第5話 遭遇

 夜が明けて、それでもしばらく彷徨い、結局、街に着いたのは日が傾き始めた頃だった。

 雨が上がったのも同じ頃だった。せめてもっと早く雨が上がっていれば方角の見当がついてもっと早くに着けたのに、と考えて、そういえば俺は方位磁石なんてものを持っていたのではなかったか、と思い出したのも大体同じ頃だった。使用頻度が低過ぎてすっかり忘れていた。世話焼き爺に知られたらまだ旅慣れないのかとバカにされそうだ。

 何はともあれ、目的の街には着いた。もうそれでよしとしよう。結果を得られたのなら経緯などどうでもいい。それよりも次にどうするかを考えねばならない。

 宗教国家を謳う集団が牛耳る街というから、てっきり堅牢な壁に四方を囲まれ検問じみた門扉で閉ざされた怪しげな巨大施設を想像していたが、見たところ街は思っていたよりも開放的な造りをしている。俺の立ち入りを誰が咎めてくるでもない。


「礼拝所というのは、アレか」


 雨上がりのせいか時間の割に人の多い市場で林檎を一つ買いながら、街の中心に聳える鐘楼を指さし、店番の青年に尋ねる。俺の容姿を忌避するようにチラチラと陰気な視線を寄越してきていた青年は一転、照明が点ったような笑顔で真っ直ぐ俺に向けて大きく頷いた。


「ああっ!アンタ、ミコ様に救いを求めに来たのかい!そうかそうか、そうだな、その見た目じゃあ如何にも救いが必要そうだもんな」


「『ミコ』?」


 随分な言い草だが、そんなことよりも気になる聞き慣れない音を反復する俺に青年の顔が曇る。


「え?違うのかい?」


 不信感。これはまずい。俺は即座に首を横に振る。


「いや、違わない。この街に偉大な救い主が顕現されたと聞いて遥々来たが、その名までは俺の村に届いていない」


「ああ、そういうことか。確かにミコ様はこの街にしかいらっしゃらない尊い存在だから……噂だけじゃなかなか正確な情報は伝わらないよな」


「救い主はミコという名なのか」


「はは、違う違う。『ミコ』ってのは神の子って意味の呼び名だよ。神の子だから、神子様。御名なんて畏れ多くて呼べやしないよ誰も」


「なんという名だ」


「?なんだ、やけに拘るな」


 不信感。これもまずいか。しかし、この、名に対する警戒心はなかなか良い。今回は空振りではなさそうだ。


「俺の村では尊い存在こそその名で呼ぶべきという文化がある。ここではそうではないのか」


 もっともらしく嘘を吐く俺を青年は疑わない。


「へぇ、ところ変わればってやつだなぁ……ここでは、というか、神殿関係は、だけどな。名前ってのは支配の始まりだかなんだかで、下々が尊い存在の名前を呼ぶのはおこがましいことなのさ」


