6 確執
トレヴィルを呼び止めたシャルルは、ツカツカと大きな足音を廊下中に響かせて、不機嫌そうな銃士隊長を追いかけた。
トレヴィルは振り返り、一瞬ギロリとシャルルを睨んだが、すぐに敵意――と言っていいのかはシャルロットには分からない――がこめられた鋭い眼光を引っ込ませ、
「今、陛下は体調が優れず、機嫌が悪い。内容を教えてくれたら、俺が陛下の機嫌がいい時を見計らって報告しておこう」
と、ぎこちなくシャルルに微笑んだ。笑ってはいるが、トレヴィルのその態度は明らかに拒絶である。シャルルは辛そうに顔を歪めると、シャルロットをチラリと見た。
(えっ? もしかして、報告したいことって私のこと?)
シャルルは、シャルロットがアンヌ王妃の侍女になれるように国王ルイ十三世に頼んでやると約束してくれていた。その約束を果たすため、シャルルは国王への拝謁を願い出ているのである。
「トレヴィル隊長……。この少女の顔を見て、誰かを思い出しませんか?」
「…………?」
シャルルにそう言われて、トレヴィルは初めてシャルロットに視線を向けた。
トレヴィルは、イライラしているせいで目がつり上がってしまっている。ただでさえおっかない顔が、余計に恐くなっていた。シャルロットは蛇に睨まれた
(恐がらないぞ。恐がってたまるものですか)
と、勇気を奮い立たせ、縮こまっていた背筋をピンとさせて、真正面からトレヴィルを見つめ返した。
「この子は……。どことなく、リゼット殿に似ている……」
気難しそうな顔をしながらシャルロットをまじまじと見ていたトレヴィルの表情に、
(……いや、そんなに驚くことではないか。だって、お母さんは、昔、アンヌ王妃の侍女だったのだもの。宮廷に出入りしているトレヴィル隊長と知り合いでもおかしくはないわ)
そう思い至ったシャルロットは勝手に一人でそう納得したが、トレヴィルのほうはというと、幽霊でも目撃したようにシャルロットを見つめながら顔を青ざめさせていた。
「シャルル……。まさか、この子は……」
「お察しの通り、リゼット殿の娘です。そして、バッキンガム公爵の……」
「みなまで言わなくていい!」
声を荒げてそう怒鳴ると、トレヴィルはひどく動揺した様子で廊下の奥にある扉をチラリと見た。その扉の向こうに、国王の執務室があるのである。
トレヴィルは声を落とし、シャルルに問うた。
「……なぜリゼット殿の娘がフランスにいる。八年前、リシュリューに追われ、スペイン領に逃げたのでは……」
「シャルロットの話によると、リゼット殿はスペイン軍のフランドル総督フランシスコ・デ・メロの妻になっていたそうです。しかし、リゼット殿は昨年に病死し、新しい妻を迎えることになったフランシスコ・デ・メロは、リゼット殿の娘であるシャルロットをモットヴィル伯爵に嫁がせようとしたのです。奴は、卑劣にも義理の娘を利用してモットヴィル伯爵を味方につけ、ノルマンディー地方で大規模な農民の反乱を起こさせる計画を立てていました。我々は、たまたまシャルロットがモットヴィル伯爵の妻に迎えられた夜にモットヴィルの城館に忍びこみ、あの老人を殺害してこの子を保護した……というわけです」
「そうか……。そういうことであったか。しかし、保護したのはいいとしても、なぜ陛下のおわす宮殿に連れて来たのだ。この子はあのイングランド人の娘だ。陛下に会わせるのは危険すぎる」
イングランド人の娘――つまり、イングランド国の重臣であったバッキンガム公爵の娘ということである。
(私が……バッキンガム公爵の娘である私が、国王陛下と会うのは危険?)
自分がフランスにいるのはそんなにも大きな問題なのだろうかとシャルロットは不安に思い、すがるような気持ちでシャルルを見つめた。
いくら父のバッキンガム公爵がフランスと敵対した人物だとはいえ、母親はフランス人なのだ。半分はフランス人の血が流れているというのに、なぜそこまで忌み嫌われなければいけないのだろう……。
「そんな泣きそうな顔をするな。シャルルに任せておけ。俺たち銃士は、一度交わした約束は自分の誇りにかけて必ず守る。シャルルを信じるのだ」
アルマンが小声でそう言い、シャルロットを励ます。
すると、アンリも無言でハンカチを差し出してくれた。イザックなどは心配そうにシャルロットを見つめておろおろしている。
ずいぶんと子供扱いされてしまっているなと思いつつも、三銃士たちの優しさがシャルロットには嬉しく、悲しい気持ちが少しだけ和らいでいった。
「俺は、シャルロットがアンヌ王妃に再び仕えたいと望んだため、陛下にその許可をいただく必要があると考えてこの子を宮殿に連れて来たのです。トレヴィル隊長、親の犯した罪を子が
「親の犯した罪? 子には子の人生、だと? ……シャルル。お前は、俺がコンスタンスの人生を狂わしたのだと思って、まだ根に持っているのだな?」
シャルルの言葉を
コンスタンス。
その名を耳にしたシャルルは、
「俺を恨んでいるのは、あなたのほうでしょう……。あなたは、俺の行動のせいでコンスタンスが不幸になったと考えているんだ」
と、うめくような声で言ったのである。
トレヴィルは、視線をさ迷わせながら「いや、俺は……」と言葉を
(コンスタンスさんに何かあったのかしら……?)
