第2話

「彼氏?彼氏って、前言ってた?」


ハルカは驚いて思わず聞き返す。ミサキは泣きながらこくりと頷いた。

 数ヶ月前、ミサキは幸せそうな顔で「彼氏ができたの」とハルカに話した。他校のひとつ年上の、優しい男だったらしい。ミサキにとって初めての彼氏。ミサキはほとんど彼氏のことを愚痴らなかったし、そのかわり惚気もしなかった。ハルカは、だからすっかり忘れていたのだが、まさか死んでいたとは。


「死んじゃったの?本当に?なんで?」


ミサキはぱくぱくと口を動かすが、口から漏れ出るのは嗚咽だけだった。ミサキは俯いて苦しそうに泣いていた。ひぐひぐとしゃくり上げた。ハルカはそれを黙って見下ろしていた。

 やがて少し落ち着いたらしいミサキが、


「っき、綺麗な人だったの。優しくて、理知的で、私にいろんなこと教えてくれて……なんでかなんてわかんない。夏の海に、溶けちゃったの……昨日彼のお母さんから聞いて……」


と言った。なんと声をかけたらいいかわからなくて、潮風でベタつく彼女の髪を撫でる。きちんと手入れのされたミサキの黒髪は、大和撫子にしか見られない輝きを放ちその白皙の皮膚と見事な調和を醸し出していた。


(綺麗……)


 ハルカはおおよそ状況に相応しくない感情を抱いた。男を想って泣くミサキは確かに美しかったのだ。一度ひとたび男を知り、そして喪ったミサキ。遺された女特有の儚げな静けさと、高校生特有の幼さが垣間見える感情の昂りを兼ね備えた彼女からは、17歳とは思えないこぼれるような色香を感じた。

 そしてミサキの濡れ羽色の黒髪から滴る水滴を見ながら、男もきっと美しかったのだろうと思った。優しい一途な彼女の隣に立つにふさわしい、柔らかな男だったのだろう、と。


「あの人、ずっと一緒にいようねって言ってくれたの。高校生なんてすぐ心変わりするかもしれない歳なのに。真剣な顔して。私、自信がなくて頷けなかった。こんな素敵な人の側に居続ける自信がなくて。で、でも、こんなことになるんなら側にいればよかった。こんな孤独な場所で死んじゃうなんて……私がちゃんと言ってれば……」


ぐずぐずと泣くミサキの独白を聞きながら、ハルカはぼんやりと「ミサキのせいで死んだわけじゃないんだろうな」と思った。ハルカは男のことをなにも知らなかったが、この頼りなく美しい少女がなんと言おうとも、男はきっとミサキの口からハッキリと拒絶されるまでは側に居続けただろうと確信していた。少女には人を死に追いやる力など無かったからだ。自殺を思わせる類の魅力や冷たさ、絶望が彼女には欠けていた。

 しかしハルカはそれをミサキに伝えはしなかった。説明してわかってもらえるとも思わなかったし、今のミサキの脆く危うい美しさに水をさすような真似はしたくなかったのだ。



───────


「、ほんとに好きだったの。あの人がいないと生きてけないくらい」


雛鳥のような心持ちでいたミサキの初恋は唐突に喪われてしまった。恋に麻酔はない。ミサキは、ともすれば青春の代名詞ともいえるような夏の海に身を投げてしまいたかった。この恐ろしい夏に全てを終わらせてしまいたかった。


ミサキの幸せはもう無い。手に入らない。だからこの壮大な母なる海に溶けてしまいたかった。

例えこの場を凌げたとしても、悲しみの影はいつも付き纏う。前を向こうとする間だってきっと辛い。ずっと絶望が傍に居る。


ミサキは今、とても疲れている。眠りたかった。


隣に座るハルカの気配が更に近づいて、ミサキの頬を撫でた。ハルカの優しい仕草も今は嬉しくなかった。辛かった。

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