星の願いを
星の願いを
星野隆盛(リュウセイ)
「なあ、劉生。」
父の優しい声を隆盛が効いたのは、星が降ってきそうな冬の夜だった。遠くまで、よく星が見える澄んだ空がずっと広がっている。その日は、あまり見られない珍しい流星軍が見れるからと、星が好きな父親が張り切っていたのを、隆盛は覚えている。
「名に?」
寒さにうち震えながら、隆盛は父親に効いた。父のスバルは、それでもずっと黙って空を見ている。
「流星軍が乗せているものはなんだと思う?」
とっ表紙もない質問に、劉生は戸惑うしかない。どう答えていいかわからなかった。小学生小さい頭でも、その答えは出せるのかと必死で考えた。こんなに寒いのに、教科書に書いてあるのよりもずっと難しい問題を父に出されているこんな自分が、なんだかとても小さく見えて、劉生は咳払いした。
「宇宙ごみじゃないの?」
「宇宙ごみなんて、そんな難しい言葉よく知ってるな。」
父が大げさに驚いているのを見て、少し劉生は悲しくなる。いつまでもぼくは父の中で子供なのだと思ったからだ。確かに隆盛はまだ小学生出し、世間では子供なのかもしれない。それでも次の春になれば中学生だ。だからもうそろそろそんな子供を見るような目で自分を見ないでほしい。そう思っていたのだ。
「天体の本に書いてあったし、ニュースでもよく見るし。ぼくだってそれぐらい知ってるよ。」
だから、つい大きな声を出してしまう。父には何も悪くないのに、つい攻めるような口調になってしまう。
父は少し寂しそうに、また空を見上げる。ふと見ると、流れ母子が二人のそばを通り過ぎた。
「でも残念。流星軍はごみを乗せてるわけじゃないよ。」
「じゃあ、名に?光とか?」
「そんな難しく考えるなよ。」
父は、音もなくたかれていく星たちをカメラに収めていく。そして、シャッターを切りながら小さく言った。
「流星軍は希望を乗せて光ってるんだよ。」
「父さんって馬鹿なんだね。」
父親を馬鹿と呼んだのはこれが初めてだった。そんな意識は隆盛にはまったくなかった。しかし
気づいたら父にそんな言葉をかけていた。
「あんなの嘘だろ。星は願い事なんか何もかなえちゃくれないんだ。ただみんな、そうなってくれるといいって思ってるだけだよ。そんなの、絶対ありえないから。」
隆盛はそうはき捨てると、望遠鏡を父に返して、走って家に帰った。そんなことを言う父と、流星軍なんて見たくなかったからだ。そのとき、父の顔は見ないように、流れる星も見ないように、隆盛は下を向いて家まで帰った。
おやじには悪いことをしたと、高校生になった隆盛は、今でも強く反省している。ただでさえ悪いことをしたのに、誤ることもできないまま、おやじは星になってしまった。
「星野って、一人暮らしなの?」
高校に入ったばかりの頃、友人に効かれたことがある。弁当がいつも小さいからなのかもしれない。そういうとき、隆盛は少し言葉を詰まらせてから答える。
「いや…母さんと二人。」
「じゃあ、父さんはどこに住んでるんだ?」
「え、空だよ。」
それが隆盛のおやじの居場所を紹介する決まり文句だった。それ以外に、おやじの居場所を伝えられる言葉は見当たらなかった。
どれだけ謝ってもきりがない。おやじは星になって、流星軍の仲の一粒になってしまった。
おやじが死んだのは、隆盛が中学3年の冬。その日も、珍しい流星軍が見えるからと張り切ったおやじは、車を飛ばして、星のよく見える場所までいこうとして、隆盛を誘った。
隆盛はピアノの椅子に坐ってそれを断った。
「ピアノの練習しなきゃだからパス。」
「ピアノの練習なんか明日でもできるだろ?久しぶりに父さんと一緒に星でも見よう…。」
「やだって言ってるだろ?」
楽譜にいろいろとメモをしていた手が止まる。またおやじに向かって声を張り上げてしまった。本当はそんなことをしたくない。けれど、今は星を見たい気分ではなかった。来月に迫ったピアノのコンクールの準備で忙しいのだ。
そのとき、おやじは珍しく思った。
「なんだ!その言い方は!せっかく父さんが誘ってるのに!だいたいおまえは受験生なのにピアノばっかりやって!星を見たほうがずっと勉強になるぞ!そんなことでは、ろくな高校にいけないぞ!」
おやじが怒ったことはほとんどなかった。県下になっても、隆盛の前ではおやじがいつも折れていた。でもその日は違った。隆盛は初めて、おやじを怖いと思ったのだ。けれど、それを口には決して出さなかった。
「知ったような言い方すんなよ!おれはピアノで食っていくんだ。だから大した高校いけなくてもいいんだよ!」
「このご自制、学がないと生きていけないぞ!それに、おまえのピアノは、食っていけるほどのものが!なめた口を効くな!」
いつもの優しい親ではなかった。ただ、星を一緒に見ようと言っていたときのおやじではなかった。だから隆盛は怖かった。怖かったのに、父を突き放した。
「ふざけんな!えらそうなこと言いやがって!流星軍が持ってるのは希望だとか、ピアノで食っていけないとか!なめた口効いてるのはそっちだろ!おやじなんか…星になっちまえばいいんだよ!」
父が殴りかかる前に、隆盛は近くの楽譜ケースで父を追い払って、ドアの外に締め出した。それがおやじとの最後だった。
おやじは、そのあとビールを1杯飲んでから、星を見に出かけた。そのあと、丘のうえで、突然持病の心臓発作を起こして、丘のうえのもっとうえまで上っていった。おやじがいた場所には、望遠鏡とカメラが転がっていたという。
そのとき、隆盛はかすかに気づいた。あの流星軍は、確かにおれの願いをかなえてしまったのだと…。
隆盛にとって星が見える場所はピアノの椅子だった。そして、そのピアノを買ってくれたのは、ほかでもない、星が好きなおやじだった。おやじは星の次にクラシックが好きだった。
おやじが隆盛のためにピアノを買ったのは隆盛が幼稚園に上がったときだった。隆盛は、おやじがくれたその巨大な物体をものめずらしげに見つめた。それがまるで、巨大な宇宙船にも見えたし、望遠鏡にも見えたし、星の塊にも見えた。それをピアノというのだとおやじに効いても、隆盛はなかなかその言葉を頭の中で繰り返すことができなかった。
