悩んでいても霧がない
5 悩んでいても霧がない
霧先峻(シュン)
答えがほしい。そう思ったことはあるだろうか。霧先峻は小山内ころからずっとそう思っていた。この世の中には、答えのない問いが多すぎる。そのせいで、いままで何度迷い道をしただろうか。今だってずっと迷っている。
自分とは何者なのか。自分はなぜ生きているのか。自分はこれからどう生きていくべきなのか。そもそも自分は生きていく必要があるのか。人より自分が劣っていることがわかったとき、どういう態度で望めばよいのだろうか。人を好きになったとき、どのようにその人を愛すればいいのだろうか。明日の天気は本当に張れなのだろうか。
もう少しぐらい、はっきりとした道導とか答えがあったほうが、もっと胸を張って自分の人生を生きていける。霧先峻のように、自分に自信が持てず、絶えず何かの明かりを探しているような人は、はっきりした答えが用意されていたほうがいいと願ってしまうのだ。
地図というのは、この世でお金以上に貴重な資源だと彼は思っている。この世の中の銀行は、金の代わりに地図を発行すればいいと最近は思うようになっていた。地図があればこそ、この世界ははっきりとした輪郭を持ち、自分たちは胸を張って行き先を決め、答えをわかったうえで未来へと歩みだすことができるようになる。地図をなくさなければ行き先にも問題なくたどり着けるだろうし、地図が読めないなら読み方を練習すればいい。霧がかかった空の下でも、地図をちゃんと読めて、そいつをちゃんとみて、あとは海中伝統とかそういう特別な道具があれば、とりあえず迷わなくても済むだろう。地図は正義の見方だ。神様がくれた究極の技術だ。こいつがあるのとないのとでは、この世界が違って見える。要するに、地図にははっきりと目的地に行く方法、つまり答えが書かれている。つまり、答えしか書かれていない。
そういう正義の味方が、もっとこの世界に、願わくば自分の人生のそばにもっとたくさんあればいい。インターネットの玉石混交な情報よりも、地図に記された情報に金を投資すればいい。そうすればこんなに悩まずに済むだろうに。結局彼はそこに行き着くのだ。
高校2年生の秋ともなると、そろそろ進路選択というのをはっきり始めなければいけない。大学に進学するのか、就職するのか、専門学校に行って特別な技術をみにつけるのか。代替大きく分ければこういうパターンで、周りの生徒たちは進路を決めている。とくに霧先の通う学校は、たまたま大学進学率が高かったので、就職を希望する生徒はほとんどいなかった。もちろん就職が否定されているわけではないが、なんとなく霧先の中では、大学に進んだほうがよいのではないかという思いがあった。
人の行動に流されるなと周りによくいわれる。そういわれると決まって、霧先はいらいらした気持ちになる。
霧先は答えがほしかった。自分というものを強く持って歩いても失敗するか絶望するか劣等感を抱くだけだというのは予想の範疇だった。だから、人に流されるしか手段がないのだ。こうすることでしか前に進むことができないのだ。道に迷うより、人の背中にくっついて歩いたほうがいい。それが彼の考えだった。
しかしそんな考えを持っていたら、モチベーションが上がるわけもない。前に進もうとしても、人に流されることが重要だと考えているということは、自分で必死に勉強しようという気持ちも、その道の先頭のほうを歩く人よりははるかに低い。おかげで、進路選択の基準の一つとされる実力判定模試は惨澹たる結果となった。
勉強というのは霧先にとってとても恐ろしいものだった。勉強というよりも、受験というものが彼には耐えられなかった。こういうものは、答えがはっきりわからない状態で取り組まなければいけないのだ。どこかに答えが書いてあるから問題がつくれるんだろうと思って答えを探すけれど、だんだん嫌気がさしてくる。地図みたいにストリートに答えが書いてあればいいけれど、そんなことはまずありえない。受験というものの特性上、そんなことをしたら意味がないのはわかっている。答えがわかってしまったら、受験の意味がない。ということは、自信の持てない霧先にとって、受験というのは道に迷うことの連続だった。道に迷ったってだれも助けてくれない。時間内に必死に答えを書き込むだけだ。絶対に違う道を選んでいるような気がする。それでも前に進まなければいけないのだ。
