月光エアメール

月光エアメール

上月美香

「ねえ、光。」

「どうした?」

「今度はいつあえるの?」

「あと二十日後だよ。それ昨日の夜も聞いてなかった?」

「だって会いたいんだもん。」

「おれだって会いたいよ。」

「ほんとにそう思ってる?」

「思ってるさ。」

「ねえ、寂しいよ。」

「しかたないさ。1カ月に1回だけ会うって決めたんだから。」

「そうだけど…寂しいよ。」

「頑張るしかないよ。」

「今度会ったら抱きしめてくれる?」

「もちろんだよ。」

「これからも一緒にいてくれる?」

「一緒にいるに決まってるだろ?」

新月の夜、少女は、スマートフォンの画面を見つめていた。画面の無効にいるはずの彼の手を握ろうとしたけれど、そんなことができないことを知っているから、ますます画面を見つめてしまう。

「一緒にいるに決まってるだろ?」

まるで世界に何もないような新月の夜の中で、彼から届いた最後のメールに、南砺返信をすればいいのかわからなかった。だって今自分は、彼と一緒にいることはできないのだから。

一緒にいるにきまっているなんて、どうして彼はそんな優しい嘘をつくのだろうか。

優しい嘘よりも、ほしいのは温かい彼のぬくもりなのに。

上月美香が霜月光とであったのは、二人がまだ中学生のときだった。光はモテモテの水泳部員、美香はさえない美術部員だった。そんな対象的な二人を結びあわせたのは、小さな満月だった。

「ここにいるのはぼくだけかと思ったよ。」

中学3年生のある満月の夜、光は驚きに満ちた表情で美香に声をかけた。場所は、街のはずれにある、古い天文台だった。確かに星や月がよく見える天文台ではあるのだが、ここで天体観測をする人は最近ではめったにいない。天体観測をするならば、星が好きな地元の老人たちぐらいなものだろうか。

とにかく、毎晩月をみに、この天文台に訪れる人、ましてや中学生なんて、自分だけなのではないかと、光はかすかに思っていた。

「ごめんなさい。邪魔でしたか?」

「そんなことないよ。あと、敬語はよしてくれ。同級生じゃないか。」

「そうだね…。つい緊張してしまって…。」

美香も美香で、クラスは一緒だけれど、自分とは全然存在している場所が違うように思えた光と話せて、うれしいような苦しいような気持ちになっていた。しかも、満月の夜には必ず天文台に行くという変わった趣味を、こんな人に知られるなんてという恥ずかしさもあったのだ。実は美香も、そのとき勝手に光に恋をしていたのだ。

「ここ、あたし満月になると必ずくるんだよね。」

「奇遇だね、ぼくもだよ。」

「天体好きなの?」

「まあそんなところ…。」

「そんなところって…?」

二人はなんとなくお互いに察しがついていた。この二人が、ただの天体図気ではないことを。

「もしかしてそういうこと?」

「もしかしてそういうこと。」

光は、美香の言葉の疑問府を、ただの句点に変えるように、調子を変えたオウム返しでそう言った。

「こんなところで出会っちゃうなんて。月属性の天候生に。」

「ぼくもびっくりだ。道理で、この街にぼくみたいな物好きは、月属性の天候生以外に考えられないと思ってたんだ。」

「あたしもびっくり。でもさ…。」

美香は少し表情を曇らせて会話を続けた。

「あなたが月のような存在なのはわかる。でもあたしなんて…ただの新月みたいに

何も見えない感じがする。」

「そうかなあ…。むしろ、ぼくは月属性には向かないと思う。」

光は笑いながらそう言った。

「どうしてそう思うの?」

美香は、光が皮肉を言っているように思えたのだ。こんなにも光り輝く人生を送っているのに、どうして自分はつきにふさわしくないと、彼は言えるのか、頭の悪い美香にはわからなかった…と今の美香は思っている。

「月の光が強すぎるのはよくないんだ。月は目立たないぐらいの小さなを放つから、人の心を落ち着かせ、夜の深淵を照らせる存在になれるんだよ。強い光を放つのは、星で十分なんだ。」

