第41話 鬼ごっこ

 声が聞こえる。僕を呼ぶ声。

 

「段助けて!」

 

 それは、坂の下からのさくやの声。

 

「声が聞こえませんか?」

 

 周りの世話役は首を横に振る。

 不可思議な現象。だけど聞こえるのならそれは現実。

 さくやは今、廃病院で生贄として戦っているはずなのに…。

 『嫌な予感は気のせいだ』と放置するには過ぎる現実感があった。

 業太にそれを伝えると、すぐに僕の不安感を察して桜尋様に伝えた。

 業太の踵は素早く回る。神速の伝令。緊急時の動きに感謝する。

 

「桜尋様は『行け』だってよ、当然、俺も行く」

 

 僕は最高の相棒を得て、坂の下に走る。

 声の方角は抑えてある。

 声は途絶える事なく響く。

 魂からの身体に響く声は僕を震わせた。

 

「あそこが雨を避けているのが見えるか?」

 空を指差して業太は僕に囁く。

 正直、鬼の感度にはあらゆる所で敵わない。

 首を振る。

 

「わかった、追跡は俺に任せろ、水織の声を聞き漏らさない様にしてくれ。上空30mを北に向かっている」

 

「段…」

 

 間違いなく業太の示した方角から聞こえる声、さくやの声。

 不可視の術の賊はさくやを飛行しながら連れ去っている。

 剣撃で撃ち落とすと、さくやの安全が懸念される。

 さくやが生かされているのは、彼女に利用価値がある間だけ。

 何が目的なのか、魂消祭の生贄を拉致する目的は何か、これが神々に知られれば水を差した者は周辺諸国からの非難を免れない。

 人質にするにしても魂消祭の後に拉致をすれば良いだけの話だ。

 目的が解らない。

 だが問題は、今さくやが連れ去られている。

 この事だけだ。

 詮索は後でいい。

 人質が取られた時は焦らない。

 相手を憎まない。恨みは邪魔、激情は邪魔。

 冷徹に。身柄を保護する事。

 失うかもしれない恐怖と焦りに打ち克つ事。

 たとえ、どれだけ大切な人であっても。

 重くのし掛かる不安と恐怖を受け流す。

 静かにやる。

 僕と業太ならさくやを安全に助けることが出来る。

 信じろ、自信過剰は無謀を生む。

 フラットな自信、自由な自信。

 そして自由な不安。

 

 身を隠しながらの追跡。

 さくやの安全を確保してからの襲撃。

 飛行中の姿の見えない賊への襲撃は、さくやに危害を及ぼす。

 

 七夜河中学校。元母校の敷地内に入っていく。敷地内での戦闘経験がある僕らには地の利がある。

 

 不可視の賊が動きを止めた。

 屋上に駆け上がる。

 180cmの男はさくやを肩に掛け姿を現す。

 屋上に十四の妖怪、九名の武者。

 校庭におよそ五百の兵。旅団クラス。

 町内への侵入の規模としては多すぎる。

 

 式神を飛ばし、援軍を要請する。 

 

 練兵は出来ている。

 迂闊に兵力を奪うと定時連絡の不通によりこちらの襲撃に気付かれる。

 

 援軍との合流まで待機。

 冷静に、相手の狙いの把握する。

 賊軍と援軍の交戦を確認したら業太と内部から撹乱すればいい。

 

「よし目標を確保した。速やかにこの町を離れる」

 

 さくやの確保が賊軍の目的だとは予想出来なかった。

 ここは中継地だ。

 

 焦れるな、焦れると腕を振りすぎる。

 気負うな、腰の自由が足に邪魔される。

 

 賊軍は北へ向かう、七夜河港の方角。

 海船か雲船。或いは両方。

 大掛かりな誘拐劇。

 業太は僕を引く。

 

「先に北に回り込む」


 かなり無茶なやり方だ。賊軍の退路を断つつもりだ。

 七夜河港の賊軍の船団の破壊の後、500の旅団との応戦。

 こうなると、援軍が来る前に退路を絶っておかないと決死の覚悟で攻めてくる。

 

「死地だ、業太。お前は良いのか?」

 

「ふん、格好いい事なんて言わねぇよ」

 

 七夜河港へのルートは七夜河山野を全て修行場にしている業太に任せる。

 雷雨の中、二山を越えるルートの選択に戸惑ったが、毘沙門神社を寝床にしている、世聞せき烏天狗達がこちら察知し声を掛けてくれる。

 

「業太我らも混ざる、混ざるぞ」

 

「汝等背に乗れ、背に乗れ」

 

 業太の人脈で援軍を得る。業太はこれを狙っていた。

 世聞烏天狗連を吸収しながら数を増やしていく。

 七夜河港に着く頃のこちらの手勢は70にもなった。

 七夜河港に雲船は無い。

 海船が包囲され強風で波に揺れている。

 方位している船の旗印は葉島(はしま)海賊。

 味方だ。

 

「おぉ、段も業太も来たか、待っとったぞ」

 

