曇りときどき自分

2 曇り時々自分

南雲里香子

曇り空は美しい。南雲里香子がそれに気づいたのは、小山内ころだったように思う。なぜそんなふうに考えたのか、小山内ころの自分の心中なんてわからないけれど

あのころから里香子は、太陽も輝かず雨も降らない、感情の波間から離れた生活を好んでいたのだろう。

人というのはほかの動物以上にめんどくさい修正を持っている。心に宿した感情という天気のような大気の動きだ。その大気の動きの中で、人々は笑い、怒り、泣き叫び、人の愛を求めんとする。人の愛というものを求めるから、人は感情にもてあそばれる。人にす切れれば笑ってキスをするし、自分の感情や周りの人間が思うように動かなければ大声でどなりちらすだろうし、自分の周りから愛する人がいなくなったら涙を流す。どうしてそんな不自由な生き方を、人間という天気動物は選んでしまったのだろう。どうせなら、雨も降らず、太陽も上らないそんなモノトーンの世界で、色のない人生を送ったほうが、自分の目の前に広がる灰色に飽き飽きするだけで、苦しい人生を送らなくて済むはずだ。

里香子は今日もそんなつまらないことを考えながら、昨日はきれいに晴れていたはずの今の曇り空を見つめる。その顔には笑顔も涙も怒りもない。ただ、色のない少女の顔が空をみている画像だけがぼんやりと浮かんでいる。

人の愛し方がよくわからない。友達の作り方に興味がない。誰かと笑いあう喜びや、誰かと涙を分かち合える幸せに気づけない。愛も笑顔も憂鬱も、初戦は自分を飾る装飾品に過ぎない。もっとも自分が自分でいられるのは、太陽の明るい光の下でもなければ、雨の涙の下で泣き叫ぶときでもない。この曇った空の下にいるときこそが、輝いた自分を見つけられる瞬間である。

里香子は、そんなつまらないことを考える、つまらない少女なのである。

電車に乗っているとき、里香子は、スマートフォンのまぶしい光にさえ目を抑えながら、今日の天気を確認する。なぜ天気なんてものがこの空を支配するのだろうか。この世界をすべて分厚い雲で覆ったならば、人は太陽の光も知らなければ、雨が降ることも知らない。雲は雨の材料だが、雨が降るレベルで雲ができなければいい。

もし人間が、動かない大気の流れや、動かない分厚い雲によって、太陽も雨も知らなければ、いったいどんなことになっていただろうかと意味のわからない妄想を浮かべてみたりする。もちろん、そんなことを考えるのは、彼女ぐらいなものだろうが。

席が空いたので、鞄に入れてある赤い本を取り出す。特別おもしろいほんでもない。でも里香子には大事なことだった。本でも漫画でもいい。光を発しない紙の塊に目を凝らしていれば、電車の中でスマートフォンを見つめる人たちとは違う世界に没入できる。電車の中で朝ご飯の愚痴や会社のことを話す人間たちの会話から逃げ出すことができる。隣でいびきをかいている老人からも、目を伏せてないている小学生からも、目をそらすことができる。自分にとって彼らは別の世界の人間だ。彼らは、自分の周りにひかりって当たり前の場所に立っている、陰があって雨が降ることが当たり前の場所で生きている。どうして人は、感情を持つことを強制しようとするのだろうか。里香子は強く疑問に思っていた。自分はただ、一人でこの朝を静かに迎えたいだけなのだ。誰の光にも、誰の闇にも支配されない、雲しかない曇りなき曇り空の下で、自分という存在を守っていたいだけなのだ。

いつから自分が友達を作りたくなくなったのか、里香子ははっきりとは覚えていない。でも、そんなに最近のことでないような気がするのは確かだ。それと、ある日突然、なにか大きな事件が起きて、自分は友達を作るのをやめようと思ったというわけでもない。

自分がふとした瞬間に、たとえば靴ひもがほどけたときや、改札でICカードのチャージが切れていたときや、机にこぼれた、紅茶にいれようとしていた砂糖の粒を掃除しているときにはたと気づいたのである。

小山内ころから、もともと里香子は、内航的な正確だと周囲からいわれていた。遊ぶときも、少人数の集団に加わることが多かったし、勉強や工作も、一人で行うことは珍しくない。まだとくに友達の意味や愛の意味を知らない子供のころは、誰かが一緒にやろうといえば、小さな声でいいよと答えて、その子と遊んだりもしていた。

