嵐のプライド
嵐のプライド
山崎嵐
人生は戦争だ。とくに、大人になる前の思春期は、体も心もぶつけ合う戦争だ。山崎嵐はそう思っている。いや、そう思わされてきた。
天気研究部、嵐支部。ここに入部している天候生は、ほかの天候生と違って、天気の郷愁にふけっていろいろなことを考えたり、創造を膨らませたりはしない。彼らは、もっと攻撃的で、もっと激しく悩みにぶつかるタイプなのだ。なぜなら、彼らにはプライドがあるからだ。とくに、山崎嵐には、嵐という名前からもはっきりとしたプライドがあるのだ。
そんな天気研究部、嵐支部の部員たちは、夏休みが終わった9月の中旬に、学校が用意した、というより部の顧問が用意したなぞの施設で、全員そろっての合宿を行う。実は、全員が顔を合わせるのは、1年の中で、この合宿だけなのだ。同じ学校に通っていながら、彼らはお互いに戦わないように、時期を変えて学校に投稿してきている。学校もそれを承知のうえでか、彼らの授業単位などはそれをかんがみているという。
状況説明はともかく、9月というのは夏と秋の季節の変わり目だ。つまり、温かい空気と冷たい空気が入れ替わる時期だと言っても過言ではない。だからこそ、この時期に合宿が行われるのだ。
合宿は、集合して昼食をとるところから始まる。このときすでに、勝負は始まっているのだ。合宿に参加して3年目の山崎嵐は、そう思い直した。
「牧島!」
カレーライスを鍋から勢いよくよそっている小柄な少年に向かって、嵐は叫んだ。
「うるさいなあ。飯ぐらい静かによそわせろよ。」
「おまえ。そのハンバーグはおれのもんだ。」
嵐は、牧島の皿に盛り付けられているハンバーグを、まるで肉食獣のような目で見つめる。
「さきによそったほうが勝ちだ。」
牧島は冷静にお皿にカレーを盛り付けている。
「なめた口聞いてんじゃないぞ!さきにハンバーグを欲したのはおれだ。」
盛り付け終わって、席につこうとする牧島の皿を、カレーがこぼれないようにだけは注意して、ひったくると、ハンバーグを勢いよくかっさらっていった。
「なぜハンバーグごときでそんなことをする?子供だな、おまえは。」
牧島は、音もなくハンバーグを自分のさらに戻した。自分の口から息を吐いて、ハンバーグを移動させたのだ。
「あんたたち。ここで勝負するのはやめてちょうだい。せめて早食い競争にしなさいよね。」
後ろから、長い髪の美形の少女がツカツカと歩み寄ってきた。
「宮台(ミヤダイ)のいうとおりだ。そうさせてもらおう。」
牧島はそう言うと、平然と席のほうへ向かった。
「食の恨みは怖いぞ。牧島。」
嵐は、観念したように、自分のカレーを盛り付け直す。
席につくと、誰が始めたでもなく、全員が勢いよく早食い競争をするがごとくご飯を食べ始めた。誰も何も声を発しない。
部員たちはカレーを勢いよくお変わりしていく。これはつまり、早食い競争でもあり、大食い競争でもあるのだ。
身長197センチ、体重105キロの嵐の特技は、まさにこの大食いである。というより、大食いをしなければすぐにパワーが消耗されてしまう。
「ああ。もうあたし、限界。ダイエット中だしここでパス。」
まるで小学生みたいな細身の体系の少女が、最初にリタイアした。
「リラ。もういいの?お子ちゃまね。あたしなんかまだ2、3倍はいけるわよ。」
カレーの上に、大量のぱくちーをぶっかけている少女が冷静に言う。
「彩子(サイコ)ちゃんったら、調子に乗ってゲロ吐いても知らないんだから。」
リラはいやらしい笑いを浮かべてみせる。
「大人のレディーがそんなことをするとでも?」
少女の食べているカレーは、ぱくちーが大量にかかっているだけではない。誰も食べられないレベルの辛さなのだ。当たり前である。彼女は中学を卒業するまでインドで育ったからだ。
「黒山。それぐらいにしておけ。そうしないとおれがおまえを凍らせるぞ。」
真っ白な顔をした少年が、冷たそうなカレーのルーをご飯にかけている。
「あら。あんたの雪よりあたしの雨の方が勝つわよ、北野くん。」
北野は、したうちをするとカレーを勢いよく飲み込んだ。
「ていうかさあ…。」
リラは、小さなカップに入った牛乳を飲み干すと、もう本当に食べる期がないように、話を始めた。
「結局今年は何人いるの?今回の合宿。」
リラの言葉に、嵐はにやっとう。
「これで全員だ。全部で8人だ。」
「え?意外と多いね。おもしろいことになりそう。」
リラの目が輝く。だがほかのメンバーの目は相変わらずどこか冷たい。
「まったくだ。おかげで部屋が狭くなるわ。」
ひげをはやし、体格のしっかりした少年がため息をつきながら巨大なハンバーガーを食べている。それはハンバーガーに見えて、恐ろしく巨大なカレーパンである。彼はアメリカ育ちなのである。
「とりあえず…。」
嵐は、まだビーフカレーがかなり残っているにもかかわらず、かばんから分厚い書類を取り出した。
「仮にもおれが一番上級生だ。勝負はともかく、指揮を執るときはおれにした従ってもらう。」
すると、牧島がシーフードカレーの皿の端をたたいた。
「おれもおまえと同学年だ。おれのほうが立場が上だと思うが。」
「忘れたか、牧島!」
嵐は大声で叫びながら、牧島をにらんだ。
「この支部の支部長はおれだ。なめた口を聞くな。」
「はいはい。」
牧島は、カレーの皿に入ったチキンをなめて威嚇すると、また食事に戻った。
「おれが名前を呼ぶから、軽く一言話せ。毎年やっていることだ。勝負をやるときはそのとき。今はお互いを知るときだ。はじめに取り組むように。」
嵐がそう言うと、さっき牧島と嵐をたしなめた少女、宮台があくびをする。
「能書ききはいいわ。早く始めなさい。」
これでは誰が部長なのかもはやわからない。
嵐は、名前を呼ぶ前に、皿に残っていたビーフカレーを人のみに食べると、紙を机の上においた。
「3年、山崎嵐だ。さっきも言ったが、天気研究部、嵐支部の支部長だ。最後の夏を無駄にはしない。全員たたきのめしてやる。」
「なに?そういうかっこいいこと言わなきゃいけないの?なんかおもしろいね…。」
リラが手に持っていたマラかすを拍手代わりにたたきながら言った。
「次。同じく3年、牧島辰巳。」
牧島はだるそうに立ち上がると、軽くお辞儀をした。
「3年の牧島だ。竜巻属性だ。おまえらを吹き飛ばす覚悟できた。よろしく頼む。」
「次。3年、宮台風花(フウカ)。」
宮台は小さく笑って立ち上がる。
「3年の宮台風花よ。台風属性。今日は沖縄から来たわ。最近あたしは忙しいの。あんたたちと違ってね。だからとっととけりをつけさせてもらうわよ。」
「次。2年、黒山彩子。」
彩子は、口の周りにぱくちーを張り付けながら立ち上がる。
「ナマステ。インド生まれよ。2年の黒山彩子、よろしく。あなたたちにはなじみがないでしょうが、あたしはサイクロン属性。宮台先輩以上のパワーがある予定だからそのつもりで。」
「いやらしい女ね。」
宮台は軽く舌打ちをした。
「次。2年、張本健一。」
ハンバーガーを加えながら、少年は立ち上がった。
「Hello Guys!かわいい女の子ばかりでうれしいよ。張本健一です。ハリケーン属性だ。君らのことはいろいろと調べさせてもらっている。覚悟してもらおう。」
健一は話終わると、またハンバーガーを食べ始めた。
「次。2年、北野吹雪。」
北野は大きく深呼吸をした。その瞬間、エアコンもつけていないのに部屋が恐ろしく寒くなった。
「この寒さが耐えられるかな、君たちは。2年の北野吹雪だ。ここは厚くて死にそうだ。吹雪属性なのでほとんどの人間とは敵対することになろうが、そのつもりで。」
吹雪はまた深呼吸をした。するともっと寒くなったので、カレーが一気に冷たくなった。
「1年、積リラ(セキリラ)。」
「はーーーーい!」
少女はまるで小学生みたいな声を出して立ち上がった。
「1年のリラだよ!積乱雲属性!あたしをペイペイの新人だと思ってなめてかかったらいたい目に合いますよ、先輩型。積乱雲って、発達したら怖いんだから。」
少女は、マラかすをまた大きくたたき始めた。
「最後。急きょ参加が決まった1年、山瀬疾風(ハヤテ)。」
そう呼ばれても誰も立ち上がらなかった。しかし、後ろのほうからドアが空いて、一人の少年がカレー鍋をを持ち上げながら現れた。
