第19話 「……ラブコメの産声だよ」


 ――20XX年、3月下旬。



「黒木ー。アンタ今度の金曜って暇してるでしょー?」


 事務所の扉を開けて、脱いだ上着をハンガーに通している最中に、簡単な打ち合わせに使う、パーテーションで区切っただけの応接間から顔を出した月の音に声を掛けられた。


「出し抜けに何を言ってんだよ……。意味わかんないし、俺、これから打ち合わせなの。

 どうしてもその話がしたいなら、終わるまで待ってるか、帰ってから連絡くれる?

 あと、『さん』を付けろ」


 俺の返答に手をヒラヒラさせて顔を応接室へ引っ込めた。




「うぉ!? 何だよ、本当に待ってたのか!?」


 打ち合わせを終えて、一応、さっきの応接間に顔を出すと、黒革のソファーでだらけた格好でスマホをイジる月の音の姿があった。


「あ、終わった? 私はアンタを待ってる間にガチャ100連でSSR4枚出したわ!」


 月の音は俺の顔を見るなり、勢い良く起き上がって自分のスマホ画面を俺の顔に突き付けてきた。


「お前本当に何の用なの? ……めっちゃ運が良いのは分かったけど」


 俺が呆れていると月の音は思い出したように居住まいを正し、向かいの席に指をさした。

 促されるまま月の音の向かいに座ると、月の音はコホンと一つ咳払いをした。


「次の金曜にハヤテちゃんと遊びに行くんだけど、アンタも来なさいよ」

「ハヤテ?」


 ハヤテと聞いて、一瞬頭の中で何の事か考える。

 ハヤテが人名だとして、俺の知り合い帳から検索する事、僅か一秒未満。


「は!? ちょっと待て、ちょっと待て!? ……は? はぁ!?」


 ――何で2人が知り合い? どういう接点? 遊びに行く? 何で俺も? いつから? どういうきっかけ?


「オーケー。アンタの疑問は安易に想像ができるわ。

 その答えは簡単。ハヤテちゃんが私の配信をよく見に来てくれているのよ。

 それがきっかけでちょっとずつやり取りが始まって、今じゃ休みが合えば気軽に都内へと繰り出すマブよ、マブ」


 月の音は足を組みながら自慢気にすまし顔をしていた。


「なんそれ!? 何で言わなかった!!」

「なーんでアンタに報告しなくちゃいけないの? ハヤちゃんはアンタのものでも何でもないでしょ?」

「そりゃそうだけど、言わないのも変だろ?」

「先に知り合ってたからそんな事を言ってんのかもしれないけど、アンタ大会以降全然ハヤちゃんと遊んでないんでしょ?

 その辺の事も金曜に詳しく教えてあげるから、一緒に行きましょ」


 確かに月の音の言う通り、ハヤテさんとはあまり連絡を取っていない。

 でもそれはハヤテさんがプロゲーマーになったばかりの一番大切な時期だから練習の邪魔をする訳にはいかないと思って連絡を取っていないという確固とした理由が俺の中にあった。


 ――でも確かに、たまに連絡は来てて、遊ぼうって言われても何かにつけて断ってたのも事実なんだよな……。


 とはいえ安易な接触によってお互いに下衆な詮索による炎上を避けていた節があるというのも間違いなく、俺はコラボを避け――ゲフンゲフン。コラボの機会をとても慎重に探っていたところでもあった。


「……。まぁ、メンツ的にはハヤテさんしか顔が割れてないから、逆に直接会う方がリスクが少ないか」

「ホントに!!」


 俺の返事に月の音はオーバーなくらいに、たぶん喜んでいた。


「これでドタキャンしたらマジで許さないからね!!」

「その鬼気迫る感じなんなん? ちゃんと行くよ」


 机の上に置いてあった月の音のスマホが震え、月の音は笑顔を引っ込めてスマホを手に取って、真剣な顔で画面を操作した。


「……。あ! 私これから行くとこできたわ。

 じゃあ、次の金曜、昼11時に新宿駅の南口。……の前の交差点付近集合ね」

「分かったけど、聞いた事ない感じに詳細な集合場所なんだけど」

「行きゃわかるわよ。じゃね」


 月の音は弾むように立ち上がり、応接室から姿を消した。

 と思ったら顔だけを覗かせて戻ってきた。


「それから、美女2人と歩くんだからマシな格好で来なさいよね!

