第21話 __ VS □□(後編)
「……」
混乱するヴァニタスの様子を、久頭は冷徹に観察していた。
(随分と時間はかかったが……確かに効果は発揮された。所長の言った通りだったな)
対魔人特化致死性毒ガス試作一号。
それが久頭が魔人に対抗するために用意した最大の罠だ。
「毒か……? いつの間に……!?」
(最初から、だよ……ヴァニタス)
口には出さずに久頭は答える。
ヴァニタスが部屋に入り、寝台に向かった時。その時から既に毒ガスは部屋中に充満され始めていた。
そもそも、と久頭は思う。まともな戦闘で魔人に勝てるとは思っていなかったし、そのつもりもなかった。彼はこの事件の犯人が魔人であると分かった時から、魔人に対抗する方法を考えていた。その中で最も可能性が高いと判断した方法は、この毒ガスを十分に吸わせることだった。
しかしこの毒ガスには欠点がある。魔人を死に至らしめるためには、長時間ガスを吸わせなければならない。それもガスが拡散しないような部屋の中に閉じ込めた上で、だ。一見不可能に思える厳しい制約だが……今回のケースではその条件をクリアできた。
まず久頭はヴァニタスの『国王に成り代わる』という目的を推測し、これを利用することを考えた。つまり『国王が警備も付けずとある部屋にいる』と情報を流し、ヴァニタスが自分から罠を張ってある部屋にノコノコと現れる状況を作り上げた。
久頭にはそう情報を流せば、ヴァニタスが部屋に来るという確信があった。なぜならば、ヴァニタスがまだ大人しく城内に潜伏していたからだ。彼は一度国王の襲撃に失敗して撤退している。国王への成り代わりを諦めていれば、そのまま城外へ脱出を図るはずだ。しかしそうはしなかった。つまり国王との成り代わりを再度試みようとしていることは明らかだ。しかも、死体の《虚飾》を見破る恐れのある宝木の存在もある。出来るだけ早い段階で、再び国王へ襲撃を仕掛けたいはずだ。そこに絶好の機会がある、と唆す。久頭にとってみれば、ヴァニタスが部屋に来る事は必然だった。
ヴァニタスが部屋に忍び込み、十分に扉から離れてすぐに部屋から逃走できない位置にまで動いたタイミング。その時に久頭は毒ガスが部屋の中に充満するよう、ボンベからの噴射を開始した。そして自身の気配を隠していた《隠蔽》を解き、ヴァニタスに声をかけた。当然ボンベは《隠蔽》で隠してあるため、ヴァニタスが気付くことはない。ガス自体も無味無臭だからそこから気付くことも不可能だ。
あとはヴァニタスが部屋から出ないように、長時間注意を引き付ける必要がある。そのために逃走経路は塞いでいることを示した上で、推理を披露して会話を引き伸ばした。ヴァニタスが推測したように、魔人として質問に答えさせることも目的の一つだったが、どちらかといえばメインの目的は長時間毒ガスを吸わせることだった。久頭にとってはそれはただの会話ではなく、魔人を殺すために必要な工程だった。理想を言えば、会話しているうちに毒が効いてくれる展開が最もリスクが低かった。しかし、不自然に会話を引き延ばすことも出来ない。その結果、勘ぐらったヴァニタスが部屋から逃亡する可能性もあったからだ。そのため、推理と質問が終わった後は戦闘に移行した。
戦闘に移行した理由はもうひとつある。それはヴァニタスの注意をより強く引き付けるためだ。久頭はヴァニタスが部屋に入った瞬間からずっと、《感知》で彼のバイタルをモニターしていた。毒の効き具合を見計らうためだ。その結果、久頭が推理を披露している間にも徐々に毒はヴァニタスの体を蝕んでいることがわかっていた。それは本当に少しずつの変化であり、注意しなければ本人でさえも気がつかない程度の変化だ。しかし逆に言えば、他に注意を向けるものがなければ自身の体調の変化に気がつく恐れがある、ということを意味していた。
ヴァニタスは聡明だ。僅かな時間のやり取りでも久頭はそう感じていた。彼が自身の体調の変化に気がつけば、毒の存在にも思い当たり直ぐに逃亡を図る可能性は高い。そうなれば奴を逃してしまう。だから久頭はより強い刺激で彼の注意を引き付け、自身の体調の変化を悟らせないようにした。
