第3話

「死にたいの?」


 ハルカは尋ねた。ミサキはその問いに肯定も否定もせず、「どうしようかな」と言った。死ぬことに躊躇いはない声色だった。

 死んでしまえばいいのに、とハルカは思った。きっとこの綺麗な少女は、死んだ男を想い憂う今が一番美しい。最上に美しい女が、人生の極致で美しい青々とした海に溶けて死ぬ。なんてドラマティックで素晴らしい幕引きだろうか。そして、その劇の唯一の観客になれたなら!

 ハルカの胸に仄暗い興奮が渦巻いた。殺意とも情欲ともつかぬ感情だった。


「ハルカ」


 ミサキがハルカの名を呼ぶ。ハルカは弾かれたように顔を上げ、ミサキの方を見た。


「私、あの人のこと忘れたくないの」


 疲れと深い悲しみを滲ませながらも、どこか晴れやかな顔でミサキが言った。ハルカが何もしなくても、ミサキは勝手に囚われていた。今日死んでも、死ななくても、死んだ男の影にずっと縋って過ごすのだろう、と感じた。しかし、なんだかそれは──


「……じゃあ一緒に沈んであげる」


 口からついて出た言葉にミサキが目を見開く。ハルカ自身も驚いたが、ミサキに動揺を悟られるのは気に食わなくてなんでもない風を装った。


「いいの?」

「ここまで連れてきたのはミサキでしょ。どうせなら最後まで付き合うよ」


 ハルカは真意を探るようにこちらをじっと見つめるミサキの手を取り、陽がさして薄い緑色に透けた海の中へと引っ張っていく。砂が入り込んですっかり重くなった靴も、濡れて肌に張り付く制服の不快感ももう気にならなかった。夏の海はぬるく、母の子宮の羊水のようだった。

 ざぶざぶと地平線に向かって歩いてちょっとすると、急に深くなった砂に足を取られ二人して転んだ。お互いの手を取り立ち上がる。長い髪が顔にべたりと張り付いたミサキは陽の光を受け、絵画的であった。ハルカはその美しさに息を呑む。ブグローやルノワールだってこの少女を描くことはできないだろう、と思った。水に濡れ死へ向かうミサキは刺すような美しさと官能を兼ね備えていた。


「ミサキ」

「な──」


にわかにハルカは腕を伸ばしてミサキの肩を掴み、互いの顔が間近になるまで引き寄せて口付けた。早急だがたどたどしいキスは、ミサキの唇をハルカの歯でもって傷付けた。うすらと滲む血をハルカは舐めとる。息継ぎのため一瞬口を離すと、困惑したミサキが何かを言いかけた。すぐにもう一度キスを落とした。なに、もなんで、も聞きたくなかった。激情に身を任せるハルカ自身も、自分がなぜこの美しい少女にキスをしているのかわからなかった。

 ハルカが身をよじるミサキの頬を手で固定し、触れるだけのキスを繰り返しているうちに、ミサキもハルカの背に手をまわしてそれに応えた。

 そうして二人は一生分のキスをすると、手を取り合って地平線へと進んでいった。太陽光の反射で石油を流したように照る海へと少女たちは溶けていく。

 二人の間に言葉はなかった。高校2年の、目も眩むような夏の日だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ウミユリ 東雲結衣 @eri_aaaa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る