第7話 現状

 古代ローマにも風呂文化はあったらしい。同じように異世界で風呂があったところで特に驚くべきことではない。

 だが、別の可能性もある。この世界に転生者が来るのは初めてのことではないようだ。つまり前にきた転生者が風呂文化を広めた布教して行った、そんな可能性もある。


(立派な大浴場だが、造りは日本のものに近い気がする。色々混ざってはいるが……)


 例えばマーライオンのように水を吐き出しているドラゴンの像があったりする。こちらの世界では一般的なのだろうか?

 久頭が湯船に身を沈めながらそんなことを考えると、一杉が声をかけてくる。


「どう思う? 瑠牙りゅうが

「……急に何だ?」

「名前呼びは嫌だったかい」

「いや、そうじゃなくてだな」

「ふふふ。じゃあ良いってことで」


 1人で勝手に納得すると、こう続けた。


「この世界をどう思う? と、そう聞いたのさ」


 答えにくい質問だ。ある程度の考えはあるが――こいつはどこまで気が付いている?


「俺たちが元々いた世界ではない、そう考えるべきだろうな」

「同意見だ。根拠は?」

「まずひとつ。見た目こそ一緒だが、俺の肉体は完全な別物に変わっている」

「……ああ、僕もだよ。さっき体を洗いながら確認したけど、昔縫った跡が綺麗になくなっていた」

「俺も火傷跡がなかった。それだけなら最新医療技術で可能かもしれないが――」

「――身体能力の大幅な向上。あの獣達との戦闘で実感したけど、権能を使わなくても明らかに運動能力が上がっていた。一方で、体格や筋肉のつき方は変わっていない」


 こうして改めて見ても中々すごい筋肉だが、転生前からこの体格だったらしい。そこに驚きは感じるが、見解自体は一致する。


「……そうだ。出せる力は筋肉量に比例する。体格が変わらないのに、身体能力が大きく向上するなんてことはまずありえない」

「あり得るとすれば、例えば物理法則の異なる別世界とかだね」


「2つ目。ステータスウィンドウと権能の存在」

「もちろん僕たちの世界ではあり得なかった現象だね。元世さんはあれほどの怪我を見る見るうちに治して見せた。ところで、」


 一度言葉を切り、久頭に目線を向けて問う。


瑠牙りゅうがの権能はなんだった?」


「俺は、無かったよ」


 視線が交わる。


「……へえ、じゃあクラスの男子で権能を持ってるのは僕だけか。あの2人も無いって言っていたからね。ところで、メニューウィンドウは開いてみたかい?」

「ああ、ダメだな。ひらけるのはステータスだけだ。」

「僕もだよ。基本的な思考操作方法やUIユーザーインターフェースはVRシステムのものと酷似している。なのに、メニューは開けない。つまり――」

「――通常VRシステムでメニューから出来ること、『ログアウト』や『運営コール』、その辺の機能は使えない」

「だからと言って、それだけではここがVR世界じゃないという根拠にはならない。なんせこれだけ共通項はあるわけだし」

「だが、VR空間だとも考えづらい。そうだろ?」

「また意見が合ったね。今度は僕から根拠を述べるよ。まず、感覚のリアリティが違いすぎる」

「俺も今の世界を限りなく、というか完全にリアルに感じている。普段のVR体験と比較すれば、解像度が何桁か違う。しかしそれは市販のVR機器との比較だから、という考えもできる。例えばどこかの高性能マシンを使えば……」

「いや、僕の経験ではトップメーカーが採算度外視で作ってる最高級開発機でもここまでのリアリティは出せないよ。月とスッポンさ」


 一杉が肩をすくめる。久頭も「なぜそんな大層なモノの使用感を知っているのか」とは聞かない。一杉が多くのグループ会社を抱える世界的大企業の御曹司なのは有名な話だった。彼はそういったモノを使っていても不思議ではない立場の人間だ。

 もっとも、と一杉が補足する。


「世界のどこかで画期的なVR機器が開発されていて、桁違いの性能を発揮できる可能性もゼロではないけどね」


「……それでも解決できない問題もある。この世界の作り込みの深さだ」


「そう、深すぎる。さっきの料理を食べたかい? 味覚再現をあれほどの複雑さ、精緻さで作り込もうと思ったらそれだけで気の遠くなるような手間暇とコストがかかる。いや、そもそも視覚情報だけでも現実と変わらないレベルにするのは非常識な選択だね。森から道中、街、王城と見てきたが何もかも現実としか思えないレベルだ」

