第10話 黒い血

 俺の死なない身体を見た者は皆、まず驚愕する。そして驚きが収まったあと反応は、大きく二つに分かれる。

 一つは、排斥だ。


「あ、あああ悪魔めェ……ッ!」


 小型拳銃を飽きもせず俺に向けて撃ち込み、弾が尽きて投げ捨てた男は、まさにこれだろう。死なない俺を悪魔と呼び、恐怖し、排除しようとする。大半の者が示す反応でもある。これは分かりやすくていい。御しやすい。

 問題はもう一つだ。稀に、全く別の反応をする者がいる。


「……すごい……本当に平気なんですね……」


 白い子供が感嘆の溜め息を吐いている。青い目をキラキラと輝かせてこちらを見上げている。そこにあるのは、崇拝だ。死なない俺を畏怖し、崇敬しようとするこの反応は、実に厄介だ。


「私は偽者の神子でしたが……真なる神の祝福を目の当たりにした思いです」


 言うに事欠いてまさか神の祝福とは。失笑する。


「祝福?呪いだ、コレは」


「呪い……?」


 不思議そうに呟く子供に付き合うよりも俺は男を使ってこの街に宗教を興した『行商の思惑』を探りたい、のだが。俺は嘆息し、男に視線を向けたまま端的に説明してやる。


「俺は不死だ。だが、不老ではない。この意味が分かるか」


「不老ではない、不死……」


「まあ、仮に不老不死だとしても祝福だなどと思えはしないがな。それでも、老いるのに死ねないよりは、幾分もマシだろう。百年、二百年、老い続けるだけ老い続けて、なお死ねない。俺を待ち受けるのはそんな絶望の未来だ」


 子供は理解したのか、神妙な声になる。


「それは……その、黒い本の力なのですか?」


「だったら良かったんだがな」


「違うのですか」


「違う、とも、言い切れないが……オイ、座れ」


 俺は男に命じる。男はビクリと肩を震わせるが、もう、気力が尽きたのか、抵抗はしない。



 男性の命じるままにもそもそと身体を起こし、床に座る神学師を待って、男性は問う。


「お前はどこまで知っている」


「……何をだ」


「行商は本を『持っているといつか悪魔がやってくる』と言ったのだろう。この本がどういう物か、悪魔とは何か、その仔細をお前は知っているのか」


「……詳しいことは、何も……ただ、本を持っている者のところへ全身傷だらけの、耳の尖った黒い悪魔がやってくる。本を『聖典』に偽装し、何も知らない『神子』に持たせれば、『聖典』に書いた内容を『神子』に読ませるだけで本の力を神に通ずる力と誤認させて信仰心を煽れるうえ、私に危険は及ばない。そう言われただけだ」


 そう答えた神学師の四肢は無事だ。つまり、今の言に嘘はない。嘘はないのか。なんということだ。私は神学師に詰め寄る。


「待って……待ってください。聖典にもこの黒い本と同じ力があるのですか。わ、私は、人々に本の力を使っていたのですか」


 神学師は私を見て、そして、口端を歪める。笑っているようにも、憤っているようにも見える。


「本は開いて唱えれば誰でも使える。……本の力でもなければ、ただ私のでっち上げた『祝福の言葉』で、ただそれを暗唱しただけの子供が、何を為せるというのだ」


「──……」


 それは、そうだ。私は神子ではないし、本は聖典ではない。なんと、いうことだ。私は神学師の手駒となり人々を騙していたのだ。救いたかった人々を欺き続けてきたのだ。私もやはり、罪人ではないか。


「あ、貴男は何故そうも平然としていられるのです。己の罪深さを理解できていないのですか」


「罪?何を言う。救いを求める者に救いを与えることの何が悪い。力の出所が神であるか得体の知れない何かかなど、悩める者には関わりないことだ」


「ならば何故『神子』の神格化に拘ったのです!ラインハイトもブーホもスカルツォも──顔も知らない私の父母も!死なねばならない理由など一つとしてなかった!」


「生かさねばならない理由も一つとしてなかった。それだけのことだ。私の街だ。私の国だ。私が創った、私の世界だ。理想のための犠牲だ。文句があるなら自分で一から創ればいい。私はそうした」


