宝生探偵事務所/1人の怒れる警視正

亀野 あゆみ

佐伯警視正

 世津奈とコータローは、佐伯から指定されたマンションにサツキを送り届けた。移動の間中、サツキは世津奈にすがりついて泣き、世津奈はその背中をさすり続けた。

 マンションのエントランスで佐伯とその部下3人が待っていた。佐伯は婦人警官を含む部下たちにサツキを部屋に連れて行かせ、世津奈とコータローを別の部屋に呼び入れた。

 ダイニングテーブルをはさんで、佐伯と向かい合わせに座らされる。


 佐伯はエントランスで会った時から苦虫をかみつぶした顔をしていたが、ここにきて、怒りの形相に転じた。

「宝生警部補、ずいぶんハデにやってくれたな。特例で銃器の使用は許してやった。しかし、救急車をジャックし救急隊員に化けて乗り込むとは、何事だ。そんな非常識なことを許した覚えはない!」

佐伯のツバが顔にかかる。


「警察が人質救出を民間人に下請けする方が、もっと非常識っす」

コータローが挑むような眼で、しかも、やや嘲笑気味に言い返す。

「また、やった」と世津奈は思う。佐伯と同じ国立大学で博士課程まで進んだコータローは、学部卒の佐伯を軽ろんじる所があり、それが、こういう極めて間の悪い時に顔を出す。


「数学バカのガキは、黙ってろ!」

佐伯がテーブルを叩いて吠えた。

 ほら、コー君、地雷を踏んじゃった。国家公務員試験に合格してキャリア官僚になった佐伯は佐伯で、数学科出身のコータローを専門バカと思い足元に見ている。


 学歴というのは、自分に多少の箔と自信をつけるため控えめに使う分には許容範囲だが、他人とマウント合戦をし世の中を生きづらくするために使うのはNGだ。

 コータローと佐伯には、一部の進学塾に見られる「上を目指してナンボ」的発想が抜け切らないところがあって、困る。


「警視正のお怒りはごもっともです。大騒ぎにしてしまい、申し訳ありません」

世津奈はテーブルに額がつくくらい、上半身を折って謝る。

「先輩」

抗議しようとするコータローの足をテーブルの下で蹴飛ばす。


「救急車ジャックは、マスコミに報道された。消防庁の中は大騒ぎで、警察に問い合わせが殺到している。なぜ、事前に相談しなかった!」

「他の策を考えつけませんでした。警視正にご相談してご迷惑をおかけしてはいけないと思い、」

「独断でやってしまった。そういう事か!」

「はい。申し訳ありません」

「そのせいで、私は、多方面からいやというほど、火の粉を浴びている」


「ウソつけ」と、世津奈は思う。佐伯は自分が火の粉を浴びないため、世津奈に下請けした。それも、世津奈が思い切った手を打つ人間だと知っての上でだ。たとえ隣家が消失する大火事になっても自分は火の粉を浴びない手を打ってあるはずだ。

 

 では、なぜ、こんなに怒り狂っているのか? 芝居だ。佐伯は自分が優位に事を運ぶため、相手のアラを探して怒りまくり圧をかけ続ける。警察官とヤクザによくいるタイプだ。

 

「私に相談していれば、もっとマシな方法を伝授してやった」

「そこまで言うか」と、世津奈は思う。佐伯は最高学府出身のキャリア官僚だけあって、事前の根回しと事後の収拾は上手い。

 だが、現在進行中の事態に反射神経で対応するのは下手だ。本人もその自覚があるから、この仕事を世津奈に振ってきた。それでいて、自分ならマシな方法を思いついたとまで言われると、さすがの世津奈も、辟易する。


「反省はしているのか?」

佐伯の声がトーンダウンする。

「はい」

「数学バカのボケ、貴様はどうだ?」

世津奈はコータローが口を開く前に彼の足を蹴飛ばし、代わって

「もちろんです」

 と答える。


「反省しているなら、よろしい」

自分が優位に立てた事を確認できたと見え、佐伯があっさり矛を収めた。

 佐伯は半分は子どもっぽい秀才気分のせい、半分な職業病のせいで威張り屋だが、他人への配慮ゼロの人間ではない。ましてサディストではない。

 佐伯が生活経済課長だった時代、パワハラで多少やられた課員はいたが、過労でダウンした課員は一人もいない。非番の課員を呼び出すことは厳禁だった。

 それだけでも佐伯の欠点の相当部分を帳消しにしていると、世津奈は思っている。


 佐伯が椅子に深くかけ直した。満足げな表情で、世津奈を見て、

「人質を無事救出して、最低限のノルマは果たした」

 と言う。

「ありがとうございます。お借りした武器をお返ししなければなりません。クルマに置いてきました。ここにお持ちしましょうか?」

「バカか。真昼間にマンションの中をショットガンをぶら下げて歩くつもりか? 後で、部下に取りに行かせるから、クルマのカギを貸せ」

 

 世津奈がコータローにカギを差し出させると、佐伯がそれを受取ろうとして、手を止めた。

「今、ふと思いついた。条件次第では、貴様らはショットガンと自動拳銃をずっと持っていてもいいぞ。もちろん、銃弾は補給してやる」

佐伯がいたずらっ子のような目で世津奈を見る。


 まずい。この人は、またヤバイ仕事を振ってくる気だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

宝生探偵事務所/1人の怒れる警視正 亀野 あゆみ @FoEtern

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