「俺は腕がちぎれかけたが、神経・筋繊維・骨の一本一本までこの体に存在するのは間違いない。痛みも人体構造も完全に再現されていた」

「未知の最新鋭機を用意した上で、それだけの作り込みをする。考えるのもバカバカしいほどのコストが掛かるね。目的が何にせよ、僕たちをそんな空間に入れてもコストに見合う可能性はゼロだ」


「だろうな。まだ夢や集団催眠の方がありえる」

「僕はさっき自分の頬を思い切りつねってみたよ。何も変化はないけどね」

「俺は腕をちぎり掛けてみた」

「ははっ。違いない」


 女湯の方からは何かキャアキャアと楽しげな声が聞こえる。あちらはすっかり風呂を堪能しているようだ。

 対照的に久頭と一杉の周囲は奇妙な静けさと、緊張感が存在した。


「ところで、異世界に転生する小説は読んだことあるかい?」

「ある。似ているな、今までの状況に」

「なんだか奇妙な話だね。まるで小説のような事態になるなんて」


(小説のような、ね。おそらくそれは順序が逆。そしてVRは……)


 一杉は続ける。


「瑠牙、君は冷静だね。森でも真っ先に獣たちに気がついた。実に頼もしいよ」

「そりゃどうも」


「そんな君が……なぜあの白い空間では、あそこまで取り乱していたんだろうね?」


 ――来たか。


「……冷静に見えてるとしたら光栄だが、実際はあれが本性さ。今でもビビって虚勢を張っている、それだけだ」


 あくまでも自然な調子でそう返す。想定出来た質問だ、無難な返しもわかっている。


「……それは悪かった。変なことを言って申し訳ない」


 久頭に向けていた射抜くような視線を外し、一杉が呟く。果たして本当に納得したのか。

 彼は本心を誰にも悟らせない微笑を浮かべていた。


「そうだ、思いついた。例えば事故の後、僕たちは長期間コールドスリープされていて、コストとか技術力とか問題にしないほど発達した遥か未来でVR体験しているとしたら……」

「それこそ、異世界と変わりないさ」

「……それもそうだね」


 話に満足したのか、うなずきながら一杉は立ち上がった。


「君と話せてよかったよ。温まったし、僕は先に上がらせてもらうよ」

「ああ、これからよろしく、優人ゆうと


 一杉は意外そうに目をパチクリさせる。


「名前、覚えててくれたのかい?」

「これでも記憶力には自信があるんだ」


「はははっ、君がいればこの異界せかいも楽しくなりそうだね」


 そう言い置いて、一杉は風呂を出て行った。



(やはり気付いているか……俺が権能を隠していることに)


 色々と話していてはいたが、結局のところ一杉の目的は久頭に探りを入れることだったのだろう。

 一杉は久頭が権能を隠していること、それが《隠蔽》のような効果であることまでは確信しているはずだ……久頭の思惑通りに。

 《隠蔽》の存在はいわば囮だ。獣との戦闘中、石に使用し存在を認識しにくくさせていた。いくら暗がりだったとはいえ、見えない石に獣が倒されていけば、なんらかの権能の存在に勘づく者がいても不思議ではない。一杉は反対側で戦闘していたはずだが、チラリとくらいは見る余裕があったのだろう。

 加えて、休憩時間にしていた手品の件もある。近くには宝木と元世しかいなかったが、遠目でも戦闘時の件と結びつけて考えれば概ね真相に辿り着くことは出来る。


 だが、わかるのはそこまでだ。《隠蔽》の存在に気づけても、『他の権能も隠している』という発想にはなかなか辿り着けない。逆に《隠蔽》を隠している、という秘密を1つ暴いた時点で満足し、さらなる秘密があるとはまず考えない。

 

 一杉は久頭の「権能はなかった」という発言が嘘であると考えているだろう。そこから《隠蔽》まではたどり着いている可能性が高い。

 だが、その先にある久頭の錯乱の真相や《接収》に気がつくには圧倒的に推理材料が足りていない。久頭が真に隠すべき点は《接収》についてであり、《隠蔽》までは知られてもいい秘密だった。


(ここまでは思惑通り。……だが一杉は確信が無いながらも、あの錯乱を怪しんでいる。今の言い訳で完全に納得はしていないだろう。警戒は引き続き必要だな)


 その時の久頭は、風呂を出て行く時の一杉と同じ表情をしていた。

 楽しくて仕方がないおもちゃを見つけた時のような表情を。

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