「何が言いたいの?」

美香には、まだそういう難しいことが、完ぺきには理解できていなかった。理解していたけれど、はっきりと光の口から聞きたかったのだ。

「ぼくは目立ちすぎてる。割る目だ散ってやつだよ。そんなつもりはなかったんだけどね。君でちょうどいい…。君がちょうどいい」

「なんだかほめられているのかいないのか…。」

美香は、どんな表情を浮かべていいのかわからなくて困った。光にどんな感情を抱いているのか、その言葉だけではうかがい知れない。

「君が月にはふさわしいんだよ、本当は。」

「あたしがつきなら、あなたは太陽…って、そんな言葉を言ってほしいの?」

「ははは。君はロマンチストみたいだね。でも…ぼくが太陽になったとしても、ただ光を放ってるだけで、誰かを照らすというよりは、自分の存在だけが誰かに見えてるみたいになるから、太陽でもないさ。」

「そんなに自分を攻めないでよ。でもあたしたち、にた物同市だね。自分を認められない存在だから…。」

美香は、少しずつ言葉を選びながらそうつぶやくことで、自分の中の感情を整理していた。しょせん、世界中の人が自分の存在をほめたたえても自分だけは自分を見ることができない。それを一番わかっているのが、自分と、今隣で天文台に立っているこの人だけかもしれないと思うと、なぜだかうれしくなった。

「君はおもしろいことを言う人だな。それを聞いて、少し楽になったよ…。」

二人はそのあとも、たあいのない話を続けて

、その日は分かれた。その夜に天文台で見た月は、いままでの満月よりもずっとリンとして、ずっと輝いていて、ずっと月の存在を主張していた。

それから3回目の満月が来たとき、運命は変わった。

また二人で天文台でくだらない話をしていた。これが二人の最近の習慣になっていたからだ。けれど、その話が少しとぎれたとき、光が大きな月を、まるで手に抱えるようなポーズをとりながら、なんでもないことのようにつぶやいたのだ。

「しかし…今夜は月がきれいだね。」

そのことばを きいたとき、美香は、普段眠くてあまり聞いていない英語の授業のことを思い出した。

「上月さん、I love Youを日本語に訳してください。」

声の高い女の先生が、美香を指名した。美香はうつらうつらしていたので、あわてて先生のほうを向く。別に難しい英文でもない。こんな文章ならすぐに訳せる。そう思って、けれどそんなに自信もないので、ゆっくりと答えを言った。

「わたしはあなたを愛しています…ですか?」

「そうですね。じゃあそれを、もっと自然な日本語で訳してもらえますか?」

先生の言っている意味がよくわからなかったけれど、美香はなんとか自分の思う自然な日本語で訳して見ることにした。

「だいすきです…とかですか?」

「はい、そのとおりです。けれど…ある人はとてもうまく強い訳を残しているんです…。」

先生は、まるで新種の生き物でも発見して、そいつを紹介するみたいに、とても楽しそうな表情で、その訳について説明した。

「皆さんも聞いたことがあるでしょうが、夏目漱石という人がいたんです。その人は物書きだったのですが、英文学者でもあったんです。そんな彼が、I Love Youをこう訳したんです。『今夜は月がきれにですね、と。』」

「あの…光くん。それって、額面通りに受け取っていいのかな。」

美香の中で、光は、こんなめんどくさい方法で、誰かに告白するイメージはなかったけれど、もしもとことを考えたのだ。あの女の先生が言っていたことが本当なら、本当でなかったとしても、男の人がこの方法を使うのか、それがわからない以上、身構えるしかなかった。

「どういうことかな…。」

それは、困った笑い顔ではなく、何かを革新したような、喜びに満ちた笑顔だった。だから美香は、頬を赤らめて考えるしかなかった。

「誰かが投げたボールをどう受け取るかは、受け取る人次第だから。つまり、さっきぼくが言った言葉をどう受け取るかは、君次第だよ。」

光の言葉なんて、美香はもう聞こえていなかった。自分とはまったく逆の存在だったはずの光に、自分が絶対に手をつなぐことができないと思っていた彼に告白されるなんて、思っても見なかったのだ。彼はたくさんの女の子たちの注目の的で、たくさんの人が彼と手をつなぎたいと思っていたはずだ。それなのになぜ彼はその中から自分を選んだのだろう。

けれど実際、美香は光のことが好きだった。できることなら彼と手をつなぎたいと思っていた。一緒に月を見上げていたとき、この上ない幸せな気持ちになっていたのは事実だった。けれどその素直な気持ちを受け入れて、本当によいのだろうか。こんな幸せが自分に線って来て、本当にいいのだろうか…。