けれど、一度ピアノを触ってみると、そいつは宇宙船とか星の塊とか、そんな大それたものではなくて、隆盛の友人にもおもちゃにもペットにも恋人にもなりえる魔法の道具だったのだ。隆盛はそいつにで会うなり感動して、幼稚園からずっとそれを触り続けていた。
そして気づけば、隆盛はピアノをおもちゃとしては取り扱わなくなっていた。きちんとピアノの先生について練習に行き、コンクールにも出るようになった。おもちゃとしてだけピアノをいじるのには飽きたらなくなったのだ。
だが、名によりも彼がピアノを極めようとした理由がある。それは、ピアノを触っていると、彼は星を見ることができるからだ。
おやじの言うように、寒い中外に出て星を見にいかなくても、自分でピアノを弾いていれば、ピアノの中から星がきらめきだす。そいつを見ていたほうがずっと楽しい。なぜなら、自分で自分が好きなようにプラネタリウムをつくることができるし、自分の見たい星を自分なりに見せることができるし、名によりも、ピアノを効いている人たちに、星の光を見せることができる。こんなにいい天体望遠票もなければ、こんなにいい星空はない…。
そして、もう一つ、彼が本当の星を嫌った決定的な理由があった。
それは、小学校に上がってすぐの夏の日のことだった。その日は、コンクールの前の日だったのに、いつものように、父と星を見に言っていた。
「隆盛!今きれいな流れ母子が見えただろ?」
父は唐突に少し大きな声で言った。外は少し肌寒かったが、星を見るには絶好の空気がそこにはあった。
「うん。」
隆盛も明るく答える。
「あの星に何をお願いしたんだ?」
父の突然の質問に、隆盛ははっとする。星に願い事をするとかなうと言うのは、小さい頃からよく言われていたはずなのに、そのときはなぜだか、星を見ても願い事をしようという気にならなかった。
だから、あわてて願い事をする。そいつが流れ星だったかどうかは、今の隆盛は覚えていない。
「あのね…明日のコンクールで、優勝しますようにってお願いしたよ。」
「そうか…!あの星は1等星だから、きっと願いをかなえてくれるよ。」
父がそう言ったから、隆盛はルンルン気分になって、コンクールに望んだ。
しかし、それに有頂天になりすぎたのか、それとももともと練習が足りなかったのか、ピアノのうえにあったはずの星が輝かなかったのか、優勝どころか入賞すらできなかった。
小さかった頃の隆盛が、初めて星の効力を疑った、というより、信じるのをやめたいと思った瞬間だった。星なんて、願い事をかなえてくれるわけがないのだ。いくら願ったところで、星は輝くだけで、魔法を起こしたり、夢をかなえることはないのだ。星にそんな効力があったのなら、今すぐにでも宇宙飛行士になって、星のよく見えるところまで言ってしまいたい。けれどそんなことは、こんな小さな自分にはできないし、そもそも自分は宇宙飛行士になるよりもピアノをしていたほうが楽しい。
だからこそ隆盛は、ピアノから見えるはずの星を頼った。本当の星は願いをかなえてくれないからそいつなら願いをかなえてくれると思ったからだ。
幼い頃の短絡的な考えだと、今の隆盛にならわかる。けれど
そうなってしまった隆盛は、ピアノがなんでもかなえてくれると思い込むようになった。そうすると、昔のように純粋にピアノを弾こうとしても、なかなかうまくいかなくなった。
ピアノが見せる星の見方は楽譜というものにきちんと書いてある。そいつの書いていることを忠実に守れば、きっと星は輝く。逆に、そいつの言っている見方を守らなければ
きっとピアノは願いをかなえてくれない。ピアノは魔法の道具だけれど、そいつを手なずけるには、長い長い呪文をかけなければいけないらしい。
それを続けていくうちに、隆盛はメキメキと成績を挙げていった。いろいろなコンクールで優勝するようになったし、ちょっとした有名人にもなった。でも、別にピアニストになる気がその頃はそこまでなかったので、あまりたくさんのコンクールには応募しなかった。隆盛がしたかったのは、ただピアノから見える星を、思った通りに見たかっただけ。言いかえれば願いをかなえてくれるピアノの魔力に酔いしれたかったたのだ。
小学校5年生になったある日毎年出ているコンクールで演奏していたときのことだ。演奏中
隆盛はふと意識を失いかけた。ピアノに集中しすぎて意識を失うことはある。けれどそういう意識の失い方ではなかった。
なぜ意識を失いそうになったのかをはっきり説明することは難しい。ただあのときの隆盛は、確かにピアノを弾いていたのに、目の前で本当の星が光るのを見たのだ。その星の光の突然のまぶしさに頭が痛くなったのだ。だから意識を失ったのだろう。もちろん、そうやって冷静に考えようとしても、それが正解なのかどうかはわからない。
とにかく、あのとき隆盛は確かに星の輝きを見て、意識を失った。意識を失っていたとき、ふいにどこからか声が聞こえたような気がした。
「君の願いはなんだ?」
どこから聞こえた声なのかはわからない。けれど、遠のいていく意識の中で、その声は確かにそう言ったのだ。
ピアノの手を止めるわけにはいかない。いくら意識が朦朧としていようとも、ここはコンクールである。ピアノの手を止めてしまったら、それで星は消えて
いままで積み上げてきたものはなくなってしまう。そういうことを考える理性だけは、意識が消えかけている隆盛にもあった。
しかし、その理性を壊そうとするなぞの声が飛び込んできた。
「君の願いはなんだ?」
ぼくの願い…。いままで自分はどんなことを願って、ピアノを弾いてきたのだろうか。どんなことを願って、ピアノからこぼれ出た星の光を見つめていたのだろうか。
そもそもぼくは何か願いを持って、星の光を取り扱っていたのだろうか。