「名は支配の始まり、か」


 的確だ。間違いない。ここには、俺の探している物がある。


「そう。街の住民が神子様の御名を呼ぶなんてことはないし、それ以前に知らないしな」


「誰も知らないのか。神子の名を」


「ああ。神官どもなら知ってるんだろうがな」


 神子は『様』、神官は『ども』か。神子は好かれ、神官は嫌われているようだ。神子は余程の人格者か。神子に会えば案外すんなりと事は運ぶかもしれない。


「お前は」


 俺の問い掛けに青年は首を傾げる。


「へ?いや、だから俺は知らないって」


「そうじゃなく、お前の名は?」


 青年は目を丸くし、笑った。


「この流れで聞くかい!答えにくいな。メロだよ」


「そうか、メロ。良い名だ」


 答えにくいと言いつつあっさりと名乗るメロは、名は支配の始まりと知りながら、自身の名を教えることへの抵抗感はないらしい。おそらくこれがこの街の標準なのだろう。

 実に『神官ども』とやらに都合のいい標準だ。うまくやったものだ。内心で感心しつつ、メロが気安く俺の名を問い返してくる前に俺は話を変える。


「礼拝所に行けば『神子』に会えるのか」


「ああ、うん、会えるよ。誰でも会える。いつもすごい行列だけどね」


「俺のような余所者でも」


「うん。うん……?あ、いや、あー……どう、かな……?」


「余所者には厳しいか」


「いや、神子様はそんなことはないよ絶対に!けど、ともかく、神官どもがなぁ……アンタのその見た目で門前払いしそうだよ」


 それは問題ない。想定内だ。むしろそういう場所だからこそ用がある。俺を敵と認識し、警戒する場所にこそ、俺が求めている物はある。


「あ、あと、もうすぐ礼拝所の鐘が鳴るから、仮に神官がアンタの礼拝を許しても、鐘が鳴ったらどのみち今日は無理だよ。鐘と同時に礼拝所は閉まるから」


「あの鐘楼の鐘か」


「そうそう。ホントもうすぐ鳴るよ」


「そうか。とりあえずこのあと行ってみる」


 俺は腰ベルトの後ろにぶら下げたホルダーから本を取り出し、開く。


「メロに加護を」


 本に命じる。メロの見た目は何も変わらないが、これで有事の際に一度くらいは奇跡的な生還を遂げるだろう。


「?何?」


「林檎一つ以上の価値がある親切への感謝だ」


「??よく分かんないけど、それよりそれ、その本、神子様が」


 メロが言い掛けたとき、鐘の音が鳴った。礼拝所の、鐘だ。これで礼拝所の正確な位置が分かる。本を開いたままでいてよかった。即座に命じる。


「移せ」


 目を閉じて、開けば、俺のいる場所は市場から封鎖されたばかりらしい礼拝所の出入口の前へと移っている。直近に礼拝所の封鎖をし終えたばかりらしい神官がいる。三人だ。


「なっ、なんだ貴様は?!」


「いっ今、どこから現れたっ??!」


「ああああ悪魔だ!傷だらけの顔に尖った耳!黒の装束!間違いない!」


 唐突に現れた俺に分かりやすく驚き、取り乱し、叫ぶ『神官ども』が煩わしく、俺は本に命じる。


「退かせ」


 直後、三人の身体は巨大な何かに正面から体当たりでもされたかのように弾き飛ばされ、ドカンッと背後の礼拝所を封鎖していた扉に激突する。三人の激突に耐えられなかった扉は破れ、倒れる。

 ついでに礼拝所が開いたのは、偶然ではなく、俺の思うところを忠実に実現した結果なのだろう。つくづく優秀な本だ。忌々しさに舌打ちし、本を閉じ、しまう。

 礼拝所の中心には、まだ、『神子』がいた。立ち去ろうとしていたのを、俺の乱入によって止められたと言ったほうが正しいかもしれないが。

 振り返った人影は随分と小さい。そして、白い。逆光でもはっきりと分かるほど全身が真っ白だ。着ている服だけでなく、肌も、色白という類ではない。漂白された布のように、色を忘れた白さだ。身長と同じ丈の長く真っ直ぐな髪もまた白い。老人か。いや、


「……」


十歳そこそこといったところか。子供だ。この宗教団体の興りが十年前だったことを思い出す。そういうことか。

 俺は一つ息を吐き、礼拝所へと踏み入る。



 人影は、ゆっくりと礼拝所に踏み入り、こちらへと向かってくる。

 沈みかけた日光は私の後ろの窓から差している。だから、人影は一身にその光を浴びている。なのに、人影は人影のまま、近付いてくる。

 違う、と気付いたのは、人影が入ってきて私までの距離を半ば辺りまで縮めたときだ。その人影は、いや、その男性は、影ではなく、全身が真っ黒なのだ。黒い外套、黒い衣服に誂えられた黒い装飾品、黒い手袋、黒いブーツ、すべて黒い装束に全身を包み、腰に下げた剣の柄も黒く、一つに束ねた髪も黒く、肌も、瞳も、まるで闇を写したようだ。

 髪、肌、瞳の色は、街の住人にも様々いる。それらに黒が珍しいわけではない。ただ、身に纏う装束まで徹頭徹尾なまでに黒というのは、この街ではとても珍しい。白が神聖だという教えに従っているからか、これまで私が目にする人々は白を身に着ける人ばかりだった。

 ただ、それよりも、近付くことで色よりも尚、異質な事実が見えてくる。

 男性は、顔中が傷だらけだった。今し方負った傷ではない。幾たびも幾重にも切り刻んだような古い傷痕が顔面を覆っている。目、鼻、口が無事であることが逆に不思議に思えるくらいだ。

 そして、何より酷いのが、耳だ。一見、まるで寓話の挿し絵に登場する悪魔のように尖った耳をしているが、よく見ればそれは、両耳とも、耳介の上半分が斜めに削がれているためだ。

 一体どういった経緯で負った傷なのか。聞けば答えてくれるものだろうか。

 いや、その前に、彼は何をしにここへ来たのか。

 ふと、今更になってそんなことを疑問に思う。とても礼拝をしに来たようには見えない。何しろ、封鎖された扉を破って乱入してきたのだ。さらには、神官ではないのに、剣を腰に下げている。

 私を斬るのだろうか。私の救いが仮初めだと気付いてしまった誰かが、偽者の神子の排除を彼に頼んだのだろうか。

 もし、そうであるならば、仕方のないことかもしれない。


「微塵も慌てないな」


 私の目前まで来た男性は、壇上にいる私と同じ高さの目線で開口一番、そう言った。随分と背が高い。


「慌てる、べきでしょうか」


「そうでもない」


 すげなく言うと、男性は剣に手をかけ──鞘ごと腰から外すと、その場に跪く。私を見上げる。


「作法はあるのか」


「?いえ、暗殺の作法は私には」


 分かりかねます、と答え切る前に、男性はぶはっと盛大に息を吐き出した。笑ったのだと分かったときには、男性は真顔に戻っている。


「誰が暗殺者だ。俺は礼拝者だよ。礼拝の作法を教えろと言っている」



続く

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