シャルロットは不吉な予感がしたが、いったい何があったのかと聞けるような雰囲気ではない。
「……とにかく、だ。陛下にはシャルロットのことを報告するのはまずい。あの男の娘を宮殿内に入れたと知ったら、陛下は激怒するだろう。
幸い、陛下と王妃様は今、別の宮殿でお暮しになっている。俺が密かに王妃様に連絡をして、シャルロットが王妃様の侍女になれるように手配してやる。だから、陛下に報告する必要はない」
「それが一番危険なのです、トレヴィル隊長。王妃様の侍女だったリゼット殿は、国王陛下の
公爵の死後にロンドンを追い出されたリゼット殿は、王妃様の求めに応じ、陛下やリシュリュー枢機卿の目を盗んでパリに密かに戻り、自分の幼い娘であるシャルロットを王妃様に仕えさせました。
しかし、それがリシュリューにばれてしまい、母子はスペインに亡命しなければいけなくなったのです。
前回と同じように内密に王妃様のおそばにシャルロットを置いても、陛下の正式な許可がなければ、この子の立場は危ういままなのです」
「だが、陛下を説得するのは困難だ。あのお方は、一度憎んだ人間を絶対に許しはしない」
「俺が、必ず説得してみせます。この娘のことが、放っておけないのです。ですから、陛下に拝謁させてください」
シャルルは、トレヴィルに詰め寄り、そう懇願した。
しかし、トレヴィルは面白くなさそうな表情をして、シャルルから顔を背ける。……いや、顔を背けつつも、その黒々とした目は、シャルルが腰に帯びているレイピア――ルイ十三世から授かったスウェプト・ヒルト・レイピアを睨んでいた。
「……この俺が無理だと言っているのに、お前は陛下のお心を動かすことができるというのだな。知らぬ間に、ずいぶんと自信をつけたものだ」
「トレヴィル隊長……」
シャルルは、歯がゆそうにトレヴィルを見つめ、黙りこんでしまった。「これでは、
「さっきから廊下で何を騒いでおるのだ。陛下の執務室の中まで聞こえておったぞ。
一人の老人がそう
老人といっても、杖をついているというのに弱々しさというものが微塵も感じられない。不自由な右足をかばいながらひょこひょこと元気良く歩いてくるその様は、むしろ生き生きとしていた。その力強い眼光は、銃士隊を束ねるトレヴィルでさえ緊張させてしまう威厳があった。
「パッソンピエール
「何がおめでとうございますじゃ、トレヴィル。儂の十二年間を返せと、さっきまで陛下に文句を言っていたところじゃぞ。
先代のアンリ大王(ブルボン王朝初代国王・アンリ四世)の
トレヴィルの顔に
「おっと……忘れるところじゃった。おい、シャルル・ダルタニャンという銃士はどこにおる」
ぎゃあぎゃあ愚痴を言って満足した後、パッソンピエールは銃士たちを見回してそう言った。シャルルが「俺です」と答え、前に進み出る。
「ほう、お前か。……む? その
「元帥とは、俺がまだ銃士見習いだった時に一度だけお会いしております」
「おお、思い出したぞ。田舎からパリにやって来た早々、下宿している宿の主人の妻に手を出して、宿の主人に拳銃で追いかけ回された色ボケ小僧か」
「それは、兄のポール・ダルタニャンです。俺は、そんな浮ついたことは……」
「まあ、どっちでもよい。陛下がお前をお呼びじゃ。『廊下からシャルルの声が聞こえる。モットヴィルから帰還したようだ。顔を見たいからここに呼んでくれ』と頼まれた。ぐずぐずしとらんと早く行け」
「はっ……。承知いたしました」
シャルルはパッソンピエールに頭を下げると、アルマン、イザック、アンリをチラリと見た。三銃士たちも陛下の尊顔を拝したいはずである。共に行こうと目で誘ったのだ。しかし、
「俺は……陛下の勘気が解けて日が浅い。シャルロットのことで難しい話をする時に顔を見せないほうがいいだろう。遠慮しておく」
アルマンは残念そうに言い、断った。
「イザックとアンリはシャルルについて行け。お前たちは銃士隊に入って間もないのだから、一日も早く陛下に顔を覚えてもらわないといけない」
「アルマンがそう言うのなら……」
「そうさせていただきましょう」
兄貴分のアルマンが一緒に来ないのが寂しいのか、イザックとアンリはちょっと元気がなさそうに
「……では、トレヴィル隊長。失礼します」
シャルルはトレヴィルに一礼すると、シャルロットの手を握り、イザックとアンリを左右に引き連れて執務室へと向かった。さすがのトレヴィルも、陛下のお呼びがかかっているシャルルを止めることはできない。
「本当にあの娘を陛下に引き合わせるつもりか。どうなっても知らんぞ……」
トレヴィルは、シャルルの背中を睨みつけながらそう呟くのであった。
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