その瞬間に得た結論は、自分は星の光をただ見たい、そしてそれをお客さんに届けたいということが自分の願いだということだ。それを願いというのかどうかはわからないが、隆盛がたどり着ける結論はそこまでだったのだ。
それを心の中で答えようとしたら、また声が聞こえた。
「星は、そんな願いは受け入れられない。」
その声が聞こえたとたん、さっきまで消えかかっていた意識が回復するように、自分の弾くピアノの音がはっきりと聞こえた。しかも、心なしか、いままでよりもずっと自分の音がはっきりと聞こえるのだ。
こんなに中身のない、無機質なピアノを、自分は弾いていたのか。自分が見ている音楽が作り出す星はこんなにとがった光を放つだろうか。これでは、紫外線や爆弾の光よりも
人の目を壊し、耳を荒らし、心を崩す光になる。それを星と呼んでよいのだろうか…。そもそも星というのは、願いをかなえるためのものなのだろうか。
隆盛はあのとき気づいてしまった。ピアノは願いをかなえてくれる魔法の道具ではないということに。星というのはうつくしいだけで、何も願いをかなえてくれないということに。
小さい頃から自分の心の中に潜んでいた疑問が爆発するように、隆盛の手から力が抜けた。そして、星とピアノを押し付けてきた父に腹が立った。父のことを攻めたところで、七も変わらないことは知っていた。しかし知っているのと思うのとではまた少し違うのだ。
だからあの日、流星軍の話になったとき、あんなことを言ってしまった。
ただ、中学生になっても、隆盛はピアノをやめなかった。ピアノが魔法の道具でないことを氏ったからだ。魔法の道具でないなら、自分の力でそいつの中にある星を弾きだすしかない。いままでは楽譜に頼ったり、ピアノが出せる音に頼ったりしていたけれど、そんなものに限界をつくっていては星は見えないし見せられない。だって魔法の道具ではないのだから。
しっかりと現実を見よう。星は見るものではなくて自分で作り出すものだから、おやじみたいに、天体観測を楽しむ男にはならない…。そればかり考えていた。
だからあの日、天体観測に誘ってくれた父にひどい言葉を浴びせたのだ。本当におやじが星になるなんて、誰にも予想できなかった。もちろん隆盛は反省した。あんなことを言ったからおやじが死んだとも思っていた。しかしそこで自分を守ろうとするのが人間の悪いところだ。
死んだのは親父の勝手だ。星を見ていたら力が抜けて死んだのだ。発作は持病だったわけだし、薬を携帯していれば死ななかった。結局はおやじが馬鹿なだけで星のせいで死んだとか
自分の言葉のせいで死んだとか、そんなことを考える必要はないのだ。おやじは勝手に死んだ。自分が落ち込む必要はない。自分はただ、今を淡々と生きていればいい。星がどうとか、願い事かどうとか、ピアノがどうとか、そういうことで悩まずに、ただ淡々と…。
おやじに叫んだように、隆盛は将来、音楽関係の仕事に就くつもりである。もちろん音大を目指すことも視野に入れているが、とりあえず普通の高校には受かっておいたほうがいい。父が最後に叫んでいたことは一応守っておくことにして、高校は受験した。父の言う通り、ピアノ馬鹿利して、あまり勉強をしていなかったからなのか、正直いい高校には受からなかった。が、とりあえず行けるところは見つかったので、
これでいいと腹をくくることにした.
おやじの忠告なんて知ったことではない。
あのとき、ピアノからこぼれた星が願い事はなんだと尋ねたら、おやじから逃げられることと答えるだろう。それを星が受け入れてくれるかは別だが…。
「星野!」
雨が続いた6月のある日、一人で帰り道を急いでいた隆盛の後ろから、一人の少年が走っていた。制服に汗がしみている。そんな勢いで走ってこなくてもいいような気がすると隆盛は名半ば馬鹿にしたようなめつきで彼を見た。彼は目の冷めるような笑顔で
駅に向かう隆盛の名を呼んだ。
彼のことはよく知っていた。一応所属している天気研究部で同じだし、クラスも一緒のやつだ。名前がここまで出ているのに、まるで見えそうなところで流れ星が見えなくなるみたいにぼやけてしまう。
「名に?」
名前が思い出せなかったから、ついぶっきらぼうな言い方になってしまう。人前ではそんなふうな態度をとらないように気をつけているつもりだったのに、またぼろが出てしまった。
「あ、悪い。考え事のじゃましちゃったかな。」
少年は、汗のしみた制服に、消臭罪のようなものをまきながら答える。どこかすっぱい消臭罪のにおいが青空に飛んでいく。これが夏のにおいだと隆盛は思った。そのにおいが夜空の星になることはきっとないだろうけれど。
「いや、ごめん。急に呼ばれたからびっくりしちゃっただけ。えーっと…名前なんだっけ。」
「あ、おれ?青木だよ。」
そうだ…!まるで空の星くずがぱちぱち音を立てて光るように、彼の名前を思い出した。だからすっきりとした顔立ちで、青木を見ることができた。
「ああ、そうだ…。部かつ一緒だもんね。」
「そうだよ。クラスも一緒だし。ったく、忘れんなよ。」
青木は、少し大きな手で隆盛のかたをたたいた。そのたたき方が
コンクールの出番前に、よくおやじがしていたのとにていて、なんだか少しいやな気も下が、自然と腹は立たなかった。
「おれってさ、なんか考え事しながら歩いてるように見えるの?」
青木から話があったはずなのに、つい関係のない質問をしてしまった。隆盛の悪い癖なのかもしれない。
「いや…別にそうでもないけど。でもさ、星野ってさ、空をよく見てるイメージがあるんだよ。だからそれが、何かを考えてるように見えたのかも。」
そう言われているとそうなのかもしれない。毎朝空の色を気にして学校に行っている。帰りがおなると、星が嫌いなくせに、見える星の数を数えようとする。雨が降っているときは雲の切れ間を探そうとする。家の明かりのせいで星が見えないときはしたうちをしたりもする。
どうしていつも空を見ているのか。友人からの一言に