でもそんな素直で純粋だった里香子の姿は、いつの間にかつまらない女への成長というプロセスを選ぶことになったのである。

里香子の周りには、友達を求める女子たちの集団ができるようになった。彼女たちは、大人になるにつれて、その集団を複雑に組み合わせていくようになる。里香子も少しずつその渦に巻き込まれていくようになる。

極力つかれることはしたくない。それが里香子の小さい頃からの生き方であり、両親からもその生き方が一番楽だと聞かされていた。里香子の母も、里香子と同じように、社会の渦に溶け込めず、溶け込めないという選択肢を自分から選んだ女だった。

「人ってのはめんどくさい生き物なんだよ、里香子。あんたもわかるだろ?誰かに優しくするっていうのは、それなりに自分をすり減らさないとできないことなんだ。誰かのために自分の感情を持ち出すことは、マラソンを全力で走るよりもつかれるし、大けがを追いかねないんだよ。あんたは自分のことだけ気にしていればいい。いやなことがあっても、それは初戦雲の無効の話しだ。今の自分のことだけ考えて生きればいい。」

母は小さいころからいつもそう言ってきた。自分のことだけ気にしていればいいというのは、なにも自己中心的になれというわけではない。自分の感情を他人に押し付けたり、感情をあらわにして自己主張することもよくないからだ。自分のことだけ気にするというのは、自分だけで完結することにしか首を突っ込まないことをいうのである。

だから里香子は、そんな無駄な感情を使わざるを得なくなるような環境から遠ざかることを決意した。

それはそんなに簡単なことでもないけれど、難しいことでもなかった。

里香子のことを大切な友人だと思っている少女たちは、里香子が少しずつ人間関係を狭めていっていることに気づくはずもなかった。

「里香子。一緒に帰ろうよ。」

「里香子。また同じクラスになったね。よろしくね。」

「里香子。今度の週末みんなで遊園地に行こうって話してるんだけれど、来ない?」

少女たちはそういう言葉を里香子に頻繁にかけていた。最初里香子は、それを断ることはよくないことだと考え、躊躇して断っていた。しかしやがて、それこそが感情に支配された弱い自分の姿だと気づくと、容赦せずに彼女たちと距離をとることを選んだ。

「ごめん。一人になりたいから。」

それが彼女の口癖になった。

もともと友達だった(里香子自身はまったくそのつもりはなかった)少女たちをみ話すというのは、少し悲しいことであるが、里香子はけっして振り向かなかった。潔く自分の感情を隠して、潔く自分という存在だけで生きた方がずっと楽だからだ。勉強だって遊びだって何かを考えるときだって一人でやったほうがずっと楽だと言うことに気づいてしまったのだ。

彼女のそばにいようとしていた少女たちは、しばらくすると、やっと里香子の感情の変化に気づいたようだ。一部の人々は、「里香子、なにか悩みがあるのかな。相談に乗ってあげたいな。」と、常に優しさをにじませる人もいれば、「悩んでいるからこそ放置しておこう。」と、あえて消極的な優しさを提示する人もいた。だが、当然のことながら、ほとんどの人間はそう優しくはない。自分がいくら誘ったり、笑顔を見せたり悩みを相談したところで、里香子はまったく振り向かないし、寄り添おうともしないからだ。実は、彼女をそんなふうに黙って一人にしていった少女たちこそが、彼女にとっては一番優しい人間なのである。

里香子は悩んでいるから一人になったのではない。楽だから一人になったのだ。なにかに成功しようと、なにかに失敗しようと、泣こうと笑おうと、ずっと自分の雲の下で、その感情をもてあそんでいればいいだけなのだ。

男も女も関係泣く、年ごろの人間が関心をともにするのが、なんといっても恋愛だった。恋をする人たちは、まぶしい光に襲われたみたいな変な顔をする。自分が手に入れたいものを見つけると、彼らは自分の周りにあるどんなものも目に入らなくなる。

それはもちろん、好きなおもちゃや好きな洋服、好きな宝石を見つけたときと同じ感情なのだ。だが、それが一人の人間となれば、おもちゃや洋服以上に恐ろしいことが起きる。周りをみていないというのは、要するになりふりかまわずその好きなものにぶつかっていこうとすることをいうのである。誰を傷つけようとも、誰と戦うことになろうと関係ない。自分の好きな人を手に入れることができるなら、自分がその好きな人のそばにいることができれば、何が起きてもかまわないのである。

