捨てられた現実

 もう駄目かと思った。

 両親に強いられた軟禁生活の中で、虐待を受ける日々が続いた。だが、苦痛の日々も終わりは来るものだ。

 開かれたドアから光が差し、桃色の髪の青年に抱きかかえられる。


『もう大丈夫』


 温かい言葉と腕の中に、すっかり安心して眠りについた。



 ● ● ●



「おい、バーカー」


「ステラちょっと待って、今良いところだから」


 現場で漫画を読む馬鹿な相方に、赤いネズミのフードを被ったステラは眉をしかめる。視線をターゲットに移せば、身を寄せ合う魔物達がいた。

 時は現代だが、日本は異世界に住む人外から狙われている。曰く、地球は魔法を使わない生物が住んでいるらしく、魔力が星に満ち溢れている状態だ。故に、魔力を渇望している異世界の者達にとっては絶好の苗床で、見事目をつけられてしまったらしい。

 ステラ達が小さな頃の真夜中に大乱闘が起き、以来こうして魔物が潜り込んでいる状態だ。

 それを視察したり監視したりするのが二人の役目だが、相方は顔を上げやしなかった。


「おい、馬鹿」


「いいね、もっと強く言って」


「うるせえマゾヒスト」


 緊張感のない相方のせいで、こちらまで仕事に集中できない。

 と、誰かに声をかけられる。


「おい」


「……ん?」


 ここにはステラ達と魔物しかいない筈だ。

 ステラが振り返ると、魔物達が獲物を狙うかのような目でこちらを見ていた。


「呑気にお喋りとは、いい度胸じゃねーか。お前ら地球人だな?」


 はいそうです、と続けてしまうような状況ではない。

 ステラは恨みを籠めてバーカーを睨んだが、何故か親指を立てられた。馬鹿野郎と言いたいが、代わりに親指を下げておく。見ていた魔物がツッコミを入れる。


「遊んでんじゃねーよ!」


 ステラは頷いた。


「同感だね。……じゃあ、仕事しますか」


 次の瞬間、ステラは勢いよく日本刀を振り上げる。魔物の一匹が反応するよりも早く、その腕を切り落とす。魔物から呻くような叫び声が上がった。

 周りの魔物も襲い掛かってくるが、ステラは小柄な体を駆使して身軽に避け、体を回して一匹の胴体を切断する。間髪入れずに蹴りを繰り出し、もう一体を壁へ飛ばした。


「ぐあっ!」


 ステラが体勢を整えると、バーカーの呑気な声が聞こえてくる。


「がーんばーれー」


「お前も戦え、馬鹿者が」


「俺は視ることしかできないんだよ。それが仕事だから」


 確かに、視察に加えて魔物の始末も任されているのはステラだけだが、今は緊急事態と言えよう。

 バーカーは何故かネックレスのように、ナックルに紐を通して首から下げている。何でも妹から貰ったものらしい。


「守護志願者だったなら、俺のことも守れ。そのナックルを有効活用しろ」


「いや、まだ志願してるから」


「お前を監視に採用した面接官、もう担当外れたんだから諦めろ」


 などと会話しながら、戦いを繰り広げられるステラは実に器用だ。

 一方のバーカーにも魔物からの拳が振り下ろされる。バーカーは間一髪で避け、ナックルを紐ごと首から外した。そして、何故か振り回し始める。


「これ、当たったら痛いんだろうな。俺も当たりたいな」


「馬鹿言ってないでちゃんとした使い方をしろ!」


 ステラは回し蹴りを決めながら叫ぶ。勢いでねずみのフードが外れ、女性の素顔が現れた。

 残り二体となった魔物がたじろぐ。


「お、女の人間だったのかよ……」


「あ?」


 睨みを利かせるステラに、バーカーがふと軽く手を振った。


「スーテーラー」


「ん、……ああ」


 ステラはにやりと笑い、言い放つ。


「チュウ!」


 それが合図のように、四方から他の人間達が駆けつけ、魔物達を囲む。──援軍だ。


「俺らコメットを舐めんな」


 かくして、無事に昼が終わった。




「──今回の件は始末書ものだぞ」


 二人は上司に呼び出され、怒られることとなってしまう。

 ステラが頭を下げるが、バーカーは聞いていないように余所を向いていた。


「すみませんでした……おい馬鹿」


「ん? んー、あー、俺情報拾っちゃったから見逃してくれない?」


 は?