、自分はまともに答えられなかった。おやじの影を探しているから…そんな答えは、星くずが地球に落ちてきたとしても絶対に言いたくない。
「なるほどね…。」
みんながよく使う定番の答え方しかそのときはできなかった。
「それで、用件はなに?」
この話をあまり続けたくなくて、傾き始める太陽を気にしながら、話を進めようとする。また空の色を気にしていた。
「あ、そうそう。学園祭のクラスミュージカルの伴奏、やってくれないかと思って…。」
結局自分がしたくない話に話題が転換してしまった。
先週、クラスのホームルームで、今年の学園祭ではクラスでミュージカルをやることになった。音楽の好きな子が多いクラスだったからだろう。もちろん隆盛はそれには賛成だった。けれど自分は、ピアノを弾くのはおろかあ、歌を歌ったりするつもりはなかった。ただ、舞台の裏で設営を手伝うぐらいの役回りをしようと思ったのだ。
しかし、そう考える仲間は多く、結局ピアノやキーボードの伴奏をする人間の席が余ってしまった。
別に面倒くさいからピアノを弾かないのではない。音楽は好きだし、みんながそれをやる分には何とも思わない。けれど…。
「君の願いはなんだ?」
小学校の頃、コンクールのとときになぞの声を効いて以来、隆盛には疑念があった。自分がピアノを弾いたことによってこぼれ落ちた星を、効いている人たちがきちんと受け取ることができているのかわからなかった。それは自分のせいで受け取れないのではなくて、受け取ろうとしている人が、全然自分の星に興味を示さないかもしれない。だからあんな声が突然聞こえたのかもしれないと思うようになった。自分は、ただ音楽が見せる星を見せたかっただけなのに、それざ届いていないのだと、見えた星に言われているようだったのだ。もしそうなら、それは自分が悪いのではなく、効いている人が悪いのだ。言いかえれば、彼らは自分のピアノを効きたがっていないのだ。それなら、そんな人たちの前でピアノは弾きたくない。もちろん、コンクールは、自分の将来につながるので弾いてもいい。けれど、それ以外の、自分にとっては何も帰ってこないようなところでは、ピアノを弾いた
ところで、みんなそれに興味を持つ保証がないなら、弾く必要は絶対にない…。そういう論理が備わってから、隆盛は、コンクールと、自分一人でピアノを弾く以外は、人の前でピアノは弾かなかった。自分の願いが伝わらないのが、てても怖かったから…。
「だから…おれ、別にピアノそんなうまくないし…。」
できるだけ声の調子を落として話すように努力した。そうしないと叫んでしまって、何の罪もない青木のことを傷つけてしまう。
「何言ってんだよ!おまえ、コンクールとかめっちゃ出てるんだろ?頼むよ。おまえしかいないんだよ…!」
隆盛は正直に思った。こういうやつが一番苦手なんだと。人の気も知らずに、結果だけで人のことを判断して、その結果に裏打ちされたもので、その人を分類しようとするやつ…。父もそうだった。自分の尺度だけで人を見て、勝手に存在意義を決めつける。それに、おまえしかいないというのも気に食わない。この世界には、少なくとも自分のクラスには、自分と同じ才能を持った人はいくらでもいて、自分しかいないなんてありえないはずだ。星だってどれも同じで、結局光っているとには変わらない。
「おい、隆盛。あの星の名前って知ってるか…?あの星はなん統制か知ってるか?」
父が望遠鏡を除きこみながらよく口にしていた。どれも同じだろう…。小さいながらにそう思うことばかりだった。
だから、おまえしかいないだなんて、そういうことを兵器で言うやつは許せなかった。
「ふ…!」
叫びそうになるのをこらえる。誰も傷つけたくはない。特に
頑張って頼み込んできたやつを傷つけてまで断るのは少し違うと思った。
「悪いけど、おれは無理だ。ほかを当たってくれ。じゃあ、急ぐから…。」
「あ、ちょっと…!」
悲しそうに青木の背中を見ないようにして、隆盛は家に帰った。
自分が何をしたいかわからない。それが、人前でピアノを弾けない素直な理由だった。そんな状態でピアノは弾けない…。
けれど、よく考えれば、いままでこんなことばかり繰り返したような気がする。
そういう難しいことは考えたくなくて、ただひたすらにピアノを弾き続けた。ただひたすらに…何も考えずに。けれど、それは青木にピアノの伴奏を頼まれたからではない。いつもこうなのだ。
あれからしばらくした七夕の日、理科の授業で星の話が出た。あまり効きたくない話だったので、ノートを取らないようにした。白髪まじりの教師は、確か天気研究部の顧問だったような気がする。そいつはみんなの前で星座板を見せた。星座盤にはいろいろな星の名前が書いてあって、そいつがそれぞれの役割を持って星座をつくっていた。ロマンを感じる人たちは、先生の許可を得て、星座をスクショしたり、メモしたり、騒いだりしていた。けけど隆盛は違った。理由は二つあった。父のことを思い出したくなかったから。それと、星座板を見るよりも、楽譜を見たほうが、よく星の形がわかるからだった。
星をつなげれば星座ができるように、音符をつなげれば音楽になる。その音楽から見える星の形を、みんなは本当に知っているのだろうか。どうせ知らないし、知っているといる保証はどこにもない。どんな願いを唱えたって、かなえられる保証はない。
教師が見せた星座板のことで、なんだかむしゃくしゃしてきた隆盛は、その夜、父とよく星を見にいった、というより、見に行かされた丘に行って、星を見ることにした。
外はよく晴れていて、その丘の周りには、家もビルも少ないから、星をさえぎるほかの明かりはないに等しいはずだった。それなのに…隆盛の目が悪いのだろうか。望遠鏡の調子が悪いのだろうか。世界十の星が、隆盛を見て隠れてしまったのか。まったく星が見えなかった。少なくとも隆盛の目には飛び込んでこなかった。確かさっき教師は、今日は星がよく見えるし、なんなら流星軍が見えるかもしれないと言っていなかっただろうか。父のことを思い出して、もうそうしているだけだろうか。
