八七橋くんがわたしを見ている
今日は休日だというのに大雨だ。テレビで気象予報士が梅雨前線の話を熱心にしている。きっとみんな、こんな日は出かけられずに落ち込んだりするんだろう。
シャワーを浴びて、冷房を付けて、ヘッドギアを装着する。
じゃぼじゃぼっごぼぼっと、泡の音が耳に響く。空を飛ぶように、自由に泳いでいると、ふと、人だかりの中の黒い影が気にかかった。くるっと身を翻して目線でその影を捉える。黒髪黒目、少し長めの前髪が、その少年の整った眉を覆い隠している。どうして歪んだ人影でもはっきりとその姿を感じることが出来るのだろう…と、その疑問はわたしの視線を彼の姿に釘付けにする。その時、はっと気が付いて、思わず泳ぐのを辞めてしまった。
「えっえっ…そ…そんなこと…あるの…?」
狼狽えて思わず洩れ出た自分の言葉に驚いた。普段は絶対にしないのに、気が付くと、彼の目の前までふらふらと近づいて、アクリルガラスに左手を付いていた。彼の黒い大きな瞳が潤んでいるのが分かる。彼の熱っぽい視線を感じ、目が合ったと思った瞬間、七色に輝く尾ひれが私と彼の間に入り込んではっとする。空気の泡が、わたしの首筋を撫でながら通り過ぎていく。わたしはわたしが彼を見に行ったのを悟られないよう、急いで壁から離れて泳ぎ回る。わたしは不安で胸が高鳴るのを感じた。
***
「あぁ…眠い。眠たいわ。本当、眠い…あと暑い…」
校舎に向かいながら、わたしは愚痴をこぼす。苦手なくせに深夜に片づけなんてやるんじゃなかった。きっと昨日のわたしはどこかおかしかったに違いない。それに、疑念も消えなかった。
「
「いえ、先生。今日は教室です。」
わたしがそう言うと、先生はとても驚いた表情を浮かべていた。わたしは返事も早々に小走りに階段を駆け上がり教室の引き戸を開いた。
朝一番の教室の中は驚くほど騒々しい。あまりの騒音に頭が割れるかと思う。不快感とイライラが全身を支配する。クラスメイトは根暗幽霊のわたしなど居ないかのように意に介さない。わたしはそそくさと席について、
彼が他の生徒たちとどんな話をしているのか、聞き耳を立てる。どうやらみんなで
わたしは期待に高鳴る鼓動を感じながら、彼に声をかける想像をする。彼は驚いて、わたしを見つめる。わたしが
「
びくっと身体が反応した。いつの間にか、八七橋くんがわたしの席の傍まで来ていた。
「あ、あ、あ、あ、あの、なんでもないです…あの…わた、わたし何か…その…」
ああ、もう。どうしてこんなにも挙動不審になるのかしら。言葉がうまく出ないし、きっと今すごく変な顔しているに違いないわ。手のひらに汗が滲んできた。変なにおいとか出てないかしら。あと顔。赤くなってない?わたし大丈夫?…と、そんな風におろおろするわたしを見て、
「ふふっ。
「あっ、そそそ、その…ごめんなさい…」
「ううん、いいよ。気にしないで。ところで
「あっうっ、うんっ、し、知ってる…よ…」
「
「ど、どうかしらね…意外と生活感たっぷりの部屋に住んでたりして…はは…」
急に自分の話題を振られて、ひゅっと喉が鳴った。それにしてもわたしは何を言っているんだろう。嘘ではないにしても、もうちょっとましな話があった気がするわ。
始業のチャイムが鳴り、クラスメイト全員が一気に静かになる。彼ももう黒板に視線を向けていて、真剣な表情をしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます