第20話 「生涯タイマンでは勝てないかもと思ったのはアンタだけなんだぞ!」


 ――20XX年、3月下旬。最終金曜日。




 新宿駅に着いて、前後を人に挟まれながら改札を出る。


 平日だというのに相も変わらず駅構内は人間がごった返していて、自分には地元の最寄り駅の閑散具合が性に合っていると思わずにはいられない。


 雑踏を縫って建物から出て、すぐ目の前の交差点に目を向ける。


 交差点付近で集合、と特殊な約束の地を提示されたと思ったが、思ったよりガードレールに腰かけているグループをかなりの数で視認できて、全然特殊ではなく、単に自分が誰かと集合する経験値が足りないだけなんだと自嘲的な笑みが出た。


「こっち! こっちー!!」


 聞き馴染んだデッカイ声に驚きと恥ずかしさを覚えながら、声のした方へ歩みを進める。


 ――なるほど。車椅子って案外と場所を取るのか……。


 特殊待ち合わせの特殊性の意味がようやく俺にも理解できた。


「遅っい!! アンタ、いつから女子を待たせられるくらいの人間になった訳?」

「ウザ……。時間ピッタリくらいやろ」

「30分前にはいなさいよ!!」


 月の音のウザ絡みを適当にいなしつつ、久しぶりに会うハヤテさんを一瞥する。


 瞬間、車椅子のハヤテさんと目が合い、気恥ずかしさから思わず目を逸らしてしまった。


「ちょっと! 何か言う事は無いの?」


 ――何だ、コイツ? テンション高ぇな……。


「あー……。こんにちは」


 確かに合流の遅れた俺はまだ2人に挨拶をしていない。

 確かにそれは、人として良くない。


「こんにちは」

「こんにちは。お久しぶりです」


 俺のお辞儀の後、2人がほぼ同時に頭を下げる。


「いや違うのよ! 挨拶はとても大事だけれども、カワイイ女の子と会ったんだから! ね!」


 そう言って月の音はハヤテさんの車椅子と一緒にその場でくるっと回ってみせた。


 一瞬、危ないと肝を冷やしたがハヤテさんは笑っているだけで、2人にとってはいつものやり取りの延長であるようだったから、俺は月の音の行為を咎める事は言わなかった。


「だから自分でカワイイって言うなよ」

「バカおっしゃい! 私たちが可愛くなかったら、その腐ったお眼鏡に適うのは二次元の女子だけよ」

「自己肯定感が強いのは良い事だとは思うが……」


 バカバカしいやり取りの声のボリュームが少しばかり大きく、周囲が俺達に注目し始めた。


「……ちょっと周りが騒がしくなってきたわね。

 そろそろ移動しましょ。タクシー呼んでくる」

「誰が騒がしくしたんだよ……」


 そう言って月の音はタクシー会社に電話をする為、静かな場所を探しに離れていった。


 ――で、俺とハヤテさんが残された訳だが……。


「……」

「……」


 何となく話しかけづらい。


 元来人見知りの俺が配信をするようになって、えもため本社に通うようになってからというもの、初めて会う社員の人と話す事に少しは慣れたが、ハヤテさんと会話をしたのも通話かモニター越しであって、直接話した経験は無い。


 見た目細陰キャにガッカリしていないかという懸念以前に、何より俺にはハヤテさんの数々お誘いをお断りしてきた偉大なる実績がある。

 その蛮行に怒り心頭だったとしてもおかしくない。


 つまり、俺からは非常に話しかけづらい。


「天気」

「へ?」


 唐突に話しかけられ、ハヤテさんに目を落とすと、眩しそうに目を細めながら空を見上げていて、つられて俺も空を見上げた。


「晴れて良かったですね」

「……。……そうっすね」


 それからロクな会話もできず、帰ってきた月の音がずっと喋って、俺とハヤテさんは相槌を打ち、到着した車椅子も乗れるタクシーに乗り込み、新宿駅を出発した。




 タクシーは人でごった返す原宿駅前で停車した。

 道中は月の音とハヤテさんがずっと喋っていて、俺は時々振られた話に相槌を打っていた。


「黒木、アンタ、ハヤちゃん降りるの手伝ってあげて」

「別に良いけど、お前の方が慣れてるんじゃないの?」

「座り順的にアンタの方が先に降りるでしょ。効率を考えなさい」

「ハイハイ、スミマセンネ……。

 で、どうすりゃいいの?」

「あ、えっと、バックで下がる感じでお願いします」


 俺は言われた通り車椅子のハンドルを握り、ゆっくり慎重に車内から車外へと車椅子を出した。


「向こうにスペースがあるみたいなので、そこに行きましょう」


 歩道に上がったところでハヤテさんが少し離れた場所を指さし、確かにそこは人の流れが薄いように俺の目にも映った。


「お待たせー。じゃあ、表参道の方へ向かいましょうか」


 月の音が行き先を告げ、先導するように歩き始め、一瞬このまま車椅子を押してて良いものか迷ったが、月の音と交代しようにも月の音は先を行ってしまっているし、ハヤテさんに手漕ぎさせるのも何か違うなと思って、そのまま車椅子を押して月の音の背中を追った。