「あ、星野じゃん。」
自分がそんなことに落胆していたからなのか、動揺していたからなのか、効き覚えのある声がしたのに隆盛が気づいたのは、少し立ってからだった。その声の主が、ぼーっと空を見ている隆盛の背中をたたくまで、隆盛は答えなかった。あのときと同じだ。
「あ、青木。」
「またおまえ、空見てたのか?」
「うん。」
あまり人と話したくはなかった。空にどれだけ目を凝らしても、そこにあるのは暗闇だけで、雲はないはずなのに、月も星も見当たらなかった。望遠鏡の向きを変えてもそれは同じだった。
「あのさあ…。」
青木は、何か大事な話をするように、壱岐をすってから言った。隆盛はまだ、自分に起きた小さな事件をなぞを解こうとしている。
「こないだ、悪いな。伴奏のこと。別のやつが引き受けてくれることになっよ。でもさ、譜めくり役だけでもやってくれるかなと思って。」
別に、楽譜をめくる係ぐらいならやってもいい。裏方中の裏方出し、大した仕事量でもない。それは大した問題ではない。しかし、そういうことではないと隆盛は思った。
正直、報告してもらわないほうがいらいらしなかった。ろんなことを報告されても、思い出したくないことを思い出してしまうだけだ。できればいやなことは、すべて忘れてしまいたい。少なくとも、違う人間から思い出させられたくはなかった。だからその報告を効いても
あまりうれしい気持ちにはならなかった。
けれど、そこで無表情でいるのも違うと思って、小さく笑ってみせる。
「わかった。ありがとうな…。」
お礼を言うのも違うと思ったけれど、いい言葉が見つからなくて、誰でも喜ぶ便利な言葉を選んでしまっている。情け内人間だと自分で自分に失笑した。
「いやあ…それにしても、やっぱり先生が言ったように、今日は天体観測日よりだぜ。」
笑いながらシャッターを押し続けている青木を見て、隆盛はそのカメラを壊すか、もしくは青木の目を奪って自分の目とすり変えてやりたいと思った。こいつは頭がくるったのだろうか。なぜそんなに笑っているのだろうか。なぜいつもこいつは大事なときに現れるのだろうか。こんなやつに興味はまったくないのに…。
「おまえ…星が見えうのか?」
こんなことを質問するのは、自分が大した人間ではないと認めることになってしまう。けれど、仕方のないことだった。事実として、隆盛は、青木が星を見ながら喜んでいる姿が不思議でならなかったのだ。
「何言ってるんだよ。七夕らしいめちゃくちゃきれいな星じゃん。あそこに見えるのが夏の第3角形だろ?デネブ・アルタイル・ベガ。こんなちゃんと星を見たのは初めてって感じだよ。そういやあさあ、今日流星軍…。」
青木の声がどんどん遠くなっていくような気がした。そいつの話している言葉が、宇宙から飛んできたラジオから聞こえる不安定な内容に思えた。こいつが話せば話すほど、こいつが興奮している理由がますますわからなくなる。
クウォンタイゼ?フェルマータ?クレッシェンド?そいつが話しているなぞのカタカナ用語の意味を、無理やり音楽用語にすり変えてみようとするけれど、絶対にそんなことは言っていないだろう。きっと自分ではない人なら、彼の言っている言葉の意味が、何のストレスもなくわかるのだろう。
「なあ、見えるだろ?星野も。」
「まあな…。でもあんまり、星のことはよくわからねえから。」
嘘だ!父がよく星の話はしていた。もしきちんとここにある星が見えていたら、あのなぞの言葉の意味だってわかる。けれど、青木のことも、丘のそばにある建物のようなものも、小さな無視も見えるのに、星だけが見えないこの世界のことを、隆盛は信じることができなかった。星のことは知っていても、今の隆盛にはそれがわからなかった。
突然、青木のスマホが暴れ出した。隆盛はあわててスマホを耳に充てる。
「あ、滴姫?悪い悪い。先言ってた。下まで迎えにいくよ。」
青木はスマホを片手に、丘を早歩きで下っていった。それに合わせるように、夏の少し涼しい風が吹いてくる。まるで、自分以外の世界は、自分とは少し誓う周り方をして、明日に向かっているようだった。自分だけが、少し曲がった方法で、明日に向かって走っているようだった。
きっと自分には見えないだけで、今も流れ星が流れて、その星に向かって願いを唱える人たちがたくさんいるのだろう。自分には、それが今はできなかった。願うべき星が見えないのだから。
ふとそのときに、あのなぞの声を思い出した。
「君の願いはなんだ?」
星が見えなくなるなくなる減少はそれからも続いた。それが本当なのかを試すために、好きでもない天体観測を続けたけれど、隆盛の目は星をとらえられなかった。カメラにそれを収めたと思っても、カメラに残るのは真っ暗な空だけだった。少なくとも隆盛にはそう見えた。
好きでもないことを続けるというのは実は普通の人が思うよりもずっとつらい。人生を自分が本当に生きているのかどうかもわからなくなるような気分になる。天体観測をしているとき、普通の人は宇宙へのロマンを口にする。けれど隆盛が口にするのは、嘆息と絶望と迷いだった。
自分は何が好きなのか。自分は何を希望として生きているのか。星が見えないとわかってからの隆盛はそればかり考えていた。いままではピアノが好きだと思っていたけれど、はたしてそれは本当なのか。
ただ、ピアノを弾いているときだけは、ほかのことをしているときよりも幾分安心できた。それは、一応ピアノの音が星のように聞こえてくるからだ。やはり音楽というものは、宇宙よりも確実に本当の星をつむいでくれる存在になってくれる。
楽譜を見ていると宇宙よりもずっと遠くにつれていってくれる。けれど、楽譜だけでは薄っぺらいところにしかいけないから、自分なりにその星の位置を変えてみたり、少し違った音で弾いてみたりする。すると
いままで見えなかった星が次々に見えてくる。音楽の宇宙は無限大でどこまでも広がってくる。
