第二章 / 孤島、謎に満ちる

第10話 ゾンビ掘りに行こう!

「……ん……ぅ……」



 日の光がチカチカと、俺とリシェのいるテントの中に入り込む。俺は腕の中でくぐもった声を漏らしたリシェの顔を覗き込み、「起きた?」とその耳に問いかけた。


 リシェはやがて薄くまぶたを開き、ほんのりと桜色に染まるその顔をもたげる。視線が交わった彼女に「おはよー」と笑顔を向ければ、きょとんと不思議そうにオッドアイの瞳が瞬いた。



「……イドリス……?」


「ん? 何? まだ寝んの?」


「……何してるの?」


「捜査官の間抜けな顔見ながらおっぱい揉んでる」



 正直に答えつつ、ちゃっかり腕枕をしながら彼女の乳を鷲掴んでいた手で柔らかなそれをふにゅりと揉みしだく。刹那、握り込まれた拳が豪速で顔面へと発射された。


 ボゴォッ!! と鈍い音を立ててぶん殴られた俺のかたわら、リシェは「ぎゃああああっ!!」と絶叫して飛び起きる。



「こ、この変態!! ばか!! えっち!! 朝から何してくれてんのよアホ罪人!!」


「いって~……。何すんだよ、せっかく捜査官との親睦を深めようと思ったのに。カラダで」


「どんな親睦の深め方しようとしてんだァ!! ふざけんなクソ罪人!! 何かしたらアンタのモン噛みちぎってやるからね!!」


「あ、くわえてくれんの? やったぜ」


「どこまでポジティブな思考回路してんのよォ!? 咥えるか!!」



 顔を真っ赤にして憤慨するリシェに、俺は肩を竦めながら「はいはい、すんませんっした」とテキトーに謝った。未だに俺を睨んで威嚇している捜査官は放っておくとして、俺は重い腰を上げつつ伸びをしてテントを出る。


 この島で過ごして、今日で四日目。起き抜けにリシェの乳を揉んで殴られるのがもはや習慣化しつつある今日この頃である。



「もおお! イドリスのばか!! 毎日毎日、勝手に胸触らないでよね!! あと引っ付くのも禁止! 手繋いで寝るだけしかダメ!」



 続いてテントから出てきた捜査官は、まだ胸を押さえたまま顔を真っ赤にしてそんな事を喚き散らす。


 俺は目を細め、頬を掻きながら嘆息した。



「なーに言ってんだよ、捜査官。毎朝寝ぼけて抱きついてくんのはそっちだろ」


「……は……、えっ!? そ、そうなの!?」


「そーだよ。『怖い夢見た〜』って言って毎日アンタから引っ付いてくるんだぜ。しょーがねえから受け止めてやって乳揉んでんの」


「揉むな!!」



 ギンッ、と吊り上がる目尻。チッ、騙されなかったか、と俺は内心舌打ちしつつ、ぴいぴい喚くリシェの小言を聞き流して空を仰ぐ。


 垂れ込める厚い雲。今にも泣き出しそうな曇天どんてん模様だ。



「雨降るかもなァ。風も強いし」


「え! 洗濯物取り込まなきゃ!」


「おー、取り込んどけ」



 リシェは慌てて干していた服を取り込みに走る。それを見送った後、俺はふと顎に手を当てて考えた。


 そういや、ゾンビって水に濡れて大丈夫なのかな。



(陽の光と炎は嫌がるっぽいけど、水ん中泳いでんのも見た事ねえんだよな〜。この前、肉の味に違和感があったのもちょっと気になるし。どーせヒマなんだから、寝てるゾンビ掘り起こして調べてみるか)



