4 マスケット銃の轟音
「イグナシオ隊長! 今は個人的な恨みは忘れて、隊の指揮をとってくれ! 頼む!」
重傷を負ってしまった自分では満足に指揮をとれない。そう考えたイバンが悲鳴に近い声で懇願すると、いまだにシャルルと対峙していたイグナシオは「くそっ……。やむを得ないか……」と激しく顔を歪めながらそう呟いた。
因縁の敵であるシャルル・ダルタニャンにどうしても勝ちたい。報復したい。だが――。
(悔しいが、すでに部下がおおぜい死んでいる。隊長としての責任を果たさなければ)
ようやく冷静になったイグナシオは、バッと飛び退き、シャルルから離れた。そして、
「みんな、よく聞け。敵は強いが、数は我らのほうが多い。二人か三人がかりで一人の敵に立ち向かい、銃士どもを殺せ!」
と、ベンガンサ隊の部下たちに命令したのである。
隊長と副隊長を含めて十六人いたベンガンサ隊の精鋭は、四人が戦死、一人は気絶、副隊長のイバンが重傷で戦闘不能になり、戦えるのはイグナシオ以下十人だけになっていた。しかし、戦意はいまだ衰えてはいない。
「おおう!」
ベンガンサの隊士たちは、殺された仲間たちの仇をとるのだと、その隊の名前通り復讐心に燃え、四人の銃士たちに殺到した。
イグナシオと隊士二人がシャルル、別の三人がアルマンを襲い、イザックとアンリにはそれぞれ二人が挑みかかる。激しい戦闘になることは必至だった。
しかし、イグナシオたちの予想に反し、シャルルたち銃士は四人固まると、あっさりと後退を開始したのである。
(何だ? どういうつもりだ?)
シャルルが後退する前に仲間の銃士たちに密かに目配せをしていたことに気づかなかったイグナシオは、不審に思いつつも追撃した。
銃士の一人がシャルロットを担いで逃げているのだ。モットヴィル伯爵が死んだ今、主君フランシスコ・デ・メロの元にシャルロットを連れて帰り、事の
「待て、シャルル・ダルタニャン! 王を守る誇り高き銃士が、敵前逃亡する気か!」
イグナシオはそう叫んだ。しかし、その直後、
「隊長、まずい! 火薬の臭いがする! 逃げろ!」
後方でイバンの
イバンの叫び声を聞いたイグナシオは、ここが身を隠すにはうってつけの木々や草むらがたくさんある庭の中だということにようやく気がついた。まさか――。
「十分引きつけた! 撃てっ!」
シャルルが、怒鳴った。
その瞬間、庭の木々や草むら、花壇などから、胸に銀十字を光らせた銃士たち十数人が飛び出てきて、マスケット銃を一斉に発砲したのである。
近衛銃士隊。すなわち、マスケット銃を装備した部隊。シャルルたち銃士が剣以外で最も扱いを得意とする武器だ。イバンが最初に危惧した通り、シャルルはマスケット銃を持った銃士たちを伏兵として庭にずっと前から潜ませ、この機会をうかがっていたのであった。
(し、しまった! いくらマスケット銃の命中精度が低いとはいえ、こんな至近距離から狙われては……!)