一応これを楽しんでいるということは、まあ好きだということなのだろうか。そういうかすかな希望があるからまだピアノを弾くことがぢきる。
けれど、ピアノを弾いていると、ときどきあのなぞの声のことを思い出してしまう。そして考えてしまう。自分がピアノを好きなのは事実だけれど、なんのためにそれをしているのかははっきりとしていない。好きだということと、希望を持つということとは違う。つまり、隆盛は本当の星を知らないのだ。
でもとりあえず、少しでも好きなことは極めたい。だから、少し暇をつぶすように、
いつも応募しているコンクールに申し込んだ。
けれど今年のコンクールは、あまり気分が乗らなかった。コンクールに気分が乗らなかったというよりは、最近の隆盛の人生が
真っ暗に見えるのだ。隆盛が失ったものは、父親だけではないのかもしれない。
夏はあっという間にすぎて、日はどんどん短くなっていった。季節が少しずつ冬に近づいていくたびに、隆盛の中の焦りはどんどん増えていった。楽譜に書き込むメモの量もスピードも変わった。ピアノを弾くときの手の間隔も、前よりずっと敏感で鋭く、けれどどこか機械的になってきた。暇つぶしのはずに申し込んだはずのコンクールなのに、とても本気になっている自分がいた。本気になった理由は、とにかくピアノを弾いていれば、自分がたまに考えてしまう悩み事を忘れられるからだ。その悩み事というのはやはり
星が見えないという話だった。
あの日以来、隆盛は何度も星を見に出かけた。けれど、頑張って星を見ようとすればするほど、そいつはまるでどこかに
落ちてしまったみたいに、隆盛の目を通り抜けてしまう。家の明かりのせいかもしれないと思い込もうとするけれど、別に周りに家があるようにも思えないようなところを選んで星を見ていた。
それに、自分と同じように星を見ている人たちは、その星がどんな星で、どれぐらい切れなのかを知っていて、そいつをカメラに収めようとしている。自分にはそれがまったくわからなかった。わからないのは、星の名前を知らないからではなくて、自分の目がまるでそいつを無視するように、視線からこぼれてしまうのである。
「なあ、きれいな星だろ?」
「全然よくわかんないや…。」
「もう、隆盛ったら!そんなんじゃロマンがないぞ!」
「ロマンなら音楽のほうがずっとあるもん!」
「なあ、隆盛。星はなんのために輝いてると思う?」
「知らない。」
「それはな…。」
あのとき父はなんと言ったのだろう。父はいくつ星の名前を知っていて、いくつの星を見ることができるのだろう。父はどんな希望を持って、空に瞬く星を見ていたのだろう。父は今
空のうえで何を思うのだろう…。
大切なものの存在は、そこで光りを放っているときには、大したものには思えない。太陽も月もそうだ。そいつばまぶしい光を放っていたり、うつくしくをわらかな月光を放っているときは、そいつがあるのが当たり前に思えて、どうでもいいものに思えてしまう。けれど
仮にもしそれが、永遠に取り戻せないものになってしまったとしたら…。
おやじと話をしておけばよかった。おやじに星の正しい見方をきいておけばよかった。けれど、どんな後悔をしたところで、それは後悔でしかない。それ以上先へは進めない。今日が明日になったり、夏が秋になったり、楽譜のページをめくったりするととは違う。
後悔が後悔でしかないことにすらいまさら気づいてしまった自分を知ったとき、隆盛は、何がなんだかわからない気持ちになって、星を見るのをやめようと思った。
しかし、明日になったら星が見えるようになっているかもしれないと思うとまたおやじと上った丘に望遠鏡をかついで出かけていくのだ。
後悔が後悔であるのと同じで、彼の星を見る目は全然回復しなかった。そういうことをどんどん隆盛が繰り返していった。まるで同じピアノ局のかしょを弾くように。同じかしょを弾いても違う間違いをするように…。
その日はとても晴れていた。夜になったらきっと星がきれいになりそうな空だった。けれど、隆盛の心の中には、一つの星すら瞬いていなかった。どうせ自分の心にも目にも星はきらめかない。ピアノを日河合と星はきらめかない。ピアノを弾いているときですら、きらめくかどうかわからない。というのも、最近はピアノを効いているときにも、心の中の何かのせいで、音楽の星すら見えにくくなっているからだ。自分がピアノを好きでやっているのか、それとも自分にとって星が必要だからそういうことをしているのか、今の隆盛にはわからなくなっていた。
そんな中で迎えた晴天の秋晴れの日。隆盛はコンクールに出場することになった。
いつもピアノの椅子に坐ると、普通の人がプラネタリウムを見たり、天体観測をしたりするときのようなわくわくした気持ちに包まれるはずだった。しかし今日はまるで、深い海の底に飛び込むような気持ちだった。自分は生きて帰ってこれるのだろうか。何か小さな光でも見つけられるのだろうか。そもそも自分には光を見るぐらいの視力は残されているのだろうか。
ピアノを弾き始めても、自分の手が重いのを感じた。思うように動かないのではなく、弾いていても自身が持てなかった。どんどん手から音がこぼれていくような気分になるのだ。だんだん指が固まっていくような気分だった。また一つ音を落とした。急いで拾わなければと思うのに、その音は風に飛ばされるみたいに消えていく。そういうことを繰り返しているような気がする。いったいいくつ音を落としたのだろうか。そもそも自分が持っていた音はもともとどれほどあったのだろうか。
「隆盛?」
おやじは、つまらなそうに望遠鏡を見つめる隆盛に声をかけた。
「星はなんのために輝くんだと思う?」
「知らない。」
「それはな…明日を照らすためだよ。」
まだ星の魔力を少し信じていた、幼い頃の頃、父はそんなことを話していた。小学生だったが、未就学児だったかは忘れたけれど、父の優しい言葉がとても難しく聞こえたことだけは覚えている。
明日を照らすといわれても、星がどうして光っているかを天文学的な意味からも知らない隆盛にとっては、答えになっていないほど難しい話だった。