そのとき美香は革新した。そのときに見た月が、本当にきれいだったから、光を好きな自分を受け入れようとしたのだ。

「そうですね…月…月がきれいだね。大好きだよ、光くんがだいすきだよ…。」

大きな満月の下で、二人は人生最初のキスをした。満月は柔らかい光を放って、二人のしあわしぇを祝福した。

あれからもうすぐ1年だ。あの日、大きな月が出たのは、中秋の名月だったからだ。あれから秋が深まって、もみじが赤く染まって、雪が降り始めて

冬の冷たい風を乗り切って、春の暖かさに救われて、夏の暑さに精製して、二人とも都市をとった。

季節が変わったからなのか、二人はもうあのころとはかなり様子が変わっていた。もちろん二人は今でも愛し合っていた。少なくとも美香は、二人はお互いに愛し合っていると思っていた。

しかし、二人は今一緒にはいられなくなっていた。二人の人生が二人を引き離した。

光の親が、急きょ遠くの街に引っ越すことになったのだ。一人暮らしをしたいと光は親に頼み込んだが、交渉はうまくいかず、結果として親についていくことになってしまった。光はそれを理由にして、文武糧道の偏差値の高い、遠くの街の高校を受験し、結果的には合格した。そこで二人は遠距離恋愛の道を進むことになる。

二人は、まだ肌寒い春の日に、約束をした。両親や大人が反対したとしても、1カ月に1回は顔を合わせようということになったのだ。光は今の街が好きだから、会いに来るのは自分でいいと言った。その代わり、美香が彼の交通費を支給する。それでイコールということになった。会うのは満月の夜後いうことも堅く守ることにした。合った日は、天文台のうえで、この1カ月にあったことを思う存分話そうということにいしたのだ。その次の日に学校があろうと、その約束が再優先だということになったのだ。

春の日に交わしたその約束は問題なく守られていたし、二人の合いの堅さは変わらなかった。変わったのは、美香の気持ちだった。

気持ちが変わったのではなく、美香にとっては最初からこういう結末が予想されていたのかもしれない。

美香は、光の将来を応援したかった。親の転勤が理由で街を離れるというのは本当だが、この街にはない水泳の強い高校に行きたかったという彼の思いは知っていた。きっと高校になれば、彼はますます部活に打ち込んだり、学業に打ち込んだりするだろう。けれどそれが光にとっての楽しみだということもわかっていた。

だから、1カ月に1度天文台で会うという約束があれば、自分は大丈夫だと言い聞かせていた。光の夢を優しく応援して、光が遠くの街で精いっぱい頑張れるようにそっと寄り添っていられるようにすればいいと思っていた。自分の心の奥にある本当の気持ちは伝えてはいけないと思っていた。

けれど、美香にとってそれは限界だった。1カ月に1度会うという鎮痛剤みたいな約束だけでは、美香の気持ちは満たされなくなっていった。

付き合ってから、美香と光は毎日のように天文台で会っていた。週末は遠くに出かけたりもした。一緒にいるとき、美香はほかの人といたり、ほかのことをしている以上に幸せな気持ちになれたし、全然気を使わずに過ごすことができたのだ。こんな日々がずっと続けばいいと思っていた。

しかしそんなときに訪れた突然の遠距離恋愛に、美香の心はついていけなかった。毎日感じていた幸せが感じられなくなる。ずっとそばにあった手が離れていく。一緒に見ていたはずの月がかすんで見える。1カ月に1回の約束が、100年に1度の奇跡のように思えていた。会えなくなればなるほど、どんどん美香の中で

彼の存在が大切だったということに気づいていった。

次第に美香の口癖は、大好きからずっと一緒にいてに変わるようになっていた。美香にはもっとたくさんの会いの鎮痛剤が必要だった。

「悪いけど、テスト前だから、メール返すの遅くなるよ。」

月が少しずつ満ちてきて、記念日が近づいたある日、無機質な光のメールが、月の下でそっと光を放った。そんなメールをみても、美香はもう何も感じなくなっていた。それが光の本心だということには、ずっと前から気づいていたはずなのに、美香の中には大きな不安しかなかったのだ。不安というのは、光を苦しめてしまっている自分の存在に対する不安と、光が遠くに離れていってしまうのではないかという不安だった。光は学業やスポーツに打ち込んで、一人でいる道を選ばないだろうか。