「黒木、知ってる? ここの交差点って、10年くらい前まで上に歩道橋があったんだよ」

「は?」


 月の音の言葉に上を見上げた。

 そこには開けた空が広がっていて、歩道橋の痕跡など一切見当たらない。


「嘘やん。

 つか、こっちが引きこもりだからって何でもホイホイ信じると思うなよ」


 たとえ田舎者で引きこもりだったとしても、そんな吹かしを真に受けたりはしない。


「えっと、本当の事ですよ。

 ここの横断だけじゃなくて、向こうの体育館にも行けたんですよ」

「え!? マジなん!?」


 ハヤテさんが苦笑いを浮かべながら歩道橋の詳細を付け加え、俺はすぐにスマホで昔の原宿の画像を検索した。


「マジじゃん!!」


 スマホの画像と目の前の光景を見比べて風景の様変わりに、素直に驚いた。


「最初から言ってたでしょうが!! 何で信じないのよ!!」

「普段の行いじゃないですか?

 ほら、信号変わったぞ」


 月の音は変わらずキーキー言っていたが、スルーを決め込んで車椅子を押して信号を渡り、月の音は後ろをついて来た。




「ここ、ここ。ここでランチしまーす。

 ちょっと待ってて」


 月の音は表参道の通りに面したカフェの前で足を止め、1人で中へ入って、近くにいた店員さんに話しかけていた。


 店の中も多くの人が賑わっていたが、出て来た女性店員さんに案内されたのは外のテラス席だった。


 女性店員さんは慣れた手つきで丸いテーブルに用意されていた4脚の内の1脚の椅子をどけ、どうぞと俺とハヤテさんを促し、全員がそれぞれの位置に落ち着いたところでメニュー表と日替わりランチの説明をして、下がっていった。


「……。

 何か、パッと見てどんな料理なのか全然想像できないんだけど……」


 メニューを開いてみると、俺がいつも行くファミリー御用達のレストランとは違い、パスタなどのカテゴリーの下に商品名が書いてあるだけで写真が記載されていなかった。


 ――あと、ちょっと高ぇ……。牛丼並みなら5杯食えるぞ……。


「私はAランチにする」

「私もAかな。

 黒木さんは決まりましたか?」


 ハヤテさんに促され、結局写真が載っていたBランチに決め、店員さんを呼び、注文をして料理の到着を待った。




「にしてもアンタさ……。フフフ……」


 店員さんが下がってすぐ、月の音が俺を見て笑いを必死に堪えていた。


「何だよ」

「ふ、服! ちゃんと買って来たんだね。フフ……。

 エライ、エライ!」


 月の音はダッセェサムズアップをこっちに向け、だいぶ俺をイラっとさせた。


「服がどうかしたんですか?」


 ハヤテさんが質問をすると、月の音は笑いを堪えながら溜まった涙を拭った。


「聞いてよハヤちゃん!!

 黒木っていつも黒かグレーのパーカーしか着てなくて、しかも袖に穴まで空いてて、今日の件で誘った時に服を買ってきなさいって言ったら、ちゃんと買ってて草過ぎなんですけど!」


 一息で説明した月の音はまた口を押えて、それはもう楽しそうに机に伏せながら笑っていた。


 それから女子2人は会話は出会ったばかりの頃と最近の俺との印象の違いで盛り上がり、俺は地獄の真ん中で給仕されたランチを黙って口に運んでいた。


 ――おかしいな。牛丼の5倍くらいの値段なのに、全然味がしないや。




 ランチを済ませると、月の音の提案で俺の新しい服を探すウインドウショッピングになった。


 俺は必要ないと言ったけど、2人は男物の服が見たいだけだからと聞く耳を持たず、俺は後ろについて、2人のお眼鏡に適った服を着る着せ替え人形になっていた。




「……ダメだ。

 完全に人酔いした……」


 一時間後、俺は公園のベンチにだらしなく座りながら天を仰いでいた。


 件数的には数件しか回っていなかったが、慣れない場所、環境と人混みに酔って軽く吐き気を催してしまい、近くの公園まで避難していた。


「すみません。楽しくて、少しはしゃいでしまいました」


 申し訳なさそうに話しかけられて気怠くハヤテさんに目を向けると、わざわざ自分のハンカチを水で濡らして渡してくれた。


「……いやー、マジ軟弱者で申し訳ねぇっす」


 ちなみに月の音は飲み物を買いに行ってくれている。


「あー……、気持ちいい……」


 風が吹いて濡れたハンカチを冷やし、僅かの時間だったけど目の上がとても気持ち良かった。


「……暖かい日が増えてきましたね」

「え? そ、そうですね……」


 喋って気を紛らわせたいのと、責任を感じて落ち込んでいるハヤテさんとの空気に耐えられず、俺はどうでもいい事で話しかけていた。

 とはいえ、ハヤテさんサイドからすれば自分たちが引きずり回した結果がこの現状なので、楽しく話して良いものなのか戸惑いがビンビンに感じられる返答だった。


「最近はどうですか?

