第8話 三島段の日常 1
雨の音、テレビの音、両親の話し声で目を覚ます。
昨日のストレスが祟っているのだろう。胃が重い。
最悪の目覚めだが、身体は動く。
お母さんが朝食を居間に運んでいる。
朝のニュースを観ながら朝食を摂っていると英助が来た。
陰気で沈痛な表情は幽霊ぴったり。
「おはよう、絞られたみたいね」
「あぁ、迷惑かけた悪かった!おじさん、おばさんにも心配かけました」
英助は頭を深々と下げている。悲壮感が漏れ出して、爽やかな朝の空気が沈む。
「もう過ぎた事だから僕は良いけど、身体は大丈夫?」
「ああ、身体はなんとも無い。でも心が折れた、もう死にてェよ」
「もう死んでるでしょ」お母さんが追撃ツッコミをする。
死にたい発言をする霊への礼儀作法。
「まぁ…英助君も食べたらどう?食べて元気出して」お父さんがパンを渡す。
「すみません、おじさん」
「御供養、御供養だから」
それを英助が頬張る。
お母さんは英助が好きなブラックコーヒーを煎れてきた。
登校の準備をして制服に着替える。
学校までは歩いて二十分くらい。道すがら桜尋様に絞られた内容を聞くことにする。
…。
……。
「俺は魔女の家には行くなって言ったろ、何故行った?」
「手柄がほしくて、つい…」
「わからなくはないが、途中でやめといたら良かったのに」
「そんな根性無ぇ事出来ねぇ」
「今回はさくやが俺と繋がってたから良かったけどな。万が一根性ごときでお前が堕ちたら、俺は堪らんぞ」
「墜ちる」というのは消滅とか、地獄へ生まれ変わる事を意味する。
ご想像の通り。言葉の通りで絶え間無い苦痛の連続、安寧は寸時も無い。
生きている時に無為に頂いた身体を粗末にしたり、死んだ後でも頂いた霊魂を粗末にした者。
この贈られた身体や霊魂を粗末にした者は、もう贈られる事が無くなる。
肉体と霊魂を選ぶ権利を奪われ、ただ肉体は苦痛に喘ぎ、精神はまともな判断は奪われ、ただ恐怖と苦痛に永劫に苦しみ続けるらしい。
これは、閻魔大王が判決を降すというより、自らそこを自分で選んでしまうそうだ。
全ての与えられた肉体も、霊魂も物も時間も、周りのあらゆる命も大切にする気持ちが大切なのだという。
全くピンとこないが英助には色々な事を粗末にしてきたという自覚だけはある。
「中途半端が実は終着点なこともある。途中で諦めるのがダメだって言うなら、どこまでやるんだ?」
「はい、反省します…」
「反省しなくていい、成長しろ。次はゲンコツだからな」
「…」
「明日、段達に謝ってこいよ」
ーと怒られて『謝罪回覧板』を渡されたそうだ。
町中の世話役の皆さんに判子周りの回覧板。
許して貰えるまで判を押して貰えない。
恥辱の回覧板。
両手で持って絵に描いた様なションボリ顔。
英助には良い薬になっただろう。
やらかしたら町内に謝りに伺う人が多いからな。
世話役の人達に寺社関係、霊達…今日中に周れるんだろうか、そして皆にいじられてくる。
英助が帰って来たらブラックコーヒーでも準備しておこう。
校舎の下駄箱には生徒が集まり始めている。
壁には結露が起きて塗装の溶けた匂いが濃く充満している。
二階階段へ上がると踊り場にいた。
魔女がいた。
「あら、おはよう昨日は楽しかったわね」
「おはよう、昨日はお疲れ様」
平静を装う。顔は引きつっていないだろう。
「しれっとしている顔してるけど、借りがあること忘れていないわよね」
「英助も解放されたし、残りの霊達も成仏したし、もう借りは無効だよ」
「ふーん、そう…それなら私は毎日、外で見かけた霊は手当たり次第捕まえる事にするわ」
「虫籠は、こっちにある。あれが無いと閉じ込められないでしょ」
「あんな物は時代遅れよ、スマートフォンって便利よね。今は霊も捕まえられる時代になったわ」
虫籠にしろスマホにしろ、どうやって霊を閉じ込めているんだ?この魔女は。
「桜尋様とは顔見知りだったみたいだけど、どういう関係?」
「気になるの?それは昼休みに話ましょう、理科準備室で良いわね」
「わかった」
彼女とは別のクラスなのでここで別れた。
あの圧は慣れない。
戦場ではどんな相手でも怯む事はない。異能で切り崩せる事に慣れすぎて手出しの出せない甘さにつけ込まれている様な気がする。
雨で濡れた窓ガラスに写る自分の顔をチラリと見ると、溜息が校舎に響いた。
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