「明日を照らすの?」
「だって、星はみんなの願い事でできてるんだから。」
隆盛はものめずらしそうに、父の話を効いていた。望遠鏡の無効で小さな星が瞬いたような気がした。
「え?星はみんながお願いをするためにあるんじゃないの?」
「もちろんそうだよ。でもね、みんなのお願いがないと星は輝かないんだ。隆盛にだってお願いしたいことはあるだろ?」
「そりゃたくさんあるけど…。」
さっきまできらきらと目を輝かせていた隆盛は、急に下を向いた。星なんて転がってないような地面を見た。
「でも、どれだけお願いしたってかなうのかわからないもん。」
「じゃあお願いしないのか?」
「だって怖いもん。」
「いいか隆盛。」
おやじは優しかった。そっと隆盛のかたを包んでくれた。けれど、そのときのおやじは、どこか厳しい目をしていた。
「お願いをしなかったら絶対にかなわない。でも、お願いをしたらかなうかもしれない。だって、願わなければ、星は隆盛がどういうことを思ってるのかわからないから
お願いをかなえたくてもかなえられないんだ。だから、怖くてもお願いしたほうが、星はきっと輝くよ。」
「ほんとうに?」
「ほんとだよ。お父さんを信じろ。いや
、星を信じろ。大丈夫だって。ほら、こんなにきれいな星がちゃんと輝いてるんだから、お願いの一つや二つはかなうさ。」
「どんなお願いでもいいの?」
「もちろんだとも。」
隆盛は、自分の中でお願いしたいことを考えた。考えれば考えるほど、そいつは流星軍みたいに押し寄せてきた。
「ほら。流れ星だ。お願いするなら今だぞ!」
おやじが強くかたをたたいた。それが痛かったからなのか、お願いしたいことが多かったからなのか、隆盛の目から次々と涙があふれてきた。
「もっとピアノの難しい曲が弾けるようになりたい。逆上がりがりできるようになりたい。自転車に乗れるようになりたい。字がもっと読めるようになりたい。嫌いな野菜をた経られるようになりたい…。」
小さい子がねがいそうな願い事をたくさんして、それがかなうのかわからなくて、涙が止まらなくなった。けれどそんな小さな願い事を、星もおやじも受け止めてくれた。星はしっかり輝いていたし、おやじはしっかりと体を包み込んでくれた。
「星だってピアノだって自転車だって、そして自分自身だって。何か願い事を持って、そいつをちゃんとお願いしないと、前には進んでくれないんだ。だから、星がお願い事でできてるのってそういう意味なんだよ。星は願いを乗せて、そいつで大きくなってるんだよ。」
ないている隆盛のかたをそっとたたきながら、おやじはそう語りかけた。あのときおやじが言っていた言葉の表面的な意味はわかっても、その言葉の重みを隆盛が知ることになるのは、ずっと先のことになってしまった。
あの日以来、隆盛は大人になるにつれて、星に願う願い事がどんどん減っていった。どうせかなわないという思いが強くなっていったし、何よりピアノのコンクールの願い事をかなえてもらえなくて腹を立てたのだ。父に星の材料を教えてもらったあの頃より大人になっていたはずなのに、そんな小さなことで、隆盛は星を信じるのをやめた。だからおやじのことを突き放したし、星の招待を知ろうともしなかった。大人になるということは、少しずつ星が何でできているかに興味を持たなくなることなのだと隆盛は思った。
気づいてみると、自分はいったい何が好きで、これからどうしていくのかわからないまま、本気で夢をみることや本気で願い事をすることがわからないまま、ただピアノを弾いていた。ピアノは好きだから弾こうと思っていたけれど、本当に好きならば、何かピアノを弾く理由や願いがあるはずなのに、そういうものを一つも持たずにピアノを弾いてきた。なぜなら、ピアノは音楽の星を勝手に作り出してくれる魔法の道具であるかのように思えたからだ。けれど、車がエンジンでは動かないように、星が勝手には光らないように、ピアノだって勝手には弾けない。手があれば弾けるというけれど、手というのはもともとピアノにくっついている部品みたいなものだからだ。あるものがなければ手すら思うように動かせなくなるのだ。ピアノを動かせるエンジンとは、光とは、ほかならぬ願い事であった。楽譜があれば星の見方がわかるなんて、ほとんど根も葉もない話なのだ。楽譜というのは確かに星の見方を示してはいるけれど、そもそもその星がどうしても見えないのは、星をみるための願い事が足りないからだ。ピアノは魔法の道具でもなんでもない。自分の希望や夢なくして、それはただの巨大な台に過ぎない。
星が見えない理由に、隆盛は気づいていたはずだった。ピアノを弾いても全然気持ちがわくわくしない理由を、隆盛は知っているはずだった。自分が知っているのに、知らないふりをすることほど簡単なことはない。
見えているはずの星を、見えないふりで交わすことほど簡単なことはない。そんなことをしていたら、等々隆盛の目の前から星は見えなくなってしまった。
おやじは大切なことを話してくれていた。おやじは大切な星の名前を教えてくれていたはずだった。それなのに…。
どれだけ後悔をしても、空に消えた人は戻ってこないし、流星群はどこかに行ってしまう。願いをかなえられなかったと後悔したところで、それは変わらない過去になって、誰にも見えないところまでは飛んでいく。おやじがそうだったように。
星に向かって、なきながら小さな願い事をしたあの頃のように、自分の心の奥にあるはずの願いや夢を叫ぶことができたならば。自分のわくわくした情熱を持ってピアノを弾いたならば、どんなにきれいな星が見えるだろうか。
遠のいていた意識が少しずつ戻ってくるように、今できること、やりたいこと、伝えたいことが個見上げてきた。星というのはどんなに美しいものなのか。ピアノからこぼれ出た星はどんなふうにして伝えればいいのか。頭の中でたくさんの音のない希望の光があふれ始めた。
