第16話 「我々の世代で時代を変えよう」
――20XX年、1月。都内某所。
雑踏の間をすり抜け、大通りに面したガラス張りの高層ビルに入り、聞いていたようにエントランス奥にあるエレベーターに乗り込むと36階のボタンを押して、他に乗る人がいない事を確認してから閉じるボタンを続けて押す。
音も無く扉が閉まる間にスーツの左袖を少し捲って腕時計の文字盤を確認する。
――待ち合わせの5分前。
上から押さえつけられるような加重が徐々に弱くなり、ポーンという静かな機械音の後に静かに扉が開いた。
エレベーターを出て進むと、目の前には天井の高い高級ラウンジが待っていた。
行き交う人は大勢いるのに足元に敷かれた絨毯が足音を消していて、見えている人込み以上にずっと静かな空間が作り出されていた。
ガラス張りのラウンジの外に目を向けると、普段高いと見上げるビルの屋上が目線の高さにある。
初めの頃は家族でしか来ないような場所に1人で来る事に緊張を覚えていたけれど、半年以上同じような場所を出入りしていると、すっかり気後れしなくなっていた。
「白神」
名前を呼ばれ振り返ると、グレーのスリーピーススーツを着た先輩が立っていた。
先輩が卒業して一年半程しか経っていないのに社会人の風格が既に完成されていうように見受けられた。
「荒井先輩。こんにちは」
荒井先輩は握手を求めて手を差し出し、僕はいつものようにその手を握った。
荒井先輩はフィジカル的なコミュニケーションを用いる。
一見、フランクで友好的な人間に思える先輩の行動だけど、先輩のいる世界――そして、これから僕が飛び込む幾多の利己的な野望の坩堝の世界を考えれば、握手が相手に飲み込まれない盾となる行動だという事が、悲しいながらにだんだん分かるようになっていた。
「こっちだ。もう全員揃ってる」
「はい」
笑顔の荒井先輩に案内されて奥へ進むと、窓際にガラスでパーテーションされた部屋に案内された。
中には8人掛けの円卓が置かれ、荒井先輩と同じようにカチッとしたスーツを着こなした男性が2人、女性が1人座っていた。
「先輩方、こいつが来年入る予定の俺の後輩の白神です」
「初めまして。白神です。現在はインターンで勉強させて頂いております」
先輩から紹介を受け、僕は重ねて自己紹介をした。
「初めまして、チームリーダーの秋元だ」
「初めまして。私は岩永です」
「私がオッサン最年長の笠松です」
全員から自己紹介を受け、順番に握手を交わす。
「笠松さん、オッサンじゃないですよ! まだ29じゃないですか!」
それから少しの時間、談笑と大学の思い出話や今の大学の話で場が和んだところで秋元さんが不意に声のトーンを変えた。
「じゃあバカ話もここまでにして、そろそろ本題に入ろうか」
秋元さんが荒井先輩に目配せをした。
荒井先輩が席を立ってパーテーションの支柱のボタンを何やら操作すると、透明だったガラスが一瞬にして不透明の磨りガラスへ変化して、外から中が見えなくなった。
「四月からデジタル庁に勤める訳だが、これまでのインターンから得た経験で白神くんは日本のITが遅れている要因はどこにあると思う?」
僕はいつも頭にある答えをすぐに口にはしなかった。
なぜなら、この質問が日本の抱える社会問題を洗い出す為にされた、ありきたりな質問でないと秋元さんの目が雄弁に語っていたからだ。
「……IT初等教育の遅れから発する圧倒的な基礎不足。
基礎無くして応用も発展も発想も無いですし、世界を先んじる事はできないと思います」
僕の答えに秋元さんは目を閉じながら噛みしめるように数回頷いた。
「短い期間である事を考慮すれば、ほぼ核心を突いた答えだと言える。
それに、世界を見据えているのがとても良い」
「ありがとうございます」
秋元さんは自信に満ち溢れ、できる男という雰囲気を纏っている。
だから、こんな些細に称されるだけで何やら根拠の無い自信が心に沸々と湧き上がり、そこから秋元さんがリーダーたる所以の片鱗を肌で感じ取る事ができた。
「白神くんの意見に付け加えるとするならば、この国に蔓延している優秀なプログラマーが生まれずらい環境。
この背景はプログラムを組む際の言語が英語である事も起因している。
本当に簡単な単語を基礎としているにも関わらず、英文の羅列というだけで日本人の拭えない英語忌避が最新のプログラムを理解する時間を無駄に伸ばしてしまっている。
そして優秀な人材の真の価値を見出せず、十分な報酬が支払われず海外へ流出させてしまうプログラムを学んでこなかった管理職世代の能力。
ここを抜本的に変革させていかなければならない」
自分の経験も踏まえ、基礎が抜けている事には気付いていたけれど、そこからプログラミング言語、更に労働環境の領域まで頭が回っておらず、秋元さんの指摘は正に見えている景色の違いから発する指摘だった。
「私たちの世代でも学校の授業にプログラミングが無かった。
人の数だけ異なる発想が生まれるのだとしたら、裾野をもっと広げなければ革新的な発想が生まれる可能性が上がらない。
だから数年前から政府は初等教育からの英語の授業とプログラムの授業をカリキュラムに組み込んだの」
秋元さんの隣に座っていた岩永さんが、現状で取り組んでいる施策について付け加えて説明をしてくださり、僕は得心がいったと無意識に頷いていた。
「先輩たちはこうやって日本の未来を作ろうとしているんだ。
優秀な人材を集めて河田先生のブレインチームを組み、日本をより良く、再び世界のトップリーダーに返り咲けるように秋元先輩をリーダーに中心にして動いてるんだ!
そして、このチームに白神も参加してもらいたい!」
荒井先輩は少年のように目を輝かせていた。
先輩の口から出た河田先生といえば、現デジタル庁の大臣。
インターン中に聞こえてきた噂では、河田大臣は総理大臣の座を狙っているらしく、ここで功績を上げて一気に他の政治家や派閥内から支持を得ようとしているのだろう。
そして話を聞き進めていくと、どうやら河田大臣は出世にしか関心が無いらしく、成果さえ上げられさえすれば、チームが何をしようと干渉しないスタンスを取っているらしく、それはどうかと思う一方で、現場は仕事が捗るらしく、どちらにも都合の良い環境が整っているようだった。
「我々の世代で時代を変えよう」
秋元さんの言葉に、全員が秋元さんを注目した。
「今ある悪しき習慣、固定観念、風習を捨て、ニュースタンダードを我々の世代で作り上げ――」
秋元さんは一度言葉を止め、円卓1人1人の顔をしっかりと見た。
「その中心にいるのは、このテーブルを囲んでいる我々だ」
その言葉には、自分にはやれるという自信が満ち溢れていた。
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