「始めまして。1年の山瀬疾風です。岩手から来ました。冷害を起こす人間です。北野先輩とは親しくさせていただいております。よろしくお願いします。」
すると、少年はまた後ろのドアの向うへ消えた。
「おい、ちょっと待てよ。」
カレーの皿が空っぽになった牧島が、勢いよく立ち上がった。
「そこの1年。なぜおまえは突然現れたのだ。そんな1年が入っているとは聞いていないぞ。」
「あら。あなたともあろう人が知らないの?」
宮台が勝ち誇ったような声で言った。
「なんだ。おまえは知っているのか?」
「ええ。今年の8月、東北地方と北海道で、過去最高に並ぶ冷夏を記録したというニュースを、あなたはみなかったの?」
「それは知っているが…おれは知りたいのはなぜそんなことが起きたのかということだ。」
すると、さっきまで無言でカレーを食べていた北野が、また大きく息を吐いた。
「3年生だからといっても、教養は劣っているのかな。まあいい。今年は異常なエルニーニョ現象が起きたことで、山瀬は去年と違って元気を取り戻した。春、東北の山で修業をさせ、夏は東北で暴れてもらった。おかげで野菜や米の値段は高騰し続けているぞ。よくやった、山瀬。」
山瀬は、ドアの向うからまたそっと顔を出した。
「先輩からそのようなお言葉をいただけるとは、ありがたいです。」
「エルニーニョ現象ねえ。なんとも耳触りな響きだ。」
牧島は、水を勢いよく飲み干しながらそう言った。
「おかげでこちらとしてはひじょうに動きにくくて困っているのだけど。」
一方の宮台は、カレーの最後のひとくちを食べながら、頬を膨らませた。
「なぜ?宮台先輩には関係ないと思うが。」
北野は、冷たい目で宮台を見つめた。
「その目は相変わらず好きになれないわね。おかげでわたしは東北や北海道に今年は行けていないの。山瀬くんの威圧間のおかげでね。」
「先輩も威圧間を感じることはあるんですね。」
山瀬は、食べ終わったカレー鍋を戻すためなのか、またドアをあけて現れた。
「笑わせないで。威圧間ではなく、あなたのそばにいたくないだけよ。」
ご飯を食べ終わると、全員が闘志をむき出しにし始めた。
「とにかく、これから1週間はお互いのプライドを見直す良い機械となるように
それぞれ精進するように。」
嵐はそう叫ぶと、一刻も早く部長としてのベールを脱ぎ捨てたいからなのか、誰よりも早く宿舎の部屋に戻った。
山崎嵐は3年生である。高校3年生といえば誰もが創造するものがある。いわゆる受験である。いくら嵐であろうが、いくら天候生であろうが、受験から逃れることはできない。
そのため、3年生の部員たちは、体を使った対決にはあまり参加せず、主に受験に向けた学業に専念るする。それはいわゆる普通の人間と変わらない。だが彼らの意識は、普通の人間とも少し違う。体を使った対決に参加しない代わりに、学業こそが対決の道具なのである。もちろん多くの受験生は、受験は戦争だと思っているかもしれないが、彼らにとっては命がかかっているレベルの勝負なのである。
「
「嵐…!」
ご飯を食べてから数時間、嵐はずっと数学の問題を、エアコンもつけずに説き続けていたのだが、突然名前を呼ばれたので、驚いて参考書を閉じてしまった。
「みてわからないのか。おれは数学の勉強中だ。近づくな、牧島。」
「おれだってつい数分前まで英語の勉強をしていたのだぞ。嵐、おまえに学業勝負を申し込もう。」
そういうと、突然嵐の部屋に強い風が吹いて、分厚い問題集が机の上におかれた。
「なんだ、これは。」
嵐は、自分の参考書をわきに寄せて、その分厚い書類の束を開いた。
「なるほど。この品はどこで手に入れた。」
嵐は表紙のタイトルを食い入るように見つめた。そこには、大手予備校の名前と、その予備校が主催する模擬試験であることがかかれていた。
「もちろん無料でもらえたものではあるまい。普通は多少の受験料がかかるはず…。」
すると突然ドアが勢いよく開き、熱風が部屋に入りこんできた。
「あたしが宿舎の食堂で見つけたの。これがおかれているのをね。あなたたちは見えていなかったようだから。それで、牧島に見せたら案の定こうなったってわけ。」
「なんだ。案の定とは。これをみて、勝負をしたいと思わない人間はいないぞ。」
牧島は、早く机に向かいたいと、うずうずしているようである。
「いつからそんな学業馬鹿になったんだ。牧島は。」
嵐はそういいながらも、模擬試験のページを開いたり閉じたりしている。
「おれたちが受験というものに立ち向かうと決まった日から、戦場はいままでの決闘ではなくなった。今の戦場はこれだ!」
牧島は、ペンで模擬試験の表紙を何度かたたいた。
すると、1部しかなかった模擬試験の書類が、突然3部に増えた。これは、嵐も宮台も予想していたことだった。
「やるきだな、牧島。」
さっきまで勝負をする気がなかった嵐の目が、その瞬間、勝負をする人間の目に変わった。
強い風が、宿舎の外から一気に噴き出した。学業勝負が開幕したのである。
3人の受験生は、机を並べ、時計の合図とともに、まるで決闘をするように、ペンの音を立て始めた。そのときの彼らの集中力は、世界の音をも妨げ、世界のにおいをも妨げ、世界の人の意識すら妨げるほどのものだった。三つの種類の風が、山を超えてぶつかっていた。
その様子をどこかでみていたのか、後輩たちも突然行動を開始した。
「先輩たち、全然決闘する気ないみたいね。ああ、日まだ、日まだ。」
黒山は、強い風が吹き始めたのをすぐに察知し、廊下の壁にもたれかかった。
「先輩たちは学業戦争をしているのだ。暇をしている場合ではないぞ、彩子。」
張本は、足音を大きく立てながら、黒山に近づいた。
「あら。どういう意味かしら。」
「ねえねえ…。」
騒ぎを聞きつけたリラが楽しそうに現れる。
「あたしたちもやらない?学業戦争。」
「1年が学業戦争をやりたいなどと、学業を馬鹿にする気化。」
影に隠れてかきごおりをむさぼり食っていた北野が、大きな声で叫んだ。
すると突然、地響きがするほどの大きな雷鳴が響いた。
「吹雪先輩。リラの学力を侮ってるよね。後悔させてあげるよ。この勝負で。」
「リラさん。やる気なんですね。それならぼくも参戦しましょう。」
吹雪の後ろに隠れていた山瀬も、笑顔で現れる。
「今年の1年はちょっと根性をたたき直す必要がありそうだな。」
吹雪が怒った声で言う。
「そうね。でも、3年生の先輩方を駆逐するいい機械かもしれないわ。やりましょう。」
「なんだかめんどくさいことになりそうだねえ…。」
黒山と張本も勝負をやる気になったようで、食堂に模擬試験の問題を探しにいった。
おそらく部活の顧問の入れ知恵だろうか、模擬試験は1年生や2年生の分も用意されていた。おかげで部員たち全員が、学業戦争への道へ進むことになったのだ。
正直、嵐は、どこの大学に自分が行きたいかとか、大学で何を学びたいかということは真剣に考えていなかった。嵐はただ、戦うことに必死だったのだ。偏差値、判定、ネームバリュー…。数値化できるものであれば、嵐はなんでもいいから高いものを目指した。じぶんは何かを学ぶとか、そういうことには無頓着に、ただ戦うことを極めたかったのだ。それのとって起きの材料が受験なのだ。とにかく、いい判定をとることと、人より上の偏差値を狙うことと、人より上の点数を狙うことだけを考えた。負けたくなかったのだ。自分に、たにんに、この現実に… 。
そう思えば思うほどに、とがっ他ペンが、玉を抱いた銃に見えていた。お互いにその銃弾を打ち合って、強い人だけが認められるのだ。
教師から返される答案用紙は、戦士の傷の証だ。たくさん間違いがマークされていても、それは戦士が傷ついた証なのだから、その傷を理解し、次の試合に備えればいい。それだけだった。
無謀だとは思う。非常識だとは思う。やりたいことも見つからないのに、大学受験で誰かに勝つために高いところを目指すなんて、普通の人なら考えないだろう。普通の人間なら、自分のやりたいことや学びたいことのために、受験戦争を乗り越えようとするからだ。でも嵐にはそれができなかった。なぜなら、戦うことでしか、嵐はプライドを守れなかった。
今も絶えずペンで誰かを殺したい。自分より上にいるやつらを蹴落して、自分がいい判定をもぎ取って、いい偏差値をたたきだしてやる。最高点をとってやる。それこそが自分を守るために必要なのだ…!