久頭は会話中に毒が回りきらず、戦闘に突入する事態も事前に想定していた。そのため《隠蔽》した銃も初めから手に持っていたし、ボウガンとシャンデリアの罠も張っていた。さらに一杉に《強化》もかけてもらい、自身の身体能力を高めていた。いくらこの世界に来て身体能力が上がっていると言っても、素の身体能力では魔人の攻撃を避けることも難しいと判断してのことだ。射撃訓練の後に一杉と訓練していた内容も、この戦闘を想定してのものだ。あの時、久頭は自分と一杉自身の両方に《強化》をかけてもらった状態で、一杉の攻撃を避ける訓練をしていた。訓練の経験があったからこそ、辛うじて幾度にも渡る魔人の必殺の攻撃をなんとか掻い潜り、致命傷を負わずに済んだと言える。
このように久頭の戦闘に対する備えは、出来るだけ攻撃を負わず戦闘を長引かせる方向に備えていたと言っていい。通常兵器で魔人に致命傷を負わせることは難しい。そのため、久頭は毒ガスが効くまでの時間を耐え忍ぶための備えを重視した。シャンデリアの罠も押し潰すことによる足止めを重視した罠だ。もっとも、まともにあの罠を食らわせた時は流石に殺したかとも思ったが……実際には魔人を殺すには至らなかった。
そして最後の攻防。久頭は既に仕掛けた罠も使い切り、もはや殆どできる事は残っていなかった。しかしヴァニタスのバイタルが着実に弱ってきており、僅かな時間を耐え切れば相手が死に至ることがわかっていた。だから彼は腕を《隠蔽》し銃で急所を狙うと見せかけた上で――
「……呼吸、呼吸か! つまり、毒ガス! ……いや、それはおかしい!」
ヴァニタスは這いつくばりながらも、まだその目は死んでいない。
彼は今も吸い続ける毒ガスによってジワジワと体を蝕まれ、今や起き上がることもできない状態にまでなっている。呼吸は乱れ、脈拍は弱々しく、不安定。彼の体は着実に、逃れようのない死へと向かっていた。
(だが、油断はしない。油断できる相手ではない。バイタルは弱まっているが……まだ俺を殺す程度の力は残っている可能性がある。動けない演技をして俺を引き付けて、殺す。そんな算段である可能性がある)
ヴァニタスは死が目前に迫るこの極限の状況の中でも、僅かな手掛かりから自身に起きた事態を正確に把握しつつある。彼は一呼吸毎に体の不調が増すことから、毒の正体がガスであることを看破した。
(恐るべき理解力。そして精神力。……いや、少し違うな。死を恐れない強い精神を持っている、わけではない)
死の実感が薄い。多分それが答えなのだろう。
久頭は戦闘をしながらもずっと疑問に思っていた。なぜヴァニタスは自身の体調の変化に気がつかないのか。いくら少しずつとは言え、戦闘に注意を向けているとは言え、彼のバイタルははっきりと弱っていっていた。立てなくなる直前までそんな体の不調に気がつかない、なんてことは普通は考えづらい。
なぜ彼は自身の体調変化に気がつかなかったのか。それは、魔人には体調変化というものが無縁だからだ。彼らには病気もなければ寿命もない。特製の毒でも無ければ、体調を崩すという経験すらすることがないのだ。体調変化なんて事は普段から警戒していない。だから、気がつく頃にはもはや手遅れなほどの大きな変化が起きていた、というわけだ。頻繁に体調を崩すが故に、小さな体調変化にも敏感な人間には想像もつかない感覚だ。それだけ彼らは自分の体の危機に無頓着なのだ。
それに……そもそも久頭の長話をまともに聞いて余裕ぶっていたのも理解できない振る舞いだ。敵地のど真ん中、あからさまな罠の中、自分の正体はバレている。久頭であれば何が何でも逃げ出す。しかし、彼はそうしなかった。
知能が低いわけではない。判断力もある。しかし……危機感が足りない。
ヴァニタスは例えどんな攻撃をされても、何人が襲ってきても、生き残る自信があったのだろう。だから遮二無二に逃げ出すという選択をしなかった。それは根拠のない自信では無い。高い戦闘能力、通常兵器ではまず死なない生命力。それらに裏打ちされた妥当な自信だ。だが、今回はその自信が仇となった。