 やっぱプロの世界は速い人が多いですか?」

「速い人は多いです。やっぱり。

 大会で会う他チームのプロも速いですけど、チーム内でもチーム練習とかコーチングとかであっという間に上手くなったりとか。

 日々、才能を持った人がちゃんと能力を上げていっていますね」


 ハヤテさんの声色から秀でた才能たちに苦戦を強いられているのだろう事は何となく察せられた。


 ――でもプロに誘われた時点でハヤテさんも一般人とは一線を画すモノを持ってるとは思ってるんだけどな、俺は。


「この前もサードドライバーから落ちてしまいました……」

「は?」


 体調不良も忘れて目の上のハンカチを取って勢い良く体を起こし、ハヤテさんの顔を見た。


 彼女は自分の顔をまじまじと見つめる俺を見て、無理に作り笑顔を浮かべた。


「次の大会は?」

「次の大会ですか?」


 俺の質問の意味が分からないと、ハヤテさんは質問に即答しなかった。


「次の大会までにサードドライバーの座を奪い返しましょう」


 俺の言葉にハヤテさんは一瞬ハッとした表情を見せ、何かを言おうと小さな唇を震わせながら動かしたが、何も言わずに今日初めて会話中に俺から目を逸らした。


「……もう、間に合いません。次の大会のメンバーは決まってしまいました」


 その弱弱しい声から、俺は今日の遊びの目的が何だったのか、それがハッキリと理解できた。


「……帰って練習してください。劣ってる人間が優れた人間に勝つ確率を上げるには練習しかないです。

 ましてプロのレベルなら一日だって練習を休む暇なんて無いと思いますけど」

「……」


 ハヤテさんは何も言わなかった。

 きっと、俺が言った事はハヤテさんだって言われずとも自分で分かっているのだろう。

 練習が必要だって自分で分かっていても練習する気持ちになれないとなると、詳しい事情は分からないが、かなりメンタルをやられているのかもしれない。


「ハヤテさんがプロになるか悩んでいた時、俺はプロになるチャンスがあるのに掴まない理由は無いと言いました。

 その次。掴んだ後は絶対に離しちゃダメです!」


 俺は俯いたままのハヤテさんの正面に回って片膝をついて、やや見上げる形で向き合った。


「壁にぶつかったくらいで諦めんな!

 たくさんのプレイヤーと走ってきた俺が唯一、生涯タイマンでは勝てないかもと思ったのはアンタだけなんだぞ!」


 俯いていたハヤテさんがハッと顔を上げ、ハヤテさんと目が合い、自分が思わず感情的になって声が大きくなっていた事に気が付き、一息置いて冷静を心掛けてまた口を開いた。


「前に俺はハヤテさんにチャンスを掴めと言いました」


 ハヤテさんは若干目を潤ませながら小さく頷いた。


「そのチャンスというのは爪が食い込んで血が出るくらいきつく掴んでいないと簡単に手からすり抜けて失いやすいものです。

 だから自分じゃどうにもならない力でチャンスの糸を切られるまでは、自分から手放してしまうような愚行だけは絶対にしないでください!!」


 結局声が抑えきれず大きくなり、俺達の前を通り過ぎて行く家族連れやカップルの視線がなかなかに精神に突き刺さった。


「ちょっと、黒木! 何してんのよ!?」


 水を買いに行っていた月の音が俄かに騒がしくなった俺達のところに血相を変えて駆け寄って来た。


「……何、泣かせてんのよ。

 ハヤちゃんが今、どれだけ苦しい思いをしてるのか分からないの!?」


 月の音の言葉でハヤテさんを見ると涙が頬を伝っていた。

 涙を目の当たりにして動揺したものの、自分の言葉を撤回するつもりはなかった。


「……ダメだ。今ので完全に気持ち悪くなった。

 俺、帰るわ」


 頭に血が上ったせいなのか、落ち着いたはずの吐き気がぶり返してきた。


 月の音がまだ後ろで何か言っていたが、俺は俺で重い足を引き摺るように動かしながら大通りまで歩き、何とかタクシーを拾って自宅まで命辛々帰宅できた。

 ちな、タクシー料金が2万5千円くらいして、より吐き気を催した事も伝えておきたい。




 上着を脱ぎ、真っ先に救急箱から熱吸収シートを取り出して額に貼り、自室に戻るなり、即ベッドに体を投げだした。


「はあぁぁぁぁー……」


 疲れなのか、僅かな後悔なのか、あるいはどちらも含んだクソでか溜息を吐き出し、寝返りを打って暗い天井を見上げた。


 ――俺、ハヤテさんに説教しかしとらんな……。

 ダメだ、もう頭があんまり回らん。もう寝よ。


 追い詰めてしまったかもしれないという不安や、やっぱり自分でもフォローを入れなければという考えも頭にあったが、それをするだけの余裕が今の俺には無く、目を閉じて意識を手放した。

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