて腕から脱け出し、その侍女――オートフォールにしがみついた。一方、オートフォールの顔を見たマドモワゼルは途端に不機嫌になり、王太子が
「王太子様。グランド・マドモワゼルは王太子様のいとこにあたるお姫様なのですから、仲良くしてあげてくださいね。グランド・マドモワゼルは王太子様が可愛くて仕方ないから、しきりに抱きついたり、頬に接吻したりするのですよ」
「僕は、オートフォールにギュッとしてもらえるほうが嬉しい!」
王太子がそう言うと、マドモワゼルの機嫌がますます悪くなり、この背の高い姫君に嫌われている自覚があるオートフォールは、
(またグランド・マドモワゼルを怒らせてしまったわ。困ったわねぇ……)
と思いながら苦笑した。
……と、そんな時、オートフォールは見知らぬ若い侍女にまじまじと見つめられていることに気がづいたのである。
「あなたは……新入りの侍女かしら?」
オートフォールがそう問うと、シャルロットは「お久しぶりです、マリー・ド・オートフォールさん」と礼儀正しくあいさつした。
「あなた、私のことを知っているの?」
「はい。八年ぶりにお目にかかります」
「八年前というと……私が陛下の寵愛を受けていた頃ね」
マリー・ド・オートフォール。
八年前の宮廷では、
そして、このオートフォールと、レモン汁でいじめられたラ・ファイエットだけが、ルイ十三世に愛されたたった二人の女性である。国王は、この愛妾たちにすら肉体関係を欲しなかった。
「私です、シャルロットです。リゼットの娘の……」
「え? あ……ああ! あのおちびちゃんのシャルロットなの⁉ リシュリュー
オートフォールは、自分のことを覚えていてくれたらしい。そのことが分かると、シャルロットは危うく泣き出しそうになった。もしかしたら、アンヌ王妃や宮廷の人たちは私のことをすっかり忘れてしまったのかも知れない――と不安に感じていたところだったので、昔の知り合いに覚えていてもらえてホッとしたのである。
「それにしても、変ね。王妃様は、あなたがパリに戻って来ただなんて一言も私にお話にならなかったわ。あれだけ可愛がっていらっしゃったのに、王妃様は帰って来たあなたをそばに置かないのかしら?」
オートフォールが不思議でならないといった口調でそう言うと、シャルロットは今までの経緯をオートフォールに手短に語った。
「なるほど……。陛下が遣わすかたちであなたは王妃つきの侍女になったのね。だいたいの察しはついたわ。言いにくいけれど、あなた……王妃様に警戒されているわね」
「警戒されている? ど、どういうことですか、それは……⁉」
思わぬオートフォールの言葉に、シャルロットは
「色々あって、陛下と王妃様の夫婦関係は、以前あなたがパリにいた八年前よりもさらに冷え切ったものになっているの。
陛下は、王妃様をスペインのスパイだと疑い、ルイ王太子と弟君のフィリップ王子を王妃様から取り上げようとなさったこともあってね……。
だから、王妃様は、夫である陛下のことを恐れているのよ。いつ息子たちと引き離されるか、そして、いつ自分の王妃としての地位が脅かされるかと……」
「……つまり、王妃様は、国王陛下の元から遣わされた私のことを陛下の密偵だと疑っているということですか?」
「ええ。たぶん、そうね。それで、あなたは遠ざけられているのだわ。もしかしたら、昔自分が可愛がっていたシャルロットを名乗る偽者かも知れないと考えているのかも」
「わ、私は本物のシャルロットです! 本物だと証明できる品もちゃんとあります!」
シャルロットは、首にかけている真珠の首飾りを握りながらそう訴えた。アンヌ王妃とバッキンガム公爵が道ならぬ恋に落ち、その二人の禁断の愛に母リゼットが関わっていたのだとすれば、このバッキンガム公爵の形見の首飾りを見たら王妃も心動かされるはずだ。
「分かったわ。私が、あなたが王妃様に拝謁できるよう、王妃様にお願いしてみる。だから、落ち着きなさい」
「……オートフォールさんは、信じてくださるのですか? 私のこと……」
「あなたのそんな必死な目を見て、偽者だとかスパイだなんて思えないわ」
オートフォールはシャルロットにそう言ったが、実際はシャルロットの言葉を信じているのではなく、ルイ十三世の昔の恋人だった女の直感で、
(あの王様は、女を信用しない。だから、女をスパイとして使うはずがない)
と、理解していたのである。それは、ルイ十三世とまともに心を通わせたことがないアンヌ王妃にはできない発想だった。
「ありがとうございます、オートフォールさん……」
シャルロットは嬉し涙を流しながらそう礼を言った後、オートフォールならコンスタンスが今どこで何をしているのか知っているかもとふと思いついた。
ルーヴル宮殿のどこを探しても、コンスタンスの姿が見えない。あんなにも目立つ美しい容姿をしていた彼女なら、この宮殿内にいたらすぐに見つけ出せるはずである。
コンスタンスは果たして無事なのか? シャルルやトレヴィル、ルイ十三世たちの言葉の端々から、彼女に何かあったのではと嫌な予感をシャルロットは抱いており、とても気になっていたのである。
「あの……。そういえば、コンスタンスさんはお元気ですか?」
恐るおそる、シャルロットはそうたずねた。コンスタンスはきっと今もどこかで優しい微笑をたたえて幸せに暮らしているはずだという願望をこめて。
しかし、その願いは、数秒後に粉々に砕ける。コンスタンスの名を耳にしたオートフォールは、一瞬、激しく顔を
「…………コンスタンスは、去年死んだわ」
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