ウミユリ
東雲結衣
第1話
「ハルカ」
放課後、不意に教室のドア付近から誰かに呼び止められる。掠れた声は、ハルカのかなり横の方から聞こえてきた。首を巡らせてそちらを見ると、こちらをじっと見つめるアーモンドアイと、互いの視線がぶつかり合う。
「ミサキ?」
ドアの入り口に凭れるようにして立っていたのは、親友のミサキであった。ハルカが思わず疑問形でその名を呼んでしまったのは、ミサキの雰囲気が昨日までとはまるで違ってしまっていたからだ。10代特有の未成熟さ、朗らかさから一転、繊細な硝子細工のような、美しくも脆い雰囲気を醸し出していた。
ハルカにはその変化を如実に言語化できるほどの語彙はない。ただ言いようもない違和感をおぼえただけだった。その違和感はハルカの心のいっとう柔らかいところに刺さり、沈んでいく。図らずもそれは恋に似た感覚であった。
ハルカがぼうっとミサキを見つめていると、ミサキはサッと距離をつめ、ハルカの手首を引っ掴み外へと引っ張った。ハルカは慌てて荷物を掴む。こめられた力はかなり強く、ハルカが「痛いよ」と言ってもミサキは一向に手首を解放しなかった。それどころか、肌に食い込む指先には、いっそう力が込められて、掴まれた所が、僅かな軋みを感じるほどだった。
そのまま校門を出て、二人はズンズンと歩いていく。困惑するハルカをよそに、ミサキは終始無言だった。
とうとう駅についてしまい、さすがに痺れを切らしたハルカが
「ねえ、どこ行くの?」
と尋ねると、ミサキは平坦な声で「お金は出すから」と言った。ハルカの手を引くミサキが券売機で切符を買い、改札を越え、いつもと反対側のホームへ来た電車に滑り込む。そしてわずかな間を置いて、
「ね、いいでしょ。ついてきてよ。」
お願いだから、とつり革に掴まり俯きながら、表情の見えないまま言った。懇願するような、情けなく頼りない声だった。日頃の朗らかさを微塵も見せないミサキに、ハルカはどうしようもなくなってしまって黙るしかなかった。
電車の揺れる音と、学校帰りの男子高校生たちの会話が響く。ハルカはなんとなくミサキの方を見れなくて、ぼおっと窓の外に目を向けていた。
────
気まずい沈黙を破ったのはミサキだった。乗り込んでから二時間半の、電車がある駅に止まった瞬間。ここで降りる、といきなり言われハルカが慌てて荷物を抱える。
駅で降りたのはミサキたち二人だけだった。正面には山が、反対側には海が見える風情のある場所だった。人の気配はしない。
無人の改札を通り抜けて、二人ははふらふらと海の方へ歩く。制服のスカートを潮風が膨らませる。
海はどこまでも青色で、青は太陽の光を全身に受け止めて輝いている。ハルカは眩しさに思わず目を細めた。
「ねえ」
ミサキが唐突に口を開く。ミサキの長い黒髪がぶわりと風に煽られたなびいた。
「急につれてきてごめんね」
「別にいいけど……それで、」
どうしてこんなところ、と尋ねた瞬間ハルカはギョッとした。ミサキがいきなりぼろぼろと泣き始めたからだ。ミサキは目をかたく瞑り、ぶるぶると震えてすすり泣いた。ハルカは慌ててそばに駆け寄りハンカチを差し出す。ミサキはそれを受け取らず、ただぽつりと、
「か……彼氏が、死んじゃったの」
と言った。
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