ピアノがしっかりと指を抑えている。頭の中には、楽譜をみた記憶も、楽譜に書き込んでいた目もの記憶も全然ない。 それなのに、今隆盛の目には確かに、星の瞬きが見えた。そして、それは自分の手ではなく、心が作り出していることがわかった。ピアノという空のうえを、自分の細い指が駆け回るたびに、いろいろな光を放つ星が散らばっていく。それを観客がどう受け取るかはわからないけれど、星が確かに散らばるのを隆盛は知った。
結局、コンクールの結果は満足の行くものではなかった。けれど、休憩時間に、なぜかたくさんの客が、なきながらかけよってきた。人々は口々に、美しい演奏だったと口をそろえた。皮肉なのかはわからないが、コンクールの会場ではないと思ったと口をそろえた。
「おい、星野!」
その中に、み知った顔があった。いつものような笑顔で、隆盛にかけよってきた。少し前まで隆盛は彼が大嫌いだった。けれど、今そいつの顔をみると、そいつが晴れ男だからとかではなく、妙に晴れ晴れとした気持ちになったのだ。
「やっぱりおまえの演奏はすごいよ。だってさ…おまえの演奏聞いてたら、星が見えたもん!」
その言葉を聞いた瞬間、なぜだかわからないけれど、隆盛の目から星が流れ出した。誰にも止められないほど大きくて輝くそいつが、一気に流れ出していた。それがどんなことを表しているのか、隆盛自体にもわからなかった。ただ一つだけ確かなのは、星は確かに願いを乗せていて、そいつは確かに願いをかなえてくれるということだけだった。
「頼む!1曲でいいから、学祭のミュージカルの曲の伴奏、弾かせてくれないか?」
だからこそ隆盛は、青木に頭を下げた。クラスメイトに頭を下げるつもりはなかった。けれど、自分の持っている希望こそがそうさせたのだ。突然の隆盛の発言に、青木は驚くというのが当然の流れだろう。ところが彼は至って冷静だったのだ。
「ったく…。世話の焼けるやつ出せ。」
青木はそれだけいうと、隆盛のそばから離れていった。
それがどういう意味なのか、隆盛はわからなかった。けれど、青木のことだから、きっと何かはしてくれると期待した。なぜなら彼の言葉のおかげで、自分の中にためていた涙を流すことができたのだから。
数日後、家のピアノの前で、ミュージカルでやる曲の楽譜を見つめながら、わくわくした気持ちで練習をしている自分がいた。いままでと違って、指は軽やかに動き、心は確かに星を見つめていた。指もピアノも、そいつを動かしている願い事は一つだけだった。自分が楽しんで演奏して、お客さんもそれを聞いて少しでもえがおなりますように。そんな、よくある願い事だった。
星が乗せた願い事は、きちんと観客に届いたようだ。みんな笑顔で演奏を聞いてくれた。ピアノからこぼれた星は、確かに美しい光を放って散らばってくれた。星に願いを乗せることというのはとても難しいけれど、それをすればできることは数えきれない。この世界に存在する星がそうであるように。
「珍しいな。おまえが星をみようって誘うなんて。」
青木は、重そうに望遠鏡をかつぎながら、一生懸命丘を上っている。季節はすっかり、澄んだ空気が広がる冬になっていた。その非は、本当に星が降ってきそうなほど、どこまでもよく星が見えた。おやじがもしこの星をみることができたならば、何枚写真を撮ったのだろうと思えるほどだ。そもそもおやじは、この空のどこで写真を撮っているのだろう。望遠鏡をかついでいるのだろう。
「よくみてろよ、青木。もうすぐ西の空から流星軍が見えるから。」
「おまえ、天体観測なんかするキャラだっけ?」
すっかり彼の勢いに押されてしまった青木は、驚きと、そして小さな喜びを胸に空を見上げた。確かに星はたくさん見えるけれど、流星軍はまだやってこない。
「あそこに見えるのって、冬の第3角形だろ?あれ、ベテルギウスとシリウスと、もう一つは何だっけ?」
確か同じ質問を、隆盛もおやじにしたことがあったような気がする。夏の第3角形はよく名前を聞くけれど、冬にもそんなものがあることを知ったとき、そんな質問をおやじにしたのだ。おやじは懇切丁寧に開設をしてくれたけれど、結局星の名前なんて興味のなかったその頃の隆盛は、眠ってしまったか、話を聞かずにどこかに行ってしまったのだと思う。そのときのことを必死に思い出そうと、望遠鏡の中に見える星を一つずつ見つめていく。こんなに輝いているものが天田あるのは、たくさんの人が夢を持って願いを込めている証拠なのだろう。
「そうだ!プロキオン!」
ふと頭の中に飛び出してきた文字列を、まるで夢をかなえる技のように叫ぶ。どこかすっきりした気持ちになる。おやじは確かに、星をみるためのかけらを残してくれていたのだ。
だが、そうやって元気よく叫んだ隆盛とは裏腹に、青木はふーんとつまらなそうにため息をつく。ため息をついたのは、つまらないのではなく、隆盛が突然星のことを楽しげに話すようになったからだ。
「あ、見えた!流星軍だ!」
隆盛は何枚もシャッターを切った。おやじがそれをみることができるように、星を見ている誰かの願いを収めておくために。
自分は今どんな願いを乗せることができるだろうか。もしこの星がどこまでも輝いたとして、どんな願いをかなえてくれるだろうか。
「なあ、青木。」
「なに?」
天体観測に飽きた青木は、すっかり本を読み始めていた。なんて損をしているんだと笑いたくなったが、昔の自分をみているようで切なくもなる。
「流星軍が乗せているのはなんだと思う?」
「知らない。光とか?」
隆盛はまっすぐ星をみて答えた。
「希望だよ。」
美しくどこまでも広がる空に向かって、隆盛は願いをかけた。それは、きっとかなわないだろうけれど、絶対にかなえられる願い事だった。
自分が星になる前に、星の見方を教えてくれたおやじへの感謝を、生きて返せますようにと。そして、誰かの願いがかなうように、星の光を大切にできますようにと…。
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