第22話 「『えもため』は歌に特化した事務所に進めて行きます!」
――20XX年、4月。
今日は訳あって、あんまり来たくなかった事務所に来ていた。
「クロードさん! 歌聞きましたよ! 歌えないなんて言ってましたけど、全然歌えるじゃないですか! 今度カラオケコラボしましょうよ!」
「イヤだって! やっぱ歌うんじゃなかった!」
俺の顔を見るなり後輩達が「歌え、歌え」と話しかけてきて、まさか俺の額に「歌え」と書いてあって、みんながそれを読んでいるんじゃないかと疑うほど同じ事を言われ続けている。
何度目なのか分からない後輩からのコラボ誘いを断って、俺はドデカい溜息を吐いた。
俺が蘭丸の卒業で歌った事は一時間後には界隈に拡散され、起きたらスマホに反響という名のメッセージがアホほど送られてきていて、且つ、ここ数日は誰と会っても歌の事ばかり話題にされている。
こうなるのが分かっていたから、今日は事務所に来たくなかったという訳だ。
「ク・ロード・せん・ぱーい!」
頭を抱えていると、背後からからかう気満々の月の音の声がして、俺の眉間のシワは更に深いものになった。
「歌の反響すごいわよ。私の配信でもコラボしてよーってコメントがいっぱい来てんのよ」
「うっさいうっさい。
アレはアレっきり。二度目はねぇよ」
「私もそれが良いと思う」
「は?」
歌うようにせっついてきたと思いきや、突然真逆の事を言われて思わず面食らい、月の音の顔を見た。
見上げた月の音は微笑んでいて、俺と目が合うと罰が悪そうにすぐそっぽを向いた。
「……。あれは蘭丸さんの為だけに歌ったから、あのクオリティが出せたのよ。
まぁ、あんたが聞いてくれるみんなの為に全力で歌うっていうのなら、いつかは同じ事ができるのかもしれないけどね」
「……はぁ」
言っている事は、分かったような分からないような。
そもそも月の音がどんな表情で話しているのか見えないから、どんな心境で語っているのか、それがさっぱり分からなかった。
「皆さん、おはようございます! 時間になりましたので、近くの席にお座りください」
部屋に岡田さんがやってきて、次に社長が、そして社長の後ろに見た事の無い、三十代過ぎくらいのオールバックで髪をガチガチに固めたスーツの男性が一緒に部屋に入って来た。
「じゃあね」
月の音はそう言って女子の固まった席に向かった。
今、俺は事務所で一番広い社員食堂に総勢50人以上の所属配信者たちと一堂に会している。
これは年度始まりには所属配信者は事務所に集まって社長からのありがたい御言葉を頂戴するという、えもための社内行事だ。
ちなみに体調不良や地方民は免除されている。
年末にも同じように仕事納めがあるが、こちらは社員さんの慰労会が主な目的で配信者は自由参加になっている。
一堂に会するとはいえ、堅苦しい話とかは無く、新年の挨拶とかコンプラの再確認とか、今後デビューする後輩の予定時期が教えてもらえたりする。
そんな感じの話を一時間くらい聞いて解散になる。
「――という訳で、こちらが今年の大まかなスケジュールとなります。
今年大きなプロジェクトに関わる皆さんは飛躍の年となるように励んでください。我々もバックアップしますので、一緒に頑張りましょう。
では最後に社長から一言お願いします」
司会をしていた岡田さんが端で座っていた社長を呼び込み、社長が岡田さんからマイクを受け取り、表情を変えずに話し始めた。
「えもためも今年で無事三年を迎え、世間からの認知度も向上している報告を受けています。
これも日々研鑽を続ける皆さんの一つの成果だと思います」
社長に褒められ、場の空気が弛緩したのが分かった。
ただ、弛緩はしたものの、社長にいつもの覇気が無い事に皆が気付いていて、今度は社長を心配する空気が場を占めていた。
「皆さんが今の気持ちを忘れないと信じているので、私は心残り無く、次の一歩を踏み出すことができます」
空気が一転して不穏なものに変わった。
俺も一瞬、自分の聞き間違いじゃないかと疑ったくらいだ。
みんなが戸惑う声を漏らす中でも、社長は淡々と話を続けた。
「本日よりこちらの木梨さんがえもための社長に就任します。
木梨さんは大学を卒業してすぐに複数のベンチャー企業を立ち上げ、いずれも安定した成績を出し続けていますので心配ありません。
では、木梨さんからも一言。
私は一足先に退室させていただきます」
――は? 社長が変わる? しかも今日から?
社長は木梨さんにマイクを渡し、本当に退室し、「え?」という声で場がざわつく中、木梨さんは苦笑いをしながらマイクを握り、口を開いた。
「ただいま紹介に預かりました木梨です。
突然の事で皆さん驚かれている事と思いますが、段々と慣れてもらえれば結構です」
木梨さんは笑顔で一度部屋全体を見渡し、不意に笑顔を引っ込めて毅然とした表情になった。
「昨今、配信業界は急激な成長をみせ、このマーケットに注目している経営者も少なくありません。
配信会社が珍しくなくなってきている中、今後は会社ごとに色を出して個別化を図って行こうと思っております。
えー……。クロードさんと月の音さん。まだ顔が分からないので、立ってもらってもよろしいですか」
手元のペラ紙に目を落とした後、木梨さんは顔を上げて場を見渡し、俺と月の音を探していた。
何を言われるのか予見できなくて立つのが嫌だったけれど、視界の端で月の音が立ったのが見えて、しぶしぶ俺も重い腰を上げた。
「月の音かぐやです。よろしくお願いします」
「クロードです。お願いします」
立ち上がった俺と月の音の顔を見て、木梨さんは満足そうに頷いた。
「あぁ、ありがとうございます。
月の音さんは普段から歌を積極的に配信して人気を出していますね。
クロードさんは普段、歌配信はしていませんが、この前の歌は上手い訳ではなかったですが、ハートに響くものがありましたね」
――初対面の人間にまで言われるんかい……。
「『えもため』全体で歌配信が流行っている今、『えもため』は歌に特化した事務所に進めて行きます!
私にはレコード会社との繋がりもあるので、他社よりも先手で展開する事ができます!」
「おおー!」という声が一部から上がり、俺はその一部ではなかった。
「待ってください! 俺は歌は歌わないし、歌活動をしていない奴だってたくさんいる――います!
歌特化にしていくと言っても、そういった人間も今まで通り活動できますよね?」
俺の訴えを同じように考える歌活動をしていない配信者達が、強い視線を木梨さんに向けた。
「……。
昨日までやっていた事が今日から180度違う事をするなんてケース、会社に所属していたら珍しく無い事だよ」
木梨さんは無表情で俺の目を見据えて、淡々と告げた。
「方針を受け入れられない場合は、どうなるんですか……?」
遠回しに答えは分かっていたのに、それでもはっきりと言葉にして、考えを明言化させておきたかった。
「その場合は残って歌うか。辞めて離れるか。
自らで身の振り方を考えていただきます」
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