恋する乙女の事情
毎日兄の挙動を見守ってから学校に向かっている。アルバイトの前にも会いに来て、電柱に張り付く日々だ。
帆夏は兄の事が好きだが、告白したら兄妹だからと断られた。それでも、好きで諦められず、こうして毎日会いに来ている。
だが、ある日いつまで経っても姿を見せなかった。
(どうしたんだ)
背伸びをして学校の門を見つめていると、後ろから声が聞こえてくる。
「お嬢さん、何をしているの?」
恐る恐る後ろを振り返ると、桃色の髪を揺らして笑う兄の姿があった。
(しまった)
声を出せば正体がバレるだろう。帆夏は硬直する。
「ねえ、お嬢さん、いつも熱心に俺のこと見ているけど、その情熱直に捧げてもいいんだよ」
帆夏は必死に首を振った。
と、帆夏のスマートフォンに着信が入る。ポケットから取り出し、小さな手で握りしめ、兄に頭を下げて去った。
(危ないところだった)
バレバレの好意を向けても、兄は正体など知らないかのよう。むしろ構わずに誘ってくることが、昔から変わっていないと感じた。
帆夏は着信を取る。
「はいなのです」
『モシモシ、本村デス。アルバイトの件でご連絡デス』
「……仕事か」
帆夏は空いた手に装着している、ナックルの表面をそっと指でなぞった。
帆夏は兄を追って同じ仕事に就いている。とは言え、担当が違う。
「次の掃除はどこなのです?」
『駅の近くの倉庫デス。詳しい場所はチャットで送りマス』
「分かったのです」
帆夏は通話を切り、やがて届いた内容を確認する。そして、お面の下でしかめっ面をした。
──魔物二体の掃除。
この仕事は、いつになっても慣れなかった。だが、兄と同じ場所に立つにあたり、帆夏は己が持つ怪力をアピールする事しかできなかったのだ。
帆夏も兄も、コメットという統制団体に所属している。日本に魔物が訪れるようになり、立ち上げられた組織だ。
帆夏は色んな場所の清掃も担当しているが、今回のように裏の仕事を任されることも多い。
兄が知れば、兄として怒り、心配もするだろう。分かっているからこそ、帆夏は正体を隠すことにしたのだ。
「行くか……」
帆夏はコメット指定の高校のセーラー服を翻し、小さな身体一つで現場に向かった。
倉庫の中は静かだったが、奥に進むと囁き声が聞こえてくる。更に近づけば、二体の人外の背が見えた。文字通り、魔物だ。
帆夏は地面を蹴り、躊躇することなく魔物の一匹に殴りかかった。
「ぐあっ!」
勢いよく吹き飛んだ魔物に、もう一匹が動揺したように振り返る。
「なっ、誰だ!?」
帆夏は体勢を整え、魔物を見据えた。
「掃除のアルバイトをしているヒーロー、帆夏なのです」
「掃除い? ヒーロー?」
「はい、貴方達を片付けるのが仕事なのです」
帆夏は距離を詰め、再び殴り掛かる。しかし、先ほど攻撃を与えた方の魔物が尾を伸ばし、地面に叩きつけられてしまった。
「かはっ!」
お面の紐が千切れ、虚しく地面に転がる。帆夏の体に尾が巻き付き、引き寄せられた。
魔物達は下劣な笑みを浮かべる。
「片付けられるのはどっちだろうなあ?」
帆夏は唇を噛み締めた、その時だ。
「──あんた達だよ」
帆夏と同じナックルが、誰かの手によって魔物達に攻撃をくらわせた。尾が緩み、帆夏は自由になる。
地面に手をつき、帆夏が顔を上げると、そこには愛しい兄と彼の相方がいた。
「いてて、もっと痛みを感じたいな」
「おいマゾヒスト馬鹿、いいからお前は彼女を優先しろ」
兄は帆夏を抱き留め、魔物達から距離を取った。
(いつもそうだ)
帆夏は兄を見上げて思う。が、兄と目が合い、思わず逸らしてしまった。
帆夏は人の目が嫌いだ。
