第13話 死体

 明け方、久頭は死体が発見された現場にアダラとともに訪れていた。アダラは最後まで危険だからと現場に来る事に反対したが、最後は久頭に根負けした形だ。


「おはよう。やっぱり君も来たね、瑠牙」


 久頭が現場に着くのとほとんど同時に、一杉も現場にたどり着いていた。隣では従者が妙に渋い顔をしている。どうやら彼も反対を押し切ってここに来たようだ。

 一杉は無駄に爽やかな笑みを浮かべながら言葉を続ける。


「寝心地はどうだった? ベッドはふかふかだったけど、僕はあんまり眠れなかったよ」

「俺たちの睡眠事情は今はどうでもいい。あれが遺体か」

「……ああ、酷いもんだよ」


 遺体の状態は、目を覆いたくなるような酷いモノだった。正面から力任せに頭を掴まれたのだろう、手の形に頭蓋骨が陥没している。その目は恐怖に見開き、口は大きく開かれ、喉は半ばからちぎり切られている。引きちぎられた喉から噴出したのだろう、部屋の大部分に血がかかっている。


「人間業とは思えないね。おそらく、まず頭を掴んだんだ。しかし掴まれた男は恐怖と痛みで叫び出す。そこで、慌ててもう一方の手で喉を引きちぎった。そんなとこかな」

「そうとしか見えないな。しかし……」


 久頭は思わず、と言った様子で顔をしかめる。


「まるで人を粘土みたいに変形させている。とんでもない握力だな」

「僕は犯人がわかったよ。動物園から逃げ出したオラウータンだ」

「残念、そりゃハズレだ。手の跡を見ればわかるが、この犯人は親指の位置も人間と変わらないようだからな」

「わかってる。もちろん、冗談だよ」


 一杉はそう言って肩をすくめる。彼も久頭も人間の死体を見るのは初めてのはずだが、まるで動揺した様子はない。

 そもそもこの世界にオラウータンはいるのだろうか、と思いつつ久頭が話を先に進める。


「アダラさん、一つ確認したいのですが。この世界の人間の力でこのような犯行は可能でしょうか?」

「いえ、とても人の力では無理でしょう。何かの権能を使えば可能かもしれませんが……」

「じゃあ容疑者は一杉だな。《強化》で再現可能だろ?」

「酷いなあ。夜はずっと自分の部屋にいたよ」


 クスクスと笑いながら言う一杉。隣で従者がうなずく。一杉も従者に監視されていたから、部屋にいたのは事実だろう。


「可能性を挙げてみただけだ。いや、他にも力が強くなる権能の使い手がいるかもな?」

「差し出がましいようですが、それはありえません」


 そこにアダラが口を挟む。


「この国で権能を持っているのはハイメ団長だけですから。当然、この王城に他国の者はいませんし」

「……それは確かですか? つまり、他に権能を持っている人がいない、と言う点ですが」

「はい。クズ様達も権能をドゥーべ様に確認して頂いたんですよね? ドゥーべ様は国中の人間の権能を、あの道具を使って直々に確認しているんです。数年前から時間をかけて各都市を回り、ついには国中の確認を終えています。もちろん全国民に確認を受けるように正式に国から命令を出した上での作業ですから、老若男女問わず一人残らずこの確認を受けています。その結果、ハイメ団長以外に権能持ちはいなかったそうです」


 一杉はその言葉に深くうなずきながら、言葉を返す。


「ならまず確実ですね。しかし、なぜわざわざそんな事をしたんでしょう? 聞く限りかなりの労力と時間がかかる作業のようですが」

「何でも……権能の発現を隠している者や自覚していない者がいるかもしれないから、と言う理由だったと記憶しています。今までそんな例は聞いたことがないので不思議には思ったのですが……」


「前例がない事を疑って、わざわざそんな大掛かりな検査を行ったんですか?」


「低い可能性でも、やらずにはいられなかったのかもしれません。魔人との戦いに備えて少しでも多くの戦力を得る、それが王国の長年の悲願でしたから。ドゥーべ様は長い間、権能の発現に関わる研究をしていたそうです。その研究も権能持ちを増やして戦力を調えるための研究でした。しかし、結局ほとんど成果は得られなかった。そこで最後の手段として行ったのが全国民の権能の確認。そんな事情だと聞いています」


(ドゥーべさんは研究畑出身の人だったのか。所長の知り合いかもしれないな)


 久頭はそんな事を考えながらも話を進める。


「その手の権能持ちの線も薄いな。と、なるとやはり――」

「――魔人の犯行だろうね、これは」

「……まだ断定は出来ないが、その可能性が高いな」


 久頭と一杉は頷き合う。ここまではただの確認だ。

 それよりも、久頭には気になっていることがあった。


「この被害者の男、俺達も昨日会ったことがある男だな。顔に見覚えがある」

「そうかい?僕は覚えがないけど」

「じゃあすれ違っただけかもしれない。どこで見たんだったか……」

「彼の名はマルコ。昨日、我々の入城に際して門を開けてくれた男だ」


 そこに、ハイメが声をかけてきた。

 彼はドゥーべとともに部屋に入ってきたところであり、丁度良く久頭達の会話が聞こえたようだ。


「……思い出しました。確かにその時に見た方です」

「おはようございます。ハイネ団長、ドゥーべさん。申し訳ございません、勝手ながら遺体を見させてもらっています」

「構わないよヒトスギ君。君達にはその権利がある。昨日の今日だ。魔人の脅威を正確に知りたい、そう思うのは当然だ」


 ハイメはさっぱりとそう答えるが、後ろのドゥーべは渋い顔をしている。彼らの中でも考えの違いがあるのだろう。

 ハイメは瞑目しながら言う。


「マルコは私の長年の友でもあった。いや、私だけではない。マルコはほとんどの兵士と親しかった。情に厚く、職務に誰よりも忠実な男だった。彼が王城を守っていると思えばこそ、私も心置きなく戦場に赴くことができた。それが、なぜこんな……」