 今みたいな格好で来たらビンタだから!」


 言うだけ言って、今度こそ月の音は事務所を後にした。


「美女って自分で言うか? ……言うか。アイツなら」


 残された俺は下を向いて自分の服をチェックする。


「岡田さーん! 俺の服装ってオカシイっすか?」


 自分では問題無く思っていても、こういう場合、やっぱり第三者の意見を貰うのが最適解だろう。

 そう思ってスタッフさんの作業している上の階へと向かい、パソコンと睨めっこをしている岡田さんの助言を求めた。


「どうしたの、急に? 服装?」


 月の音に言われた事を簡単に説明すると、岡田さんは顎を右手の親指と人差し指で挟みながら俺を上から下までじっくり見て、うーん、と唸った。


「最近の若い子のセンスは分からないけど、センス以前に黒木くんの服は結構くたびれちゃってるね。

 そこを変えるだけでも印象は良くなるはずだよ」

「くたびれてる……」


 今一度自分の着てる服を見て、パーカーの袖に空いた小さな穴に小指を入れながらいつ買ったものだったか思い返してみる。


「うん。確かに覚えてない」


「僕も若い頃は全く服装に興味が無くて、むしろ、服なんかで寄って来る人間なんか信頼できないって考えだったんだけど、今のパートナーに出会って、2人で出掛ける事が多くなって、彼女は何も言わなかったけど、一緒に歩いている男がダサい恰好をしていたら、擦れ違う誰かに彼女のセンスが疑われるって、ある日突然気が付いて、気付いたら服屋に直行して店員さんにオススメの服聞いて全部買い漁って、次のデートで彼女にめちゃくちゃ笑われたっけな……」


 岡田さんは過去を思い返し、虚空を見つめて思い出に浸っていた。


「めっちゃ喋ってもらって何なんですけど、俺は久しぶりに会うだけでデートじゃないんですが……」


 岡田さんの経験に基づくアドバイスは大変ありがたいが、そもそもの前提が俺と岡田さんでは違う。


「あぁ、そうだったね。でも僕が言いたい事はこういう事なんだ。

 身なりっていうのは自分の為だけじゃなくて、一緒にいる誰かの為でもある。

 だから人と会う時はブランド品を用意しろとまでいかなくても、せめて清潔感のある服を準備しておくのが、少なくとも僕の思うマナーかな」


 ――まぁ、確かに俺がいる事で2人のランクが低く見られるのは癪だな……。


「とりあえず帰りに良さげな服屋覗いてみます。買うかは分からんですけど」

「それが良いと思うよ。気を付けて」

「お疲れ様でーす」


 俺は岡田さんに別れを告げ、事務所を出たところでスマホを取り出し、近くの服屋の検索を始めた。




「岡田さん、良かったんですか? ウチは恋愛禁止とは言ってませんけど、それでもタレントさんが特定の人を作ると何かと問題になりやすいですよ……」


 黒木を見送った岡田に対し、話を聞いていた若手女性社員がちょっと難しい顔で岡田に近付いてきた。


「僕は今、声を聞いたのかもしれない……」

「は?」

「君には聞こえなかったのかい?」

「そうですね。あと怖いくらいに何を言ってるのか、さっぱり理解できません」


 戸惑う女子社員を一瞥した後、岡田は窓に近付いてブラインドカーテンを一枚押し下げ、隙間からすっかり暗くなった街を不敵に笑いながら見下ろした。

 その瞳にはもう人ごみに紛れた若者の背中を見つめていたのかもしれない。


「……ラブコメの産声だよ」

「え? キモ……」


 岡田の満足そうな笑顔とは対照的に、女子社員は不快そうな顔を隠そうともしなかった。

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