「できた!」
全員が、戦闘を終えて、答案用紙をまとめたとき、雨も風も最高潮に達していた。あちこちで雷が鳴り響き、洪水が起きて、波が高まった。これこそが八つの嵐がぶつかる威力なのだ。
模擬試験の答案は、問題用紙に挟まっていた所定の封筒に各々が封入し、学校に送付すれば、合宿が終了する日に、勝者が通知されるらしい。そんな単時間に、教員たちもよく採点するなあとほとんどの天候生たちは、驚きと尊敬の念を抱き続けた。彼らは戦い続けながらも、他人への尊敬は忘れなかったのだ。他人への尊敬がなければ、戦おうとは思わない。プライドを守ろうとすればするほど、劣等感が高まって
自尊心だけが削られていく。
嵐は怖かった。今日も最善を尽くしたつもりだ。だが絶対に何か間違えている。数学の式を一つ間違えて計算しなかったか。国語の読解を間違えていないだろうか。英語のスペルを間違えていないだろうか。化学反応式を間違えていないだろうか。歴史の年号を間違えていないだろうか…。一つでも地雷湯踏めば、敗者になってしまう。それが現実だと、嵐は痛いほど理解していた。
それからの合宿中の日々も、嵐たち8人は、体も心も使って、私闘を繰り返した。朝起きてから夜寝るまでの間、彼らは常に勝負のことしか考えなかった。それが風を引き起こし、雨を降らせたのだ。
合宿三日目の夜、自室で牧島とのトランプ勝負に2勝2敗で引き分けに終わり、いらだちながらカードを片づけていたとき、ふと嵐は牧島につぶやいていた。
「なあ、牧島。」
「なんだ…。」
勝負に疲れたからなのか、牧島も静かになっている。話出せば言い合いになるような人々なのに、このときはなんだか不気味な静けさがあった。外では、この間から降り続く雨とふしすさぶ風と亡き響く雷が、楽しげに争っている。
「おれたちは、なぜ戦うんだろうか。」
嵐の発した問に、牧島は最初はため息をついていた。そんな問いは愚問だというような顔をしている。だが、口を開こうとしたとき、牧島の顔色が変わった。安芸れにも似たような感情が支配しているように見えた顔が、悩みに満ちた顔に変わったのだ。
「それは…それがおれたちに化せられた指名だからだろ。おれたちがやるべきは、ほかの天候生と違って、攻撃的に季節を変えて、攻撃的にこの世界をかき乱すことなのだ。つまりおれたちが勝負をするのは…。」
「職業のようなものだからしかたがないというのか。」
嵐は叫ぶことをしなかった。もちろん、叫んでもよかったのだ。自分の期待する答えではなかったからだ。かといって自分の期待する答えがなんなのかも、嵐にはよくわかっていなかった。たた一番期待していなかった会頭が牧島から飛び出してきたことが、少し気に食わなかったのだ。けれど、嵐は叫ばなかった。叫んでもしょうがなかった。そんな質問をする自分がおかしいからだ。ここにいる人々は、ただ何も考えずに勝負をすることが重要なはずなのに、なぜそんなことに疑問を呈しているのだろうか。
でも、牧島は、そのあとに言葉を続けた。
「違う。…おれたちが勝負をするのは、おれたちが大人になるためなんだ。大人になるためには、何かと戦うことが求められる。子供としての自分とか、周りに対して抱く劣等感とか、この世界そのものとか。だからおれたちは勝負をする。前に進むために…。ああ、おれにこんなまじめな質問をするな、嵐。」
牧島は、テーブルの上に残ったジョーカーを箱にしまいながら、少し声のトーンを挙げてそう言った。
すると嵐は、高らかに笑っていた。この合宿中、嵐が見せる始めての笑顔だった。
「おもしろい答えだ。だがもう一つまじめな話をしてもらおうか。」
「困るなあ…。」
牧島は、珍しく子供のように恥ずかしそうな顔をして、前髪を書き上げた。
「大人になるとはどういう条件がそろえばそうなるんだ?様々な勝負の勝者が大人だということなのか?」
その問いに、牧島はさらに悩ましそうな顔をしたが、やがて机を大きくたたいた。
「まさかおまえ、嵐支部をやめようと思っているわけではあるまいな。戦うのがいやになって、勝負を捨てたくなったからこんなな気ごとをおれにたれているわけではないだろうな…。」
牧島の言葉は皮肉がこもっていたが、けっして怒ったような言い方ではかった。 どちらかといえば、心配そうな言い方に聞こえた。嵐にはそう思った。
「まさか!おれがこんな合宿でへこたれるとでも。笑わせるな。ただ…大人になるとか勝負をするとか、その意味がわからなくなったのは事実だ。」
牧島は大きなため息をつくと、カードの箱を閉じた。
「そんなことを悩むほど、無駄な時間はない。悩んでいる暇があれば、勝負の腕を磨くことだな。」
牧島はそうやって去勢を張ってみるものの、心の奥野ほうに何かひっかかるようなものができた顔をしている。心臓の左心房のあたりに、小さなできものでもできたみたいな顔だ。
嵐はその顔をみて安心した。たとえ、勝負に夢中な仲間の中にも、そんなことを考えている、もしくは考えそうにしている人がいるということが、嵐にとっては救いだった。もしそれが自分だけなら、とっとと勝負に打ち込むことだけを考えていただろう。もちろんそれは一つの選択肢だ。それに青春や人生をささげるとは間違いではない。でもそれを続けたとして、自分の人生は本当に輝かしいものになるのかは、わからなかった。
牧島が、同じことを考えているとはっきりしたのは、二人ともその場を離れずに、椅子に坐って考え続けていたからだ。もうトランプの勝負は終わったのだから、早く風呂に入って明日の準備をすべきなのだ。しかし彼らの耳には、時計の針の小さな音しか聞こえなかった。その針の音に混ざって、激しい雨や風の音が窓を通して聞こえてくる。
「なにをしている。さっさと自分の部屋に戻れ、牧島。ここはおれの部屋だぞ。」
嵐は、悩んでいる牧島の顔をしっかりと覗いているくせに、そんなことを言っていた。
牧島は小さく鼻を鳴らすと、椅子から立ち上がった。
「おまえに言われなくてもそうさせてもらうよ…。」
牧島が部屋を出ようとしたとき、突然ドアが勢いよく開いて、巨体がなだれ込んできた。
「先輩型。飲み比べの勝負に、付き合ってくんねえか?」
張本が、にやにやしながら、大きな瓶を抱えている。
「なんだ、それは酒瓶か?」
牧島は、あわてて床に坐り直す。
「そうだよ。アメリカからおふくろに送ってもらったんだ。付き合ってくれるよな。アルコール度数の高さは、保証するぜ。おれにとってはの飲み慣れた酒だ。」
「当たり前だ。」
そう最初に叫んだのは嵐だった。嵐にとっては絶好の勝負の機会だったのだ。
自分が大人としてふるまえるかを問うすばらしい勝負だ.