 ステラと上司の声が重なる。バーカーは上司に近づき、紙を一切れ差し出した。


「次の襲撃予定地だってよ」


 ステラが思わず目を丸くすると、気付いたバーカーがウインクをしてくる。


「これでも、仕事に集中できる男なんでね」


 いつの間に、と言いたいところだが、以前も何度か同じことがあったので、ステラは慣れてしまったように溜め息をついた。サボっていたりピンチに追いやったりした事実は消えないが、やる時はやるので、仕方ないと呑み込んでしまう他ない。上司も同じようで、対応しなければならないからと言って二人を見逃した。

 バーカーがあくびをしながらスマホを開くのを、ステラは横目で見て思う。


(あの時もそうだった)


 ステラは数年前バーカーに助けられた事がある。今の生活を送る前の、一般人だった頃の話だ。ステラは親から軟禁状態で虐待されていた。

 父親はパチンコに明け暮れ、酒もよく飲んでいて、金遣いが荒い。母親はストレスを抱え、一人娘に暴力を振るった。そして、傷が目立つものになると、近所や学校の目を避けてほしいと家から出して貰えなくなる。気付けば、青い空が見れない日々が多くなっていた。

 親が留守にしたある日、ボロボロになった体を引きずり、窓を覗くと誰かと目が合う。それがバーカーだった。

 まだ見知らぬお兄さんであるバーカーは、目を丸くした後に微笑み、口をゆっくりと動かし始める。


『待ってろ』


 戸惑っていると、彼は手を振って去ってしまった。それから一時間後に、彼は仲間と共に家へ訪れたのだ。

 ステラという名前はバーカーがくれた。星のように輝けるといいね、と笑って。

 だが、ステラは自分のことを汚れていると感じ、自ら真っ赤なねずみの格好を始めた。


『自虐に走らなくても』


『いいんだよ、こっちの方が落ち着くから』


 ステラはバーカーの所属する、コメットという統制団体に引き取られ、その恩返しにと自ら重い始末の仕事を引き受けたが、バーカーの手伝いもしている。

 ステラにとってバーカーはヒーローだが、ムカつくので言わない。

 親はコメットが怖かったのか、子供の事は要らないから捨てると言ったようだ。故に自分の現実に別れを告げ、ステラという名前で非現実を生きていくことに決めた。

 ステラは赤を揺らし、溜め息を吐く。


「馬鹿言ってないで、飯食いに行くぞ」


「お、食う! やったね」


「言っておくけど、反省会も兼ねるからな」


 不満げに唇を尖らせるバーカーに、冷めた目を向けてからステラは数歩先へとステップを踏んだ。見られない位置で笑みを浮かべ、窓から外を見る。

 あの頃とは違って、もう怒られない。


「食ったら馬鹿んち行っていい?」


「え、お持ち帰り!?」


「仕事の相方に下心出すな、この馬鹿野郎」


 お前まで汚れる、という言葉を呑み込む。そんな事を口に出せば、バーカーは真っ直ぐに否定してくるだろう。ステラ自身とは何もかも正反対の相方だが、付き合いを保つには今ぐらいの位置関係が丁度いい筈だ。

 感謝はしているし、一緒にいて居心地はいい。それだけで十分に満たされているから、ステラは多くを望もうとは思わなかった。

 汚れたネズミにすら情をかけてしまう馬鹿者がくれた非現実を、ステラはこれからも守り抜くだろう。そして、大切にして生きていくのだ。

 これからも、馬鹿な相方と一緒に。



 了

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