 うんうん、と頷き、俺は洗濯物を抱えて戻ってきたリシェに告げる。



「よし、捜査官。ちょっとゾンビ掘り行こうぜ」


「何て?」


「ゾンビ掘りだよ、ゾンビ掘り」


「芋掘りみたいなニュアンスで言われても全然意味わかんないんだけど」



 困惑した様子のリシェだったが、彼女が洗濯物を置いた瞬間、俺は問答無用でその手を取った。


 途端にリシェの顔が強張る。



「畑があんだし、クワとかスコップとかも多分どっかにあんだろ。探そうぜ〜」


「ちょっとおぉ!? 私行くとか一言も言ってないんですけど!?」


「旅は道連れ、世は情け〜」


「わああん!! やだーー!! 行きたくないいい!!」



 ぎゃあぎゃあ喚き始めるリシェの絶叫などお構い無しに、俺は彼女をずるずると引きずって、クワとスコップを探しに向かったのだった。




 *




「いやー、無事にクワもスコップも見つかって良かったな! じゃ、いっちょ気合い入れてゾンビ掘ろうぜ! ──ってわけで、ガンバレ捜査官!」


「なんっで私が掘るのよぉぉ!!」



 ざくうっ! と勢い任せに振り落とされたクワの錆びた刃床部はしょうぶが黒土の中にのめり込む。そのまま懸命に土を掘るリシェを眺めつつ、俺は干したゾンビ肉をのんびりと齧っていた。



「ねええ! おかしくない!? クワもスコップもあんのに、何で両方私が持ってんの!? アンタも掘りなさいよ!!」


「俺いつもゾンビぶっ殺して料理まで作ってやってんじゃん? 風呂も作ってやったし? たまには捜査官も仕事しろよ、頑張れ犬っころ。ここ掘れワンワン!」


「誰が犬だ!!」


「ほれ、ガンバレガンバレ捜査官そ〜さかん! 掘ったれ掘ったれ捜査官そ〜さかん!」


「もおお、分かったわよ! 掘ればいいんでしょおぉ!?」



 リシェは半ばヤケクソとばかりにクワを握り、不慣れな動きで穴を掘り進める。一方で、俺は木の幹に背を預けながら高みの見物に興じているのだった。


 文句を垂れ流すリシェへとこれ見よがしに干し肉をチラつかせれば、じとりと睨まれて「ばーかばーか!」と舌を出されてしまう。


 ほんと、コイツ弄り甲斐のある女だよなあ〜、なんて思った──その時。俺は不意にある事を思い出し、リシェに向かって口を開いた。



「……あれ? そういや捜査官さあ、最初に会った時、『仲間とはぐれた』って言ってなかったっけ? もうあれから三日ぐらい経つけど、仲間と合流しなくていーの?」



 干し肉を噛みちぎりながら何気なく問う。するとリシェはあからさまに肩を跳ねさせ、明らかな動揺を見せた。


 その不自然な反応に、俺が『おや……?』と訝しんだ直後、彼女は目を泳がせながらへらりと笑う。



「そ、そ、そんな事言ったかなあ〜? 勘違いじゃない? やだなあ、もう、イドリスったらぁ〜」


「……」


「だ、だいたい、このリシェ捜査官が仲間とはぐれるなんて、そんなミスするわけないし? ちょーっと自主的に……、そう、自主的に! 自ら進んで、この島に残っただけだし! そうよ、別にアイツらに捨て置かれて取り残されたわけじゃな──」


「あー、なんだ。アンタ、仲間に見捨てられてこの島に一人で置いてかれたってわけ? 非情なお仲間も居たもんだねえ」



 目を細め、俺は干し肉を咀嚼しながら出任せの憶測を口にする。だがその憶測はどうやら図星だったようで、リシェは見るからに肩を落として俯いてしまった。


 そのまま何も言わないリシェ。

 しかしやがて気落ちした声で「違うもん……」と呟き、再びクワを地面に振り下ろす。


 あーらら、泣いちまったか?


 すっかり落胆して丸まってしまったその背中を見つめ、俺は溜息混じりに腰を上げた。彼女の傍まで近寄り、「おーい」と呼びかける。


 すると、リシェはぽつぽつと語り始めた。



「……私、お父さんが軍の偉い人でね。そんなお父さんに憧れて、私も軍の捜査官になったの」


「んえ? ……ああ、養父だっけ? なんか、そんなんこの前も聞いたな」


「うん……でも、私、何してもドジしちゃって……片目が黒いせいで罪人扱いされるし、雑用すらいつも失敗してばかりだったから、『親のコネで捜査官になった』って、ずっと影で言われてた」