これで対してお酒が飲めなければ、自分は大人になる素質があまりないということになる。
「おい、嵐。ちょっと待て。」
そこに待ったをかけたのが牧島だ。嵐はこれには正直驚いた。勝負ごとに真っ先に飛びかかるのは牧島だと、勝手に思い込んでいたのだ。
「どうした、牧島。おまえ、まさか酒が飲めぬというのか?しかも後輩の前で。」
「山崎部長。おまえ、法律というものを知らないのか?おれたちはまだ未青年だ。たばこも据えなければ車の免許すらない。その状態で酒を飲もうというのか?いくらおれたちでも違法なことはできまい…。」
「そうだなあ。」
張本は、持っていた酒瓶を床におきながら悲しそうに言った。
「確かにおれの生まれたアメリカじゃあ21まで酒はNGだ。それはもちろんわかっているよ。でもなあ…。」
張本が次の言葉を言う前に、嵐は叫んでいた。
「勝負の前でも法律はひれ伏す。おれたちの前での常識ではないか。」
「だが…酒はある意味毒だ。もし死んだやつが出たら…。」
不安そうな牧島の後ろから、突然ドアが開いて、床が思いっきりけられた。
「なにを心配してるんです 先輩ったら。もしかして、リラ、つぶれるって思ってます?とんでもない!あたし、父が酒豪だし、母の実家が酒蔵だから、酒宴は慣れっこですよ。」
「だからそう言うことではなく…。」
困っている牧島をよそに、全員部屋の外に出る準備を始めた。
「この勝負をするなら、食堂に移動しよう。」
嵐が部屋のカギをポケットから取り出したので、牧島もしかたなく立ち上がった。
「そうこなくっちゃ!もう彩子先輩と風花先輩が先に行ってお料理作ってるみたいなんで。あと、嵐先輩と辰巳先輩も、なにかアルコール飲料を持ってたら、遠慮なく持ってきてくださいね。」
嵐は、リラのその言葉を聞くと、にやっと笑った。教養冷蔵庫の中に、こっそり日本酒とビールを入れておいたことがもしかしたらばれていたのかもしれない。そう、この勝負は、嵐にとっては予想していたものなのである。そして、牧島が恐ろしい酒豪であることも知っている。
「さっすがー!やっぱり彩子は料理の天才だ!」
張本が、皿に盛られた、酒の魚になりそうな料理の山をみて感動している。
「こんな料理、誰でもできるわよ。」
彩子は、少し膨れた顔を見せながら料理を配り終える。
「あら張本くん。あたしの料理も負けていなくてよ。」
「おまえら、料理対決より、今はのみ比べだぞ。」
吹雪が、今にも日本酒を一気に飲もうと準備している。
「先輩、気が早いですね。まだ乾杯の温度すらとらえていないのに。」
そう言いながら、山瀬も、すでにワインのグラスを持ち上げている。
「全員席についたか。」
嵐は、それぞれ違う形のグラスよジョッキ、おちょこを見回す。それぞれまったく違うものを持ってきたようだ。
「最初の1杯は好きなものを飲んでよいが、次からは指定の酒に限る。アルコール度数が違うものを飲んでも話にならんからな。それでは、検討を伊能。乾杯!」
全員目を閉じて、料理をつまみながら酒を飲み始めた。
もちろん、全員それなりの酒豪だ。1杯目は、秒殺で飲み終わってしまった。2敗目からの指定の酒は、張本が持ってきた洋酒、もしくは吹雪の実家にあったという日本酒だ。アルコール度数はほぼ変わらないという。
この酒はあらし酒と呼ばれており、飲めば飲むほど量が増えるという。そのため、全員がくたばるまで増え続ける。
案の定、なかなか勝負はつかない。少しずつ顔が赤くなったり、歌いだすメンバーがいたものの、みんな楽しそうに飲み続けている。勝負どころか、まるで合宿が終わったあとのパーティーのように、踊ったり歌ったり冗談を言い合うメンバーが続出した。そして、「おまえ、酔っているのか?」と誰かが聞けば、「そんなわけあるか!」と罵声を飛ばす。
やがて、それぞれのメンバーの悪口を言い合ったりするようになり、うたげは最高潮に達した。
だが、誰も倒れる気配がないことを察すると、だんだんうたげはマンネリ化していった。
「ねえねえ。もう日付変わっちゃったよ。」
顔を真っ赤にして、かなり酔ったような様子のリラが、時計はきちんと見えるようで、そうつぶやいた。
すると、さっきまで罵声を飛ばしたりして騒いでいたメンバーが、突然静かになった。
「そうだな。酒の味も飽きた市、そろそろ終わりにしようか。」
嵐は、自分の中に大きな安心感があるのを確かに感じたので、これで満足だった。
「あら、あなたたち、もう満足なの?朝まで語り合いましょうよ。わたしたちの魅力を…。」
宮台はすっかりこのうたげの楽しみの中にいるらしく、なかなか抜け出す気がないらしい。
「姉気やあ。明日も合宿は続くんだし。今日はもう上がりやせんか?」
だいぶ酔いが回ってきているように見えるはりもとが、宮台にウィン区する。
「そうね、かわいこちゃん。」
「なにセクシーな声を出しているのかしら?風花様。」
少し歩き方がおかしくなった黒山が歩いてくる。
「なんだ。つまらんやつらだ。だがこれぐらいにしておくか。」
「そうですね、師匠。」
みなそれぞれ、悪態をついたり愚痴をこぼしたり笑いながら、それぞれの部屋に戻った。そこには、勝負と言うよりも、喜びや楽しさが満ちていた。とくに
嵐はそんな気分だった。かなりの量の酒を飲んだはずなのに、少ししか酔った気が市内。自分は十分大人なんだという気分が、心の中でいっぱいになった。だが嵐はそこでふと考える。大人とはなんなのかという問いの答えは、まだ出ていないということに気づいたからだ。その瞬間、少し残っていた酔いは、すっかり冷めてしまった。
そして同時に、違う不安が心の奥野ほうに突然現れた。
この勝負は確かに無事に終わった。けれど、それですべて片付くのだろうか。酒を飲んだあとというのは、酒を飲んだことを理由にして、何かとトラブルが起きるものだ。それが起きなければいいが、何かが起きるような気配が、嵐は確かにしたのだ。どこかで不気味な雷の音や、土砂崩れの予兆がするようなものである。
そしてその予兆は正解ということになった。
風呂に入って、積リラはだいぶ酔いが冷めたような気分になった。これから心地よく眠りにつけそうだと、笑顔になってベッドにもぐりこんだとき、ドアがそっと開いたのだ。カギは中からしめておいたはずなのに、こんな開け方をするということは、勝負の申し込みか緊急のときぐらいだろう。
「どなたですか?リラ、もう寝ようと思ってるんだけど…。」
すると、不気味な笑いをうかべたはりもとが、 部屋の入り口に立っていた。
「やあ、リラちゃん。君の部屋、開けるのに苦労したよ。雷のカギがしっかりついていたからね。これじゃあ、緊急のときに困るだろ。」
張本のその顔が不気味すぎて、リラは息を飲んだ。どんなことでも臆病ではないはずのリラは、このときばかりは少し緊張した。
「健一さん。女子の部屋を開けることは、禁止ではありませんが、ノックぐらいしてください。リラにだって守りたいプライバシーの一つや二つはあります。それに…いったいなにをたくらんでるんですか?まさか、酔ってるんですか?」
リラの慌てふためく様子をみて、張本は大きな声で笑った。
「おもしろいね、リラちゃんは。そういうとこ好きだよ。なんでぼくがこの部屋に
来たか、教えてあげるよ。」
張本がどんどん近づいてくる。リラにはもうわかっていた。はりもと健一という男がどんな人間で、いったいなにを求めているのかはっきりしていた。
「さあ、早くベッドに横になりなさい。そしたらすぐそっちへ行くから。」
「そんな…!でもリラ、そんなの始めてだし!いきなりそんなこと言われても…!」
「お願いだよ、リラちゃん!ぼくはそうしたいんだ。君と一緒に…!」
