第4話 呪い

 細身の割にずしりと重いこの剣に愛着はない。それどころか、はっきりと嫌いだ。折れるものなら折ってやりたいくらいには嫌悪している。

 しかし、今すぐ折ることはできない。いや、折ろうと思えば折れる。いつか必ず折ってやるつもりでいる。だが、今は折ろうとまでは思えない。何せ、便利だ。

 普通に振るうだけでも大木一本程度なら易々と切り倒せるほどの切れ味があるが、先ほど山賊どもを一掃したような使い方もできるし、山に遺棄され前も後ろも分からなくなった俺が山賊どものアジトに真っ直ぐ向かってこられたのも、この剣がこの場にあったからだ。

 俺はこの剣の在処が分かる。どこへ持ち去られようともどれほど離れようともこの剣は俺の意識の片隅にピリピリとした存在感を放ってくる。そして、俺が所持すればそれは止む。

 今もやっと鬱陶しい自己主張を止めたようだ。俺は思わず口を開く。


「……今回取りに来てやったのは、道が分からなくなったからだ。馬車持ちの奴らのアジトなら街へ続く道も遠くない場所にあるだろうと、それだけだ。自惚れるなよ」


 当然ながら返事はない。これは無機物だ。意思などない。そんなことは分かっている。

 ただ、過去、今回のように盗まれたときも、端金で売り払ったときも、善意のふりをして他人へ譲り渡したときも、その辺へ捨てて立ち去ったときも、これはいつも最終的には俺の手元に返ってきた。

 端的に言えば、俺はこの剣に呪われているのだろう。もしくは、俺がこの剣を呪っているのかもしれないが。

 俺の舌打ちにも剣はうんともすんとも言わず、不気味に光ることもなく、ただ静かにその真っ黒な刀身で俺の視線を受け止める。



 スカルツォの所在が分からなくなろうとも、礼拝所の中央に立ち、聖典を片手に私は今日も人を救う、ふりをする。

 私の行いが一時しのぎでしかないことは、礼拝に訪れる人々が皆、見たことのある顔ばかりであることからも明らかだ。数週間前、数日前、あるいは昨日、私に救われた様子で帰っていった人々が今日また救いを求めて礼拝所へとやって来る。

 私が彼ら彼女らへ与える所作や祝福の言葉は、人を救うための術として、すべて私が神子としてこの地へ遣わされた赤子のときから持っていたというこの聖典に書かれている。

 例えば、うなだれて祈りを捧げる人には十を胸中で数える。十数えてもまだ祈りが続くならばまた十数える。それとは逆に、今、私の前で祈る男性のように十数える間に祈りが終わったならば、二千百三十六ある祝福の言葉のうち第一から第百のいずれかを唱える。


「迷える人よ、恐れず待ちなさい。待つことに疲れ、恐れや疑いに心病めるときは、祈るのです。敬虔な祈りを捧げ苦難に堪え忍ぶ貴男へ、救いの御手は必ずや差し伸べられます」


 いずれを唱えるかは祈る人の身なり、体型、顔色、祈る手に震えがあるかないか等々雑多な情報で分岐し、決められている。

 聖典に示されている救いの手引きは実に仔細に、多岐にわたる。この手引きの示す所作を、祝福の言葉を、丸暗記などではなくその意味を、私が真に理解して行えば、結果は違うのだろうか。私に救われた人は永遠に救われたまま、二度と救いを求めて祈ることなく幸福な生を全うできるのだろうか。

 もしそうなれば。

 もし、そうなれば、神子は必要なくなる。

 もし、そうなれば、私は神殿を出て、本を売って、あるいは靴を磨いて、街で暮らすことができる。

 いや、街を出て、旅に出ることもできるのではないか。


「──……」


 しかし、聖典に書かれたすべてを理解することなど、とてもできるとは思えない。

 今もまた、どうして救えたのか分からない男性が、それでも確かに救われた様子で礼拝所を去っていく。



 思惑どおり、山賊の元アジトの出入口からは馬車が通った轍が伸びているのが見える。

 ただ、アジトを知られないために目立つ痕跡を消しているだろうと踏んでいたが、思っていた以上に轍は丸出しだった。アジトを隠そうという気はさらさらなかったのだろう。犠牲者の捜索に訪れる者達もまた奴らのカモだったということだ。奴らの持つ武器が多種多様、いやに充実していた理由はこれか。

 どうでもいい納得を経て、まだ止まぬ雨に嘆息し、小屋から出る前に俺は取り戻した荷物の中から本を一冊取り出す。ホルダーもついでに取り出して、いつもどおり腰ベルトの後ろにぶら下げておく。

 表も裏も背も黒い表紙のその本は、開いても文字一つ、絵一つない白紙ばかりが連なっている。つまらない本だ。だから、どの頁でも同じだ。指先が最初に掛かった頁を手の平で押し開き、呟く。


「弾け」


 そして俺は本を開いたまま、雨の中へと踏み出す。効果は上々、雨粒は俺の肌、髪、服、本、荷物に当たっては弾け、染み込むことなく地面へと落ちていく。

 しかし濡れずとも当たるだけの雨粒は思ったよりも鬱陶しい。ならば、と俺は命令を変える。


「覆え」


 俺に当たっては弾かれていた雨粒が、俺に当たる前に何かに当たって散っていく。これだな。満足して俺は轍を辿って歩き出す。

 この本は俺の剣と同じだ。何で、何を、どう、などという細やかな指示はいらない。雑な命令で命じるままの結果をもたらす。俺に害を為す類の作動は決してしないのもまた同じだ。

 剣と違うのは、本は命じている間、開き、手に持っている必要がある。その点は剣より不便だが、代わりに、本は剣のように自ら形を変えることはせず、周囲の理を変える。為せと言えば為せ、成せと言えば成せる。水中で火を起こすことも、一度行ったことのある場所ならば一瞬で戻ることさえも可能だ。

 とはいえ無論、万能ではない。規模の上限はあるのだろう。が、試したことはない。一度試しに「消し飛ばせ」と命じて小さな島が一つ消し飛んだことがあるから、そうそう試せたものではない。こんな物は、雨合羽代わりに使うくらいでちょうどいい。

 轍は左右に伸びている。どちらが街へ続く道だろう。夜が明ける頃には街に着けるだろうか。



 朝が終わり、昼を過ぎ、夕刻が近付く。鐘が鳴れば区切りだ。待ち遠しい。早く靴を脱ぎたい。

 シュピゴラが作ったこの靴はとても履き心地が良いが、それでも今の私には窮屈だ。この靴はスカルツォの物だという意識がどうしても拭えない。

 早く。早く。鐘よ鳴れ。救いを求める人々を前に気も漫ろな私はなんと無慈悲なことだろう。そう思えど、父へ己の祈りを届けることさえできない私の与える仮初めの救いなどなんの意味があるのか、とも思う。

 一人、また一人、何人もの悩める人を迎え、救われた人の背を見送り、ようやく今日の鐘が鳴る。礼拝所の出入口が封鎖される。ようやく。ようやくだ。私は髪と裾を踏まないように気を付けながら早々に踵を返──そうとしたが、できなかった。ガタンッと、いや、ドカンッと、だろうか、とにかく破壊的な音がしたのだ。

 思わず足を止め、音に釣られるように振り返れば、今し方、鐘とともに封鎖されたばかりの礼拝所の出入口が破られ、黒い人影が一つ、立っている。


続く

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