第6話 「お! 国産黒毛和牛! テレビでよく聞くやつ! これ食おう!」
――20xx年、8月。
「あ、黒木くん。お疲れ様です。岡田です。三点ほど伝達事項がありますので連絡させていただきました。
まず一点。お給料の話なんだけど、今月から視聴者さんの投げ銭分が加わってるので先月までよりも増えているけど、それは手違いじゃないから安心して。
で、お金に関して追加で一点。お金の使い方は自由だけど、翌年から各種税金が発生してくるから、払えないなんて事が無いように少しは貯金をしといてね。
最後の一点は配信について。精力的に活動してるのは感心だけど、36時間ぶっ続けはやり過ぎ。
ファンはクロードの配信を追っちゃうんだからペースは考えないと。
というわけで、今日の配信は禁止。全社員で監視してるからね。こっそりもさせないよ。
あ、ちなみに今日配信したら罰金10万だって社長が言ってたから。
では、伝達は以上になります。失礼します」
寝起きに岡田さんの長い留守電を聞き流し、部分部分しか頭に残らなかった。
「配信、禁止……。まぁ、眠いし、今日はいいか……。あと、何だっけ……」
――最初の方があんまり思い出せないけど、何か税金がどうとかって……。
「……給料!」
眠っていた頭が一気に覚醒する。
会社からは基本給が支給されているが、携帯代とネット代、あとは昼飯や飲み物代で全部溶けてしまって、正直1か月を生き抜くのがやっとレベルが支払われている。
しかし最近登録者数が増えて、配信中に視聴者からの応援という形で、いわゆる「投げ銭」のシステムが解放され、その投げ銭でもらった金が会社と俺の半々で分けて懐に入る契約となっている。
そして、その金が今日から給料と一緒になって支給されるようになったらしい。
今までは決まった額しか入っていないのが分かっていたから気にしていなかったが、投げ銭が解禁されてから配信中にそこそこ金を貰っていたのは記憶していたから、いくらになっているのか、今はスゲー気になって仕方がない。
「確かパソコンからでも預金確認できたよな」
使っている銀行のサイトを検索して預金確認できるところを探して、カタカタいじって自分の口座を確認すると、俺は一瞬自分の目を疑った。
そこには見た事もない桁の数字が表示されていて、パッと見ていくら入っているのか分からなかった。
「一、十、百、千、万、……19万!? マジ……?」
確か大学を出た奴らが一流と呼ばれる企業に勤めた時の初任給が19万くらいだってワイドショーで聞いたことがあるような、ないような。
なんにせよ、19万なんて大金を手中に収めた事実に驚愕と歓喜で思考が上手く働いていなかった。
「19万もあったら色々買い足せる! グラボ新調して……。あ、ヘッドホンは絶対に買い換えよう! つか、配信しながら何買うかみんなで考えるか――」
配信を始めようと考えた瞬間に、寝起きの岡田さんの留守電内容が聞いていないようでしっかりと脳裏を過ぎった。
「アカン。今日は配信できないじゃん……」
社長が罰金10万と言ってたらしい。
社長とは何回か会っている。
若くして社長となって、すげー爽やかな雰囲気だけど、ガツガツしていて面白そうな事には見境がない。ある意味で白神に似た超ポジティブアクティブ人間だ。
その社長がやると言った事は間違いなくやるから、俺の罰金もハッタリではなくマジだ。
もし今日配信をすれば確実に俺の口座から10万は消えているだろう。
だが、ほぼ毎日やっている配信を急に取り上げられると、途端にする事が無くなってしまって困る。
「……暑っちいな」
寝る時に切ったエアコンのスイッチを入れながら、今日何をしようか考えたが、結局何も思い付かなかった。
「メシ食いながら考えるか……」
自分の部屋を出て台所へ行くと、普段この時間にはいない母親の姿があった。