これは本気の勝負だ。リラは心を決めて、ベッドに寝転がった。眠るときに勝負をすることになるなんて、リラにとっては、いやほかのメンバーにとっても、あまり予想したくはない展開だった。
「男の子とベッドで眠ったのは何度目だい?」
張本は無遠慮にそう尋ねた。リラは肩を振るわせながら答える。
「始めて…ではありません。この前、弟が、さみしくて眠れないっていうもんだから、一緒に眠ることにしました。まだ6歳だからしょうがないんです…。」
リラの答えを聞いて、張本は皮肉たっぷりの顔で笑った。
「それは、男の子と眠ったってことにはならないよ、リラちゃん。男の子っていうのはさ、おれぐらいの年ごろの音このことを言うんだぜ…。」
ベッドにもぐりこんできた張本の体は、酒の匂いであふれていた。もしかしたらまだ風呂にすら入っていないのかもしれない。歯も磨いていないとしたらどうすればよいのだろうか。酒臭い張本のいきが、体に降りかかる。
「なにを怖がっているんだい?男の子と眠ったことはあるんだろ?それなら、おれなんかが君と夜をともにしたって、大したことではないだろ?」
「でもリラ…本当によくわかんないから…。」
リラは、それ異常抵抗の言葉を発することができなかった。発したところで通じないこともわかっていたからだ。ずっと前から知っていた。男というのは、結局女がいなければ生きていけないのだ。女とベッドをともにしたいと願うのが男なのだということは、こんな子供っぽい顔をしているリラにもわかっている。なぜならリラは、自分はもう立派な大人だと革新しているからだ。
しかし、自分は大人だと思っているはずなのに、音この体が近づくと、突然前に踏み出せなくなる。そのりゆうは はっきりしていた。この男は、自分が好きな男ではないからだ。では自分は誰のことを愛しているのだろうか。誰とベッドをともにすれば、自分の性欲は満たされるのだろうか。
今目の前にいるこの男は、さっきまで来ていたあまりかっこよくない服を脱ぎ始めた。その服がパジャマなのか部屋着なのか、そうでないのか、リラはわかりたくなかった。服にはかすかにたばこのにおいもしみついているような気がする。こんなみだらな男と付き合うなんて、リラには考えられなかった。
その男は、少しずつ自分の鎧を脱ぎ始めた。そして、リラにもそうするように求めてきた。そうされたところで、リラにはそんな意思はひとかけらもなかった。こんな音この前で、自分の鎧を脱ぎ捨てることなんてできない。自分が鎧を脱ぎ捨てられる人はいるのだろうか。自分がセックスできる人はいるのだろうか。
「もっと楽しそうな顔をしてくれないかな?君のそのかわいい胸を見せて遅れ。」
リラは心の中で探した。自分の好きな人の名前を呼ぼうとした。いったい誰の名前を呼ぼうか。誰となら体を寄せ合って、裸を見せ合って、同じ夜を過ごすことができるんだろうか。どちらにしろ、この男の前では見せられない。たとえ自分が、人に自慢できる大きな胸をしていたところで、彼には見せられない。ただでさえ貧乳なのに、そんなに簡単に見せられるわけがない。
「君はどうして服を脱がないんだい?ぼくはもうこんなに脱いでいるのに…。」
みると、彼はもうパンツしか着ていなかった。
予想はついていたから、そんなに驚くことでもなかった。リラは、誰でもいいから、この勝負を止めてくれる人はいないかと願った。勝負を止めてほしいと願ったのは、今回が初めてだった。
白旗をいくら揚げても、それはかなわなかった。とうとう、やつが胸に触ってきた。やつはリラの胸をそっと包んだ。その手は妙にべたついていて、妙にぎこちなくて
妙に動物的だった。誰でもいい。どんな男でもいい。張本健一とのこの勝負を終わらせられるなら、どんな男にこの姿を見られてもいいから、とにかくここへ来てほしいと願った。
山瀬疾風は、同じ学年でライバルでもある積リラのことが好きだった。いつから好きだったかというのはない。だが、知らぬ間に恋をしていた。そんな好きな人が、今何か大変な目に遭っている。そして、彼女が何かを求めている。ふいにそんな気がした。部屋の時計だけが彼の眠りを誘うように鳴り響く中で、彼は確かにリラの叫ぶ声を聞いた。どこか遠くで雨が窓をたたくように、どこか遠くであまがえるが泣き叫ぶように、リラは叫んでいた。
リラの部屋は違う階にあった。その階に言ったことはなかった。怖くて行けなかったのだ。自分がリラの部屋を除いてしまったら、自分もリラのことをもっと好きになってしまうことはわかっていたから。
しかし、そんな大声で叫ぶリラのことを、放っておくわけにはいかなかった。なぜなら山瀬は、リラを愛していたからだ。愛している人が、聞こえる声で叫んでいるのだから、助けに行かないわけがない。
山瀬は無意識に会談をかけ降りていた。ほかの部屋は明かりが消えて、みんな夢の世界にいるのかもしれない。それでも山瀬は合いたかった。助けてやりたかった。ずっと好きだったからだ。今すぐリラの体を食いつくす怪物から、リラを守ってやりたかったのだ。
「張本さん!」
自分の叫び声が少し大きかったような気がしたが、何も気にならなかった。今はリラを助けたかった。
「なんだ、おまえ。今おれは、リラとの夜を楽しんでいたところなのだが!邪魔をしないでもらえるかな?」
「おれの彼女に、おれの彼女に手を出すな!このメリケン男!!」
山瀬の大きな手が、はりもとの体に当たった。はりもとはその勢いで、リラの胸に充てていた手を離さざるを得なくなった。
「なにがおれの彼女だ。リラはおれのものだ!」
「女を物扱いするなんて…あんたは本当に人間ですか?しょせんあなたは、リラのことを性欲の対象としかみてないんでしょ?そんなこと、させるものか!」
「英雄気取りか!笑わせるな、おまえみたいな1年になにができる。リラはおれを求めているんだ。おれとの夜を楽しみにしてくれていたんだ。だからおれのことも招きいれてくれた。だからおれがベッドに入っても無抵抗だった。だからリラはおれを愛しているんだ…。」
山瀬は、リラの肩に手をおいた。自分の手がとても冷たいことは知っていた。さっきまで、張本のべたっ濃い手に触られていたリラの体は、風呂から出たはずなのに、汗だらけになって震えていた。
リラは泣いていた。どういう気持ちで彼女が泣いているのか、山瀬は理解できないほど理解できた。リラがさっきまでどれだけの苦痛に耐えていたのか、山瀬は創造できたのだ。
「リラさん!本当に君は、この男を愛してるんですか?本当にこの男とベッドをともにしたいのですか?もしそうなら、どうしてぼくのことを…。」
山瀬が次の言葉を言おうとしたとき、リラは叫んだ。
「言わないで!疾風。」
雷鳴が夜の街に響いた。リラの叫び声のせいだろうか。
「ほら。おまえのせいでリラも怖がっているじゃないか。おれの前ではそんなおびえた声は出さなかったぞ。さあ、リラ。ここにいたらこの男に呪われる。おれの部屋に来てほしい。そして静かに眠ろう。」
「い…。」
リラは次の言葉が出なかった。いやだと言ってしまったら、きっとはりもとは自分に襲いかかってくるとわかっていた。
「そんなこと、させない!」
山瀬は必死だった。早くしないとリラはこの男に取りつかれて、性欲の道具にされてしまう。リラはもう砲身状態で何も話せない。だから今は自分が判断しなければいけないのだ。
「リラ!さあ来るんだ!」
「やだ、離して!」
やっと叫んだリラの抵抗はむなしかった。張本はいとも簡単に、リラを自分の部屋までさらって言った。熱風が彼らの部屋を襲い、リラはあっという間に吹き飛ばされた。熱風の前では、山瀬は何も手が出せなかったのだ。熱風に対処できるほど、山瀬の体はまだできていなかった。これが、厚さにある程度の対抗心がある吹雪なら、まだ少し違っただろう。
山瀬が気づいたときには、もう二人はそこにはいなかった。どうすればいいのかわからなくなった。
