第9話 お風呂に入りたい!

「お風呂に入りたい」



 ──深夜。


 組み立てた魔導式テントの中でリシェがぽつりと呟いた言葉に、俺は「んあ?」と顔を上げた。晩飯をたらふく食って満腹の俺はのんびりと夢うつつを彷徨さまよっていたわけだが、リシェは俺の手を強く握って繰り返す。



「お風呂! に! 入りたい!」


「それ今聞いたわ。水にでも浸かっとけば?」


「ちっがう! お風呂! お湯に浸かりたいのよ!」


「ワガママ言うんじゃねえよ〜、これだから良いとこ育ちのお嬢さんは」



 ふああ、と欠伸をこぼして背を向ける。するとリシェはヌッと背後から顔を突き出して至近距離まで俺に迫った。



「お、ふ、ろ」


「……」


「お風呂! お風呂! お風呂お風呂お風呂ー!!」


「はあ〜〜〜……もー、分かったよ……」



 しつこいリシェの頬をむぎゅりと片手で握り込む。すると彼女はタコのように唇を尖らせたままにんまりと微笑んだ。



「やったー! イドリスありがとう!」


「捜査官、今めっちゃ顔ブサイク」


「ぶん殴るわよ」



 こうして俺たちは再び、外へと出ていく事になるのだった。




 *




「どーですか、捜査官。湯加減は」


「最高〜、ごくらく〜」



 ──数十分後。


 川沿いに古びた──その辺で拾った──ドラム缶を設置した俺は、湯の火加減を調節しながら中にいるリシェに問い掛ける。タオルを巻いたリシェは湯の中でほっこりと息をつき、上機嫌に西の空の月を眺めていた。


 ちなみにこのドラム缶に湯を張るまで、それはもう、マジで大変な苦労があった。まずめちゃくちゃドラム缶に穴空いてるし、汚れてるし。

 その穴を塞いで汚れを落とすまでにかなりの時間を要してしまい、更には足元に敷くための簀子すのこの制作、火を焚くためのスペースの確保、ついでに鉢合わせたゾンビ共も掃除していれば、もはや時刻は明け方である。普通にクソ眠い。



「……いや、つーか俺、何でわざわざこんなポンコツ女のために頑張ってんの……?」


「こらあ! 聞こえたわよイドリス! 誰がポンコツよ!」


「すみません捜査官、あなたです」



 ぷんぷんと怒るリシェをテキトーにあしらい、俺は白み始めた遠くの空を見つめる。朝日が昇ってしまえば、おそらくゾンビに襲われる心配はないだろう。



「ゾンビの奴ら、多分日中は土の中で寝てんだろうな。夜になったら出てくるってわけだ」


「……じゃあ、昼間ならゾンビには会わないって事?」


「そう。あとは火も苦手そうだな。今もそうだけど、調理中とか火を焚いてる時はアイツら近寄って来ない」


「あ、確かに!」



 リシェは頷き、ぽんと手を叩いた。──と、その時。

 髪が水に濡れた事によって、彼女がずっと長い前髪で隠していた片目が覗く。


 それまでリシェの瞳の色は薄紫だと思っていたが、視界に捉えた彼女の左目の色は──右目とは違い、黒い色をしていた。



「……あれ、捜査官。アンタ、瞳の色が左右で違うんだな」



 何気なくそれを指摘すると、リシェはぎくりとあからさまに身を強張らせる。そしてすぐさま片目を隠し、そっぽを向いて黙り込んでしまった。


 あり? と俺が眉を顰めた頃、彼女は言いにくそうに口を開く。



「……変? 気持ち悪い?」


「は?」


「……黒い瞳は、前世で悪い事をした印だって、みんな言うから……」



 俯いて肩を落とし、リシェは湯の中でぶくぶくとあぶくを吐き出した。


 ──黒い瞳は、罪人の証。


 ああ、そういや、そんな迷信めいた言い伝えがあるんだったな、この世界では。



「……私ね、本当は孤児だったの。あんまり覚えてないけど、きっとこの瞳が原因で本当の親から捨てられたんだと思う」


「……」


「でも、今のお父さんがね、私を養女として優しく迎え入れてくれたんだ。それで、王都の軍人だったお父さんに憧れて、私も軍の捜査官を目指したんだけど……『黒い瞳を持つ者は罪人の証だ』って、あんまり周りからは良く思って貰えなくて……」



 ──だからもし、この目が気持ち悪かったら、ごめんね。


 そう言って苦く微笑んだリシェに、俺はそっと腰を上げた。続いて彼女の正面に回り込み、前髪をむんずと掴み上げて隠していた瞳を豪快に晒す。「びゃあっ!?」と奇声を上げるリシェを無視して、俺は至近距離まで顔を近付けたのちに口を開いた。



「べっつに、気持ち悪くも変でもねーよ。日本人なんてほぼ全員目ん玉真っ黒なんだぞ。前世の俺も真っ黒だったし、もう見慣れてる。今は赤眼だけど」


「……へ? ニホンジン? ゼンセ?」


「つーか、オッドアイとかむしろカッコ良くね? 俺が中二の頃なんて憧れまくってたぞ、絶賛厨二病だったから」


「ちゅ、チュウニビョー……? え? さっきから何の話してるの?」



 きょとんとしているリシェの頭をぐしゃぐしゃと撫ぜ、「まあとにかく、」と俺はドラム缶の縁に肘をつく。



「アンタの目は別におかしくない。俺的には前髪上げてたほうが可愛いと思うし、気にしなくていいんじゃね?」


「は、はあ!? かっ、可愛っ……!?」


「うんうん、可愛い可愛い。それにしても捜査官、おっぱい何カップ? Dはあるだろ」


「どさくさに紛れてどこ見てんのおぉ!?」



 しれっと彼女の魅惑の谷間をガン見すれば、バッシャアアン!! と顔面に思いっきり湯を掛けられる。「最低! 最悪! 罪人め! ばか!」と真っ赤な顔で吠えまくるリシェにバシャバシャとお湯をかけられているうちに、いつの間にか朝日が顔を出してしまったようで周囲を明るく照らしていた。


 先程までのしおらしさはどこへやら、日の出と共にリシェもすっかり元気になったらしい。相変わらずぷんぷんと頬を膨らましているこの顔が、俺は案外嫌いじゃなかったりする。



「やっぱ捜査官は、怒ってる顔が似合うよなァ。フグみたい」


「誰がフグだ!!」



 再びバッシャーン! と熱いお湯を頭から被った頃、ポリポリと頬を掻いて嘆息しながら朝焼けを仰いだ俺の長い一日は、ようやく終わりを迎えたのだった。




〈第一章 / 罪人、上陸する …… 完〉

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