そばにいた部下二人がイグナシオに抱きつき、それぞれ頭と首を撃たれて死んでいった。隊長に弾丸が当たらないよう、盾になったのだ。
六人が被弾し、そのうちの四人が死亡した。
「隊長! ここは撤退しましょう! もはや勝ち目はありません!」
生き残った部下が悲痛な声でそう叫ぶ。イグナシオは「……おのれ、シャルル・ダルタニャン!」とうめき、血が
敵から逃げるなど、この上ない屈辱である。自分一人だけならば、このまま銃士隊に捨て身で突撃して死を選ぶところだが、自分を信じてついてきてくれたイバンたち部下を全滅させるわけにはいかない。
「シャルル・ダルタニャン、覚えていろ! 俺は、貴様に必ず復讐する!」
イグナシオはそう
「待ちやがれ!」
イザックが叫び、シャルロットの体を近くの木にもたれかけさせると、敵を追いかけようとしたが、シャルルはそれを制した。
「深追いはやめておけ。手負いの獣たちを追いつめたら、思わぬ反撃を食らうぞ」
シャルルに止められたイザックは、「う~む、残念」と言いながらも素直に年長者のシャルルの言うことを聞き、追いかけるのをやめた。
「それにしても、こんなにも近くで撃って全滅させられないなんて、マスケット銃の命中率はまだまだですね。こんなので本当にシャルルが銃士になった頃よりは改良されたのですか?」
マスケット銃の一斉射撃が思っていたよりも小さな戦果だったことに不満なアンリがそう言うと、シャルルは「別に全滅を狙ったわけではない」と静かに呟いた。
「むしろ、夜にも関わらず、こんなにも命中して驚いている。俺は、味方がなるべく無駄な血を流さなくて済むように、
「俺はまだまだ暴れ足りないよ。銃士になって最初の仕事だったから、もっと活躍したかったのになぁ」
四人の銃士の中で一番年が若いイザックが無邪気に笑うと、少し不機嫌そうなアルマンがポツリと呟いた。
「邪魔が入ったせいで、あのイバンという男との一対一の決着をつけられなかったのが不満だ」
もっと言えば、伏兵で敵を倒すという戦法も、真っ向からの正々堂々たる戦いがしたいアルマンにとって好ましく思えないやり方である。しかし、親友であるシャルルの「極力、味方の損害を少なくして勝つ」という信念を尊重したいと考えているため、その不満については黙っていた。
イグナシオのベンガンサ隊が逃走した後、シャルルたちはシャルロットの介抱をした。苦しげにうなされている少女の様子がおかしいとシャルルがいち早く気づき、「毒でも飲まされたのではないか」と考えたのである。女に毒物を飲ませてもがき苦しむ様を楽しむ変態だというモットヴィル伯爵の噂は、シャルルたちも知っていた。
「だったら、この薬を飲ませたらどうですか? たぶん、解毒薬だと思います」
アンリが、紙に包まれた粒状の薬をシャルルに渡した。
イザックとアンリがモットヴィル伯爵を暗殺するべく彼の部屋に忍び込んだ時、どういうわけか誤って毒薬を飲んでしまったらしいモットヴィル伯爵が激しい
「十粒ぐらいあるが、どれだけ飲ませたらいいんだ?」
「あの変態のじいさんが所有していた薬ですから、飲ませすぎたら妙な副作用があるかも知れませんよ。半分の五粒でいいのでは?」
アンリの言う通りだと考えたシャルルは頷き、シャルロットに薬を飲ませようとした。しかし、気絶しているシャルロットは固く唇を閉ざしていて、薬を受けつけない。どうしたものかとしばらく考えたシャルルは、やがて薬を自分の口の中に含み、そっとシャルロットの顔に自分の顔を寄せた。そして、少女の唇を舌で開け、口移しで薬を飲ませたのである。
「ああーっ! そんなうらやましいことをするのなら、俺がやりたかった!」
イザックがそう言ってはしゃぐと、呆れたアンリが「馬鹿、人命救助ですよ」と言い、イザックのお尻をゲシッと蹴った。
「う……うう……。わ……たし……は?」
やがて、シャルロットが薄っすらとまぶたを開き、ぼんやりとシャルルたち銃士を見上げた。どうやら、体の痺れは弱まったが、まだ意識が混濁しているようだ。
「一人で逃走を図るとは、ずいぶん命知らずな子だな。君は解放された。もう自由だ。誰の人形でもない。だから、自分が行きたい場所を言いなさい。俺が連れて行ってあげるから」
シャルルが、穏やかな声でシャルロットに言う。「私が行きたい場所……?」とシャルロットは呟き、(ああ、そうだ。私は……)と思い出した。
「私は……パリに……アンヌ王妃の元に行きたいです……」
「うん、分かった。パリへ一緒に帰ろう、シャルロット」
(どうして、この人は、私の名前を知っているのだろう?)
シャルロットは、柔らかな月の光に照らされたその
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