寿命もなく、戦闘でもまず死なない。彼らの仲間とて、まだ一人しか死んでいない。魔人達は死をあまり知らない。体験していない。目にしていない。人間は多く殺しているが、それは別の生物の死だ。自身に迫る脅威としての死は驚くほど縁が遠い。
だから――死が目の前に迫っている今ですら、ある意味でヴァニタスは冷静だ。それは脅威でもあるが、危機感の薄さは弱点にもなり得る。
(あるいは――殆ど弱点がない魔人達の、唯一の致命的な弱点なのかもしれない)
久頭が観察している間も、ヴァニタスはまだ思考を止めていないようだった。
「……どうしてだ! 魔人に効果をもたらす程の強力な毒、人間が吸って無事で済むはずがない! なぜ君は……っ!?」
そして久頭の顔を見て……何かに気がつく。
「待て、待て待て待て……! なんだ、それは……! いつから……がはっ」
(……なるほど。とうとう見えたか、これが)
今やヴァニタスは息も絶え絶えだ。彼の驚愕の程度は激しいが、それに反して声は弱々しくしか出ていない。バイタルはとっくにレッドゾーンにあり、指一本すらまともに動かないだろう。
「……そうか、そういうことか! 最初から隠していたのか……その――防毒マスクを!」
(――ご名答。この防毒マスクこそが、罠を機能させるための最大の仕掛け)
ヴァニタスに、それと気が付かせずに毒ガスを吸わせる。
そのためには、防毒マスクを付けている人間が目の前にいるわけにはいかない。
かと言って、マスクを付けずに同じ部屋にいれば、毒でその人間も死んでしまう。
では誰も配置せずヴァニタスを誘き出したらどうか。その場合は国王が居らず、人形しか寝台に無い時点で罠だと気がつき、部屋から逃げ出してしまう。あるいは国王を犠牲にすれば物理的には罠にかけることは可能だが、この国の人間がそんな手段を取れるはずもない。この作戦にはハイメの協力が不可欠だ。
つまり結論はこうだ。ヴァニタスに毒ガスを吸わせるためには、防毒マスクをしているにもかかわらず、まるでしていないように見える人間が彼の注意を引き付ける必要がある。
不可能にしか思えない条件だが、久頭には可能だった。《隠蔽》の権能があるからだ。
久頭のしたことは単純だ。彼は最初から《隠蔽》をかけた防毒マスクを装着した状態で部屋の中にいた。そして会話中も、戦闘中も防毒マスクをずっと付けていた。それだけだ。
最も相手の目に触れる顔。その前を覆っているマスクを《隠蔽》する。大胆極まる作戦だが、久頭はそれが可能であると判断した。
しかし、マスクを《隠蔽》で隠した場合、本来隠されて見えない顔は相手にどのように見えるのか。
久頭はこの検証も事前に行っていた。射撃訓練後の一杉との訓練。《強化》状態での回避の訓練をしていたが、この時も久頭は《隠蔽》した防毒マスクを付けていた。出来るだけ実戦を想定した状態で訓練に臨むためだ。その時、一杉は『楽しそうな表情に見える』と言った。その一言で、久頭は相手に自分の顔がどのように見えているかを知った。どうやら声の調子などから見る者が想像で補完した顔が見えているらしい。実際にはその時の久頭はへばり切った顔をしていたからだ。ちなみに、その後で来た宝木には妙な顔をされてしまった。彼女には防毒マスクをつけている久頭が見えていたからだ。なぜそんな物をつけているのか、と思うのも無理はないだろう。
そして――戦闘に移る直前のヴァニタスと久頭の会話。ヴァニタスはこう言った。『あなたは笑っているように見える』と。その言葉で久頭は、ヴァニタスに防毒マスクが見えていないことを確信できた。
もっとも、《隠蔽》は決して完璧な権能ではない。あると疑ってかかれば、数秒でその効果は切れてしまう。たった今、ヴァニタスの目にマスクが見えたように。だから尚更、彼に毒ガスによる体調不良を気づかせるわけにはいかなかった。実際のところ、薄氷の上を歩くような作戦には違いなかった。