ベッドは空っぽになっていた。リラのにおいが残っているはずのベッドには、はりもとの吐いた酒くさいいきと、たばこのにおいのする汗が張り付いていた。リラが持っているはずの優しいにおいは、もうそのベッドのシーツのわきに追いやられていた。だから、このベッドで眠ったところで、リラの残りを感じることができるはずもなかった。
でも山瀬は、泣いた。ここ自分が存在したという証拠を残したかった。明日もしリラがきちんとここに戻ってこれたとして、山瀬の流した涙のあとや、古江が止まらなくなって流した冷や汗の後を感じることができるなら、それでよかった。
自分はリラを救うことができないか弱い存在だった。あんな強い風にさえ太刀打ちできない。そして今、リラの残した空っぽのベッドの中で泣きながら眠りについている。こんな最低なことが、この世に存在していいわけがない。情けないこの人生には、絶えず冷たい北西の季節風がが吹いている。もう取り戻せなくなってしまった愛を、いくら探したところで、彼女はきっとあの音この手の中にいる。そして今も震え続けている。
「山瀬!なぜそんなに朝食が少ないんだ?食パンを一切れしか食べていないぞ。」
次の日の朝の食堂は静かだった。みな、昨日の夜に起こった騒動のことを、知らないふりでいただけで、代替わかっていたのだ。だから、山瀬がなぜ朝食をそんなに食べないのかわかっていた。しかし今が合宿中であることを考えると、そんなことで落ち込んではいられないというのも、確かなことなのである。
「ごめんなさい、吹雪師匠。今日は食欲がありません。」
吹雪は、怒るつもりはなかった。彼がいつもよりも小水しきった顔をしていることはわかっていた。いつもは、山瀬のことを叱ってばかりの吹雪だったが、今日ばかりは、「恋に現をぬかしたおまえが悪いのだ。不抜けたことを言わずに飯を食え!」などと、いつものように叫ぶことはできなかった。
しかしそれでも、せめてもの厳しさをと思った吹雪は、食堂を立ち去る山瀬を呼び止めて叫んだ。
「師匠に相談できぬ悩みがあるとは、弱いやつだ。よく頭を冷やして出直してこい。」
その言葉に、山瀬はしばらく食堂の入り口で立ちどまった。
「そうですね。そうさせてもらいます。」
山瀬は、そっと食堂のドアを占めた。ほかのメンバーは、なかなか食堂を去ろうとはしなかった。
「北野。頭を冷やせっていうけどさ、あいつ、もともと山の中で十分頭冷やしてないの?あんな冷たい風吹かせるのに。」
黒山の皮肉たっぷりの顔をみて、吹雪は大きく机をたたく。
「おまえには…あいつの気持ちなどわかるまい!おれにはわかる。おれはあいつと10年以上侵食をともにしてきたのだぞ。」
「あら…。それならあんな言い方をして山瀬くんのことを叱ってやらなくてもよかったのではないの?」
吹雪は、もう黒山の発言など聞いていなかった。ただただ彼は、あんな小水しきった顔の山瀬を始めてみたことだけが今の一番の問題だった。
しかし朝食を食べた後は、ほかのメンバーは相変わらず何らかの形で私闘を繰り広げた。まるで、昨日の夜のことなんて忘れる課のように、お互い様々な戦い方で修業を重ねた。
午後になって、少しずつ天気が落ち着いてきた頃のことだ。嵐が部屋に戻って勉強しようと廊下を歩いていたとき、後ろから走ってくるものがあった。
「嵐。」
宮台だった。手には何も持っていない。結党を申し込むなら、武器か戦うための道具を持っているはずなのだ。しかしそれがないということは、戦いの話ではないのだろうか。だがここ数日、いやここしばらく、宮台と二人で、戦い以外の話でこんな呼び止め方をされたことはほぼなかったと嵐は記憶していた。
「どうした?結党の話ではないなら、そんなに焦って申し込まなくても良いのではないか?」
嵐の落ち着いた声にやっと宮台も理性を取り戻したようで、ゆっくりと離し始めた。
「少し、散歩に出ないか?二人で。天気も落ち着いていることだし。」
宮台から散歩の誘いを受けるという展開も、嵐には予想できていなかった。もちろんそんなに意外なことではないのだが、なんだかぎこちない感じがしたのだ。
「どうした、急に。」
「別に。北野の言葉を聞いて思っただけよ。頭でも冷やそうかと思って。その相手をおまえにしただけ。興味がないなら相手を変えるけど。」
宮台の目は、なんだか遠くを見つめているようだった。なにかを探しているようにも見えた。
「相手になってやろう。おまえが満足するなら。」
こんなふうに冗談を言い合いながら二人であるいたのが、なんだかはるか昔のことのように、嵐は思えた。純真な心をずっと持っていたならば、もしかして今でも、そしてこれからもそんな人間でいたのかもしれない。戦うことを覚えた自分たちには
ほぼそれしか残されていないけれど、こんなふうに楽しく歩くのも悪くないのかもしれない。
嵐は、久しぶりに穏やかな空をみたような気がする。地面には、たくさんの落ち葉が、子供に散らかされたみたいな感じでぞんざいに存在している。鳥が優しく歌を歌い、花は優しく香っている。ついさっきまで戦いの修業をこのあたりでしていたせいなのか、セミは息をひそめている。セミというのは、張れた空に似合う生き物だ。それなのに、嵐が襲来してしまったら、セミは叫ぶ場所も機会も失われてしまっているのだろう。そう思うと、セミには申し訳ないことをしているのだと、嵐は自覚した。
宿舎のそばには少し大きな森があって、二人はその森の奥に、ずんずんと入っていった。別に、森の奥に入ったから迷って出てこれなくなるみたいな減少が起きるほど大きな森があるわけではないので、二人は気楽に森をあるいた。今はただ、戦いのことを考えるのを避けたかったのだ。そして嵐はふと不思議に思った。宮台と歩いていると、気楽以上の何かがあるような気がする。
「ここは空気が澄んでいて気持ちがいい。歩いていたら心が洗われるような気分になる。」
宮台は落ち着いた声でそう言った。嵐も深呼吸をしてみる。思えば最近、突っ走るように戦ってきた。学業でもスポーツでも、自分とも戦ってきた。んなに突っ走ってきたけれど、目指すものがなんなのかはわからない。ゆっくりあるいた記憶が、最近の嵐にはほとんどない。こんなふうに、自分のそばにいてくれる誰かと、森の空気を吸った記憶も…。
「そうだな。おれたちはずっと、走り続けてきたからな。こんなふうに森を歩くのは久しぶりだ。」
二人はしばらく黙ってあるいた。空はずっと落ち着いた色をとどめている。
宮台は今どんなことを考えて歩いているのだろうと嵐は思った。彼女が自分を散歩に誘った理由もよくわからない。でも宮台はうれしそうに前を向いて歩いている。
そういえば、宮台の笑顔をきちんとみたことがないと嵐は思った。宮台とは、高校1年のときから、仮にも仲よく戦ってきた。宮台が買ったこともあれば、嵐が買ったこともあった。そんなとき、宮台はどんな顔をしていただろう。買ったときの顔も、負けたときの顔も、嵐はきちんと観察していなかった。ただ勝負の結果だけが、嵐にとってはすべてだった。
「嵐…。」
少し背の高い木が増えてきたところで、宮台は嵐を呼んだ。なんだか声が震えていた。目の前に恐ろしい獣でも現れたのかと、嵐は少し身構えた。
「なんだ。」
「あの…。」
宮台は言葉を詰まらせた。こんな宮台を知るのは始めてだ。いままで戦ってきたのに、敵である宮台のことをほとんど知らなかった。こんなふうに言葉につまずく宮台の姿なんて、全然予想できなかった。宮台は強い女だった。