中途半端な気持ちのまま受けた模擬試験の惨澹たる結果は、もちろんすぐに先生にも伝わって、何度か説教を食らった。しかし霧先はどの説教を聞いても、勉強をする気にはなれなかった。答えがわからないのだから、いくらやったところでなにもわからない。解決策なんてない。ただ今の霧先がほしかったのは、自分の人生を決める合格通知とか履歴書ではなく、地図だった。自分の人生のみちしるべになる はっきりした答えの書かれた地図がほしかった。受験という霧の中では、頼りにできるものがない。自分すら信じられないこの世界で信じられるのは、用意された答えだけだった。
天気研究部の部室で、1枚の地図を見つけたのは、晩秋の金曜日の夕方だった。もうすぐカレンダーのページが変わって、今年も残すところ1カ月になろうとしている。最近空は曇ってばかりで、まったく明るい気分になれない。
そんな彼の目の前に現れた神様からの助け船は、部室の机のうえに、名に食わぬ顔でおかれていた。
といっても、そいつは、霧先の人生を書いた未来予想図とか、彼の人生の設計図ではなかった。ただの街の地図だった。普段目にしている駅や商店街、コンビニや学校、公園や病院、網の目のような道路網が書かれている。実に普通の地図なのだ。
どうせ誰かがここで、今時珍しいが、街の紙の地図を眺めていて、そいつを忘れて帰ったのだろう。それとも、地図長をちぎって、そこに手書きで地図を書いたやつをそのままにしていたのかもしれない。不始末なやつだと霧先は舌打ちをした。地図をこんなふうに邪険に扱うなんて。地図は、暗闇や霧の中では欠かせない必需品なのに。そんなものをこんなところに忘れるなんて。路上に小切手を放置するようなものではないか。音のない怒りが頭の中に湧き上がるとともに、怒りを落ち着かせるためにも、この地図をどうしてやろうかと思案することにした。
この地図はただの街の地図だから、たいして使える地図ではないかもしれない。しかしこいつを持って、散歩でもしてみようと思った。この地図をみながら街を歩いてみて、地図というのを使えば、どれだけ順調に楽しく旅ができるかというのを証明してやればいい。そうすれば、気持ちのリフレッシュもできるし、地図の有用性も再確認できる。これはせっかくの機会だからやってみよう。彼の中に、かすかな強い思いが芽生えた。こんなふうに、普段から強い思いが芽生えれば、自分に自信を持てるのかもしれない。しかしこういう思いが芽生えるのはほんの一瞬、もしくはある一定のことだけなのだ。こういうことは、失敗をしてもまたやり直せる。でも、受験勉強や進路選択は、失敗したらやり直せなくなる。地図を使って街探検することなんて、失敗するとかしないとか関係ないのだ。だから彼は自信を持てる…。
そして彼は、その地図の横に、今朝配られたA4サイズのアンケート用紙を取り出した。そいつには、いくつかの選択肢が書かれていた。進路選択の希望調査票だと言う。まったく回答する気がない。回答する気がないというよりは、こんなものに回答してしまったら、自分が道に迷っているということを周りに知らせることになる。そんな恥ずかしいことはできない。それで誰かが助けてくれるならいいけれど、そんな漂流気みたいなファンタジーは現実にはありえない。
そもそもこのアンケートを書いている間に、どっちに進めばいいかわからなくなって、結局霧の中で倒れて終わってしまう。そうなってしまうのなら、霧の中に向かうパスポートに何か書き込むより、地図をみながら街探検をするほうがずっといい。二つとも紙のサイズはさほど変わらないのに、霧先の目に移る色合いはまったく違った。
次の日の朝は、この街には珍しく霧が立ちこめていた。ただの朝霧だと思っていた。天気予報で濃霧注意報が出ていたかどうかも覚えていない。でも霧をみると、霧先はわくわくした気分になる。自分の心がこの世界を支配した気分になるのだ。みんなこの霧の中の苦しみを味わえばいいのだ。これでみんな平等に自信をなくして、みんなで一緒に道に迷える。霧先の心の中には、勝手に安心感が芽生えている。そして彼が霧をみて安心するもう一つの理由は、彼が小学校から中学校を卒業するまで、霧の街ともいわれるロンドンにいたからだ。
霧は懐かしい草原のように、霧先を歓迎してくれる。その迫力に見せられて、霧先は家を飛び出した。朝ご飯はパンとコーヒーしか口にしていない。両親には塾に行くと嘘をついた。そんなことをするわけがないのに。そもそも塾を見つけられるかどうかもわからない。嘘が本当になるのかもわからないのに。そんな中途半端な状態で絵空事も正直も、何もいえない。
