第29話 二人の声
「真白…久しぶりね」
ベッドの上で横たわる僕に誰かが跨がる。
「会えて嬉しいわ…でも」
僕の唇をなぞったかと思うと、思いきり爪を立ててきた。
「なぜ桐谷麻梨とキスをしたの?!」
ヒステリックに叫ぶ姿を見て、夢の女なのだと思った。
「私だけの唇だったのに!!」
血が滲みそうなくらい、女はねじ切るように爪に力を込めた。
脳が熱で侵されてるせいだろう。女への返答もできなかった。
「許せない…」
女は噛みつくかのように唇を重ねた。
「真白の中…とても熱いわ…」
いやらしい音をたてながら、女は言葉より強い熱情を絡めて伝えてくる。
繊細な舌同士を絡め合ううちに、甘く溶け合うのを感じた。
舌の先端を愛撫され、快感と熱のせいで弱っている体がそれ以上の刺激を避け唇を離そうとすると更に熱く絡めてきた。
「ここが気持ちいいのね…」
手を絡め、舌を絡め、体を絡め…本当に溶けてしまいそうだった。
「真白…」「真白さん…」
二人の同じ声が重なり、ビクッと体がのけぞる。
夢の中で高い所から落ちた後、目が覚める瞬間のように。
「真白さ…黒崎さん、目が覚めましたか?」
ベッドの横に座り、声の主は心配そうに僕を見つめた。
「あの後しばらく眠っていたんですよ。呼吸も落ち着いていたので大丈夫かと思い様子を見ていましたが、お薬や飲み物も飲んでいただきたくて起こしてしまいました。飲めそうですか?」
これが夢か現実かあいまいさに脳がクラクラしながら頷いた。
「よかった…体は起こせそうですか?」
今、体を寄せ合ったらどうにかなりそうで、激しく頷き無理やり体を起こした。
「まずポカリスエットを少し飲みましょうか…あと、お薬ですが本当は何か食べてからの方がいいのですが…食べられそうですか?」
ふるふると首を横に振った。
「そうですか…お粥でも無理そうですか?」
切なそうにお願いしてくるから、こう答えた。
「少しなら…食べられそうです」
「よかった…少し待っていてくださいね」
そう言うと僕の部屋から出て行った。立ち居振る舞いや言動から、彼女は現実の桐谷麻梨なのだと思った。
「お待たせしました。私が使っている物で申し訳ないですけど氷枕を持ってきました。後は台所を借りるのはご迷惑かと思い、私の部屋でお粥を作ってきましたが…手料理を食べるのに抵抗はありますか…?」
そんな事はないと首を思いきり横に振る。
「よかった…ゆっくり食べてくださいね」
彼女は僕の口にスプーンを運ぶ。
むず痒さを感じながら、口を開けた。
「よかった…少し食べられたのでお薬を飲んで横になりましょうね」
かいがいしく世話をしてくれる彼女に申し訳なさを感じこう言った。
「どうして…こんなに良くしてくれるのですか?」
彼女は俯きながら答えた。
「倒れていた人を助けるのに理由がいりますか?」
「だけど…通報してほかっておけばいいじゃないですか…」
「そんな事できません!」
彼女に似合わず、大きな声を上げこちらを睨むかのように視線を上げた。
「できるわけないじゃないですか…」
しばらく沈黙が続いた。
「だって今も好きだから…」
消え入りそうな声で彼女は言った。
「未練たらしいですよね、恋人だっているかもしれないのに…こんな、こんな執着して」
そう言い放つと彼女は泣き始めた。
「好きだから嫌われたくなくて、元の隣人らしく振る舞ったけど…辛くて…」
彼女の涙は止まらなかった。
「恋人になれなくても…もっと、前みたいにお喋りしたいです…それだけでいいです…」
懇願するようにジッと彼女は僕を見つめた。
「僕の全てを知ったら嫌いになる」
「なりません」
「君が思うような人間じゃない」
「どんな貴女でも知りたいんです」
「話してもいいけど、嫌悪感だけが残ると思うよ?」
「誰しも完璧な人間ではありません。」
「きっと付き合いたくなくなる…話すよ」
今の生活に至った経緯、病院通いの事、彼女そっくりとまでは言えなかったが幻聴幻覚かもしれない症状がある事…体は辛かったが、彼女の誠意に答える為、淡々と話した。
「黒崎さん…辛かったですね」
優しく頬を撫でてくれた。
「辛いだなんて…僕が悪いんですよ」
「そう感じるのですね…でも、大丈夫。大丈夫ですからね…」
僕の両手を優しく掌で包み込み優しい笑みを彼女は浮かべた。
言葉数少なさが逆に心地よく、ただ手に伝わる温もりと感触を味わっていた。
「黒崎さん…いや、真白さん。少しずつ楽になっていきましょう。沢山ある重たい心の荷物も少しずつ一緒に下ろしていきましょう。手助けなんてできないかもしれないけど、そばにいさせてください」
声と手の温もりが心地よく、静かに頷いた。
「真白さん…ありがとうございます」
彼女はそう囁くと優しく僕の頬に唇で触れた。
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