第23話 「現代日本のマーケットにおいて、人気は全てだよ」


 ――20XX年、4月。




「勝手すぎだろ!」

「私、歌なんてできないよ!」

「でも他の事務所も有名になってきて同接が減ってきてるのも事実でしょ?」

「そうだよ! 同業者が乱立する中でカテゴリーを確立させていく段階に入って来たんだよ」

「従わない者はいらないってんなら、お望み通り辞めてやるよ!」


 木梨新社長が作った波紋は「えもため」に所属する配信者全員を飲み込み、水面に浮上できそうな者、既に溺れる者に分かれ始め、いつも和やかな食堂は混沌とした空気が満ちていた。


「クロードさんはどうするんですか?」


 一人が俺に意見を求めてきた。


 きっと古参の俺であれば、何かしら抜け道を知っていたり、社長に対する対案を出して、今まで通りの配信ができるようになると思っているのかもしれない。


 だけどそんなたった一つの冴えたやり方なんてものを俺は有していない。


 俺だって混乱して、戸惑って、明日からどうなってしまうんだって途方に暮れている。


「……とりあえず岡田さんと話してみる。さすがにみんなからこれだけ反感を食らったら新社長だって考え直すかもしれんし。

 だからそれまで軽率な行動はしないでくれ」


 


 俺が運営と掛け合ってみる事で場を治め、みんなが帰ったのを待って、とりあえず岡田さんの所へ向かった。


「今から岡田さんの所に行くの?」


 社員さんの仕事場に向かう途中の廊下に月の音が立っていた。

「まぁ。いきなり社長直談判は一揆でしかないからな」 

「私も行く」

「正直、俺も何を話したらいいのか分からんから助かる」

「……。行きましょ」


 どことなく元気の無い月の音だったが、それはこちらも同じ顔をしているのだろうと、何も問わずに先を歩いた。




「失礼しまーす……」


 扉を開けると、仕事始めにも関わらず、社員さん達は真剣な目でパソコンに向かい、ひっきりなしに電話が鳴っていた。


 俺と月の音は仕事の邪魔にならないよう、音を立てずに部屋の端を進み、奥にいるはずの岡田さんのデスクへ向かった。


「岡田さん、ちょっと話――」

「おや、クロードさん。それに月の音さん」


 岡田さんのデスクに行くとパーテーションの裏に木梨社長が立っていた。


 俺は予想外の人物との邂逅に言葉を失った。


「どうした? 私への苦情を言いに来たのかい?」

「それは……」


 社長は笑っていたが、俺は核心を突かれて二の句が継げなかった。


 このまま話をする流れでも良かったのだが、心に上手く折り合いが付けられていない今の状況では、感情がコントロールできずにキレ散らかしそうで直接交渉はまだ控えておきたいところだった。


「木梨社長は歌で売っていくと仰っていましたが、将来的なビジョンはどこを見据えているんですか?」


 俺が黙っていると、先に月の音が口を開いた。

 しかし月の音の質問が俺の言いたい事とズレているような気がして、頭に疑問符が浮かんだ。


「どこを、か……。私は単独のドームツアーができるポテンシャルを持った業界だと確信している」

「「!」」


 今の回答で、俺は木梨社長が本当に歌わない配信者を置いていくつもりなのが分かった。


「……。本気で可能だと……?」

「くどいね。業界はポテンシャルを持っている。

 あとは君たちがどれだけ覚悟を持って活動できるかだけだ」


 月の音の確認に、木梨社長は間髪入れず答えた。


 普通なら難しめなデカい夢を口にしているはずなのに、木梨社長の表情からは自分の言った言葉への疑いが一切感じられず、これが成功者のマインドなのかと、心が圧倒された。


「私は社長に付いていきます」


 考えるよりも先に俺は月の音の横顔を仰天の目で見た。


「お前、何言ってんだよ!」


 かなり大きな怒声を上げたが、掴みかからなかっただけまだ冷静さを持ち合わせていたのかもしれない。


「私にも夢があるの。

 どんなかたちであっても歌で成功するって夢が」

「だからって自分の夢だけ叶えば満足かよ!」

「私は――、歌を希望とする私たちは、今、このチャンスを掴まなきゃいけないのよ」

「お前、それは――」


 俺が反論できない言葉を月の音は的確に放って来た。


 ――コイツ、ハヤテさんから聞いていたのか……。


「とはいえ、ここまで苦難を共にしてきた友を簡単に切り捨てて歩む事を容認できません」


 月の音は木梨社長を真っ直ぐに見据え、毅然としていた。


「分かった。ならば、3か月後までに登録者数10万人を超えていた者は歌わなくても所属を許可しよう」

「10万!?」


 10万なんて数、そうそうクリアできる数字じゃない。

 まして、一年前から活動している人間と半年前に活動を始めた人間ではスタートラインの差が開き過ぎている。


「驚く事もないだろう。それぐらいの向上心を持ってみんなには活動してもらわなければ」

「向上心は分かりますけど、人気だけが全てではないでしょう!