街はいやに静かだった。週末の安里いうのはこんなにも静かだっただろうか。別に、霧先は、週末だからといってベッドで遅くまで寝ているわけではないので、週末の朝の街の様子を知らないわけではない。それに、今はそんなに早い時間でもない。週末のこの時間でそれなりの住宅地なら、遊びに出かける子供をつれた家族の姿や、どこかに用事に出かけようとしている人たちの姿ぐらいみてもいいものだ。しかしそんな姿が、今日はいっさい 見えない。そういうすがたは、もしかしたら自分の中のけんそうだったのかも知れないと少し主ってみたりするけれど、それもなんだか違うような気がする。霧の向うの日常がすべて幻想だと本気で疑ったことはあるけれど、もしそうなら今自分がほんとうに住んでいる町はほどこにあるのだろう。
今日はおもしろい実験をしてみようと霧先は計画していた。それは、常に地図から目を離さないという、なんとも難しい実験だ。どれだけ地図が頼りになるものなのか、自分でしっかりと確かめてやろうというのだ。確かに地図が世界で一番の正義だというのは、自分がちいさいころから思っていたが、本当に地ずは世界のすべてを救えるのか、地図があればなんでもかなうのかを実証したことは、正直こんな地図信者の霧先でも、こわくてできなかった。地図をみながらあるくと いうのはそんなにかんたんではないからだ。しかし、やるときめたからにはやるしかない。そう、このちずには答えがぎっしりかいてある。この街を歩くにはこいつが必要なのだ。
自分の家が地図に書かれているのか探してみた。それぞれの家まで見分けられるような細かい地図ではないと思っていたのだが、南砺その地図には、霧先の家がちゃんとわかるように書かれていた。かれは、地図の有用性を証明することに意識が向いていたから、その地図のトリックに冷静に気づくことはなかったが、その地図には大きな秘密があった。地図の中心地には、霧先の家があって、もっといえば、地図のうえには、霧先のなまえまでかかれていたのだ。これはだれかの お年物なのではなく、まちがいなくかれのためにあらわれたものなのだ。
とりあえず、地図を見ながら駅まで歩いてみることにした。いつもは、それぐらいのことなら、地図を見なくても一人で自由に行っているが、地図には家から駅への道がどういうふうにかいているのかをみたうえで駅まで行こうと思ったのだ。
地図をみていると、普段は意識していないものまで見えてくる。こんなところにこんな大きな家があったのか。こんなところにいくつも路地があったのか。こんなところに小さな公園があったのか。地図には知らないことがたくさんかいてある。でもそれらはすべて何かの答えであって、世界を照らし出してくれるひかりの 塊となる。霧なんてこわくない。
この世界は、霧こそげんそうなのだ。
信号をわたって駅の明かりが見えてきた。電車に乗ってどこまで行こうかと考えてみた。しかしよくみると、電車に乗った場合、この地図は使い物にならなくなってしまう。だから電車に乗るのはやめたほうがよさそうだ。
駅の前のバス停を通り過ぎて、もう1回地図を眺めている。
自分の昔行っていた幼稚園にでも行ってみるかと思って探してみる。すると、駅とは反対方向だけれど、確かに幼稚園の名前が書かれている。
少し遠いけれど行ってみる価値はありそうだ。
そう思ってふと地図を折りたたんだ瞬間、霧先はぞっとした。
周りは地図の世界と違って、霧で覆われていたのだ。そう、これが現実というものだ。現実には、こんなに精密に描かれた地図が転がっているはずもない。それも、ピンポイントで自分の家が中心地の地図が目の前に現れるなんて思わなかった。
夢の世界に戻るみたいに地図に目を戻してみる。霧のせいなのか、さっきより地図がぼやけて見える。自分で何度か瞬きをしてみて、視力が落ちていないかを確かめる。自分の目は問題なそうだ。そしてもう1度地図を見直す。やっぱりぼやけて見えるような気がする。でも、たぶんそれは気の性だ。悩んでいても
…霧がない。
地図に忠実に、紙の上に用意されただけの道を歩く。自信を持つとかそういうのは考えなくていい。ただ答えだけに従えばどこかにたどり着く。自分はいままで、そういう行き方をしてきた。