恋は誠実で優しい人間のことも危険なものにしかねない。誰かを大切に思うということは、大切にされない誰かを傷つけることになるからだ。

愛というのは、そういう悪魔のような目を持った怪物でもある。里香子は昔からそれを知っていたわけではなかったが、明らかに恋をしていく友人たちの顔が変わっていく様子をみて、すぐにその危険性を察知した。自分の周りには、恋愛至上主義を掲げ、早く自分のパートナーを見つけようと必死になる人々がたくさん現れた。

「好きな人なんかいないよ。あたしそういうの興味ないし。」

そんなことをいう人に限って、実は心の中では誰かのことを求めている。「すきな人なんかいない。」という言葉も、「そういうのには興味がない。」という言葉も、すべては自分に嘘をつくための呪文である。雨が降ったら人間は傘をさす。それと同じで、誰かに悩みを打ち明けることが怖い恋愛至上主義者たちは、相合い傘をしてくれる人を求めて、透明の傘をさすのである。

好きな人を見つけた人間というのは、まるで肉食獣か怪物みたいな顔をする。かくしていた牙を少しずつ心の中から持ち上げて、大声で吠え始める。雨の中でも雪の中でも、彼ら・彼女たちは、それを手に入れるまであきらめない。昨日まで純粋な人間の顔をしていた彼ら・彼女たちの顔は、もうそこにはない。新しい光を求め続ける稲妻が空を浮遊して、遠くで轟音を響かせている。その激しい地響きが、顔から聞こえてくるのだ。こんなことが、魔法も使えなければ、頂上現象もめったに起こらないこの世界で簡単に起こってしまう。こんなことを起こせてしまうのが、人下恋の魔力であり、誰かを求める人間の佐賀なのである。

里香子には、そんな呪いのような稲妻を作り出すのはばかばかしいとしか思えなかった。自分の心をすり減らして、やる必要のないことに努力し、使う必要のないお金と時間を使って、好きな人を追いかける。好きな人が、ほんとうに自分のことが好きだという保証なんてどこにあるのだろう。「ぼくも好きだよ。ずっといろうと思ってたんだ。」と、かっこいいセリフを吐き捨てる男だって、1年や2年すれば、違うものや人に関心を向けて、さっさと恋人を残していなくなってしまうのではないだろうか。仮に、もしその男がほんとうにきちんと愛してくれたとして、それが重荷になって、自分のことをまともに考えられなくなったりはしないのだろうか。

どちらにしろ、恋愛とは自分を他人にささげるような行為だとしか、里香子は認識できなかった。

人を愛するということは、人を自分に縛りつけることだ。言葉だけでは、愛の保証はできない。たとえ行動に移せても、それが永遠に続くはずがない。なぜなら人は一人一人体がばらばらなのだ。セックスすれば他人とカラだがいったいかできるという人はいる。しかしそれだって、自分の体の一部を犠牲にしなければ、他人と一体化できないことになる。わざわざ他人と一体化することを楽しむ人間のことも、里香子は軽蔑のまなざしで見つめ続けた。

誰かのことを好きになる暇があるなら、自分という人間を研究したほうが、人生はずっと楽だ。里香子は常にそう自分に言い聞かせた。青春を謳歌し、恋愛に涙し、恋人たちとキスをする友人たちをみても、なにもときめかなかった。うらやましいからではない。自分の顔が曇りすぎて、誰にも振り向いてもらえないから、開き直って恋愛を否定しているわけではない。もし自分がそうだとしたら、里香子は、そんな自分をなんとかして変えようと努力するだろう。

里香子は、自分のことだけで精いっぱいだった。精いっぱいというのは、勉強が苦手で、その学習時間に人生のすべてを咲かなければいけないということだったり、家庭環境が悪く、毎日家事やアルバイトも自分でしなければいけないということだったり、カラだが弱く学校に行くだけでも人玄人いうようなことではない。精いっぱいというのは、自分の人生を生きることが、なによりも楽で、なによりもめんどくさくないからだ。たくさんの友人に囲まれ、恋人も作ってしまったら、電車の中や食事中、風呂に入っている間や机に向かって数学の問題を解いているときだって、彼らのことが頭をよぎって邪魔になってしまう。まぶしい太陽の光や、激しい雨の音のせいで、自分が目の悪い女みたいな歩き方で、人生を送ることになってしまう。