自分と一緒にいることに、多少なりとも不満や失望は感じていないだろうか。たとえ失望や不満はなくても、自分一人で生きていくことのほうに楽しみを見いだしてはいないだろうか。かすかだけれど確かな不安が美香につきまとっていた。

そんな美香の不安を知っているのか知らないのか、月の光はただやさしく、美香のスマートフォンの画面を照らしていく。この月光の先に、愛する人はきっといる。それなのにその人とのアイをしっかりと確かめようとすればするほどに、月の光を尊さと、愛する人との距離の遠さを実感する。愛する人は、どこか遠くにある、別の月をみているような気がする。

結局、毎日必ずメールで連絡を取り合うようにしようと言ったのは美香だった。光は最初すぐに承諾した。毎日天文台であえない代わりに、月の下でメールを打つことも悪くないと思ったのだろう。しかし、その光の笑顔も、だんだんと嘆息に変わっていくようになった。即座に帰ってきていたはずの月の光は、月が満ちていようといなくとも、だんだんとかえってくる速度が落ちていった。月の光は弱くなっていないはずなのに、だんだんとその距離や時間は尊いあものに変わっていく。

「ごめんメールみてなかった。」

「ごめん、電池切れてた。」

「ごめん。昨日ちょっと忙しかったんだ。」

そういう言葉をどれだけ並べても、結局同じことを伝えているだけのように思えていた。

メールを打つのは確かに面倒くさい行為だ。いちいちスマートフォンに向かわなければならないというのはおっくうなのかもしれない。しかし美香にとってはその時間が1日の中で唯一楽しみになっていたのだ。スマートフォンの画面の無効にいる愛する人の息吹を感じることができるからだ。たとえ時間を無駄にしたとしても、それができるなら無駄だとは思わないのだ。きっと光はそんなことすら思わなくなっている。愛する人の息吹をいくら感じても、自分一人でいることに楽しみを見いだしてしまった以上、もう美香に求めるものはなくなっているのかもしれない。月の光を見つめるよりも、一人で空の下を突き進んでいくことのほうに、彼は意味を感じているのだ。彼はもう月がきれいだとは思っていないのかもしれない…。

そういう不安に襲われている自分に、美香は一番不安になった。

「お母さん…。」

その日は、もうすぐ満月だというのに、冷たい雨が降っていた。学校に行くにも、空の月なんてまったく見えないほどの大きな傘をラス必要があった。空の無効には分厚い雲がかかって、愛する人と一緒にみていた月は、世界のはてまで行かないとたどり着かないのではないかという場所にあるように思えるほどだった。今の自分の気持ちみたいだと美香は思った。

今の自分と光との間には、雨が降っていなくても、常にこの分厚い雲がそこにあるのだ。

雨は月がきれいな夜になってもやまなかった。むしろ風が強くなって、ゆっくり月を眺めることなんてできそうになかった。これが現実なのだ。二人の間にあるのは、冷たい雨の降る街と街とを結ぶ分厚い雲の道なのだ。

「お母さん…。」

夜、美香はなきそうになっている自分をなんとか体の中にしまいこもうとしながら夜ご飯を食べていたのだが、母に話し掛ける声が震えているのに気づいた。きっと自分がなきだす阿野も、時間の問題化もしれないと悟った。

「どうしたの?美香。」

母はいつもやさしい目で美香のことを見つめてくれる。それがかえって美香には苦しかった。親に心配ばかりかけている自分が情けないからだ。そんな自分のことも、母はいつも優しい目で見つめてくれる。母は自分とは比べ物にならないほど、美しい満月の光を放つのにふさわしい存在だった。だから、美香の目から涙がこぼれてしまうのだ。

「どうしよう…あたしたちの記念日もこんなふうに雨が降ってしまったら…。せっかくの1年目の記念日なのに…。やっぱりあたしたちは、結ばれるべきじゃないのかしら…。毎日不安なの。光があたしのことをどう思っているのか。本当は何か悩んでいないだろうか?元気で頑張ってるんだろうかって…。光、あたしにあいたくないのかな?だからこんな雨なんて降らせたのかなって。そうじゃないって信じたいけど、不安でしょうがないの…。こんなあたし、やっぱり嫌われるべきなのかな?」