 声を震わせるハイメの様子に久頭達は押し黙る。このように無造作に殺された男にも、彼の人生があった。当たり前のことだが……それを容易に想像できる程の経験は、まだ少年達にはなかった。


(しかしどんな人生を生きていようと……死んでしまえばそれまで、か)


 久頭は先程から《分析》でその死体を視ているが、名前や年齢のステータスが表示されることはなかった。死体の構成成分は《分析》で見ることができる。だがそれは、なおさらただの死体(もの)である事、生前の人間ではない事を実感させる表示だった。


「……元世さんにも来てもらおうか。もしかしたら《回復》の権能で……」

「いや、無理だと思う。それに、蘇生が出来なかったら責任を感じるんじゃないか?」

「……そうだね。無理に負担を強いることも」


「ない? でも、もう来ちゃった」


 部屋に入ってきた元世が会話に割って入る。死体を目にしたショックだろうか、顔色は真っ青だが口調と足取りはしっかりしている。従者もついてきていたが、部屋の外で待機しているようだ。

 彼女は死体に近づくと、あえて軽い口調でこう言った。


「試すだけならすぐできるしね。じゃあいくよ。《回復》!《回復》!《回復》!」


 何も変化は見られない。やはり、と久頭が思っている間にも元世はどうにか権能が発動できないかと足掻き続ける。


「《回復》!《回復》!《回復》!《回復》!《回復》!《回復》!《回復》!」


「元世さん、もうやめてくれ。彼は治らない。もう死んでるんだ。《回復》でも……」


「とめないで! だって、クーくんの腕だって治ったんだから……きっと、きっと治るから! 《回復》!《回復》!《回復》!」


 もはや半泣きになりながらも、それでも元世は《回復》を諦めようとしない。


「……ハイメさん。ナイフとかありませんか。」

「ありますが、どうするつもりで?」


 問いつつ鞘付きのナイフを渡す。鞘から刃を少し引き抜くと、久頭は手早く自分の手の指の腹を切る。

 当然、ざっくりと切れた指からは血がドクドクと溢れ出てくる。


「瑠牙?」

「クーくん! ちょっと、何してるの! 《回復》!」


 一杉の問いかけで、元世も久頭の怪我に気がついた。すかさず発動した《回復》の効果で、見る見るうちに久頭の指の怪我は治った。


「こういうことだ、元世」

「えっ、なっなに?」

「お前の《回復》は正常に発動している。発動すればすぐに効果は現れて、治る」


 言葉を切って、久頭は元世を見る。対照的に元世は俯く。彼が何を言おうとしているのか、彼女にも既に分かっていた。


「だけど『死』には効果がない。『死』は治せない……それだけのことだ。わかったら、この部屋から出て行ってくれ」

「……うん、ごめん。頭冷やしてくる。皆、昨日の大広間にいるから。私もそこで待ってるね」


 そう言い残して、元世は部屋を出て行った。





「ありがとう、瑠牙。でも、良かったのかい?」


「何がだ?」


「お礼は元世さんを止めてくれたことに。僕では彼女を止められなかった。質問は彼女に冷たく思われたんじゃないか、ってこと。最後の言い方がね」


「大丈夫だろ、別に」


 ナイフの血を手で拭いながら久頭は淡々と答える。

 そしてハイメに向き直って言う。


「ハイメさん、申し訳ありません。借りたナイフを汚してしまいました」


「いや、気にしないでくれ。それより、私も彼女を止めてくれたことに礼を言いたい」


「……なぜあなたが礼を?」


「彼女は私の亡き友のために、あんなに必死になってくれた。見ず知らずの相手にあそこまで必死になってくれる、素晴らしい子だ。そしてそんな彼女を、君は身をもって制した。だからこそ礼を言いたい」


「いえ、あのままでは話が進まないので止めただけです」


「では、そういうことにしておこう。そうだ、そのナイフはそのまま君にあげよう。血はこの布で拭くといい」


「いいんですか? このナイフ、鞘に高そうな飾りとかついてますけど」


「ああ、由緒正しいものだからね。ささやかながら私の気持ちだと思って欲しい」


「そういうことなら。ありがとうざいます」


 血を拭い、ナイフをしまってから久頭が部屋を見渡す。


「ところで、ずっと聞こうと思っていたんですが……この部屋ってどういう部屋なんですか? 随分と豪華ですが」


「ここは国王が個人的な時間を過ごす部屋です。間取りで言えば、国王の寝室と廊下の間にある部屋、ということになりますな」


 答えたのはドゥーべだ。先ほどから死体を調べたり、部屋の中を調べたりしていたがどうやらそれもひと段落したらしい。


「なるほど国王様の。あちらが寝室ですか……今もあちらに?」


「いえ、こんな状況ですからな。今、別の部屋にお運びしておりました」


「国王の寝室に至る部屋で兵士が亡くなった……つまり、国王を襲おうとした犯人が警備の兵士に遭遇して思わず殺した、と言うことですか?」


「それがそう単純な話でもないのです」


 ドゥーべは眉間に皺を寄せるながら、首を横に振った。



「そもそも、殺されたマルコですが……本来、この部屋にいるはずがないんです」

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