そんなめんどくさいことがないように、里香子は自分という雲の中で静かに暮らすことを選んだのだ。

自分だけで完結する人生を送っていて一番いいことというのは、勝敗を気にしなくていいことだ。

勝敗というのは、何も陸上の競争や野球の試合、テストの成績だけが勝負ではない。恋愛経験の数や友人の人数、持っている所持金の多さや服のセンス、食べているものの質など、日常生活のあらゆるところに勝負が潜んでいる。人は自分の中の劣等感という雨をよけるために、自分が誰かに勝てる勝負を見つけ出そうと躍起になる。だから毎日、誰かと誰かを比べようとする。「自分らしくいろ。」という人ほど、自分に自信ががない。彼らは雨に打たれすぎて、自分の傘ぐらいしか、自分を守るものがなくなったからそういうのだ。だから彼らも初戦は、勝敗をしたがっている普通の人間だ。

「自分らしくいろ。」とか、「誰かと誰かを比べるな。」という言葉をわざわざ自分に言い聞かせる前に、そもそも勝負というものを自分の行動パターンから外してしまえばいい。誰が勝負を仕掛けてこようと、それに乗らなければいい。誰かが喧嘩を売ろうと、売られた喧嘩をごみ箱に捨てるぐらいの覚悟で生きるのがいい。たとえそれが負け犬の生き方だとさげすまれても、それは自分の生き方であって、相手に決められるものではない。それは勝利でもなければ敗北でもない。

里香子の中にはとにかく、自分というものしかないのである。自分というものだけで、人生は簡単に完結できる。今となっては、そう思ってしまった。だから

電車の中で人の視線を気にして、どこも知らない誰かのことを考えながら、太陽の光と雨に震えて生きる人々が、異世界の人間にしか思えなかった。

こういう生き方は変えたほうがよいのだろうか。長年その生き方で楽をしてきた里香子は、最近そう思うようになっていた。それは、この生き方がつまらないからではない。周りの人々が、自分のしているこの楽な生き方に、まったく関心を示さず、幸せと不幸せ、善と悪しか興味がないからだ。自分の生き方はとても楽だけれど、この生き方をきている人が、この世界にはほとんどいないということがわかってきた。大人になるというのは、社会の多数派に溶け込むことでもあるといわれてきた。空の雲というのも、まぶしい太陽や激しい雨に溶け込んでしまうことがある。それと同じで、誰にも気づかれぬよう、多数派の一人として、常識に溶け込むことも生き方のすべなのだろう。

しかし、いきなり生き方を変えろといわれても、そんなすぐにできることではない。生き方を変えるというのは、家までの帰り道の途中が通行止めになったから、遠回りをして変えるための道を探すことの数百倍は難しい。

曇り空を愛する生き方というのは楽しい。喜びと悲しみがぼやけて、自分という存在がその中途半端な世界の中で、迷って苦しんでいく世界は、わりとしずかな場所なのである。しかしその世界は、同時に、何もない世界でもある。結局自分だけで生きることができないことを里香子はもちろん気づいているけれど太陽がきらめく世界に飛び出すことも、雨の中へ走り出すことも恐れた里香子はそれを選ばなかった。

自分だけですべてを完結させる人生を望むことは楽な人生を追及することであると同時に、臆病な人間がやることなのだ。ずっとわかっていたことのはずなのに、里香子は、今気づいたことのように思えてならなかった。自分の体から震えが止まらなかった。本のページを開いたり閉じたりしながら、窓の外に広がる殺風景な曇り空を見つめる。鳥はそんな空の上だろうと、なんの不安もなさそうな声でないて、なんの不安もなさそうに鮮やかに翼を震わせている。彼らはなぜそんな顔で、鮮やかに生きることができるのだろうか。彼らだって自分だけの世界に閉じこもっているはずはあるまい。彼らの周りにはいつだって危険が潜んでいるし、子孫を残さなければ彼らの一族は滅亡する。つまり、自分だけで人生は完結しないはずなのである。

里香子は彼らとは違う。自分だけで世界を完結させることで、誰かが押し付けてくる関係から逃げようとしているのである。

流れる雲の先には、きっと晴れた空か、雨の降る街が広がっている。どこかの街では誰かが涙を流し続け、どこかの街では笑顔をいっぱいに浮かべて笑いあう人たちがいる。誰にも見えない世界で、常に無機質な表情をして、一人で歩いている里香子のような人間はほとんどいない。

本の上に広がる世界でも、人はつてに誰かとかかわっている。今読んでいる本だってそうだ。本の中の人物たちはお互いに恋をし、心の牙をむき出しにして吠えかかる。そのたびに傷つき、また新たな勝負をしかけようとする。友人関係に悩み、自分とは何かを模索する。体のあちこちが誰かの肩にぶつかって、今にも自分の姿がばらばらになってしまいそうだ。