「あら、おはよ。何か食べる?」
「……昨日の残りモンでいいよ」
昨日の野菜炒めをチンしたものと、これまたチンされた白飯を出してもらい、黙々と口へ運ぶ。
スマホをいじりながら白米を口に運び、自分の配信の切り抜きをチェックしているうちに、気付けば茶碗の中は空になっていた。
「今日は休みなん?」
「そうそう。だから溜まった洗濯して、その後で買い物も行かなくちゃ」
父親のいない我が家では、母親が家賃から何からを稼ぐ為に朝から暗くなるまで働いている。
俺は朝方まで配信して夕方起きるルーティンが出来上がっているから、今は1日に1回顔を合わせるか合わせないかの距離感で生活している。
でも別に仲が悪い訳ではない。
メシを終わらせて部屋に戻ってソシャゲのデイリーミッションを終わらせると、本当にする事が無くなった。
スマホを机に置いて布団に横になる。
エアコンの音と狭くて日当たりの悪い庭から洗濯物を干す音が聞こえる。
――白神に電話するか……。あ、大学か……? 分からんな。ヤバ……。マジでする事が無い……。
配信という手足を縛られ、布団の上でゴロゴロするしかなかったが、配信を取り上げられた俺は、もはや生ける屍と化していた。
――ヴヴヴ、ヴヴヴ。
不意にスマホが震え、起きて机の上のスマホを確認すると、母親からのメッセージが入っていた。
『お買い物行ってくるから、出かけるなら鍵をかけて行ってね』
メッセージを読んでポリポリと頬を掻く。
「あ、ATM行くか」
母親がいつもいくスーパーの敷地内に俺の使う銀行のATMがある事を思い出し、灼熱の太陽の下をチャリで移動するよりも、車でバビュンと行く方が時間的にも身体的にも効率が良い。
『俺も行く』
置いていかれないように短文でメッセージを返し、すぐユルユルジャージから年季の入ったジーンズに履き替えて、財布とスマホを持って玄関へと向かった。
「珍しいね。どうしたの?」
既に靴に履き替えた母親は玄関で俺を待っていた。
「金を下ろしたくて」
「そっか。じゃあ、一緒に行きましょうか」
なぜ動いているのか分からないくらいにヴィンテージな我が家の国産軽に乗り込み、即行で窓を開ける。
エアコンなど、とうの昔にその機能を失った我が家の軽は、夏は窓全開。冬はとにかく着込んで寒さに耐えるという仕様になっている。
「今日、お給料が出たの?」
慣れたハンドル捌きで家の前の車幅ギリギリの細道に車を出し、県道に出たところで母親が口を開いた。
「そうそう。今月から前よりも貰えるようになって。っても、継続して貰えるように頑張らなアカンが」
「ふーん……」
金の話をして、何を買おうか悩んでいた事を思い出して流れる景色を眺めながら心を踊らせて考えていた。
「じゃあ、母さんは買い物してるから」
「あいよ。下ろしたら合流するわ」
一度母親と別行動を取り、俺は駐車場端にあるATMへ向かった。
「げ。並んでる……」
どうやら給料日が被っているらしく、小屋の中に2台しかないATMを使いたい民が既に7、8人で列を成している。
「暑いんですけど……」
小さな声で愚痴を漏らすものの、それでも並ばなければならないのが社会的なルールだから、その社会的なルールに従って最後尾に社会的に並ぶ。
順番を待つ間に直射日光は引きこもりの真っ白な肌を容赦無く焼き、黒髪の頂点は触らずともアツアツに熱を持っているのが分かる。
更に追い打ちをかけるように、俺の番の前の2人がやたらと長時間ATMを使い、さすがに暑さのせいでイライラが有頂天だった。
バリバリのパーマをかけたオバサンが小屋から出てようやく俺の順番になって小屋の中に入った。
銀行のカードをATMに突っ込み、まず残高照会をする。
もしかしたら、あの19万は寝起きで幻想を見たのかもしれない。
「おぉ……!」