(だが……結果的には成功した)
「は……ははははは! やはり、君は、きみは……脅威になる。私が……殺して、おかな、ければ……」
ヴァニタスの言葉は、もう殆どまともに発音できていない。常人の耳にはコヒュー、コヒュー、と辛うじて空気が喉を通る音が聞こえるだけだ。
久頭はそんなヴァニタスのそばにゆっくりと歩み寄る。これだけ弱っている姿を見てもその視線は冷徹で、一切の油断がない。
バイタルも見ながら、もはや彼に動く力がないことを確認する。そして彼のそばに膝をつき、首筋に手を当て。
(権能:《接収》――【
彼のステータスが変わっていることを目の端で確認。
『NAME:ヴァニタス
AGE:7075
権能: 』
ナイフを引き抜くと大きく振りかぶり――。
「さよならヴァニタス」
その手で、確実に止めをさした。
(ふう……何とかなったが、ギリギリだったな)
改めて《分析》でヴァニタスを見る。もう彼のステータスは表示されない。ただ成分が表示されるだけだ……あの死体のように。
「死亡確認。作戦完了」
そう、そっと呟く。
《接収》による《虚飾》の奪取。
それが久頭がこの作戦を一人で実行した最大の理由だ。
《接収》は死んだ相手から権能を奪うことはできない。久頭は《転位》を奪えなかったことでそれを知った。だからヴァニタスから《虚飾》を奪うためには、殺す前に直接触れる必要があった。
しかし、久頭の戦闘能力で直接触れる距離まで近づくことは、通常不可能に近い。そんな近距離まで近づけばそのまま殺される危険が大きすぎるからだ。実際、戦闘中に至近距離まで近づいた瞬間はあったが、ヴァニタスの攻撃を回避することに専念していなければ即死しかねなかった。万が一、運よくヴァニタスに直接触れ《接収》を起動することができたとしても、その直後に殺される可能性の方が高かった。彼の戦闘能力の大部分は権能ではなく、魔人としての能力にあったからだ。
そこで久頭は徐々に相手を弱らせる毒ガスを利用した。毒ガスで十分に弱らせた後であれば、比較的安全に接触することができるからだ。
だが戦闘を他の人間も交えて行なっていたらどうなっていたか。ヴァニタスが毒ガスで弱り始めて隙を見せた時点で、久頭以外の人間がすぐに殺していただろう。そうなれば《虚飾》を生前に奪う事は出来ない。
もちろん、表向きの理由は違う。彼は実は自分が《隠蔽》を持っていることを明かし、その制約条件も説明した。
『《隠蔽》:自身とその所有物を認識されにくくする』
彼が《隠蔽》の発動対象に選択できる物は、彼の所有物に限られる。そのため、彼以外の人間がこの部屋にいたとして、その人物が身につけている防毒マスクに《隠蔽》は発動できない。他の人間が身につけている時点で、それは彼の所有物とは認識されないからだ。……実際には発動可能かもしれないが、少なくとも彼はそう説明したし、ハイメ達もその説明に納得した。
それでも複数人で戦闘に臨んだ方がいい、との意見ももちろんあった。久頭はこれにも反論した。複数で囲んだとしても、魔人の戦闘能力を持ってすれば包囲網を強引に破り逃亡を成功させる可能性の方が高い。ハイメ以外は逆に人質に取られる可能性すらある。それよりは、久頭一人で現れて油断させ、毒ガスを吸わせる方が成功確率が高い。彼の作戦は主にハイメと一杉の賛成により受け入れられた。
彼の作戦は概ね思惑通りに成功した、といえる。
とはいえ。
全く何の損害もない、完全な勝利。そんなものは、稀だ。
彼もまた、相応の代償をその身で支払っていた。
(血を、流しすぎたか……)
意識は朦朧とし、視界が霞む。
彼の体には無数の傷ができている。
致命傷こそ避けているが、決して浅い傷ばかりでもない。
傷からは今も止めどなく血が流れ出ており、床の血溜まりは広がり続けている。
「あとは……たの、んだ……」
そう呟きを残し。
べちゃり、と床に崩れ落ちる。
――そこで彼の意識は途切れた。
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