なぜそんな不安定な空のような生き方を、わざわざほとんどの人は、選びたがるのだろう。選ばざるを得ないのだろう。

本を勢いよく閉じたとき、学校の最寄駅にちょうど到着したようだ。里香子は、自分と同じ学校に通っている生徒たちがたくさん乗っていることにいまさら気づいた。自分の着ているその制服と同じものを着た彼らは、友人同市楽しく談笑しながら、もしくはスマートフォンの画面に笑いかけながら電車を降りる。

彼らはいつも、どんな世界をみているのだろう。青空だったはずの空が曇って、雨が振り出し、冷たい北風の下でそいつが雪に変わるような、変わり続けるその世界を、彼らはどんなふうに見つめているのだろう。そんな世界のことを、彼らはずっと好きでいられるのだろうか。

大多数の群衆に飲み込まれるように、里香子は電車を降りる。鞄の中では、さっき読んだ本がつまらなそうに里香子の背中にかみつく。そんなふうにかみつかれても困ると、里香子は心の中で怒りをもてあそびながらも、けっしてそれを顔には出さない。誰かに自分を悟られては困る。自分の思っていることは自分でなんとかする。誰かにそれを吐き出せばきっと心配されてそいつの扱いに困ってしまうだけだ。心配されるというのは意外と大変なことなのだ。自分の感情を他人の心の中に住みつかせること。わかりやすくいえば、自分の傘の中に降ったはずの雨が、他人の心に吹き込んでしまうことが心配というものなのだ。里香子はそう考えた。

前を歩く群衆は、最初はみんないらいらしているようにしか見えなかった。前にいる人があまりにもゆっくりと歩くから、足を踏んでやろうとする人がたくさんいる。後ろの人が勢いよく押してくるから、しかたなく早く歩こうとする人がたくさんいる。お互いに肩をぶつけあいながら、朝の憂鬱しかない、雨が降りそうな喧騒をいらいらしながら歩いている。里香子には最初、そんな窮屈そうに歩く人たちしか見えなかった。

しかし、自分もその群衆の中でゆっくりと歩きながら彼らをみていると、必ずしもそんな醜い顔をした人だけではないことがわかってきた。

誰かの邪魔になっていることも忘れて、改札を出たばかりの壁で、昨日みたテレビ番組の話をする女生徒の集団。好きな野球選手の名前を叫びあう男子生徒の集団。高校生だけではない。改札を出たところであいさつを交わし、手をつなぐ20台を少しすぎたばかりのカップル。小さな子供に楽しそうに話をする母親。電話をしながら笑っている、少し変な顔をした中年の男。彼らの顔は、窮屈そうな雑踏の中でも輝いていた。眠そうに長い髪の毛をかきあげながらも、彼らの上の空は晴れているのだ。

いらいらしながら心の中で雷を鳴らす人々も、笑顔で朝を迎える人々も、自分よりもずっと素直で強い人間だと、里香子は確信した。彼らは、誰かと生きるという試練を受け入れることで、自分という存在をも受け入れて、それをどれだけ楽しくて意味のあるものにしようかと一生懸命考えているからだ。晴れの日でも雨の日でも受け入れて、あえてそこに白黒をつける。灰色の雲で覆われていた中途半端で弱い自分を捨てて、どちらでもいいから自分の道を突き進もうとしている。

自分の雲にこもって、可知組を決め込んで、ただ楽ばかりしようとしていた里香子よりも、彼らはずっと強くて、純粋で、明るかったのだ。

今日は晴れていないはずなのに、空からおともなく小さな光の塊が降ってきたような気がした。もちろんそんなことはありえないし、そんなありえないことを考えている自分の存在を誰かに悟られることは、どうあがいても里香子は許すことができなかった。

とにかく今は、どんなに大きな気持ちの変化が起きようと、空の雲のように、群衆の中で静かに一人で生きることを決め込んだ。誰かに追い抜かされても、誰かににらまれても、誰かに盗撮されても、誰かに後をつけられてもいい。そういうことをする人たちのことも目に入らないほど、里香子は自分しか見えない、みていない存在でいようと思ったのだ。

でも、自分が昔からかけているお気に入りのメガネには、笑ったり泣いたり怒ったりする人たちの存在がきれいに移りこんでしまう。まぶしくてうるさくて蒸し暑い、そんな群衆の塊が、雲のそばを行き交っていく。