幻ではなく19万が入金されていて、思わず変な声が出て、隣にいた日に焼けたガテン系のオッサンに不審がられた。
「すいやせん」
オッサンに怪訝な目を向けられ、画面を隠すようにして軽く会釈をした。
オッサンはそれ以上俺に構う事無く小屋から出て、次にサラリーマン風のメガネのオッサンが交代で入って来た。
――いくら下ろすか……。引き落としも考えて15万か……? あ、でも少し残しとけって岡田さん言ってたし、とりあえず10万でいいか。
タッチパネルを操作して取り出し口に厚みのある札の集団を目にした瞬間、少し感動した。
――なんか俺、配信者として頑張れそうだな……。
ふと我に返って後ろの人の事を思い出して、急いで10万を財布に詰めて小屋を出る。
「暑っ!」
小屋を出てすぐ、また殺人的な暑さに命の危険を感じ、駆け足でスーパーの中へ向かった。
「うぁー……。冷房が沁みる……」
『店の自動ドアを過ぎると別世界であった。』
川端先生。景色が変わる感動を言葉に残したい気持ちが俺にも少し分かった気がします。
バカな事を考えてないで、さっさと母親を探す。
店の外側をまわり、精肉コーナーで母親の背中を見つけた。
「外、暑過ぎ。油断すると死ぬな、アレは」
「あら。おかえり」
母親は1回俺の顔を確認して、また数多ある肉のパックに視線を戻した。
俺も他に見るものが無くて無数の肉のカーニバルに目を向ける。
「お! 国産黒毛和牛! テレビでよく聞くやつ! これ食おう!」
「高い、高い。それだけでウチの食費の10日分くらいになっちゃうわよ」
「俺が買うから今日の晩飯にしようぜ。配信のネタにもなるし」
俺は黒毛和牛のパックを2つ手に取り、カートに乗った買い物の中に放り込んだ。
値段は見ていない。何せ今の俺には10万がある!
「配信ねぇ……。最初は何をしてるのか分からなかったけど、人様に迷惑をかけてなくて、最近アンタが楽しそうだから、母さん安心したよ。
あ、何か足りない物とかない?」
母親はカートを押して精肉コーナーから離れ、迷いの無い足取りで歩き出した。
楽しそうと言われて、今更ながらに気付かされる。
配信を始める前と後では毎日が一変していた。
前は制服を着ている同年代の奴らを見ると反射的に気持ちが尖っていたが、今は有名大学に同級生が通っていると聞かされても、素直に称賛できる心になっている。
俺も成長して心に余裕ができたからと簡単に結論を出す事はできるが、その余裕を生み出す要因が今の俺の全部と言っても過言ではなかった。
レジで商品を通してもらい、総額が2万円を超えていた。
財布を持つ母親の手が僅かに固まったように、俺には見えた。
「……これでお願いします」
俺は財布から3枚諭吉先生を取り出してトレイに置き、支払いを済ませた。
「ちょっと!」
母親に止められそうになったけれど、その抗議は無視した。
「店員さん戸惑ってるだろ」
店員さんの愛想笑いには、ハッキリとどっちが払うんだよと書かれていた。
「……よろしいですか?」
「はい」
少し面倒くさそうに店員さんが3人の諭吉先生を連れ去り、俺の手元には一葉さんと英世が1人ずつ帰ってきた。
「家に帰ったら返すからね」
買った商品の袋詰めをしている時に母親が小さな声で言った。
「いらんいらん。そんかわりに黒毛和牛を最高の状態で提供してくれよ」
帰りの車内で既に3万近くを消費してしまった事実に驚いたが、後悔は無かった。
後悔よりもむしろ、誇らしい気持ちで満たされていた。
毎月給料が出た時ぐらいは高い物を食うのも悪くないかもしれない。
その晩、母親の焼いてくれた黒毛和牛は俺の今まで食ってきた肉ランキングで初登場1位を記録し、白神に誘われて都内の高級焼肉屋で上カルビを食べるまで、1位の座に君臨し続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます