5 銃士隊長トレヴィル

 フランス国王ルイ十三世は、その治世の多くの時間をルーヴル宮殿で過ごし、政務をっていた。


 だが、ここ最近はパリ西郊にあるサン=ジェルマン=アン=レー城に居を定めている。


 モットヴィルから帰還したシャルルたち銃士は、農民蜂起の黒幕であったモットヴィル伯爵の暗殺に成功したことを報告するべく、このサン=ジェルマンの宮殿に入城した。


「どうした、シャルロット? 具合でも悪いのか?」


 いかめしい顔をしたスイス傭兵たちが警備している城門を通過した時、シャルロットが顔を青ざめさせてうつむいたのを見て、イザックがそうたずねた。


 おっちょこちょいで粗野なところがあるイザックだが、根はとても優しい青年である。毒の後遺症でも出たのではないか、とシャルロットのことを心配したのだ。


「いえ、何でもありません……」


 シャルロットは、スイス傭兵たちが持っている、幅の広い三角形の刃がついたパルチザンという名の槍が恐くてうつむいてしまったのだが、強がりな性格の彼女は臆病者だと思われるのが嫌で小声でそう答えた。


「本当に大丈夫か? 体がしびれたり、吐き気がしたりしたら、遠慮せずにちゃんと言えよ?」


「イザックもしつこいですねぇ。今から国王陛下に初めて拝謁するのですから、緊張して元気もなくなるでしょう。いつでも能天気な君とは違うのですよ。ねえ、シャルロット?」


 アンリがウィンクをしながらシャルロットに笑いかける。シャルロットは「は、はい……」と曖昧あいまいに返事して愛想笑いした。


 アンリは、シャルロットが何に怯えていたのか全てお見通しの上で、助け舟を出してくれたのかも知れない。冷静沈着で常に余裕ありげな笑みをたたえているアンリの黒い瞳には、人の心を何でも読んでしまう魔力があるように感じられた。


「誰が能天気だって? 馬鹿言え、俺ほど気遣いができて心配性な人間はフランス中探してもいないぜ」


 アンリに嫌味を言われてムッとなったイザックがそう抗議すると、アンリはフフンと鼻で笑った。アンリは、イザックをからかって遊ぶのが好きらしい。


「二人ともよさないか。宮殿内でみっともない喧嘩をするな」


 アルマンが――それほど怒っているふうでもない穏やかな声で――兄が弟たちを諭すようにそう言い、イザックとアンリのお尻を左右の手でポンと叩いた。


 注意されたでこぼこコンビの二人は、お互いに「べぇ~」と舌を出してにらみ合ったが、後は気が済んだのかピタリと喧嘩をやめてしまった。そんな光景をシャルルは黙ったまま微笑んで見守っている。


(この四人の間からは、とても温かなものを感じる……)


 そばにいるだけで愉快で楽しい。こういう関係を友達と呼ぶのだろう。生まれてからずっと各地を転々とする人生を送っていたシャルロットは、友と呼べる存在がいなかった。だから、(うらやましい……)とシャルロットは心から思ったのである。


(イザックさんは優しくて面白い人。アンリさんは賢くてどことなく神秘的な人。アルマンさんはお兄さんのようなみんなのまとめ役。シャルルさんは……どんな人なのだろう?)


 パリまで共に旅した数日間、シャルロットはシャルルのことを暇があったら観察していた。出会ったあの夜以来、なぜだかシャルルのことが気になって仕方がなかったのである。


 シャルルは、三人の友人たちと一緒にいる時、いつも笑っている。誰かがふざけたことを言ったら、面白い冗談を返すし、けっして根暗な人間ではないと思う。……しかし、シャルルが時折ふっと見せる影のある寂しげな表情は何なのだろう?


(シャルルさんは、笑っている時でも、どこか悲しそうに見える時がある……。私は、あの夜に見たシャルルさんの優しげで温かい笑顔をとても素敵だと思った。どうしたら、またあんなふうに笑ってくれるのだろう?)


 宮殿の長い廊下を歩きながら、シャルロットはじっとシャルルの横顔を見つめていた。そして、シャルルを見ているもう一つの視線に気づいたのである。


(アルマンさんも、シャルルさんのことを気にしているみたい)


 アルマンは、たまにシャルルをチラチラと横目で見て、難しい顔をしている。イザックから聞いた話によると、シャルルとアルマンはずいぶんと長い付き合いらしいから、アルマンもシャルルの背負っている「影」の存在に気づいているのかも知れない。


(シャルルさんの「影」の正体を、アルマンさんは知っているのかしら……?)


 考えごとに夢中になると周りが見えなくなるたちのシャルロットは、前を歩いていたイザックが急に立ち止まったことに気づかず、その大きすぎる背中に顔からぶつかってしまって尻餅しりもちをついた。


 イザックだけでなく、シャルル、アルマン、アンリも立ち止まっていた。そして、廊下の向こうからやって来るある人物に向かってうやうやしく頭を下げていたのである。


「おお。無事に戻ったか、我が三銃士よ。任務ご苦労であった」


 近衛銃士七人を従えた四十代半ばぐらいのその男は、ねぎらいの言葉を口にした。


 シャルルたち銃士と同じく、身にまとっているのは青色のカザック外套がいとう鍔広つばひろの帽子には、燃えるように赤い大きな羽根がついていた。その羽根の大きさが、彼の威厳の巨大さを誇示しているようであった。


 その容貌を見たシャルロットの第一印象は、「恐い」の一言に尽きる。

 長年戦場にいたせいか火であぶられたように黒々と日焼けした肌をしていて、顔や首筋には大小の刀傷が無数にある。たぶん、服を脱いだら体中に同じような傷があるのではないだろうか。