こんな強い女に出会ったことはないと嵐は彼女に出会った瞬間思っていた。だから、弱い部分は心の奥野ほうに、誰にも見えないようにかくしているのだと考えていた。だが、案外そうでもないのかもしれない。心の中に隠れていると思っていた弱い部分は、嵐が見えていなかっただけなのかもしれない。嵐に見えている強い部分はただの表面だけで、その皮を1枚めくれば、そこには崩れそうな弱い姿があったのかもしれない。そしてそれを弱いと定義するのは違うのかもしれない。弱いのではなく、それが宮台本来と姿なのだ。いままでみてきた敵としての宮台ではなく、宮台風花としての彼女なのだ。
「嵐…。」
宮台は、さっきよりも嵐にちかづいて言った。
「手をつないでもいい?」
宮台の呼吸が高鳴っている。遠くで風が木々を揺らす。これはある意味での勝負なのだと、嵐はそのときにはっきりとわかった。自分が自分を見つめ直せているかということを試すために、宮台がしかけてきた恋の勝負なのだ。
「もちろんだ。」
嵐は素直になろうと決めた。宮台のことを、この2年と少しの間、どう思ってきたのかを真剣に考えなければいけないと強く思った。自分は宮台のことをただのライバルとみていたのか。仲の良い友人とみているのか。それとも… 。
宮台の手がとても小さいことを、嵐は知らなかった。握ってみると、その手は今にもちぎれてしまいそうな細い指と、今にもつぶれてしまいそうな手のひらと、今にも折れてしまいそうな手の骨でできた、とても繊細なものだった。
こんな手を自分が握っていて良いのだろうか。自分が強い力で手を握ってしまったら、この手は壊れてしまいそうだ。手が壊れてしまったらもう勝負ができない。前のように罵倒しあったりしたところで、宮台は自分の思うように攻撃できなくなってしまう。そのきっかけをもし自分が作っていたとしたら…。
「もっと強く握って、嵐。それから、もっと近くにいてよ。こんな森じゃ
二人で別々に歩いたら離れ離れになっちゃう。」
「おれたちは離れ離れにになってもなんとかなる。自分一人でも生きていけるさ。」
「そんなの嘘だよ。」
宮台が強く手を握ってきたので、嵐も強く手を握りかえさざるを得なくなった。
「わたしたちは、一人で生きていくには弱すぎるよ。ずっとお互いに罵倒したり、去勢を張ったり、強がったり、他人の悪いところを言い合ったりしてきたけど、わたしたちは結局誰かを求めてるんだよ。戦うことでそれを忘れていただけ。だから、嵐…。」
「だめだ、言うな!」
嵐は、自分が泣いていることにやっと気づいた。怖かったのだ。自分も宮台と同じで、こんなに弱い人間になってしまったのかと気づいたからだ。
宮台の言っていることは、まったく間違っていないのだ。自分は人を必要としていて、それがたとえライバルや卑しい敵であっても、たとえそいつの悪口や弱いところを何度口にしたって、結局自分たちは、そういうことから逃げるために、悪口や罵倒を繰り返すだけで、常に弱く寂しい生き物なのだ。それを知るのが、嵐は怖かった。だから誰にも負けたくなくて、ずっと戦ってきた。
そして嵐はわかりたくなかった。自分がずっと、宮台風花という少女のことを求め続けていたということを。
「言わないでくれ!それをもし言ってしまったら…おれは…。」
「素直になんなよ、嵐!」
宮台は無遠慮に、嵐に抱擁を申し込んだ。これが世界で1番結党であることを、嵐は知っていた、知りたくなかった。自分と向き合い、自分に素直になることが、一番厳しい戦いであることを、宮台は知っていた、知ろうとしていた。
「あたしから言おうと思ったけど、やっぱりやめる。嵐、あんたが言いなさい。話、あるんでしょ?」
嵐は、自分という敵を倒す方法を一つだけ知っていた。それは、迷いを払いのけるということだ。
だからそのとき、宮台が離すチャンスを与えてくれたとき、嵐は心の中の雲から飛び出して、大きく息を吸い込んだ。いままで自分が街や村や海や山に吹かせてきた風を全部吸い込むぐらい大きな深呼吸をした。
「好きだ!風花!そばにいてほしい!」
「ばーーーか!昨日の夜のリラちゃんのことで、調子に乗ってんじゃないよ!」
宮台の気持ちの言い叫び声が空に響く。これがいつもの宮台だと、嵐は笑った。
「あんたが調子に乗る前から、あたしはあんたのそばにいるつもりだったんだから。今回はあたしの勝ちだよ。」
嵐にはもう打つ手がなかった。これ以上ない敗北を喫したからだ。誰もが認めるほど鮮やかに、嵐は恋愛勝負に負けた。それは失恋という意味ではない。自分のそばにいてくれることになった宮台風花という少女よりも、自分の愛しているという気持ちが弱すぎるのだ。そんな弱すぎる自分に、宮台のそばにいる資格があるのかはわからない。しかしそんなことを考えている時点で、宮台を愛するという気持ちが弱くなっている証拠なのだ。
二人は森の大木の回りを歩きながら、なんどもハグを交わした。まるで一言一言言葉を発するように、泣きながら、笑いながらはぐをした。こんな二人の姿を、きっとほかの嵐支部の人々は創造しえないだろう。これは二人だけの秘密だ。ふたりはにやにやした。ハグをするたびに、近くにある木が大きく揺れた。揺れた木から、落ち葉や滴が飛び降りてきて、彼らの体に当たって輝く。二人はその滴を愛らしげに見つめる。雨や風や自然と言うのは、こんなにも優しく笑いかけてくれるのかと、そのとき二人は始めてそれを知ったみたいな顔で見つめていた。自然は争いの対象ではない。そばにいるライバルも、争いの対象だけではない面がある。きっとみんな、こんな顔をして森を歩くことができるのである。
ところが、そんな幸せな二人にも、不気味な影が洗われる。
無効に不気味な雲が見えたのはそのときだった。その雲はもくもくと森の影から宿舎のほうに流れていった。いままでにみたことがないほどの大きな積乱雲が空のあちこちから湧き上がっている。
「戻らなきゃ…!」
宮台は、嵐の手を強く握った。嵐も、もう気負うことなく、強くてを握りかえした。
「なにがあったんだろうか?」
嵐はできるだけ落ち着いて離すようにした。宮台をあまりおびえさせてはいけない。いざとなれば彼女も勝負をできる状態になるだろうが、今の彼女は勝負をしたがらないだろう。
「宿舎で何かあったんだと思う。きっとリラちゃんのことだよ」
森を出る前に、あちこちで雷が落ちていた。稲光が怪物のように、あちこちからとげをはやして襲いかかってくるみたいだった。
二人は、あちこちで雷が鳴るたびに抱きしめ合った。今はお互いの身を守ることしか考えていなかった。今二人はライバル同市ではなく、完全に強いきずなの中にいた。
「この女!怒ればいいと思ってるだろ?」
張本健一は、部屋を壊して、雷に取りつかれたように暴れ回る積リラをおびえきった表情で見つめた。
「宿舎はもう終わりよ。あの子、完ぺきにスイッチ入っちゃったんだ。」
困りきった表情の彩子が、宿舎の外で二人を出迎えた。彩子に気づかれないように、宮台と嵐は距離をとった。
「彩子!」
宿舎の中から叫ぶ声がした。大きな傘を持った牧島だった。
「辰巳!どうしたの?」
いつの間にか二人が名前で呼び合っているのをみた嵐と宮台は、良くも悪くも苦い顔をした。あの二人も付き合い始めたのかと、なんだかまねをされたような気分になったからだ。もしかしたら自分たちのほうがあとに付き合いだしたかもしれないという可能性は、そのときの二人は考えなかった。それより大変なことが迫っていたからだ。
「食堂も完全に電気設備が終わった。あいつ、ただの1年じゃないぞ。きっと体の中に大量の雲の材料を抱え込んでいやがったんだな。」
「つまり、本当は天候生じゃない、突然変異が立ってわけね。」
冷静に離す彩子の声が、激しい雨の中で響く。
「おい!そんなところで様子をみていないで、早くあの女を止めろ。どの部屋も完全に浸水したぞ。おまけにあいつの勢いは止まらない。」
吹雪が震えた声で言う。気がつくと、宿舎の外で様子をみていた張本がそこにはいない。