どんなときにも気まぐれな父は、突然海外で仕事をすると言い出した。それが、霧先が小学校に上がろうかというときの離しだ。もちろん、彼の発言が決定権を持つわけがないのだが、彼は意見をいおうともしなかった。決定権がないからではない。父に従えば、とりあえず問題はないと思っていたからだ。自分でみちをえらぶより、誰かの用意した答えに従ってあるけば、なんの問題もない。そう信じていたから、霧先は父と一緒にイギリスにいくことをえらん 。しかしそこでは苦労の連続だった。英語がわかるわけでもなく、楽しみなこともなく、友人もまともにつくれない。そんな日々の中で、彼は黙ることを覚えた。黙るというのは、しゃべらないということではない。自分というものを最大限ださないように氏た。他人について行くように成長するのがラクダと覚った。たにんの のこした足跡はしっかりしていて、自分のよりずっと目立つ。そういうものを探していた。それをたどって行けば、とりあえずひどいところにはつかないだろう。小学校に上がったばかりのときは霧だらけだった霧先の人生は、だいぶ先のあかるい ものに変わっていた。そうおもっていたのはかれ岳課もしれないが。
高校生になる前、父はまた日本で仕事をすることにしたようだ。それはそれで、彼にはかまわなかった。またついて行けばいいだけの離しだからだ。
日本に帰ることを知った友人たちは、霧先にハグしたりキスしたり拍手を求めたりしてきた。そんな友人たちの顔をみて、霧先は少し不安になった。ただ彼らの足跡を付けてきただけのぼくのことを、どうして彼らはこんなにも求めてくれるのだろう。どうして彼らは、ぼくとの別れをこんなにも悲しむのだろうか。自分というものがわからず、他人のちずをぬすみみるような簿くでも、かれらにとってはたいせつな旅のみちづれだったのだろうか。
高校に入っても、もちろん自分の道というものは見つからなかった、というより見つけようとしなかった。またきりだらけの 世界に戻るのはごめんだからだ。誰かの持っている光のしるしに従って進むことを常にえらび続けたのだ。
地図について行けば、霧を避けることはできる。自分はきっと何かの答えにたどり着ける。彼は真剣にそう考えていた。
でももしかしたら、そんなに簡単な離しでもなさそうだ。そういう現実にやっと彼が気づいたのは、地図の行き先がどうも変だと思ったからだ。なぜなら、地図の指示す方向には、大きな壁があって、それ以上先には進めなかったのだ。
どこで道を間違えたのだろうか。彼は地図を折りたたんでみた。すると周りはさっきより濃い霧で覆われていた。いったいどういうことなのだろう。少し地図なしで歩いてみようとした。しかし周りの霧が濃すぎて、ここがどこなのかもはっきりしない。
携帯を出して調べてみることにした。ところが携帯を起動してもインターネットが開かない。どうやらここの霧はとても強力で、電波や周りの声すら遮断してしまうきりらしい。こんなにも強力な霧は、いったいどこから起きたのだろう。霧先はすこし 考えてみた。しかしそれ以上に、ここがどこなのかを知りたかった。
もう1度地図をみてみることにした。さっき通った駅を地図から探してみようとした。しかし駅はかろうじて見えるが、その周りはなんだかぼやけて見える。ぼやけているというか、さっきはなかった黒い点で塗りつぶされているように見える。また瞬きをして地図をみる。それでも黒い点は消えていない。
駅からの道をたどろうと地図をもう1度見直す。しかし、駅からの道もほとんど黒い点で塗りつぶされている。まるで霧のように。
そいつは地図を見えなくしていた。現在地がどこなのかをはっきり調べることはかないそうに なかった。もう1度真剣に地図を見て、駅からの道をたどってみる。みているうちに、駅すらも黒い点に覆い隠されそうになっている。
なんの音も聞こえない。人が生きている音や発破が揺れる音、鳥がなく声も
雨の音も、この世界で誰かが生まれる音も、誰かが死ぬ音も聞こえない。今霧先は確かに、音のない霧の中にいた。
ずっとそうだった。生まれてから今日という日まで、霧先はずっと音のない霧の中にいた。そこで耐え抜かれた孤独が、答えを探そうという欲求に変わった。その欲求は大きくなっていくばかりで、地図の価値が音もなく高まっていくばかりだった。
しかし地図が刺す方角にいくら行っても、そこには霧が広がるばかりだった。答えが書かれていると思ったのに、気づいたらそいつは霧に隠れて見えなくなっていたのだ。さっき通った道すら霧の中にある。ここは本当に自分が住んでいた街なのか、今という時間は本当に、自分が生きているのかすらわからないほど、そこには自分のこころをうつしだした霧しかなかったのだ。
そもそもこの地図には答えが書かれていただろうか。もともとこの地図のうえには、はっきりとした道が書かれていたのだろうか。
最初、この地図のうえには、はっきりと行き先に向かうための経路が書かれていたように見えていた。でも実際は違った。それは結局、自分が駅までの道を知っていただけで、書かれていたのは霧で覆われた何もない世界だったのだ。
ずっと変わらなかった。この地図には自分の知っていることしかかいていない 。そもそも本当の地図には、はっきりとした答えがすべて書かれているのだろうか。もしそうだとして、それはあてになるのだろうか。この地図をみて歩いたらあてにならなかった。気づいたらきりのなかに 迷いこんでいた。それと同じように、本当のしっかりとした、国土地理院が発行している公式の地図や、アトラスに載っている世界地図や、スマートフォンに入っているグーぐるまっ部をつかっても きりのなかにまよいこむのだろうか。
この地図に魔法がかけられていて、自分をこんな目に合わせたにちがいない。本当の地図にはほんとうの 答えが書かれている。国や、きちんとした企業や団体が測量や点検を重ねて、アプリであればGPS機能を更新すれば、きちんとした答えが導き出して、霧なんか怖くない地図ができる。こんなおとのない ところにじぶんをつれてくるような悪意のたまった地図は出来上がらない。完ぺきで精密で、自分の助けになる地図がそこにはきっと
ある…。
しかし、そういう地図がもし手に入って、常にその地図を携帯できるようになったとして、自分の人生のすべての答えを有していることになるのだろうか。自分はその地図を常に眺めながら、本当に未来に向かって歩き出すことができるのだろうか。
自分の人生は、紙のうえの限られたスペースに、1万分の1や2万分の1にして、等高線や地図記号で区切りを作って、道が変わったら新しく更新できるような、そんな単純な形をしていただろうか。自分の人生の地図は、アプリの開発者が予測して
かきたすことのできる情報ばかりだろうか。自分の人生は、国のえらい人が測量して、点検して、定規で長さをはかれるようなものなのだろうか。
もし仮に、自分の人生が、そういう外部の何らかの力を借りて、紙のうえやスマートフォンの中に描き売るものだとして、そいつを逐一チェックしながら未来に向かって歩いていたら、どんなことが起きるだろうか…。
チェックしているうちに、どこを歩いているか本当にはわかっていないまま、意味のわからないなぞの空間の中に歩んでいくことになりはしないか。それこそ、自分の深淵が映し出された霧のように、自分につきまとってくる。きちんと精密に作られていたはずの地図、精密にかかれていたはずの答えは、いつの間にか意味をなさなくなっていた。もともと、その答えはしっかりとした意味を持っていた。けれど、自分の歩幅にじしんがなく、 地図ばかりみながらあるいているうちに、結局みちを確認することにせいいっぱいになって、も
ともと意味のあった答えは霧の中に消える。変わりに残るのは濃くなってくる霧ばかりだ。それをくりかえして気た。
これはまさに自分の人生だ。最初は、自分の知っている現実世界、今というスタート地点があった。それは、地図のよく目立つ部分に書いてあった。それを頼りにして、地図を信頼して、最初の目的地にたどり着く。そのあと、少し遠くまで行ってみようと地図をみながら歩き出していくうちに、結局どこを歩いているのかわからなくなる。自分のこころと比例するようなきりはこくなっていって、最終的に地図は使い物にならなくなる。
答えなんて、あってないようなものだ。地図には答えが書いてある。けれどそいつばかり追い求めているうちに、意味があったはずのその答えは、ただ霧の中で使い物にならないただの存在に変わる。この、黒い点で覆われた地図のように。
答えが ほしかった。そのはずだった。地図が正義だと思っていた。そのはずだった。けれど…。答えがあったところで、自分は前に進めない。そいつばかり見つめて、結局自分がわからなくなるのだから。自分が何物なのかという最大の問いには、もちろん答えはない。その最大の問いに答えがないのだから、もともとはっきりとした答えがあるものなんて、そんなにおおくはないのだ。自分がどうやって歩いていきたいか、もともとあった地図をどういうふうにかきかえて いきたいのか、それがいちばんだいじなのだ。
地図は、霧の中では役に立つと思っていた。どんなときにも役に立つ正義の味方だと思っていた。1万円札よりも宝くじよりも重宝する最強の財産だと思っていた。でもそいつは、逆に人の心を狂わせる。自分を 食いつくして、ぎゃくに府かいきりを生み出していく。そんなことになるなら…。
「おれはこんなものいらねえ!地図なら自分で書く。答えなら自分で探す。だから…答えなんかもういらねえ!霧だらけのこんな世界から、おれを出してくれ!」
小学校の頃、家の周りの地図を友人に書いてあげたことがあった。すると、色白で自分よりも少し背の高そうな西洋人の少年は、「汚い地図だな!」と言って、おもしろ半分でそいつを破って見せた。霧先は大声でないて、そいつのことはどうやっても許そうとおもわなかった。しかし、そいつは中学を卒業して自分が日本にかえると 言ったとき、一番強く握手をし、いちばんはげしくないていた。
あの、少し汚い地図を破られたとき、恐ろしい怒りが湧き上がったのは事実だ。まるで、大切にしていたペットの猫が殺されたような気分だったからだ。
でも今は違う。自分は、答えを探して霧をさまよって、答えを探すことに悩んでいた自分の地図を破らなければいけない。悩んでいてもきりがないことに悩んでいてもしょうがない。霧だらけの地図をどれだけみても、答えなんて見つからない。答えは見つかるとおもって 見つけられるものではない。作ろうと思えばみつかるのだ。
おもしろ半分で笑いながら地図を破ってくれた色白の友人の顔を思い出しつつ、いまだに黒い点で覆われている、下手をすれば地図の全部が黒い点に覆われているその紙をじっと見つめた。
「もうおれにこんなものは必要ない!」
霧先は、息を吸い込んで地図を破った。銃口を大切な誰かに向けるみたいな気分だった。地図を破るだけのことで、こんなにも汗を書いて、こんなにも緊張した顔をする少年は、この世にそんなにいないだろう。
地図は、小さな音を立てて破れた。当たり前である。ただの紙なのだから簡単に敗れるに決まっている。
すると、なんだか霧先の足取りは軽くなっていた。今がどこかもわからないのに、まるで行くべき方向がわかっているように歩き出していた。
歩き出して空を見上げて気づいた。霧か晴れて、温かい日差しが霧先を照らしていた。小学生が自転車をかっとばして、霧先の横をすり抜ける。犬をつれたおばさんが鼻歌をうたいながら、向うの路地にきえる。黒猫が眠そうに日向からかおをだす。自分と同じぐらいの少年たち、もしかしたら同じ学校の生徒たちが、いしを蹴りながらうしろからあるいてくる。
もうすぐだ。ここは幼稚園の頃よく通った空き地の近くの住宅街だ。霧の中でも、きちんと霧先は歩けていた。破れた地図をポケットにしまうまえに、破った地図を眺めている。やぶった地図にもう何も書かれておらず、ただのきたない 紙切れに変わっていた。
霧がかかっていたはずの街は、音であふれ、声であふれ、光であふれていた。こんなにも世界は美しく見えるのか。自分の人生は、こんなにもたくさんの可能性であふれているのか。地図の呪いに縛られていきてきた霧先にとって、霧のない世界はずっと遠くまでよく見えて、ずっとあかるかった。
幼稚園についたとき、霧先はなんだかうれしくなって、昔は毎日通っていた幼稚園の門の前で手を合わせていた。今日は、幼稚園はだれもいないようだった。目に浮かべた涙が、太陽に輝いて、美しい光のラインに変わっていた。そこには霧はかかっていなかった。
「霧先。いったいどういうことなんだ。海外への進学を考えているなんて。英語の成績は確かにいいかもしれないが、それだけで海外の進学を決意したのか?ちゃんとよく考えたのか?」
詰問する中年の男性教師は、霧先の出した進路希望調査票を、ぼろぼろの地図をみるみたいな目でみていた。霧先はその教師のメガネを後ろからはぎとってやろうかと思うほどだった。彼には何も見えていない。彼に見えているのは、自分の中にある答えの出した霧だけだ。
「おれ、もう決めたんで。いままでみたいな中途半端な生き方はもうしません。おれにはやりたいことが、生きたい方角が見つかったんです。」
そのとき、霧先の目は、確かに地図のうえにはなかった。彼がみていたのは、悩んでいても霧がない人生だった。
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