娘がよるご飯の最中に突然大声でなきながら赤裸々に悩みを語ったのに、母は何事もなかったかのように、ずっと優しい目で美香のことを見つめ続けた。抱き上げることも、肩をたたくこともせず、ただ見つめ続けていた。美香は、目の前に並べられた冷め続けるよるご飯を申し訳なく思いながらも、涙を流し続けた。その涙と歩調を合わせるように、雨はますます激しくなっていく。

「美香…?」

突然、母は美香の名前を優しく呼んだ。美香は最初、母に呼ばれたのかどうかわからなかった。けれど、どこか遠くで、月の光が輝くように、母の声が聞こえたような気がしたのだ。

「今ね、美香のその顔をみて思い出したの。なんだか昔の自分を見ているような気がして。わたしも美香ぐらいのとき、お父さんと同じようなことがあったの。そのころはメールなんてなったけれど、電話や手紙を使ってやりとりをしていたの。でも満月が近づく度に、彼からの連絡はどんどん途絶えがちになっていくの。お父さんはわたしよりも忙しかったからなのか、わたしに連絡をよこそうとしなかった。だから嫌われたのかとずっと思いながら満月を迎えたの。そもそも満月であることも彼は忘れてるのかとも思っていた…。」

美香は、母の説教のような長い話をただ黙って聞いていた。母の言葉がどんどん心の中に染み込んでいくのを感じた。母も自分と同じような月属性の人間だということは知っていた。そして、母も父と遠距離恋愛を経て結婚したことも知っていた。けれど母は美香よりもずっと強い人だから、遠距離恋愛なんて何の苦労もなく乗り越えたと思っていた。だから、母のそんな経験は、美香を驚かせるばかりだった。

「それで…結局どうなったの?」

結末が知りたかったわけではなかったけれど、美香は母に尋ねていた。

「満月の日になっても、わたしはもうだめかと思っていたわ。それでもね…ただずっと待ち続けたの。ずっと月を眺めていたの。そしたら、彼が走ってきたわ。とてもうれしそうな顔してね。お待たせって言って手を握ってくれたの。」

昔のことを話す母の顔は何歳も若く見えた。そして

若かったころの父のことを思い出しているようだった。若かったころの父がどんな顔をしていたのか、美香はよく知らない。けれど、母のすがすがしい笑顔を見ていると、美香も自分の中の涙が少しずつ乾いていくのを感じた。やはり母は紛れもなく

満月にふさわしい存在なのだ。

「だからね、美香。」

母はまっすぐに美香を見つめて言った。そのめは確かに優しかったけれど、どこか厳しい光も持った目だった。

「第好きな人のことを信じ続けなければ、月がどれだけ満ちても、満月の光を見ることはできないのよ。その人を信じなくなってしまったら、もう手を握ることもできないのよ。」

母には殴られたことはなかったし、正直親子で喧嘩をしたこともなかった。だから、母に殴られた痛みというのはわからない。けれど今この瞬間、美香は母の言葉で平手打ちをくらった気分になった。心がうずく優しい痛みだった。だから泣き叫ぶこともなかった。けれど、自分を恥じる冷たい気持ちが胸の中にわきあ上がってくる。

自分はただ光が自分を好きではないのかもしれないという不安にかられていただけだった。もちろんそれはそうかもしれない。けれどそれ以前に、美香は光を疑い続けていた。光のことを心から好きでいるはずなのに、光のことを信じられなかった。これを、「光のことを愛している。」といえるのだろうか。愛してる人のことすら信じられなくてなぜ恋人でいられようか。美香が光を信じてやらなければ、どれだけメールを打っても、どれだけ月の光を見つめても、それは空虚で寂しいものにしかならない。月の光は弱いから、光っていると信じなければ月の光が見えることはない。それと同じことだ。

冷たい雨は満月の前の暇で降り続いた。なかなかやまない雨の中でも、見化はきれいな月を愛する人と見られると信じていた。信じなければどんな月も輝かないという母の言葉をずっと胸の中で響かせていたのだ。

「みかちゃん?」

雨が少し弱まった満月の前の番夕暮れ、学校からの帰り道に、みかはとある女子生徒に呼び止められた。最近よく話すようになった女子生徒である。自分と同じように天気について敏感な少女で、彼女は雨女らしい。確か村雨という名だったことを思い出した。

「あ…村雨さん?」

「うん。あのさ…明日満月だよね。」

正直、他人から満月の話題を降られたくはなかった。余計なお世話だと思う冷たい自分がいる半面、自分が他人にそんな心配をかけているのかもしれないと思うとな避けなかった。

けれど、聞かれたことには答えなければいけない。実際、明日満月だということは、月が空から落ちてきて、そいつをウサギが食わなければ本当なのだから。

「そうだよ。」

「だよね…。じゃあさ、明日お月見パーティーをしようよ。下月君、かえってくるんでしょ?」

突然の展開に、こんどこそみ化はなにもいえなくなってしまった。うれしいとか悲しいのか腹が立つとか、そういう言葉では表現できない気持ちになった。それこそ、月が落ちてきてそいつをウサギが食べたあとみたいな気持ちになっていた。月がなくなった空は誰にも創造できない。つまりそういうことなのだ。

「だめ、かな?」

村雨の少し心細そうな声が聞こえる。そんな声を聞いてしまうと、みかは販社的に答えてしまう。

「ありがとう、うれしい。やろう!」

けれど、そこでみかは気づく。これが自分が思っている本当の気持ちだということに。なぜなら、もしそれが本当の気持ちではなかったら、販社的にそんな言葉が口からこぼれることはないからだ。月が思っている感情は、誰にも止められない速さで、その人の目の中に飛び込んでいく。

「やったあ!じゃあ、明日、天文台でね。」

そういうと、みかはまるで一瞬降ってどこかに消えた雨みたいにさっさとどこかへ消えてしまった。その後ろ姿を見ていると、みかはたぜだか笑ってしまっていた。

村雨は変わった女の子で…そう思っていた。けれど、変わっているのは自分だけなのかもしれない。あんなふうに、一緒に月を見ようと、何でもないことのように伝えることができたなら、きっともっと明るい月みたいな存在になれるのだろう。

そうだ…。みかの体は不義と、何かよくわからないものにつき動かされるように家に向かっていた。

今すぐ光に話をしよう。友人が明日お月見のパーティーを天文台で開いてくれる。それに二人で一緒に行って、月を見よう。せっかく村雨が、どういう雨の降りまわしかわからなけれど、準備をしてくれたパーティーなのだ。今なら何でもないことのように、光にこの話ができるはずだ。そう思うと、その話をしたくてたまらなくなった。そうだ、人を好きになる瞬間というのは、こういう瞬間だった…!思い出した!

「ねえ、光。明日一緒に月を見ようよ。」

雨のやみそうな空の下で、あまり見えない月の下で、差ラットそんな言葉をメールで打とうとした。打つ準備はできていたはずだった。あんなメッセージが目に飛び込んでくるまでは。

「悪い。明日、部活の大事な大会があって、夜そっちに変えれなさそうなんだ。1年目の記念日だけど、来月祝おう。」

みかのてからスマホがお供なく落ちた。ぬれた路面のうえにスマホが落ちたはずなのに、何の音もしないのは不思議だった。もしかしたら、音がしなかったのではなく、音が聞こえなかったのかもしれない。みかのそんざするそのときの世界には、なんのお供しなかった。

どうしてだろうか…。ずっと信じていたはずの人に裏切られた瞬間というのは、思ったよりもずっと静かで、何の痛みも感じない瞬間だった。苦しいとか悲しいのか切ないとか、そういう問題ではなかった。

落ちたスマホは坂を転がっていくこともなく、落ちたまま製紙していた。もちろん携帯がみかを呼ぶこともない。

信じていた…。信じれば月が輝くと思っていたし、きっとそれは本当だった。でも、世の中そんなにいいことばかりではない。いいことのほうが、ずっと少ない…。

来月なんてみかにはない。みかには明日しかない。だって明日は満月だから。二人でいままでつむいできた日々が1年という大事なときを刻む、とても大事な満月だから。来月も来週もないのだ。代わりの効かない時間なのだ。けれど光にとって、みかの存在は代わりの効く誰にでもなれる存在なのだ。

