第13話 意思
■
「知り合いだったのですね」
「まあ……そうなるか。市場で礼拝所の場所を教えてもらっただけだが」
「そのときに名を?」
「ああ。受けた親切には礼で返すものだ」
「礼、ですか。具体的には」
「本で加護を与えた」
「……つまり、だから、無事だったのですね」
「そうなるな」
「分かっていたのですね、どうなっても無事だと」
「そうなるな」
やっぱり人が悪い、と暫くの問答の後に子供は結論づけるようにぼやき、口を噤んだ。
何故か名指ししても本の力が及ばない男が人質を取って喚く場面に呼ばれたのは厄介でしかなかったが、人質となっていたのが市場で礼拝所や神子について教えてくれた見返りに本で加護を与えた青年メロであったのは幸いだった。おかげで遠慮なく男を吹き飛ばすことができた。
メロが死なない確信などなかった子供は俺の行いに肝を冷やしたらしく憤慨しているが、俺の知ったことではない。俺を崇拝することが過ちであると悟る良い薬になることを願う。
「あっ、そういやアンタ神子様に会えたのか。よかったな」
無傷とはいえ被弾した衝撃からようやく人心地ついたらしいメロは俺に向かってそう言って、思い出したように首を傾げる。
「そういやアンタ、市場でも、今も、急に消えたり現れたりしてたけどありゃ一体……?いや、そういや神子様も突然いらしたような……?」
尋ねるというよりは呟きながら考えをまとめている様子だ。特に返事をしない俺を気にするでもなく、程なくメロは、あ、と閃いた顔をした。
「神子様のお力か!だろ?市場から消えたときは、アンタが神子様に会いたがってるのを察知した神子様が礼拝所まで呼び寄せて、今さっきのは、俺が通り魔に捕まったのを察知した神子様が救いに来てくださったけど、通り魔が神子様のお言葉も届かないほどトチ狂ってたからいかにも強そうなアンタを呼び寄せたんだ!」
だろ?だろ?と興奮した様子でまくし立て、メロが肯定を求めてくる。『神子』の神通力を目の当たりにしたかもしれないと感激しているのだろう。
「いえそれは──」
「ああ、そうだ。そのとおり、すべて『神子様』の御力だ」
否定しようとする子供を遮って俺は大きく頷く。本の力を秘匿するつもりはないが、神子の力とその特別性を否定するのは面倒だ。やっぱり!と瞳を輝かせるメロの隣で子供が咎める視線を俺に寄越す。
「ヴァルガ」
「なんでしょう、『神子様』」
「やめてください。私は」
俺の軽口を思いのほか苦しげに子供は拒絶する。
◇
私は神子ではない。そう言い切ってしまいたかった。しかし、傍らで『神子様に救われた』とはしゃぐメロにその事実を聞かせることが正しいことなのかが、分からない。
ヴァルガは何故すべて私の力だなどと答えたのだろう。メロに事実を告げるべきではないと判断したのだろうか。
「それより、いいのか」
「え?」
不意にヴァルガが問うてくる。その目は私ではなく、プロハが吹き飛ばされた先へ向いている。
「目が覚めたようだが」
見れば、吹き飛ばされた衝撃で気絶していたプロハが震える腕を地面に突いて身体を起こそうとしている。
「え、あ、とりあえずメロ、貴男は逃げなさい」
「えっ、あ、はい、え?や、神子様も、逃げましょう」
「私は」
私を置いて逃げることに躊躇を示してくれるメロの善良さが、私の中の矮小な罪悪感をねじ伏せてくれる。
私は神子ではない。しかし、神子に特別な力があると信じるメロの前では、私は神子たらねばならない。
「私は、大丈夫ですから」
精一杯穏やかに微笑む私に、メロはハッと口を押さえて頭を垂れる。
「す、すんません、そうですよね、神子様には神様がついてるんだ、逃げる必要なんてないや」
「そう、ですね。私には、神様がついてる」
思わずヴァルガを見上げると、物凄い顰めっ面で出迎えられる。
■
無事に逃げていくメロを見送る子供に、再度尋ねる。
「で、どうするつもりだ」
「どうしましょう」
即座に問い返してくる子供に溜め息が出る。問いを変える。
「なら、どうしたい」
「プロハに報いを」
これもまた即座に返ってくるが、俺はそれを疑う。俺はプロハに本の力が及ばなかった理由を考えている。
偽名という可能性はない。もし偽名であるのなら、子供が本に命じてもプロハのいる場所へ着くことはできなかった。
本の力を受け付けない特別な仕掛けがあるという可能性も低い。もし本の力を受け付けないようにできるのなら、本の力すべてを受け付けないようにするだろう。名指しされた場合にのみ受け付けない有益な理由がない。
『本の力すべてを受け付けないようにはできないが、名指しされた場合の本の力を受け付けないようにできる』という制限付きの仕掛けだと仮定するとどうか。そうなると今度は、礼拝所で四肢をねじ切られる危険に身を晒しながらも頑なに名を秘匿した理由が分からない。
そう、プロハは名を秘匿していたのだ。本を使って子供の記憶から自身の名を抹消するほど警戒していた。つまり、名指しされた場合に本の力が及ばないことを、プロハ自身も予測していなかったのではないか。
となると、考え得る原因は、そう多くもない。
「お前の言う『報い』とは、なんだ」
俺は子供に問う。子供は即答しようと口を開き、しかし、言葉にならず、青い目を丸くして俺を見る。
◇
私はプロハに報いを与えたい。ラインハイト、ブーホ、スカルツォ、そして私の両親の無念を想う。人々の思想を、私の人生を、この街のすべてを、神の力を横領し歪めた彼の罪は深く重い。だから、それに見合うだけの報いを与えたい。
しかし、私の言う『報い』とは何か。ヴァルガの問いに、私は答えられない。
「貸してみろ」
沈黙する私の手からヴァルガが本を取り、開き、命じる。
「こちらへ来い、プロハ」
すると、吹き飛ばされたときに打撲した全身が痛むのだろう、なかなか立ち上がれないでいたプロハが、急にすっくと立ち上がり、歩いてこちらへと戻ってくる。まるで痛みなどないかのような動きだが、その額には脂汗がじっとりと浮かび、その表情は苦痛と苦悶に満ち満ちている。
私達のすぐ側まで来ると、プロハは糸が切れた操り人形のように地面へ崩れ落ちる。荒い息を聞いているだけで息苦しくなる。
「効いたな」
プロハの様子など目に入っていないかのように事も無げにヴァルガが言う。そして、開いたままの本を私に差し出す。
「要するに、意思の強さの問題だ」
「意思の強さ、ですか……?」
「お前には相手を思い通りにしてやろうという傲慢さが足りない」
「傲慢さ……」
難しい。思う私を見透かしたようにヴァルガは言い足す。
「イメージが足りない、と言い換えてもいい。『銃を下ろせ』と命じつつ『下ろしてくれないだろう』と考えている」
「……う……」
鋭い指摘に呻くしかない。ヴァルガはそんな私に呆れた様子で問いを戻す。
「『報い』とはなんだ。殺したいのか」
「?!ま、まさか。そこまでは」
「驚くか。お前がこの男にやられたことからすれば当然の報いと言えそうだが」
「それは」
深く重い罪を重ねたプロハに見合うだけの報い、とは、なんだ。私は何を求めていた。
「躊躇はあっていい。その躊躇は、善か、悪か。お前の中の神に問え。どうしたい。どうすることが正しい。お前は何を願う。その願いで以て、本に命じろ」
ヴァルガの声を聞きながら、私は私の意思の形を知るべく、心の奥深くに潜っていく。
続く
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