あれは数年前の事だった。帆夏はストーカー被害に合い、毎日視線に怯える日々を過ごしたのだ。それを、兄は解決してくれた。ストーカーを見つけ、懲らしめたのだ。
帆夏は兄の事を特別だとは思っていたが、その一件から本気で惚れてしまった。
『ごめん、兄妹だから』
分かっている。それでも、こうして何だかんだ助けてくれる兄を忘れることはできなかった。自分もストーカーのような行いをしていることも自覚しているが、傍にいたい。
「……」
魔物達から距離を取り、帆夏の頭が撫でられた。兄は仕方がないとでも言いたげな笑みを浮かべて言う。
「俺としては、危ない目に合わせたくないんだけどな。あんた、俺の妹に何だか似ているし」
──頭が真っ白になるかと思った。
帆夏が硬直していると、兄はお面を拾って帆夏に渡す。
「でも、こんな所にいるわけがないか」
帆夏はお面を受け取り、黙って身に着けることしかできなかった。本当は今すぐ抱き着いて、打ち明けて、戻ってきてほしいと伝えたかったのに、だ。
「おい馬鹿、終わったぞ」
「ん、ああ……俺この子送っていく。ねえ、あんた、名前は?」
帆夏は口を開きかけ、また閉じた。
少し迷っていると、兄の相方が代わりに答えてくれる。
「帆夏だよ、掃除のアルバイトしている」
「掃除……そっか、大変だったね」
兄は優しく頭をなでてくれた。
自分の名前と兄の名前をとって、帆夏という名前にしたのだが、どうやら気づいていないらしい。帆夏はそっと肩を撫で下ろす。
それから、帆夏は首を振って頭を下げた。そのまま走り出し、驚いたように引き留めようとする兄に、帆夏は振り向いて手を振る。兄は少し不満げな顔をした。
「一人じゃあぶないよ」
いいんだ、という言葉も呑み込んだ。もう一度頭を下げて去ってしまう。
青い空ももうすぐ終わり、夜が訪れるだろう。
「……仕事の報告をしないと」
帆夏はスマートフォンを取り出し、援助があって対象を排除できたこと、片づけのみ後で行うことを報告した。
ナックルの表面を指で撫で、兄のことを考える。兄が同じものを持っているのは、帆夏がもっと強くなればいいとプレゼントしたからだ。
髪色まで同じにしてしまい、自分はストーカーと差異ないのかもしれない。だが、帆夏はもう後戻りができないのを感じていた。
帆夏のスマートフォンに、報告の返事が来る。お礼を添えて消灯すると、背後から通知の音が聞こえた。
「帆夏サン」
「……本村、何でいるのです」
「助けてもらったと聞いたので、心配デ」
嘘だ、という言葉を呑み込み、帆夏は相手を睨みつける。だが、相手から余裕そうな視線を返され、戸惑ったように逸らしてしまった。
「やっぱり怖いんデスカ?」
「誰のせいだと思っているのです」
「……くくっ、そんなの言わなくても分かるだろ?」
帆夏はストーカー被害を受けたことがある、──金に目が眩んで本村の指示に従った男に。
更に、聞いた話だと、兄をも貶めたことがあるらしい。兄が今の仕事に就いた時に、本村が配属先を故意に変えたという。
「ゲス野郎が」
「おや、そんな口利いて良いとでも? 誰のおかげで愛しいお兄さんの傍にいられると?」
「……」
兄に言ったらきっと怒り、心配するが、幻滅もしてしまうだろう。自分は悪からの囁きに惑わされてしまった。敵の手を取り、自ら汚れ仕事についてしまったことも含め、許される筈がない。
帆夏はもう多くを望んでいなかった。ただ、兄と一緒にいたい。その恋心だけで動いている。
了
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