「今夜は月がきれいだね。」

あの言葉は、どんなものにでも変えられる、どこにでもあるただの月のことを言っていたのだ。そんなことにすら気づけなかったみかはとても馬鹿で、優しすぎる人間だった。

何も変わらない。どれだけ待ったところで、愛する人はやってこない。そもそもみかのことを愛してくれていなかった…。

もう月を見るのはやめよう。どれだけ月を見ても、大切な人は笑いかけてくれない。

その日は、腹の立つような青空だった。昨日までの雨雲や邪魔なものがすべて洗い流されて、何もない空が、そこには広がっていた。みかの目の前にも、ある意味何もなかった。スマホの画面に表示されていた愛する人の笑顔は、昨日の夜に消した。ずっと待ち受け画面は、愛する人と月の下で撮ったツーショットだった。けれど、今画面に映っているのは、ただの月の写真だった。

そう、何もないところからまた始まるのだ。

「みかちゃーん?今日の6時に天文台でね。みんなで待ってるからね。今日は絶対最高の月見日よりになるよ。」

村雨はあまり割らないこだと思っていた。いつもないている印象が強かったからだ。しかし今日はそんな彼女が笑っている。自分が笑えないからそう思ってしまうだけなのかもしれない。

そんなことを言われても困る…。それがみかの心中だった。もう一緒に月を見てくれる人はいないのだから。いたとしても、それは少し遠くから見ることになってしまうのだから。6時に天文台にいける心持ではなかった。そこで見上げる月は、きっとただの紙になって消えてしまう。そんな月を見るんだったら、空から月がおっこちて、そいつをウサギが食べてしまったほうがずっと

ましだ。

そうなってしまえばいい。それができるのならどれだけいいだろうか。自分の思う通りに世界が回るのなら…。そんな悪魔みたいなことを考えてしまう自分がいる。きっと今自分はとてもおかしい。みかはそういう自覚を一応持っていた。

朝日が上って、太陽がてっぺんまで上って、何のあいさつもなく、お供なく太陽は沈んでいく。

そうすれば、今度は何のあいさつもなしに、月が顔を出す。そしてその日は

その日は、月と一緒に空には小さなウサギが顔を出して、今にも落ちてきそうな月をずっと握っていた。

そんなに強く月を握らないでほしい。どうせならその月を空から落としてほしい。そうすればこんなうつくし月を、一人で見なくても済む。もうすぐ時計は8時になってしまう。

月が落ちることと、昨日まで愛した人がやってくる可能性と、みかはどっちを信じようか悩んだ。どちらも信じないという選択もある。そのほうが気持ちいいのかもしれない。

悩みに悩んだのに、なぜだかみかの頭の中で、昨日の夜一瞬だけ感じた、小さな、けれど確かな光にも似た「好き」という感情が現れた。

そいつは自然と、いつも一緒に光と月を見た天文台に足を向かわせていた。月は落ちてこない。ウサギはまだ手に月を握っている。そうだ…そのまま月を知己っていてくれ…。きっと起こる奇跡を、ちょっとは信じてみたくなった。

「今日も一緒に月を見ようよ。」

「でも明日模擬試験だよ。大丈夫?」

「そんなの月の前じゃただの紙だよ。」

「どういうこと…?」

「どういうことだろうね…?」

あんなふうに月の下で笑いあいたい。せめてあと1回だけでいい。願わくばもっと笑いあいたい。愛する人と一緒に笑える時間ほど、愛する人が手を握ってくれる時間ほど、うつくしい時間はない。それでこそ満月はうつくしい。

天文台までもうすぐだ。きっとみんな待ちかねている。8時は党にすぎている。村雨はきっともうパーティーの準備を整えている。もし料理か何かをつくっていたらどうしよう。そう思えば思うほど足取りは重くなる。見えてくる月は大きくなっていく。

「なんでそんなうかない顔してんだ?」

あのときもそう効かれた。冬の寒い日の満月だった。高校受験が成功するか不安でしょうがなかった。なきそうになりながら、天文台に向かう坂を上っていた。

「ち…違うの。寒いから…さ。」

「寒いから、じゃねえだろ!心配なんだろ?」

「そういうこと言わないでよ…!だって、うまくいくか心配なの!」

泣きそうなみかの体を、マフラーをまいた彼が、月の下でそっと抱きしめてくれた。

「心配してちゃ何もできないぞ。信じないときれいな月は見えないんだから。」

あのときと同じだ。効き覚えのある声が、「なんでそんなにうかない顔をしているんだ?」と効いている。温かくて透き通るような、この満月みたいな声。

「ち、違うの。寂しいから。」

「馬鹿だな。ぼくがいるのに、なんで寂しいんだよ。」

「だって…!」

みかは、それ以上なにもいえなかった。今すぐち手も光のことを坂からつき落として、何発もほほを殴りたい気持ちでいっぱいだった。でもそれ以上に、今起きていることが信じられなかった。