 桜尋四天王、葉島はしま時生じしょう、葉島海賊棟梁、緑色の瞳。細いながらも引き締まった体躯の渋壮年。七夜河港も含め大村湾を拠点にした海賊衆を配下に交易や湾岸警護を担っている。

 桜尋様とはまた違う魅力がある。

 

大村湾ここはワシらの海じゃぁ。アンタらの手柄にされたらぁ堪らんけのぉ」

 

 魂消祭を狙って警備の薄い七夜河港を逃走用の軍船十二隻だけを不可視の術で湾内に停船させていたところ、捕捉したそうだ。

 

 あの500の旅団は陸路で侵入してきている。


 彼らは七夜河港の賊軍船団をすでに包囲し終えていた。

 

 これからの話になる。

 退路を絶たれた賊軍は士気を落とし降伏するか、何がなんでも生き残りを掛けて暴走するか。

 乱戦に臨む。

 

「しかし阿呆じゃのぉ…七夜河攻めに500は少なかろぉ、ましてや長崎中の神どん敵に回るぞぉ」

 

 南から開戦を知らせる法螺貝が響く。

 賊軍が現れる。

 運動公園沿いの一本道、片側が大村湾に流れる大きな川が流れていて半円の合戦場。

 こちらから押せば、大雨の中、足場の良いアスファルト上で有利に動ける。

 山野に逃げても山犬や山蛇に食われるだろう。

 既に背後から桜尋軍に追撃を受けている。

 挟撃は都合が良い。

 

「突破だ!今城殿に合流するぞ」

 

 斬り進む。業太の剣撃は乗っている。

 

 一撃即止いちげきはそくとどめ

 一足及死いっそくはしにおよぼし

 突引突弾とっぴきとっぷく

 血露不身触ちはみにふれず

 

 

 電撃の身体覚え、動如雷霆うごくことらいていのごとし。もう思考は無い。全て身体の戦闘経験に任せた。無想の動き。

 身体が敵を嗅ぎ取り、向かって落とす。

 全身全霊に任せて思考を捨てた剣に無駄は無い。

 再び思考が働きだすのは賊軍を突っ切り、今城軍と合流した時だろう。

 きっちり僕の援護をしてくれるのも心憎い。

 自分だけの剣では無い。

 味方も己の剣と捉える無意識の軍の剣。

 軍神の弟子は修羅場を無想の内に戦野を走る。

 こちらはこちらの仕事をきっちりやる。

 敵を討伐している数は僕の方が上だ、理由は簡単。秘剣は全身からどんな刃でも自由に出せるからだ。刃を飛ばす事も出来る。

 とは言っても、生身の身体の疲労の蓄積は回復機能を超えてきている。

 半ば無理矢理、身体を動かしている。

 すぐに討伐数は抜かれるだろう。

 

 葉島海賊、烏天狗連の協力は堅固な布陣を突破出来ないでいる。

 突破出来るのは僕と業太だけになって来ている。

 このままだと敵軍は包囲されるが、士気は下がっていない。

 不気味な切り札の予感がする。

 

 黒い巨大な円球が宙に浮いている。

 

 撤退を知らせる桜尋軍の太鼓が響く。

 

「業太!」

 

「ああ、撤退だ」

 

 あれだけ無想で戦う業太は切り替えが早く、即座に殿(しんがり)の構えに変わる。

 

「まだやれるか?」業太は下段に構えた。

 

「ああ、何かが起こっている」

 

「あれのせいだろうな」

 

 黒い球体は賊軍の上で膨れ上がり続けている。直径20mの球は強雨を弾かない。飲み込んでもいない。ただ消えている。

 

「あれは『さくや』だよ直感だけど」

 

「ああ、そうだろうな」

 

「少しは疑わないのか?」

 

「疑ってる暇は無い、敵方の陣形が変わる」

 「方円?」

 

 黒い球体を囲う様に陣が敷かれた。

 全方位からの攻撃に対応出来るが、長期戦には向かない。この陣形は打って出てくる事は無い。援軍頼みの陣形だ。

 

「よし、殿を崩さず後退出来る、包囲が固まったら桜尋様と合流だ」

 

 旗印が減っている。

 包囲しているのは桜尋軍だけになっている。

 他の神々の軍は撤退している。

 桜尋様が撤退させているというより、避難させている。

 包囲の輪は徐々に大きくなりつつある。

 

 不気味な黒い球体を改めて観る…その余裕が出来た。

 闇の惑星いや…大袈裟なのかもしれないが、

 闇の太陽と言うと納まりがつく。

 

「さくや…」

 

 この一言は発するべきでは無かった。

 不安と焦りが湧き上がる。

 最後に彼女の声が途絶えたのはいつだった?

 彼女に何が起こっていて、これから彼女はどうなる?

 また、一緒に話す事は?

 また、僕を馬鹿にすることは?

 また、手を繋ぐ事は?

 彼女の笑顔は?

 

 もう…出来ないのか?

 それは的中しそうな予感がする。

 

 鶏が鳴く。

 あれから何時間経ったのだろうか。

 時計を観ると午前5時22分

 長崎の空に日が上がっていない。

 

「朝が来ていない」

 

 業太は黒い太陽を見据えながら、そう呟いた。

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