「あー……」


「この任務も、最初からちょっとおかしかったの。いつも雑用ばっかりさせられてたのに、急にこの遠征調査の任務に抜擢されて……でも私は仕事が貰えたのが嬉しくて、まんまと船に乗っちゃったのよ。それで、この島にきたんだけど……でも──」


「──結果的には仲間に騙されて、こんなバケモノだらけの島に一人置いてかれたってんだろ? 厄介払いされたってわけだ。カワイソーに」



 はっきりと結論を出せば、リシェの背中が更に丸くなる。よく見れば肩が震えていて、あーやっぱ泣いてんのか、と俺は嘆息しつつ、ぽんと彼女の頭に手を置いた。



「まあまあ、そう落ち込むなよ捜査官。置いてかれたもんはしゃーねーよ」


「うう……アンタに何が分かんのよォ……。どうせイドリスも、私の事すぐ嫌になって、ひとりぼっちで置いていくんでしょ……」


「さあ? それは分かんねえけど、仲間に裏切られた捜査官の気持ちなら分かるぜ、俺」



 ──だって、俺も仲間に騙されて捕まったんだし。


 柔らかな髪を撫ぜながらそう告げれば、目尻に大粒の涙を溜めたリシェと視線が交わる。「へ……? そうなの?」と問う彼女に頷きつつ、俺はその涙を指先で拭った。



「そー、今思い出しても腹立つわ。同業のクソ女に騙されてさー、気付けば牢屋ん中っつーわけよ。あれよあれよと裁判にかけられて、問答無用で有罪、からの国外追放。そんでゾンビ島到着〜、ってわけ」


「……」


「俺を騙しやがったあのクソ女、今頃勝ち誇った顔で笑ってんだろうなァ。次会ったらソッコーで首ねて殺すわ〜」


「笑顔ですんごい物騒な事言ってる」



 先程までの泣き出しそうな表情は一体どこへやら、若干引いた顔で俺を見るリシェ。「人の首は刎ねちゃだめ! 犯罪よ!」と俺の頬をつねった彼女に「じゃあ半殺しで止めとく」と譲歩するが、それもだめ! と反対側の頬もつねられてしまった。



「な、仲間には置いていかれたけど、私は正義の捜査官なんだから! 悪い事は見逃しません!」


「……はーん。“正義”ねえ」



 頬をつねられたまま、ふっ、と思わず嘲笑ちょうしょうが漏れた。


 ──こんな島を極秘に抱えてる軍の“正義”とやらは、アンタのそれとは違うだろうに。


 そうは思ったが口には出さず、喉の奥へと嚥下えんげする。程なくして俺は再びぽんとリシェの頭に手を置き、「まあいいや」と肩を竦めた。



「正義がどうとか悪人がどうとか、俺には関係ねーもんな。そもそもこんな孤島に追放されちまったんじゃ、正義だろうが悪だろうが俺らを裁くヤツなんざいねーし」


「むむ……」


「だから、例えアンタが仲間に厄介払いされちまったポンコツでも、俺にゃ関係ねえよ。……という事で、捨て置く理由も今んとこない」


「!」


「一応、与えた仕事はしっかりこなしてくれるみたいだしなァ? 置き去りポンコツ捜査官は」



 よしよし、と彼女の頭を優しく撫で、彼女の足元を覗き込む。


 リシェがクワで掘った穴は、しっかりとゾンビの元まで到達していたのだった。



「やりゃあ出来んじゃん、捜査官。いい子いい子」



 にんまりと笑い、撫でていた髪をくるりと指に絡め取る。リシェはしばらくきょとんとしていたが──自分が褒められているのだと理解すると、途端に頬を赤らめて嬉しそうに破顔した。



「……え、えへへ! そうでしょ、出来てるでしょ!? 私、実は優秀なんだからね! ふふん! もっと褒めていいのよ!」


「おーおー、えらいえらい。そうやってすぐ調子に乗るとこは面倒くせーけど」


「がーんっ!!」



 分かりやすく表情を強張らせ、固まるリシェ。


 そんな表情豊かな彼女の髪を指先で弄り始めた頃、頭上から降ってきた雨の雫がぽつぽつと、俺達の肌を打ち始めたのだった。




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