だからただ光の胸の中でしばらくないて、そして小さく言った。

「一緒に月を見よう。」

「おう!」

彼の胸は、去年よりもずっとたくましくなっていた。ずっとため込んでいたものが、みかの心の中からあふれだした。

「待ってたよ。二人とも。」

村雨が、何やら料理をつくりながら、二人を出迎えた。天文台に料理をつくる場所なんてないと思っていた。けれど、いつもいる天文台とは違って、そこはまさに宴会場だった。その姿の違いに驚くしかなかった。

「ごめん。ちょっとこいつがさ…!」

みかのするどい目つきに、光はすっかりたじろいでしまう。こんなに

怒った彼女は見たことがないのかもしれない。

「ああ、なるほどね。もうみんないるよ。料理ももうすぐできるから。」

みかは、村雨に誘われて、いつもは用意されていない大量の椅子の並ぶ天文台の奥に歩いていった。

「やっほー!」

船客が笑顔で二人に握手を求める。みんなの人気者である青木晴彦だ。

「どうも。」

本を読みながら二人に視線を向けたのは南雲里香子だった。

「おつかれさん。」

メガネをかけて二人を見つめるのは切り霧先峻だった。

たくさんの自分たちの仲間が、二人の記念日を祝ってくれた。

二人が自分たちの席につくが早いか、光り輝くさらに乗った料理が運ばれてきた。

「美香ちゃんのお母さんとつくった特性の料理だよ。みんなで食べよう。」

月は確かにそこにあって、ウサギがとって食べることなんてなかった。ただずっと光っていた。そう、今日の朝までは光らなかったかもしれない月が、今は光っていた。満月というのは、こんなにもうつくしかっただろうか。そのパーティーに来ている人たちが、みんなその月に見言っていた。

「二人きりにになったね。」

パーティーが終わって、天文台はすっかり静かになった。もう月を一緒に見る客はいない。そのはずなのに、月の光がずっと祝福してくれているから、ずっとにぎやかなよう思う。それでも、今この場所で、つきを一緒に見ているのは、この二人だった。

「そうだね。」

何も言葉はいらなかった。ただ二人は抱きしめあった。お互い言わなければいけないことがたくさんあるはずなのに、ずっと月の光を一緒に見ていれば、それでよかった。

「いやあ、それにしても…。」

しばらく黙っていた光が、そっと話を始めた。

けれど、み美香は販社的にその話をさえぎった。

「それにしてもじゃないでしょ?なんか…。」

そこまで言って、みかはなぜだか何もいえなくなってしまった。本当は光を一喝するつもりだった。もしくは、泣き叫ぶつもりだった。それなのに、なんだか違うような気がしていた。つきの前では、何も言葉がなくても、それでよかった。

今日が終われば明日が来るように、月というのも知らないうちに満ちて、知らないうちに欠けてくる。いつまでも、ウサギが食べてしまいそうな大きな月がそこにあればいいと思うのに、明日にはその月が見えなくなっていって、そいつが少しずつ満ちてくる。だいすきな ひとに 会える日がこんなにもうれしいのは、会えない日々がとても長いからだ。満月が美しいのも、月が少しずつ満ちてくるからだ。ずっと大きな月が空に上っていたら、そいつをきれいだなんて思えない。月光がつないだ二人の距離は、そんなことを教えてくれた。遠くて尊い二人の間には、強くて優しい月光のメッセージが、ずっとそばにあって、たとえ第好きな人を抱きしめることができなくても、たとえ第好きな人の手を握れなくても、その人を好きだった頃の純粋な自分を忘れなければ、月が少しずつ満ちる間隔によってつくられる切なさとうつくしさを知ることができる。第好きだから、会えないのがつらい。第好きじゃなければ、会えなくてもつらい気持ちにはならない。第好きな人の第好きな気の目を思い出したいから、つらくて泣きそうな日も、第好きな人を疑った日も

自分すら信じられなかった日も

月の下でメッセージを送り続けた。三みかも

光も、そんなときのことを思い出していた。

月光の中で、光の口が小さく動いた。

「やっぱり今夜の月はきれいだね。」

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