「っ、思い上がりも甚だしい……!」


 救えなかった命を思う。この男のせいだ。そして、私のせいだ。救えなかった。救いたかった。その、救いたいという願いさえも、もしかしたら、この男が本を使って私に刷り込んだのではないか。

 今までのすべてが足元から崩れ去るような錯覚。残るのは罪だけだ。

 いや、しかし。

 私は傍に立つ男性を見上げる。不老ではない不死。それを呪いだと男性は言うが、それでも、神懸かった特性であることは間違いない。思えば聖典から偽りの文字を消したのも、神の如き所行だった。


「我々は裁かれるべきです。神の手で」


 目は男性に向けたまま、私は神学師に諭す。


 男の思い上がりを叱咤する子供が俺を神と呼び見上げてきた目を、俺はげんなりと見返す。


「オイ、誰が神だ。やめろ」


「でも、貴男は『選ぶ側』なんでしょう。我々よりよほど神に近い」


「近くない」


 最初は暗殺者扱い。次は神扱いか。これだから世間知らずの子供は質が悪い。馬鹿なことを言う子供の頭を掴んで、後ろへ下がらせる。


「俺は人間だ」


「でも」


 俺が何者かを決めてかかりたいのか、子供が不満そうに反駁する。その顔を見ないで男を見れば、男も男で、誰が人間だこの悪魔め、とでも言いたげな雄弁な目で俺を睨んでいる。

 この様子では、今まで聞いた以上のことはもう何も知らないようだ。もう少し行商を名乗る者について情報が手に入るかと思ったが、望みは薄いか。

 俺は嘆息し、本を閉じる。


「ッ!!」


 即座に逃げようとした男の襟首を掴み、引き倒し、俯せに転がして、その背に腰掛ける。


「ぐ……っど、退け……ッ」


「俺は神でもなければ悪魔でもない。ただの呪われた人間だ。この世に俺の血を吸った本がある限り俺は死ねない。だから回収して回っている」


「血……?」


 俺の尻の下でもがく男は聞いていないかもしれない。子供は興味深げに俺の言葉を反芻する。



 神学師の上で胡座をかいた男性がナイフを取り出す。持ち物は全て黒ずくめかと思っていたが、そのナイフは極めて普通の鈍色をしている。

 男性がナイフを手にしたことに気付いたのだろう、神学師が大人しくなる。それでも男性は神学師の上から退く気はないらしく、かといって神学師の首や背中にナイフを突きつけるでもなく、私に手を差し出す。


「本を寄越せ」


 私が持つ『聖典だった本』のことだろう。切り刻むのだろうか。思ったが、拒む理由はない。危険な本だ。特に抵抗せず差し出す私に、渡すよう要求したはずの男性が顔を顰める。


「コレの危なさは凡そ見たろう。ほいほい渡すな。少しは抵抗しろ」


「私が渡さなくても貴男は既に持っているでしょう」


「……それはそうだ。が、俺はお前に危害を加えない、と安心しているように見えたから言っている。いいか。俺は神でもなければ聖人でもない。人を殺して生きてきた悪人だ。必要があれば子供も殺す。お門違いな安心だの信頼だのは寄せるな」


「悪人なら、寄せられる信頼に忠告などせず付け入るでしょう。少なくとも、今この場で、私に対する貴男は、悪人ではありません」


 私の反論に男性は面倒になったらしい。眉間に皺を寄せて舌打ちし、まあいい、と私の差し出した本を受け取り、胡座をかいた足の上に置く。


「見てろ」


 そう言い置いて、黒い手袋を外し、ナイフで自らの指先を切り、やはり見間違いなどではなく木炭のように真っ黒な血が滲む指先を、同じように真っ黒な本の表紙に押し当てる。

 少しの間。それから、ズズッと音がした。どこからかといえばそれは、本に押し当てられた男性の指先からだった。行儀悪くもスープを啜るような音だ、と思う間もズズッズズズズッとその音は苦しげに、しかし途切れることなく、続く。


『この世に俺の血を吸った本がある限り俺は死ねない』


 ふと、先ほどの男性の言葉が、今の状況に結び付く。


「本が……血を、吸ってるん、ですか……?」


 気味の悪さと荒唐無稽さに口にするのを憚りながらも問う私を、男性は鼻で笑う。


「逆だ。回収してると言ったろう」


 言われて、気付く。本の表紙の黒が、どんどん、どんどん、薄くなっていく。



続く

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