 誰がどんな風に誰の支えになってるのかなんて、数字じゃ分からないでしょう?」

「しかし現代日本のマーケットにおいて、人気は全てだよ」


 自論ではなく動かしようのない世界の基本理念だと、俺が見えていない世界が木梨社長には見えていると感じる言葉だった。


「私的見解を語らせてもらえば、この日本の人気正義主義というのは長年の不景気に起因していると考えている。


 バブル景気が終わり、始まった出口の見えない不景気。その中で育った人々はいつの間にか勝ち組負け組という二つしかない人生観を生み出し、負け組にならないように人生において失敗ができなくなった。

 有名な高校、大学に行って、有名な企業に入る。そうでなければ人間ではないくらいの事を恥も無く口にする人間だって私は見てきた。


 そして長年にわたって強制的に崖っぷちを歩かされる我々は、潜在的に一度のミスもしないような行動理念を持ち、その思考は受験などの大きな選択でもない些細な失敗をも恐れるようになってしまった。


 これは個人に限ったことではないんだ。

 約10年前、とある出版社が大賞100万円、加えて映像化確約の新人小説コンテストを行い、広い応募の中から大賞を受賞したのは当時人気絶頂のイケメン俳優だった。


 出版社は身分は伏せての応募だったから知らなかったと声明を出したが、世間が納得するはずもなく出来レースだと叩いたものの、本自体は彼の人気もあって100万部以上売り上げた。


 これが人気の力だ。


 もし一般人が大賞を獲ったとして、果たしてこれだけの売り上げを記録していたかといえば、私は出来ていないと確信している。


 紙媒体が売れなくなっている昨今、会社存続、社員の給料、それを考えれば会社にとって売り上げは正義で第一目的。

 とすれば出版社の行動は、やり方は下手でも100万部という結果を見れば間違っていなかった事になる。


 出版社は100万円と映像化の出費を回収するため、コンテストを社の失敗にしないために出来レースと分かっていても、なりふり構わず彼を推すしかなかった」


 饒舌にペラペラと喋り続ける社長を前に、俺は横目でチラリと月の音を見ると、困惑した表情の月の音と目が合った。


「君たちに分かりやすく言えば、中高生向けの小説は題名が長くて、題名だけで物語の概要が分かるようになっているらしいじゃないか。

 それも失敗できないマインドが働いていると私は考えている。


 内容の分からない本に貴重なお小遣いを出すよりも、懇切丁寧に題名から全内容が分かる本の方が判断材料が多く、自分の嗜好から外れにくい作品を手に取ることができる。

 そうすることで買った事を失敗にしない、後悔しない。

 そういうマインドだ。


 だがしかし、私はこの傾向を悪だとは言わない。

 むしろ、時代や世間の風潮や教育、日本の空気が彼らにそうさせてしまっている。


 正直、私はタイトルの長さなんてどうでも良いと思っている。


 私が真に危惧しているのは潜在的に植え付けられた失敗できないマインドによって、自分はミスをしない立ち振る舞いをしているのだからと他人のミスを許容できなくなってしまうのではないかという心配をしている」


 長々と語られて、結局何を言われているのか分からなくなってきた。


「……音楽なら。音楽でなら社長の言う冒険ができるようになるんですか?」

「できる」


 俺の質問に、社長はまたしても間髪入れず答えた。

 俺を捉えた社長の目は、瞳孔が開いていて少し怖いくらいだった。


「音楽業界には、まだ題名が抽象的だったとしても忌避感を持つ意識が存在しない。


 箱を開けてみて、損をしたとしても納得して笑い話にできる。

 そういうマインドを私は音楽業界から作っていきたいと思っている。


 だからこそ、配信者の――みんなの力が必要なんだ」


 木梨社長は当初感じていた上から目線を、今は全く感じさせていなかった。

 初対面にも関わらず、腹を割って全部を話してくれているのがひしひしと伝わり、もうただの嫌な人間と見ることができなくなっていた。


「配信者を見てくれるメインは若年層。

 その彼らに近い君たちが歌という手段で呼びかけることによって、僅かでもいいんだ。

 未知に挑戦する習慣が育んでいけたらと願っている」


 暴虐非道の権化に思えた木梨社長の胸の内を聞かされ、会社の利益の他に日本の未来の熱い想いまで語られてしまうと、自分達の事しか考えていなかった事が恥ずかしくなり、これ以上不満を言う余地が無かった。


「失礼します。社長、そろそろ次の仕事が」

「分かった。では2人とも、君たちはプロジェクトの中心になるからね。期待しているよ」


 そう言い残して木梨社長は迎えに来た秘書の女性と一緒に去って言った。


「物言いは突拍子も無くて乱暴だったけど、木梨社長は前社長が認めている人だからね。

 まぁ……、悪い人ではないんだよ」


 悪い言葉を使えば、社長に言い包められて黙った俺と、俺とは違う道を行くと決めて、俺にかける言葉が無いのか月の音も黙っていて、静まった空気を破るように岡田さんが口を開いた。


「でもフェアじゃない……」


 木梨社長の想いはだいたい理解したが、やはり会社の路線変更や社長から出された条件によって脱落していく仲間がいる。

 それがどうしても受け入れられない。


「どうすりゃいいんだ……」


 俺の心は明日をも見えない焦燥感に支配されていた。

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