「あれ。張本のやつ、どこだ!」
嵐が彼を追おうとしたとき、宮台が彼を制した。
「彼、リラちゃんに追われている。当たり前よね。あの子が切れた現況は彼なんだから。」
「でも…。」
彩子は泣きそうな顔で宿舎をみる。
「彼をつかまえて何かを捧げない限り、積リラの怒りは止まらないわ。」
「しかもあの女、おれの大事な弟子を…!」
ふぶきは、壊れた宿舎の自動ドアをその巨体で壊し、中へ侵入した。
「おい、北野。さすがにそれは…。」
たちす組む牧島の背中を彩子が押す。
「今山瀬くんが彼女を抑えようとしているけど、彼だけでは彼女を抑えられない。むしろいらない助けの手を出した彼を恨んでいるから、彼では止められない。だから、辰巳、あんたが行って。」
「なぜおれなんだ。それならおまえも道連れだ。」
「だめよ。あたしはここで…。」
「だめだ!おまえもおれと一緒に死ぬんだ!」
さすがに牧島の力に彩子はかなわない様子だった。だが、走りだす牧島の腕をつかんだとき、牧島の腕が簿きっと音を立てるほど、サイコは強くその腕を握った。
「一緒に死ぬもんですか?一緒に生きて変えるのよ!」
ドアの無効に消える二人を見送り、残る3人も満を持してドアの無効へ飛び込んだ。
山瀬疾風は、リラの体をその冷たい風で冷やしながら眠らせようとした。しかしそれ以上に、リラの足は早く、山瀬を寄せ付けようとしなかった。
「リラ!どうしてなんですか!ぼくのことがそんなに憎いんですか?ぼくはなにも憎まれることはしていないのに。ただあの男から守ってやりたかっただけなのに!」
「もう誰も信頼できない。山瀬くんだって、どうせあたしが好きだからそんなことをしただけなんだ。もう誰も信じたくないの。だから今は、この場所を全部壊して、全部最初からやり直させて!」
「リラ!待て!」
山瀬は、ふいに吹いてきた風に足をとられて、会談のうえから派手に転んでしまった。気を失った彼を発見したのは、血相変えて走りこんできた吹雪だった。
暴走した人間の心を沈めるには、いったいなにをすれば良いのだろうか。みんなは、必死に考えた。リラはまだ暴走の勢いを止める様子がない。これがきっと彼女なりの自己表現であることを、ほかのメンバーは知っていたし、その現況となった張本もわかっていた。
「あんなお遊びで怒るあいつが悪いんだ。子供だなあ。」
そんなふうにぶつぶつと悪口を言うけれど、これからどうすればいいのか、張本にはまったくわかっていなかった。
「張本!」
とうとう宿舎の床が傾き始めたとき、嵐はこころを決めたように叫んだ。
「な、なんですか、先輩。」
張本は、いままでになく丁寧な口調で嵐の支持を聞いた。みんなも同じような感じだった。
「あいつに、正面から告白しろ!」
「な、なんでおれがそんなことを!」
「おまえだけじゃない。山瀬もだ。おまえらが正面から彼女に愛を伝えれば、この不毛な暴走は止まる。」
「そんなことはさせられない。」
吹雪がすぐに反論した。
「山瀬はもうつかれている。あんな危険な女に告白などできるわけがない。告白する前に殺されて終わる。」
「そう、そういうことよ。」
宮台は吹雪をじっと見つめながら言った。
「殺される覚悟で愛を伝えるのよ。それが争いを止める唯一と方法なの。」
「馬鹿を言え!命を削って愛を伝えるなど、おれは認めない。山瀬、そんなことはおれがさせない。あの女はおれが…!」
「師匠!」
山瀬は、さっきやっと意識が回復したばかりなのに、リンとした表情で吹雪に向き合った。
「ぼくは彼女を心から愛しています。師匠の手には及びません。それに、彼女を始末するなんて、そんな汚い言葉は使わないでください。彼女を愛しているぼくが、許しません。」
山瀬の目が鋭く光ったのをみて、吹雪は逆に安心した顔になる。
「強くなったな、山瀬。行って来い。」
「なんだなんだ。そこで勝手に盛り上がってもらっちゃ困るぜ。おれもいけってことかよ。」
「当たり前よ。張本くん。」
彩子は張本がバランスをとれないことを承知のうえで、強く背中を押した。はり張本は風に飛ばされるように、リラのところへ走っていった。
「おまえら。なぜ、そんな作戦を思いついたんだ。」
吹雪が、残った4人をゆっくりと見回しながら聞いた。
「気づいたからだよ。」
牧島が、さしていた傘を閉じて言った。
「どれだけ暴れたって、どれだけ戦ったって、結局人が最後に求めるのは勝利じゃないって…。」
かわいい女の子にセックスをせがみ、執拗に彼女を愛した二人の少年は、一度その女の子に殺された。リラの鋭い雷の刃と激しい雨の水たまりの中に放り込まれた二人は即死した。だが死ぬ直前、二人はほぼ同時に、彼女にキスをした。山瀬は左の頬に、はりもとは右の頬にキスをした。そしてキスをする前に、二人はひざまずいて、彼女の手をそっと両側から握った。そして、愛を叫んだ。
「アハハハハ。先輩も疾風も、そんなに好きならもっと前から言えって話だよね。セックスしたりとか、あたしが危険な状態になったのを察してから走ってくるんじゃなくて、もっと前からかかってこいってんだよねえ。よわむし!」
動かなくなった二人を、リラは自分の布団に入れて温めた。右側には、腕がほぼ折れた状態の山瀬が眠り、左側には、顔がほぼ分解しかかっているはりもとが眠っている。
「リラはね、あたしを愛するのは勝手にしてもらっていいと思ってるの。でもね、卑怯な愛し方はしてほしくない。だから先輩と疾風を殺したの。でも大丈夫だよ。二人とも第好きだから、ちゃんと起こしてあげる。でも一つだけ言っておくね。二人のこと、両方とも第好きだけど、そのうちでも第好きなほうにだけ、第好きのキスをして起こしてあげるから。」
部屋の壁をつたって聞こえてくるリラの言葉を、ほかのメンバーは、まるで説教を聞くように受け止めた。この合宿で、一番悩んで、一番苦しんで、一番強い心を持っていたのは、もしかしたらリラかもしれない。
合宿が終了したとき、第好きのキスをして起こされたのは山瀬だった。もちろん張本も無事に目をさました。数日前のリラの言葉が二人に聞こえているはずもなく、その結果を知っているのは、目撃者のほかのメンバーだけだった。張本は、失恋の痛みをほぼ感じないまま、合宿を終えることになる。それもある意味での、リラからの優しさなのだ。
模擬試験の結果は、嵐が1位、宮台が2位、牧島が3位という結果だった。だが、今の嵐にはそんなことはどうでもよかった。
自分はなぜ戦うのか。自分はなぜ嵐支部の一因として、この体で争おうとするのか。その答えは、自分に素直になれず、ただ戦うことにしか目標を見いだせないからだ。自分はそんな狭い心の持ち主で、絶えず誰かを求めるくせに、絶えず誰かを遠ざけて雨や風を降らしている。そんなことをしても、誰も喜ばないのに。木も鳥もセミも落ち葉も花も、みんな震えあがって泣きそうな顔をしているのに。
戦うことはいいことだと嵐は思う。でも戦うための理由を変えなければならないと、最後の合宿を終えて考えた。戦いとは、自分の中身のないプライドを模索するための材料ではない。それは、自分と向き合い、自分をさらけ出すための材料なのだ。強い風を吹かせて成長させるために、まず自分と戦うことが、今嵐に求められている。これからのひびを、そんなふうにして生きていければいいだろう。
よく張れた空の中に、嵐は新しい技を見つけられたような気がして、合宿の帰り道のバスから降りたばかりの宮台に声をかけた。
「風花?」
「なに?あたし寝起きだから機嫌悪いよ。」
大きなあくびをした宮台の頬に、嵐は冷たい手を充ててこう言った。
「今度は、君の愛してるには負けないから。」
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