第28話 懐古
話を懐古前に戻そう。
病院から帰った後、彼女の事を思い出してみたが、思い返すと全てがいいものではなかったと後悔した。
薬の糖衣を舌で転がして楽しんでいたが、溶けて苦味が舌を襲ったのに似ていた。
夏の暑さに汗ばんだ体を一気にクーラーで冷やす。
貰ってきた処方薬を仕分け、鞄にも頓服等を詰める。
いつもなら、戦利品をアルコールで流し込む所だが、ぐるぐると頭や胃が回り、なんだか寒気や節々の痛みも微かに感じるような気もする。
生ぬるい水道水だけにして、昼間から惰眠をむさぼる事にした。
彼女との過去の事を思い出して、夢の中に女が現れるのではないかと怯えながら、体の辛さに抗えず夕方まで横になっていた。
幸い、夢を見なかったが体の調子は最悪だった。寒気や節々の痛みが、やがて発熱を起こした。
かつて愛用していた体温計を探すと、37.8℃の発熱だったが感覚的にさらに上がる事が予想できた。
しばらくは寝てやり過ごそうかと思ったが、夜になると38.8℃まで上がった。
まだ必需品の精神科の処方薬を貰えた後でよかったが、精神薬を貰うのに必死で、食料の買い出しをしていなかった。
最悪にもゼリーなどのストックも、風邪薬すらもなかった。
震えが来ては体が熱くなり、節々に痛みが生じては体が熱くなるの繰り返しだった。
せめて、薬だけでもと思いふらつく体に鞭を打ちコンビニまで向かう。
コンビニの入り口で、ふと足を止めた。
彼女と友好的な関係を続けていられたなら、きっと僕に駆け寄り声をかけてくれるんだろう。
彼女は怒りながら、かごを掴み山のように商品を入れ…お節介をしてくれるんだろう。
なんで、あんな風に拒絶してしまったのかな?
熱で弱っている体と心はささやかな生活の潤いを懐かしく寂しく思った。
栄養剤とドリンクと薬を買い、店を出る。
食料を買わない分、大量に買ったその物達がズシリと両手に食い込む。
その重さに体を持って行かれながら、ふらふらと歩いていた。
近場のコンビニだというのに、地べたに座り込んでしまいたくなるくらいに我が家が遠く感じた。
やっとの思いで階段を上り玄関前まで来る。
ここまで来るのにどれくらいの時間がかかったのだろう、喉はカラカラで気持ち悪い汗が体中を犯した。
リュックから鍵を出さねば…そう思っていても脳内が追いつかず、その場でへたり込む。
とにかく荷物をおろし、手を動かさなくては…思う度クラクラと意識が揺らいだ。
少し休憩すれば大丈夫だろう…と思っていたが、誰かが階段を上ってくる音が聞こえた。
「黒崎さん!!」
ああ、この声は…
「どうされたんですか?!しっかりしてください!」
何故会ってしまったんだろう…嫌な思い出を思い出したのに…
だけど…会えて…凄く安心した…寂しかった…
「すみません…熱が出て…鍵が出せなくて…」
「凄く辛そうですもんね…鍵は何処にあるのですか?」
不用心にもリュックの中の鍵の在り処を教える。
「とにかくこのままではよくありません。すみませんが、一緒に入りますよ」
彼女は僕の体を支え、鍵を開け、僕の部屋の中に入った。
無機質で散らかった部屋に入られた恥ずかしさどころではなく、ただただ彼女を見ていた。
「すみません、ベッドまでお連れしますからね。靴、失礼しますね…」
ただの隣人のはずの彼女はテキパキと身をこなす。
「ゆっくりと下ろしますからね…横になれば楽になれますからね…」
ベッドに横に寝かせてもらう時、グッと彼女の距離が縮まった。
覆い被さるように僕を包んでくれ、優しさが伝わってきた。
熱にうかされた僕は…僕は…
夢の中の女の時と同じように、抵抗なく彼女に口付けてしまった。
それは夢と混同したのか、彼女を愛おしく感じたからかはわからない。
彼女は言葉にならず、潤んだ瞳でしばらく僕をただ見つめ…
ぎゅっと僕の体を抱きしめた。
自分以外の温もりを心地よく感じながら、僕は夢に落ちた…
「おやすみなさい、真白さん…」
優しいが悲しげな声が微かに聞こえた…
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