 若い頃から相当苦労してきているのか、頭髪、眉毛、髭はほとんど白くなっていた。顔つきも武骨で、幼い子供が見たら泣き出しそうな凄みがある。

 ただ、よく見ると、黒色の目だけは涼やかで優しげであり、彼が単なる冷血な武人ではないということは、シャルロットにも察することができた。


「シャルロット。こちらは、近衛銃士隊の隊長のトレヴィル殿です」


 シャルロットがその人物の威厳に圧倒されて尻餅をついたままぼう然としていると、アンリがシャルロットの腕をつかんで助け起こしながらそう耳元でささやいた。


 アルノー・ジャン・デュ・ペイレ。

 人々にトレヴィル伯爵と呼ばれているこの男こそが、近衛銃士隊の指揮官だった。


 余談ではあるが――実際は国王であるルイ十三世こそが銃士隊の名目上の隊長で、トレヴィルの正式な職名は「隊長代理」である。

 だが、あくまでも国王は「名目上の隊長」なので、実質的な指揮権は武勇の誉れ高いトレヴィルにゆだねられていた。だから、銃士たちはトレヴィルを「隊長」と敬意をこめて呼んでいたのである。

 ルイ十三世は、王に忠実な銃士たちを愛し、常に身辺に置いていたので、その銃士隊を率いているトレヴィルは宮廷内で大きな存在感を放っていた。


 もちろん、七歳からずっとスペイン領にいたシャルロットは、トレヴィルがそんな大人物であることを現時点ではまだよく理解していない。

 ただ、アンヌ王妃に仕えていた幼少期、幼いシャルロットのことを何かと気にかけて面倒を見てくれたコンスタンスという侍女が銃士隊長トレヴィルの娘だということは薄っすらとだが覚えていた。


(恐そうな人だけど……。私のことを妹のように可愛がってくれたコンスタンスさんのお父さんなら、いい人かも知れないわ)


 風邪を引いた自分を寝ずに看病してくれたこともある優しいコンスタンスのことを思い出しながら、シャルロットは心の中でそう呟いた。


 トレヴィルは、美しかった娘のコンスタンスとは似ても似つかない強面こわおもてだが……。任務から帰った銃士たちに「ご苦労であった」とねぎらいの言葉をかけたその声は、温かみのあるものだった。

 シャルロットは父親の愛情を知らずに育ったが、トレヴィルの銃士たちに向ける穏やかな視線は、子を見守る父親の愛情と似ているような気がする。コンスタンスが優しい女性だったのは、父親のトレヴィルに愛情深く育てられたおかげなのだろうと、シャルロットは少しうらやましく思った。


 しかし――。


(……あれ? でも、ちょっと待って? 四銃士ではなくて? シャルルさんたちは四人なのに……?)


 トレヴィルが発した言葉の違和感に気づいてしまい、シャルロットは顔を曇らせる。


 一人だけ仲間外れにされているではないか。銃士隊の隊長があからさまに誰かを爪はじきにするような発言をするなんて、穏やかではない。いったい誰が仲間外れに……とシャルロットは不安を抱きながらそう考えたが、その答えはすぐに分かってしまった。


 トレヴィルが温かな目を向けているのは、アルマンやイザック、アンリたちで、シャルルのほうをいっさい見ていなかったのである。


 シャルルも、押し黙ったまま視線を反らして宮殿の柱をじっと睨んでいた。ただ、その態度は拒絶というよりは、何かしらのやむを得ない事情があってこの状況を耐え忍んでいるようにシャルロットには感じられた。


 三銃士と呼ばれたアルマン、イザック、アンリの反応は様々である。

 アルマンは悲しげな目でトレヴィルとシャルルを交互に見つめ、イザックはこの場に流れている不穏な空気にまったく気づいていないらしく陽気にニコニコ笑っており、アンリは片目をつぶって冷ややかな視線をトレヴィルに向けていた。


「アルマン、イザック、アンリ。お前たちのおかげで、ノルマンディー地方の農民蜂起は沈静化しつつあるようだ。反乱軍の最大の支援者だったモットヴィル伯爵が死に、もはや農民たちは軍資金や武器を手に入れられぬ。こたびの働き、国王陛下もお喜びになっているぞ」


「ありがたき幸せ。全ては、シャルルが立てた作戦が上手くいったおかげです」


 トレヴィルがシャルルを無視して三銃士を称賛すると、アルマンがすかさずそう言った。


「む……。シャルルが、か……」


 トレヴィルは頬をピクリとひきつらせながらそう呟くと、気まずそうに十秒ほど黙りこんだ。


 その十秒の静寂の間、世界が凍りついてしまったような緊張がその場にいた全員の間に走った。


 シャルロットは、自分の体温が急速に下がっていくような錯覚を覚えながら、ゴクリと唾を飲みこむ。さすがのイザックも、何やら場の空気がおかしいことにようやく気づいて戸惑っている。


 やがて、トレヴィルは、鈍い動きでシャルルに体を向け、


「役目、大儀であった。詳しい報告は後でアルマンから聞き、俺が陛下に伝えておく。帰って休め」


 と、突き放したような口調で言い、くるりと背を向けてその場から去ろうとした。その背中は、まるでシャルルから逃げようとしているようだとシャルロットは感じた。


 アルマンとアンリは「はぁ……」と小さくため息をつき、トレヴィルに従っていた銃士たちもようやく嫌な緊張感から解放されると思ってホッとした顔をしている。


 だが、ここでシャルルはトレヴィルを呼び止めたのである。


「お待ちください、隊長。どうしても俺の口から陛下に報告したいことがあります」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る