学校の門をくぐりぬけ、今日も誰にも目を向けられず、誰ともあいさつを交わさず、誰の朝の小言も聞かずに、教室に入る。そして、誰の目線も気にせず、誰の意見も気にせず、誰の偏差値も気にせず、誰かの大学進学実績を気にすることもなく、ただ淡々と授業を受ける。そんな今日を、ずっと頭の中でくるくると回し続けていた。

「やばい!今日もぎりぎりだ!」

靴箱で里香子が靴を履き変えていたとき、後ろから一人の小柄な少女が走ってきた。里香子はその少女を知っていた。高校の決まりで絶対どこかの部活に入らなければいけなかったので、自分が曇天好きだったことだけを理由に入部した天気研究部で一緒の女子である。

いつも遅刻ぎりぎりで学校へやってきて、雨女のレッテルが張られ続けた少女である。里香子はその少女が嫌いだった。でも嫌いだと思うことをやめていた。そんなふうに感情をあらわにしたくなかったからだ。たとえその少女が気に食わなくても、自分にはそんな少女など見えない、自分はその少女の存在にすら気づいていない人間だと考えるようにした。

でもその少女が、靴箱にぶつかりそうになりながら、自分の靴をいそいそと脱いで、荒い呼吸を学校の廊下に吐き出す様子をみて、なぜだか小さく笑ってしまった。こんなにも自分がぎりぎりの人生を生きているのに、彼女がとても生き生きと生きているように見えた。雨が降ったと気にどんなふうに生きればいいのか、彼女なら知っているような気がした。だって彼女はいつも、雨の中を走っているから。

「お…。」

口から声が漏れたとき、里香子ははっとした。なぜ自分が、今日人とあいさつを交わさなければいけないのだろうか。それも、なぜ自分が嫌いなはずの少女とあいさつを交わさなければいけないのか。そんなことをする必要はない。する必要がない

ことも、かかわる必要がない人とも、里香子は距離やおいてきた。それはいままでもこれからも変わらない。変えるつもりはない。それなのに、なぜ里香子はそんなふうに無駄な朝の日常を過ごそうとしているのだろう。なぜ里香子は太陽の光がみたくなったのだろう。

必死で自分の漏れた声を、まるで大事な紙切れを落としたときみたいに拾い上げようとしたのに、そいつはその少女の手の中に転がりこんでしまった。

「あ、里香子…?おはよう!里香子もこんなに来るの襲いの?もうすぐホームルーム始まっちゃうよ。早く行こう。」

いろいろな感情が胸に湧き上がってくる。わたしはいつもならこんな襲い時間に靴箱で考え事にふけったりはしないのに、どうしてそんな同類を見つけたような子供みたいな目でわたしを見つめるのよ。あんたにわたしの何がわかるっていうのよ。あんたは自分の悲しみや悔しさを素直に受け取って泣いたり怒ったりできるかもしれないけど、わたしにはそれができないんだよ!そんなことしたくないんだよ…!だけどあんたはわたしよりも強いんだよね、かっこいいんだよね、すごいよね?声をかけてくれて、うれしさった。

その感情のすべてを言葉にできたなら、メガネを超えた先にいる少女に見せることができたなら、この世界の誰かに届けられたら、どんなにいいだろうか。

自分が抱えていた雲は、こんなところにあったんだ。里香子はそのとき、自分の中に確かに存在する大きな曇天の招待を自覚した。

「じゃああたし、先行くね…。」

里香子が言葉につまることも、話し掛けても何も答えないことも、ほかの人間からすれば日常だった。それはこの少女にとってもそうだった。だから彼女は、里香子が何も答えなくても、とっとと靴箱を後にしようとしたのだ。

「あ、待って…!」

雲からはいだそうと意識しなくても、里香子はそのとき、雲間に見えた、かすかに見えた、学校の電球の何倍も小さな光に向かって叫んでいた。

「え?」

里香子のその驚きの声に混ざってチャイムが聞こえた。

人生のすべてが曇天で、自分しか見えず、周りを何もかも隠してしまうほどの雲を心に抱くのは、それはそれで楽しいかもしれないし楽化もしれない。でもときどきは、誰かに見せられるような自分という天気を心の中から放り出すことも大切なんだ。生き方を完ぺきに変えることなんかできないししたくない。でもときどきなら、こんなにつまらない自分にもできるかもしれない。

里香子は、たくさんの光が渦巻く教室の中に、赤い顔をして雨女の少女と飛び込んで、先生に遅刻の注意を受けたとき、そんなことを思った。

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